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062 黒いタイトワンピースの女 その2
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フワフワの髪は昨日と同じ様に細かいウェーブがかかっていた。胸の前は大きく空いていて鎖骨が全部見えている。首のラインから鎖骨まで美しくて窪んでいるところには水が溜まりそうだ。赤い口紅と長い爪。昼になろうとする時間ではとても不似合いだが、ここは『ファルの宿屋通り』しかも細い路地の影が落ちている場所で彼女を見ると何だかなまめかしい雰囲気が合っている様に感じた。
「子供の様な顔をしておいて、しかも連れているのがニコとソルなんて。そんなにこの黒髪女は具合がいいのかしらね」
彼女は7センチはあるヒールで腰をくねらせながら私の前まで歩いてくる。元々背が高い女性なので、ソルと同じぐらいの目線だった。
具合がいいのかしらね──って、鈍い私でも分かった。寝ていると言いたいのだろう。しかし、それよりも私は名前を知っている事に驚く。
「よく2人の名前を知ってますね」
ニコは『ジルの店』で働く単なるウエイターだし、ソルについては先程の話だったら裏町で生活している単なる少年なのに。
何故この女性は知っているのだろう。
「何言ってるの。ファルの町で数少ない見目のいい男は、女なら誰もが狙うに決まっているでしょ」
彼女はフンと鼻息を荒く左足を前にして腕を胸の下辺りで組む。胸が強調されてはち切れんばかりだ。
羨ましい……私に自慢されても自慢し返す胸がない。
それにしても、見目のいい男は数少ないかなぁ?
「ファルの町は男前が多いと思いますけど」
「そんなわけないでしょ。あんたの基準はどうなっているの」
「だって、ザックにノアにシンでしょ。ネロさんは、変態だからちょっと違うかな。あっ、それに、ダンさん」
私は目を輝かせた。私が出会った男性は皆素敵だ。
「「ブハッ」」
ダンさんと言った声を聞いて、後ろに控えていたニコとソルが吹き出して肩を震わせている。私が振り向くと、慌てたソルとニコがそっぽを向いた。何事もなかった様な素振りを見せるが、口の端がプルプル震えている。
そこまで笑う事かな。
「あんた目がおかしいの? 片目に傷のある筋肉大男のダンが男前って!」
私の意見がおかしいとばかりに彼女は身を乗り出して噛みついてきた。
「ダンさんも知ってるんですね。凄い情報通」
「情報通でも何でもないわよ。当たり前でしょ『ジルの店』がどれだけこの界隈で幅をきかせているか、知らないにも程があるわよ」
「知らないにも程があると言われても。私は最近『ジルの店』で働きはじめたばかりだし」
「あんたねぇ」
「ダンさんはいつも冷静だし、おいしい食事を作ってくれるのに。そもそも、料理が出来る男性って素敵だと思うけど。だって家事の中でも料理は出来る人と出来ない人がぱっくり分かれるよね?」
「もう、馬鹿じゃないの。ザックやノア達にチヤホヤされているから価値観がおかしくなっているんじゃないの? あんないい男2人はファルの町ではそうないわよ!」
私の顔に唾が飛ぶぐらいの勢いで彼女はまくし立てる。
「チヤホヤされているとは思えないけど……」
大体この世界に来た時だって、ノアとザックは目の敵にするし。
ザックなんてノアに監視を頼まれたから、ちょっかいを出そうとしたとか言い出す始末。
ノアに至っては最近まで私を締め上げてまでの危険人物扱いだし。それを知っての言葉ではないのは分かるけれども。
しかし彼女は私の最後のひと言で瞳を吊り上げ私を睨みつける。
ああ、怒らせてしまったか。
彼女は私の後ろで、笑いを堪えていたニコとソルの2人を眺めてにやりと笑う。
「まぁ、いいわ。あんたが、この2人と暢気に話をしている間に、私がザックを奪うから」
髪の毛をかき上げて私を斜め上から睨みつける。
「奪うって……」
「やっぱり信じられないわ。ザックがあんたみたいな、何にも持たない小娘を相手にするなんて」
そう言って私の姿を上から下まで舐める様に見つめる。
「それとも、何も知らない顔してベッドの上では相当な事をしてくれるのかしらねぇ」
それを聞いてげんなりする。どうしてベッドの話ばかりになるの。
私は思わず口を閉じて黒タイトワンピースの女を見上げる。
睨みつけてはいけないと思って丸まった背中をまっすぐと伸ばした。
「まぁ、怖いわねぇ。その闇の様な黒い瞳で睨みつけるなんて」
そう言って彼女は私の顎を掴んで、頬に赤い爪を食い込ませた。
「痛ッ」
私は彼女の掴んだ腕を両手で握りしめる。力は大した事ないが長く伸びた爪が痛い。
彼女の顔が間近に迫る。ファル特有の浅黒く滑らかな美しい肌だった。
黒タイトワンピースの女は私の顔の目の前で囁いた。
「ねぇ、今日はザックは早く仕事が終わる日よね。でも、ザックが『ジルの店』に足を伸ばす事はないわよ。どんな手を使ってもザックを私のベッドに誘うから」
ザックが誘われるままに黒タイトワンピースの女を抱きよせる姿が浮かんだ。
ザックの噂話ばかり聞いてきたので、そういうシーンも無理なくイメージ出来る自分がいる。
そうだね。
それがあなたの知っている、ザックなのかもしれない。
けれども、私の知っているザックは──
「思い知ればいいわ。ザックがあんたを相手にしたのは珍しい女という理由だけだと。貧相なあんたなんて、結局下働きか奴隷がお似合いよ」
「おい、奴隷なんて言い過ぎだろう」
突然ソルが低い声を上げて一歩踏み出したのが分かった。
が、私は片手を上げてそれを制した。
「あらぁ。庇い合うぐらい、いい仲なわけ?」
黒タイトワンピースの女はわざとせせら笑う。
「この──」
せせら笑いに頭にきたのか、ソルが反応し声を上げかけた。
「分かった」
私はゆっくりと息を吸い込んで出来るだけ落ち着いた声を上げる。
「な、何よ」
突然声を上げた私に彼女は驚いて、爪の食い込んだ手をゆっくりと離した。
私はゆっくりと言い聞かせる為に彼女に向かって声を発した。
「今日、あなたの思う様にザックに声をかければいい」
「「「え?」」」
私の答えに面食らうのは向に対峙している彼女だけではなかった。
後ろに控えていたニコもソルも驚いて声を上げる。
私はザックを信じている。
私はザックがくれたペンダントの海の底の様に光る石の部分を握りしめた。
ジッと見つめる私の瞳に彼女は一瞬動揺するが、直ぐに余裕を取り戻した様に笑ってみせる。しかし、口が歪んでいる。
「ふ、ふーん、そう。あんたは、ザックが私と寝ても平気だって言うわけ」
「平気じゃないよ」
「じゃぁ、何であんたは『そんなのは止めて』と言わないのよ」
「だって、あなたがザックを誘うって言うから。それは自由だと思って」
「自由だけれども」
「だから、あなたの好きにすればいいと思う」
「ムカつくわねぇ。何なのその余裕は」
「余裕はないけど」
そんなものこれっぽっちもない。
ザックに抱かれる事だけ切り取るなら、彼が私に満足していないかもしれない。
更に女としての魅力があるかと言われると、容姿に関しては自信なんてこれっぽっちもない。
「悪いけどザックは抱くわよ、私を。この私の体で何度もザックが溺れたのは事実なのだから」
そうだろうね。私もそう思う。
ザックは好きとか嫌いとか関係なくきっと女の人を抱ける。
「もし、あなたの事を。ううん、他の女性をザックが抱くなら──」
私のその言葉に彼女は勝ち誇った顔をした。きっと次の言葉を予想したからだろう。
諦めるよ、とか。
仕方ないから、とか。
それとも、我慢するから、とか──
きっとそんな言葉を期待したのだと思う。
しかし、彼女は私の次の言葉を聞いて口を開けたまま固まってしまう。
「そんなザックなら、私はいらない」
「──え」
「え?」
「えぇぇぇ?!」
この言葉に黒タイトワンピースの女を筆頭に、ニコ、ソルと続く。結局一番驚いていたのはソルだった。
「い、いらないって。え? あ、あんた何言ってるのよ。何であんたがザックの事を捨てる方にいるのよ」
先程まで勝ち誇っていたはずの彼女が怒り出す。頭を抱え綺麗にセットしたヘアスタイルを両手でかき乱す。
「捨てる方にいるって、どういう事? そもそも私とザックは対等なのに」
「対等って──軍人で男のザックと対等になれるはずないでしょ」
彼女は爆発した髪型で目を丸くして私の顔を見つめる。相当動揺している。
「だって同じ人間でしょ。私はザックが好きで、ザックも好きだと言ってくれた。だから対等だよね」
「そんなの、ザックが女を落とすための殺し文句かもしれないじゃない!」
「ザックの『好き』があなたの思うものと同じなら、私の考えと合わない。だから私はそんなザックはいらない。あなたのところに行けばいい」
「……そんな」
黒タイトワンピースの女は口を開けたまま呆然としている。
「私はとてもザックが好き。だから、私だけを相手に選んで欲しい。私だけっていうのがザックが我慢出来ないのであれば、縛り付けるつもりはないよ」
「……」
黒タイトワンピースの女は私の顔をジッと見つめて開いた口を閉じた。
それから、辺りが静かになってしまう。風が潮の香りと遠くで聞こえる海鳥の声を届けてくれた。
私はネックレスを握りしめた手を離した。
ザック、助けてくれてありがとう。思っている事言えたよ。
ザックが照れながらでも思いを伝えてくれていなければ、もっと取り乱して動揺したかもしれない。私は胸の中お礼を言う。
「それじゃぁ、話は終わりかな? 仕事に戻らないといけない」
私はパンと手を一つ叩いて声を上げる。そろそろ行かないとダンさんに怒られてしまう。
「──踊り子の私が、体を使う以外でザックの気を引く事が出来ると思う?」
「え?」
肩を落としてぼそりと呟いた黒タイトワンピースの女だった。
「15歳の時から踊り子になったの。それから10年経ったけど、それしか知らない私がどうやってザックの気を引く方法があるって言うのよ」
「……」
激昂した様子はないが溜め息をついてボソボソ話す姿は諦めにも似ていた。
「あんたの考えは理解出来ない。私には、とても男と対等なんて思えない。だって、必死に媚びて誘ってやっと……」
そこまで言って、声が掠れて言葉が続かなかった。
彼女の瞳に涙が溢れたからだ。
私は彼女の前に立って赤い爪の手を取った。細くて美しいが、手の所々に傷がある。古傷の様で、たくさん辛い目にあってきたのが想像出来る。
「な、何よ」
手を握られた彼女はビクつきながら私の顔を睨んだ。
「対等だよ」
「え?」
「あなたも対等だよ」
「……」
私の顔を見て黒タイトワンピースの女の目からは大粒の涙が溢れた。
「うん……」
彼女は私の手を握りしめると小さく頷いた。
その姿をニコとソルが無言で見つめていた。
「おい、ザック。昼飯も喰いに来たのに何で急に引き返すんだよ」
ナツミが6人の他店の踊り子から襲撃を受け嫌味を言われた話を聞いたので、ザックは気になっていた。
忙しかったが、何とか時間を作り様子を見に『ジルの店』へ来たのだ。
ザックは様子を見に来たついでに、ナツミを慰めて勇気づけるつもりだったのだが。
まさか、あの近道の細い路地で、襲撃を受けている現場に出くわすとは思っていなかった。
「ザック、飯は喰わずに帰るのか?」
「うるさいっ。大体頼んでないのに何でノアがついてくるんだ。お前はそもそも関係ないだろう」
ザックはノアの言葉に被せる様に怒鳴る。
ザックは肩を怒らせてズンズン歩いて気が付くと『ファルの宿屋通り』の門を出て、元来た軍の施設へ帰る道を辿っていた。
ノアが追いかけてザックの隣に並ぶ。
「何だよ、良いじゃないか俺も一緒について来たって。いやぁ、凄い場面に立ち会ったもんだ。っておい、ザック何で怒って……どうした。顔、真っ赤だぞ」
「見るなっ!」
ザックの顔を横から覗き込んだノアだが、ザックはノアの顔を掴むとグイッと腕を突っ張った。
「痛ぇ。何するんだこの野郎」
外を歩くが2人だけなのを良い事にノアは王子様の仮面をはずし、口調が乱暴なままだ。
「クソッ」
ザックは乱暴に呟いた。
ザックの心の中は大騒ぎだった。
何だよ。あんな凄いナツミの告白を昼間から聞かされるなんて。
俺をどうしたいんだ。
武勇伝と言ったダンの言葉はその通りで、あんなに強くて視線を逸らさず、立ち向かう姿を見せられて益々ナツミに傾倒していく。
何度、惚れさせれば気が済むのだ。
それと共に、黒タイトワンピースの女に対しても自分がどれだけ残酷な事をしたかを痛感する。どんなに割り切った関係だったとはいえ、気持ちがない男に体を差し出していたわけではなかった。
すまなかった──
それ以外の言葉を紡いでも言い訳にしかならない。
ザックとノアは食事もとらず午後の仕事に戻っていった。
「子供の様な顔をしておいて、しかも連れているのがニコとソルなんて。そんなにこの黒髪女は具合がいいのかしらね」
彼女は7センチはあるヒールで腰をくねらせながら私の前まで歩いてくる。元々背が高い女性なので、ソルと同じぐらいの目線だった。
具合がいいのかしらね──って、鈍い私でも分かった。寝ていると言いたいのだろう。しかし、それよりも私は名前を知っている事に驚く。
「よく2人の名前を知ってますね」
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何故この女性は知っているのだろう。
「何言ってるの。ファルの町で数少ない見目のいい男は、女なら誰もが狙うに決まっているでしょ」
彼女はフンと鼻息を荒く左足を前にして腕を胸の下辺りで組む。胸が強調されてはち切れんばかりだ。
羨ましい……私に自慢されても自慢し返す胸がない。
それにしても、見目のいい男は数少ないかなぁ?
「ファルの町は男前が多いと思いますけど」
「そんなわけないでしょ。あんたの基準はどうなっているの」
「だって、ザックにノアにシンでしょ。ネロさんは、変態だからちょっと違うかな。あっ、それに、ダンさん」
私は目を輝かせた。私が出会った男性は皆素敵だ。
「「ブハッ」」
ダンさんと言った声を聞いて、後ろに控えていたニコとソルが吹き出して肩を震わせている。私が振り向くと、慌てたソルとニコがそっぽを向いた。何事もなかった様な素振りを見せるが、口の端がプルプル震えている。
そこまで笑う事かな。
「あんた目がおかしいの? 片目に傷のある筋肉大男のダンが男前って!」
私の意見がおかしいとばかりに彼女は身を乗り出して噛みついてきた。
「ダンさんも知ってるんですね。凄い情報通」
「情報通でも何でもないわよ。当たり前でしょ『ジルの店』がどれだけこの界隈で幅をきかせているか、知らないにも程があるわよ」
「知らないにも程があると言われても。私は最近『ジルの店』で働きはじめたばかりだし」
「あんたねぇ」
「ダンさんはいつも冷静だし、おいしい食事を作ってくれるのに。そもそも、料理が出来る男性って素敵だと思うけど。だって家事の中でも料理は出来る人と出来ない人がぱっくり分かれるよね?」
「もう、馬鹿じゃないの。ザックやノア達にチヤホヤされているから価値観がおかしくなっているんじゃないの? あんないい男2人はファルの町ではそうないわよ!」
私の顔に唾が飛ぶぐらいの勢いで彼女はまくし立てる。
「チヤホヤされているとは思えないけど……」
大体この世界に来た時だって、ノアとザックは目の敵にするし。
ザックなんてノアに監視を頼まれたから、ちょっかいを出そうとしたとか言い出す始末。
ノアに至っては最近まで私を締め上げてまでの危険人物扱いだし。それを知っての言葉ではないのは分かるけれども。
しかし彼女は私の最後のひと言で瞳を吊り上げ私を睨みつける。
ああ、怒らせてしまったか。
彼女は私の後ろで、笑いを堪えていたニコとソルの2人を眺めてにやりと笑う。
「まぁ、いいわ。あんたが、この2人と暢気に話をしている間に、私がザックを奪うから」
髪の毛をかき上げて私を斜め上から睨みつける。
「奪うって……」
「やっぱり信じられないわ。ザックがあんたみたいな、何にも持たない小娘を相手にするなんて」
そう言って私の姿を上から下まで舐める様に見つめる。
「それとも、何も知らない顔してベッドの上では相当な事をしてくれるのかしらねぇ」
それを聞いてげんなりする。どうしてベッドの話ばかりになるの。
私は思わず口を閉じて黒タイトワンピースの女を見上げる。
睨みつけてはいけないと思って丸まった背中をまっすぐと伸ばした。
「まぁ、怖いわねぇ。その闇の様な黒い瞳で睨みつけるなんて」
そう言って彼女は私の顎を掴んで、頬に赤い爪を食い込ませた。
「痛ッ」
私は彼女の掴んだ腕を両手で握りしめる。力は大した事ないが長く伸びた爪が痛い。
彼女の顔が間近に迫る。ファル特有の浅黒く滑らかな美しい肌だった。
黒タイトワンピースの女は私の顔の目の前で囁いた。
「ねぇ、今日はザックは早く仕事が終わる日よね。でも、ザックが『ジルの店』に足を伸ばす事はないわよ。どんな手を使ってもザックを私のベッドに誘うから」
ザックが誘われるままに黒タイトワンピースの女を抱きよせる姿が浮かんだ。
ザックの噂話ばかり聞いてきたので、そういうシーンも無理なくイメージ出来る自分がいる。
そうだね。
それがあなたの知っている、ザックなのかもしれない。
けれども、私の知っているザックは──
「思い知ればいいわ。ザックがあんたを相手にしたのは珍しい女という理由だけだと。貧相なあんたなんて、結局下働きか奴隷がお似合いよ」
「おい、奴隷なんて言い過ぎだろう」
突然ソルが低い声を上げて一歩踏み出したのが分かった。
が、私は片手を上げてそれを制した。
「あらぁ。庇い合うぐらい、いい仲なわけ?」
黒タイトワンピースの女はわざとせせら笑う。
「この──」
せせら笑いに頭にきたのか、ソルが反応し声を上げかけた。
「分かった」
私はゆっくりと息を吸い込んで出来るだけ落ち着いた声を上げる。
「な、何よ」
突然声を上げた私に彼女は驚いて、爪の食い込んだ手をゆっくりと離した。
私はゆっくりと言い聞かせる為に彼女に向かって声を発した。
「今日、あなたの思う様にザックに声をかければいい」
「「「え?」」」
私の答えに面食らうのは向に対峙している彼女だけではなかった。
後ろに控えていたニコもソルも驚いて声を上げる。
私はザックを信じている。
私はザックがくれたペンダントの海の底の様に光る石の部分を握りしめた。
ジッと見つめる私の瞳に彼女は一瞬動揺するが、直ぐに余裕を取り戻した様に笑ってみせる。しかし、口が歪んでいる。
「ふ、ふーん、そう。あんたは、ザックが私と寝ても平気だって言うわけ」
「平気じゃないよ」
「じゃぁ、何であんたは『そんなのは止めて』と言わないのよ」
「だって、あなたがザックを誘うって言うから。それは自由だと思って」
「自由だけれども」
「だから、あなたの好きにすればいいと思う」
「ムカつくわねぇ。何なのその余裕は」
「余裕はないけど」
そんなものこれっぽっちもない。
ザックに抱かれる事だけ切り取るなら、彼が私に満足していないかもしれない。
更に女としての魅力があるかと言われると、容姿に関しては自信なんてこれっぽっちもない。
「悪いけどザックは抱くわよ、私を。この私の体で何度もザックが溺れたのは事実なのだから」
そうだろうね。私もそう思う。
ザックは好きとか嫌いとか関係なくきっと女の人を抱ける。
「もし、あなたの事を。ううん、他の女性をザックが抱くなら──」
私のその言葉に彼女は勝ち誇った顔をした。きっと次の言葉を予想したからだろう。
諦めるよ、とか。
仕方ないから、とか。
それとも、我慢するから、とか──
きっとそんな言葉を期待したのだと思う。
しかし、彼女は私の次の言葉を聞いて口を開けたまま固まってしまう。
「そんなザックなら、私はいらない」
「──え」
「え?」
「えぇぇぇ?!」
この言葉に黒タイトワンピースの女を筆頭に、ニコ、ソルと続く。結局一番驚いていたのはソルだった。
「い、いらないって。え? あ、あんた何言ってるのよ。何であんたがザックの事を捨てる方にいるのよ」
先程まで勝ち誇っていたはずの彼女が怒り出す。頭を抱え綺麗にセットしたヘアスタイルを両手でかき乱す。
「捨てる方にいるって、どういう事? そもそも私とザックは対等なのに」
「対等って──軍人で男のザックと対等になれるはずないでしょ」
彼女は爆発した髪型で目を丸くして私の顔を見つめる。相当動揺している。
「だって同じ人間でしょ。私はザックが好きで、ザックも好きだと言ってくれた。だから対等だよね」
「そんなの、ザックが女を落とすための殺し文句かもしれないじゃない!」
「ザックの『好き』があなたの思うものと同じなら、私の考えと合わない。だから私はそんなザックはいらない。あなたのところに行けばいい」
「……そんな」
黒タイトワンピースの女は口を開けたまま呆然としている。
「私はとてもザックが好き。だから、私だけを相手に選んで欲しい。私だけっていうのがザックが我慢出来ないのであれば、縛り付けるつもりはないよ」
「……」
黒タイトワンピースの女は私の顔をジッと見つめて開いた口を閉じた。
それから、辺りが静かになってしまう。風が潮の香りと遠くで聞こえる海鳥の声を届けてくれた。
私はネックレスを握りしめた手を離した。
ザック、助けてくれてありがとう。思っている事言えたよ。
ザックが照れながらでも思いを伝えてくれていなければ、もっと取り乱して動揺したかもしれない。私は胸の中お礼を言う。
「それじゃぁ、話は終わりかな? 仕事に戻らないといけない」
私はパンと手を一つ叩いて声を上げる。そろそろ行かないとダンさんに怒られてしまう。
「──踊り子の私が、体を使う以外でザックの気を引く事が出来ると思う?」
「え?」
肩を落としてぼそりと呟いた黒タイトワンピースの女だった。
「15歳の時から踊り子になったの。それから10年経ったけど、それしか知らない私がどうやってザックの気を引く方法があるって言うのよ」
「……」
激昂した様子はないが溜め息をついてボソボソ話す姿は諦めにも似ていた。
「あんたの考えは理解出来ない。私には、とても男と対等なんて思えない。だって、必死に媚びて誘ってやっと……」
そこまで言って、声が掠れて言葉が続かなかった。
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私は彼女の前に立って赤い爪の手を取った。細くて美しいが、手の所々に傷がある。古傷の様で、たくさん辛い目にあってきたのが想像出来る。
「な、何よ」
手を握られた彼女はビクつきながら私の顔を睨んだ。
「対等だよ」
「え?」
「あなたも対等だよ」
「……」
私の顔を見て黒タイトワンピースの女の目からは大粒の涙が溢れた。
「うん……」
彼女は私の手を握りしめると小さく頷いた。
その姿をニコとソルが無言で見つめていた。
「おい、ザック。昼飯も喰いに来たのに何で急に引き返すんだよ」
ナツミが6人の他店の踊り子から襲撃を受け嫌味を言われた話を聞いたので、ザックは気になっていた。
忙しかったが、何とか時間を作り様子を見に『ジルの店』へ来たのだ。
ザックは様子を見に来たついでに、ナツミを慰めて勇気づけるつもりだったのだが。
まさか、あの近道の細い路地で、襲撃を受けている現場に出くわすとは思っていなかった。
「ザック、飯は喰わずに帰るのか?」
「うるさいっ。大体頼んでないのに何でノアがついてくるんだ。お前はそもそも関係ないだろう」
ザックはノアの言葉に被せる様に怒鳴る。
ザックは肩を怒らせてズンズン歩いて気が付くと『ファルの宿屋通り』の門を出て、元来た軍の施設へ帰る道を辿っていた。
ノアが追いかけてザックの隣に並ぶ。
「何だよ、良いじゃないか俺も一緒について来たって。いやぁ、凄い場面に立ち会ったもんだ。っておい、ザック何で怒って……どうした。顔、真っ赤だぞ」
「見るなっ!」
ザックの顔を横から覗き込んだノアだが、ザックはノアの顔を掴むとグイッと腕を突っ張った。
「痛ぇ。何するんだこの野郎」
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「クソッ」
ザックは乱暴に呟いた。
ザックの心の中は大騒ぎだった。
何だよ。あんな凄いナツミの告白を昼間から聞かされるなんて。
俺をどうしたいんだ。
武勇伝と言ったダンの言葉はその通りで、あんなに強くて視線を逸らさず、立ち向かう姿を見せられて益々ナツミに傾倒していく。
何度、惚れさせれば気が済むのだ。
それと共に、黒タイトワンピースの女に対しても自分がどれだけ残酷な事をしたかを痛感する。どんなに割り切った関係だったとはいえ、気持ちがない男に体を差し出していたわけではなかった。
すまなかった──
それ以外の言葉を紡いでも言い訳にしかならない。
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