【R18】ライフセーバー異世界へ

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043 酔っ払った私

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「綺麗……美味しそう」
 私は目の前に広がる食事に目を丸くしていた。

 出てきたのはトマトの様な野菜を使用した前菜だ。夕食はコース料理なので一品ずつ出てくる様だ。しかもノアの実家にいるシェフ、つまり現領主専任の料理人がわざわざ来てくれて、特別に腕を振るってくれたそうだ。
 お昼のアルマさん特製サンドも美味しかったけれど、これからどんな食事が出てくるのか楽しみだ。

 一階の広い部屋は食堂となっていた。長テーブルに私達6人が男女別れて向かい側に座る。天井は高く上を向けばシャンデリアがキラキラ光っている。
 大きな窓の向こうにはお昼に休憩したウッドデッキとその先に皆が泳ぎを練習した池が沢山の雨を受けているのが分かる。

「雨は止みそうにないわね……」
 ミラが溜め息をついてワイングラスに注がれたレモン水を口に含んでいた。
「後少しで止むんじゃないかなぁ。向こうの空には雲が見えないし」
 シンがミラの向かい側で答えていた。
「雨が止んだら、温泉に入っていくといい」
 ノアがシンとミラに温泉の話をしていた。
 確かザックもそういう話をしていた。昔から勝手にその温泉を利用していた様だけれど。
「やったぁ! シン。後で一緒に行きましょう」
 ミラは向かい側に座るシンのテーブルに置かれた手を握りしめていた。
「え? あー、うん。そうだな」
 シンの返答が少し鈍い感じがしたが、直ぐに気を取り直して軽く笑った。それからミラの手を握り返す姿はカップルそのものだ。
「へぇシンはミラと一緒に温泉に入るのかぁ」
 シンとノアの間に挟まれて座っているザックはワイングラスを回し、やたら含んだよう言い方をした。
「そ、そうですけど」
 シンは苦笑いのまま隣のザックを振り返る。
「気をつけろよ。この辺はがいるかもしれないからな」
 軽くシンの肩を叩いて、ザックはワインを煽った。
「わ、分かっていますよ」
 シンは勢いよく言うと、パクッと前菜を口に放り込んだ。
「自然にいる動物? 前は子ダヌキに遭遇した事はあるが大丈夫だろ」
 ノアもブツブツ呟いていた。
 ザックは昔、温泉に入りに来ていたから自分と同じ様な人間が来ているかもしれないと言いたかったのかな。
 と言う事は、自然にいる動物=単純に人間で、覗き?
 そうなると、温泉に入りに行っていいのか悪いのか悩ましい。
「マリンやナツミも行くんだよね? 温泉」
 ミラが隣にいる私とマリンに声をかける。
「ノアが良ければミラ達が入った後に行こうかしら。ナツミはどうする──ナツミ?」
 マリンは横にいる私の様子を見ると目を見張った。

 何故なら私はこのトマトの様な前菜を無表情で食べていたからだ。このソースの味をどう表現して良いか分からず、自分なりの分析をしていたのだ。
「フッ。昼に大口で喰うと言ったから今度は無言で少しずつ口に運んでいるのか?」
 ノアが私を茶化す様に声を上げる。
 もーこのお坊ちゃんは私をからかってばかりだなぁ。ゴクンと一飲みしてから私はノアに反論する。
「違うから。このソースに使われているハーブが気になって」
「分かった分かった。そういう事にしておいてやる」
 ノアは勝ち誇った様に笑うと、ワインを飲み干した。

 何だか悔しい。私だって考えながら食事をするのだからね。

 私は意地になって口いっぱいに前菜を頬張った。こうなったら、やけくそだ。
 やはり大きな一口はいい! モグモグ自慢げに食べるとノアが吹き出して隣のザックの肩を叩いた。
「でかい口だな。ザック良いのか? これで」
 どういう意味だよ! 私は口を動かしながら向かい側のノアを睨みつけた。
「良いんだよ。大きな口で綺麗に食べる。ナツミ、ソースが口の横についている」
 ザックが向かい側から手を伸ばして私の口の横を親指で拭った。そして親指についたソースを自分で舐め取る。「良くソースや果汁をつけるなぁ」と、笑っていた。
 照れくさいけれど、嬉しいと思ってしまう自分がいる。

 その様子を観察しながら呆れた声を上げたのはノアだった。
「はぁ~こんなに女に世話をするザックの姿を見る日が来るとはな。ナツミの何でも美味しそうに食べる姿はシェフも喜ぶだろうし」

 それを聞いた両隣のミラとマリンが、私の真似をして大口で食べてみる事を試みていたが、慌てたシンとノアに止められていた。
「ナツミじゃないんだ。無茶をするな。喉を詰まらせるぞ」
 本当にノアは失礼なんですけど! 私はノアを無言で睨みつけた。



 最後には真っ黒の飲み物が目の前に置かれた。これで食事は全て終了との事。
 小さなコーヒーカップに入っている液体はエスプレッソに似ている。
 ファルの町の食事はイタリアンに似ている部分が多いけれど、食材が分からないものや口にした事がない様な香辛料、果物や肉・魚等があり謎も多い。

 今日も出されたピザの名前をアルマさんが教えてくれたけれど、覚えられない程長い名前だった。

 隣のマリンが一緒に出された小さなミルクポットの様なものを手にしていた。
「これは液体状の砂糖なの。こうして沢山入れると美味しいわよ」
「ふーん。なるほど」
 どうやら液体状の砂糖を大量投入する様だ。私もそれに倣ってみる。

 手にしたポットの中には薄茶色の液体が入っていた。大量に入れてエスプレッソ風の黒い液体を口にする。ほんのり苦くて甘い味が広がる。

 アルマさんがミラの席にカップを置いて、皆に一礼するとノアへ向き直った。
「そういえば、ノア坊ちゃん。先日この別荘にアル坊ちゃんがいらっしゃって」
「アルが?!」
 思わぬ人物の名前を聞いてノアが驚いて声を上げた。

 アルとはノアの一番上のお兄さんだ。
 先日の話ではマリンに毒を盛るよう指示した人で、領主の座をめぐりノアを亡き者にしようとしている、異母兄弟のお兄さんだ。

「アル坊ちゃんのお母様の命日でした。恐らく本家に顔を出したついでに寄ったのでしょう。オーガ様と仰る女性と一緒でした。当分の間、ファルの町から出ていくと言っていました」
「そうか。そういえば、命日だったな……」
 ノアは溜め息をついてテーブルの上にあるエスプレッソ風の黒い液体を見つめていた。そうか、アルさんは今はファルの町にはいないという事か。

「オーガって『オーガの店』の雇われ女店主か」
 ザックが溜め息をついて黒い液体を呷って飲み干す。
「やはり、オーガはアル隊長のいいひとだったんですね」
 シンも身を乗り出してノアへ話しかける。
「別荘にまで連れてくるのであれば、そうだろうな」
 ノアは溜め息をついた。相変わらず黒い液体を見つめたままだ。
「ノア坊ちゃん。アル坊ちゃんとどうか一度話をしてください。アル坊ちゃんも昔から苦労して……」
 アルマさんは丸まった腰を伸ばして、意を決した様にノアに向き直った。
「アルマ」
 しかし、ノアは手を軽く上げてアルマさんの言葉を制してしまう。
「ノア坊ちゃん」
「止めてくれ。昔から俺の教育係だったお前の話は聞くべきだろうが、悪いがそれだけは聞き入れる事は出来ない。それに俺はアルが苦労しているなんて到底思えない」
 申し訳なさそうに声を上げたが、ノアの語尾は強くなっていった。それだけ意志が固いという現れなのだろう。
 その様子を見たアルマさんはもう一度口を開こうとしたが、直ぐに止め口を真一文字に閉じる。そうして、小さくなりながら腰を折って頭を下げた。
「申し訳ございませんでした。では何かあればこのアルマ、お近くに控えておりますので、いつでもお呼びください」
 そう言って、食堂から去っていった。小さな背中が何だか可哀相だった。

 その姿を見ながらザックが声を上げた。
「ノア。本当に領主になるつもりはないのか?」
 ザックは振り返って、隣に座るノアの肩を叩いた。
 ノアはザックを流し目で睨んだ。
「今度は領主の話になるのか。何を言っているんだ」
 ノアは話の角度が変わった事で不快な声を上げた。
「少なくともファルの町の軍である海上部隊は、ノアを次期領主になる事を推している。確か陸上部隊の一部の大隊長もそうだと聞いた」
「……らしいな」
「それに、ノアが領主になればアルの件だって解決出来る可能性だってあるんだぜ。権力ってそういうもんだろ?」
 ザックは真剣な声でノアに問いかける。ノアはグッと答えに詰まって握りこぶしをテーブルの上で作った。
「確かにそうかもしれない。しかし、その大隊長達が俺を領主に推しているのは、消去法でしかないだろう?」
 ノアは自分をあざ笑う様に声を上げる。
「それは……」
 ザックは困って声を上げる。そこで言葉を飲み込んでしまっては「そうだ」と言った様なものだ。
「ほら、ザックだってそう感じるんだろ? アル、ネロそして俺。この三人の中から次期領主を選ばなくてはならない。仕方なく俺を推しているだけだ。少なくともここにいる皆は、俺がどれだけ馬鹿でいい加減で適当な人間か知っているはずだ」
 ノアは肩に置かれたザックの手を振り払いながらザックを睨みつける。
「馬鹿って事はないだろう。まぁ……いい加減で切れやすいわがまま坊ちゃんなのは知っているが」
「……」
 ザックのセリフに閉口するしかないノアだったが、溜め息をついて向かい側に座るマリンに声をかける。
「マリンはどう思う? お前も俺が領主になればいいと思っているのか」
「わ、私?」
 突然声をかけられたマリンは驚いて背筋を伸ばした。そうか、皆が推す様にノアが領主になればマリンは領主婦人となる。ぼんやりと想像してみる。美男美女の領主。凄いなぁ、物語みたいだ。
「私は……その、ノアがやりたい様にすればいいと思っていて……」
 マリンは俯き、しどろもどろになり小さな声で返答していた。ノアを優先する気持ちがあるのだろう。マリンは優しいなぁ。
「……そうか」
 それなのにノアは寂しそうに呟くだけだった。

 何で寂しそうなの? こんなにマリンが気を遣っているのに。

「お、俺は断然、ノア隊長になって欲しいと思ってます。馬鹿なんて全然思っていませんし。アル隊長がなったりした大変な事になりそうだし。ほら奴隷時代に戻ったりとか! ミラもそう思うだろ」
「も、もちろんよ!」
 突然声を上げたのはシンだった。そして向かい側に座るミラも同意を求められ即座に答える。ノアが寂しそうにしたのが分かったのかな。シンもミラも優しいじゃん

 皆が揃って優しいけれど、何だか疑問。

「そうか……お前達も、そう思うか」
 ノアは何故か傷ついた様に笑い、口を閉じてしまった。
 妙にしんみりとした空気が流れたので、私は思わず声を上げる。

「ねぇねぇ。領主ってその三人の中から選ばないといけないの?」
 静かになった食堂に私の声がやたら響いてしまった。

 そんなに大きな声は出していたのに。それだけ皆が息をするのも神経質になっていたという事だろうか。

「「「「「はぁ?」」」」」
 私以外の皆が驚いて声を上げる。

 その反応は初めて出会ったあの日を思い出す。
 女性だと伝えた時、成人していると伝えた時。全てこんな反応だった。笑えるなぁ。

「ナツミは知らないのね。領主は代々その土地を治めてきた家が引き継いでいくって決まっているのよ」
 ミラが私の肩を叩いて説明をしてくれた。
「ふーんそうなんだぁ」
 私は首を傾げる。

「国王が代替わりしたら、領主も続いて代替わりするのが決まりなんだ。国王は病に伏せっているから、軍関係者は次期領主の件で盛り上がっているんだ」
 ミラをフォローする様に、シンが追加の説明をしてくれた。
「で? 誰が、を決めたの」
「誰って……」
「昔からそうだと言うしか……」
 私の質問にしどろもどろになるシンとミラだった。
「知らないの? 「誰が」「いつ」「何処で」「どうやって」領主は治めてきた家が引き継いでいくって決めたの? ザックは知っている?」
 私は身を乗り出して、今度は向かい側に座るザックに詰め寄る。

「いいや。知らないが……」
 ザックは仰け反りながら、ナツミの様子を見つめる。

 目が据わっているし、何だかおかしい。そして、頬も赤い様だ。もしかして──
 この黒い液体は「ココ」と言って、苦味と酸味が強い飲み物だ。食事の後味をスッキリさせる為に飲むのだが、好みで液体状の砂糖や甘みの強いリキュールを入れて飲む。このリキュールは度数が非常に高いのだが、どうやらナツミは砂糖と間違えてこのリキュールを沢山入れてしまった様だ。

 これは酔っ払っているのか。しかし何だか面白く興味深い事を言い出したな。ザックは様子を見る事にした。

「ノアとマリンは、知ってる?」
 私は次々に質問していく。二人は私の様子にポカンとして首を左右に振るだけだった。

「みーんな知らないのに領主は誰かって言ってるの? へぇ」
「そう言うけどさ、ファルの皆は「アル」「ネロ」「ノア」の中から領主を誰にするかみんな考えているのさ。因みに別の世界から来たナツミはどう思う?」
 ザックが身を乗り出した私に落ち着いて座る様に肩を叩いた。
 私は素直に椅子に座り直す。
「うーん……私はねぇ。アルさんには会った事ないしなぁ。取りあえずノアがやりたくないならやらなくて良いと思う。うん。それだ!」
 そうだ、答えは簡単だ。やりたくないと思っている人はやる必要はない。

 私の返答を聞いたノアが目を見開いて息を飲んだ。その様子をザックとマリンは見逃さなかった。

「それじゃぁどうしたら良いのよ。領主は誰がなるの?」
 ミラが慌てて私の答えに噛みついた。肩を掴んで揺さぶる。

 もう、ミラったら、ぐらぐらするじゃない。

「なりたい人が、なればいいじゃん」
 ぐらぐらしながら答える。うーん、揺れると何だか目が回る~

「そうしたら、アル隊長が領主になってしまう事になって大変になるだろ。絶対駄目!」
 今度慌てるのはシンだった。何でこの二人は慌てるの。

 ぐらぐらぐらぐら、ぐるぐるぐるぐる、する。

 私は鬱陶しくなってミラの手を振り切りその場で立ち上がった。
「わっ。どうした……?」
 ノアは座ったまま私を見上げる。結構間抜けな顔をしている。王子様スマイルも台無しだ。ふふ、それにいつも見下ろされているからいい気味だ。
「あーっ! もう面倒臭いなぁ。ノアは領主やりたくないってさぁ。みんな聞いたよね? ねぇマリンも聞いたよね?」
 私はスッキリする為に大声を上げる。今度はマリンを指差して同意を求める。
「え、うん? そう言っていた様ないない様な……」
 マリンもポカンとして私を見上げる。もごもご呟く顔も可愛い。
「と、言う事で。やりたくないノアは除外で、決定」
 私はノアを指差して言いきった。
「じょ、除外」
 ノアが驚いて呟いていた。
「良かったなぁ。ノア除外だってよ」
 ザックはノアの肩を叩いて笑った。それに気がついてノアは思わず我に返る。
「だ、誰が除外だ。失礼だな、俺は──」
「はぁん? 何で? 失礼な事ないじゃーん。やりたくないなら除外で良し。今、私が決めました」
 私はテーブルの上を力一杯両手で叩いて不満を述べるノアの言葉を遮る。
「私が決めたって……プッ。傑作」
 ザックがこらえきれずに吹き出した。誰もが言いたくても言えなかった事をナツミが酔っ払って次々と言い出す。

「じゃぁ次に。皆で次期領主に誰になってもらいたいか考えよう! えーっと、私はジルさんを推薦します!」
「ブハッ。ハハハハッ。ジルだってよ」
 ザックは私の答えに大声で笑い返す。

 何で笑うのよー。良いじゃないジルさんで。頼りになるし、凄く格好いいし、安心するし。

 ナツミの様子をノア、マリン、ミラ、シンはポカンと見つめていた。
 そこでマリンがナツミが液体砂糖とリキュールを間違えている事に気がついた。
「ナツミ間違えて全部入れたのね。もしかして、酔っ払ってる?」
「何だって? ザック、さてはお前途中で気がついていたな?」
 マリンのセリフにいち早く反応したのはノアだった。
「ヒィ、笑える。そうだよ、気がついていたさ。でも、ナツミの奴酔っ払ったら益々面白いな。ノア、お前除外だってよ。そんな事を今までに言った奴は何処にもいなかったのに!」
 ザックは笑いが止まらないのか涙目になり、ノアの肩をバシバシ叩く。

「んーでも。ノアがりょーしゅを、やりたかったらそれでもいいれす!」
 私は眠たくなる瞼を擦りながら一生懸命話す。どういう事なの、急にろれつが回らなくなってきた。

「え?」
 ノアは私の言葉に声を上げる。
「何でそう思うんだ?」
 ザックは私に問いかける。
「らって、ノアは色々苦労しているみたいらから、そういう人がなるのも、いいかな? なーんてね。とにかく、りょーしゅは痛みがわかりゅ人がいいなぁ……」
 ああ、駄目だ。何だか凄く眠い。私の意識はそこで事切れた。





 ノアはテーブルにうつ伏せになって寝息を立て始めたナツミを呆然と見つめ、隣のザックに話しかける。
「お前の女は嵐だな……」
「ハハ嵐か。それも悪くない。最後はジルを推薦してたぜ。無茶苦茶だが、結構良い事言ってたな。領主にならなくていいってよ? 良かったな。なりたくないんだろノア?」
「……」
 ノアは思わず無言になる。


 領主にならなくて良いと面と向かって言われたのは初めてだ。
 そう言われると答えに窮するとはどういう事だ?


「ノア?」
 ぼんやりと考え込んだノアを引き戻したのはザックの声だった。
「もう、この酔っ払いを部屋へ連れて行けよ。一日中先生をして疲れたんだろう? 目が覚めたら温泉でも好きに入るといい」
 ザックにそう告げると、ノアは立ち上がって窓辺へ足を進めた。
「……じゃぁ、そうさせてもらおうかな。ヨッと。ほら、シンとミラも温泉行けよ」
 ザックは立ち上がってナツミを抱き上げると、シンとミラに声をかけて食堂を出ていった。
「そうですね。じゃぁ行こうかミラ」
「うん。マリン。お先に」
「うん。お休み」
 嵐が去り、ノアとマリン二人だけになった。



 ノアが窓の外を見ると、雨は止んで満天の星が見えた。
「人の痛みが分かる人……か」
 ノアはナツミが寝落ちしながら呟いた言葉を反芻する。

 それは、記憶にも遠くなったノアの母親が言っていた事と同じである。
 しかも、この池の畔で何度も聞いた言葉だ。

 ──ノア、領主争いなんて重要ではないの。重要なのは、人の痛みや優しさが分かる人になる事よ──

 荒れていた時期もあったからだろうか。
 母の言葉を忘れてはいないが、後ろめたい事もあり胸の奥に閉じ込めていた様に思う。

「ノア……」
 傍らに寄って来たマリンが呟いた。
 両手を胸の前に祈る様に組んでノアを見上げる。美しい顔が心配そうに微笑んでいた。
「マリン。ありがとう。俺の好きな様にしていいと言ってくれて……」
 そう言ってマリンを抱きしめる。

 マリンはいつでもノアの事を優先し自分の事は後回しにする。
 何か言いたかったのかもしれないが、今回も反対の意見はせずノアの好きな様にと言ってくれた。
「ノア。私は何も出来ないけど、いつも貴方の側にいるわ……」
 そう呟いてマリンがノアの首に両手を回した。
「ああ。ありがとう」
 ノアはマリンを優しく抱きしめマリンの思いを返していた。



 マリンは酔っ払っていたとはいえナツミの思い切った発言に胸がスッとしたが、同時にモヤがかかった様な不安が押し寄せていた。

 ──あーっ! もう面倒臭いなぁ。ノアは領主やりたくないってさぁ。みんな聞いたよね? ねぇマリンも聞いたよね? ──

 ナツミの言葉が胸に突き刺さる。

 ナツミって本当に嵐みたいで凄い。私にはとても輝いて見える。

 だって、私は考えもしなかった。
 ノアが思う様にやりたい様にしていけば良い──と、
 私は本当にこのまま何もしないでノアの側にいるだけで良いのかしら?

 マリンは胸に疑問が浮かんだが、直ぐに答えは出なかった。
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