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042 落ち込む私

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 雨は止まなかった。それどころか雷が派手に鳴り響いて黒くなった空にいびつな線を描いていた。
 別荘内に慌ただしく入ると、ザックは真っすぐにあてがわれた部屋に入る。
 部屋の中央に置いてある、二人がけのソファに私を優しく座らせる。
 それから、フカフカのバスタオルで私の体を包んでくれた。

「先ずは足を見せてみろ」
「う、うん」
 側で跪きザックは私の捻った足を丁寧に持ち上げると足を持ってゆっくり左右に倒してみせた。
「腫れはなさそうだな。派手に挫くと、直ぐに赤く腫れあがるからな」
「……」
 心配そうに足の調子を見てくれるザックの金髪からはポタポタ雫が垂れて上質なカーペットに染みを作っていた。

 その様子を見つめ私は心臓が大きく高鳴るのが分かった。
 触れられている足が、ザックの触れる指先の部分が、発火したみたいに熱くなる。既にザックには触れられるどころか何度も抱かれているのに、少し触れられただけでこんなに熱くなるってどういう事。頭からすっぽりバスタオルを被って私はザックの横顔をジッと見つめていた。


 好きって意識した途端に、アレやコレやが全て恥ずかしくなってきた。


「本当に軽く捻っただけみたいだな?」
 不意にザックが視線を上げて私を見上げた。
 ホッと息をつき安心して笑った顔に、高鳴る心臓をわしづかみにされた様になった。
「う、うんっ。ありが、とう」
 声が所々ひっくり返る。
 顔も相当赤くしているはずだ。
 その様子がおかしかったのだろう。ザックが両手で私の頬を包む。
「大丈夫か、顔が真っ赤だぞ。まさか熱が出たのか?」
 心配そうにコツンとおでこをつけられて熱を測ってきた。グリーンの瞳が目の前に迫っている。
「ヒィッ、ヤァ!」
 突然の事で私は身震いをし奇声を上げ、ザックの両手を慌てて振り切った。
「な、何だよ?」
 ザックがビックリして目を見開いて、ソファの後ろに飛び退いた私に手を伸ばして掴み返した。
「ごめん! 何でもないよ。痛ッ!」
 ゴンと鈍い音がして、今度は私は足の脛を近くのテーブルでしこたま打ち付ける。
「何やってんだ。ナツミ」
 ザックは首を傾げた。
 そして、ソファの横でうずくまり悶絶する私の背中を、笑いながらさすってくれた。





「ふぅ」
 挫いた足とは反対側の足の脛に、無駄な青タンを作った私はシャワーを浴び来た時のオレンジ色のワンピースに着替えて部屋の中のソファに腰をかける。
 雨は止む様子はない。窓の向こうに黒い雲が広がったままだ。時計を見ると、十七時を指していた。
 
 部屋の隣ではザックが浴びているシャワーの音が聞こえる。

 突然ザックへの思いを再認識するなんて。鈍いにも程がある。

 過ごした時間はまだ少しだけれど、ザックってかなり優しいし。
 何だかんだで困った事があったら直ぐにすっ飛んで来てくれるし。
 面倒見が良いのかノアの事だって結局最後まで泳ぎに付き合っていたし。
 それにそれに、私の怪我にも気づいてくれて。
 思えば思うほど切なくなる。

 不意に部屋に設置されているドレッサーの鏡に映る自分の顔を見つめた。
 この国では珍しい黒髪、黒い瞳。日焼けした頬は健康的だ。
 そして、平坦な顔──がっかりする。

 私は立ち上がって、ドレッサーの鏡の前に手をついて自分の顔を真正面から見つめる。
 眉を寄せたり、歯を出してみてみたり、ありとあらゆる変顔をして、最後にニッコリ笑ってみた。
 駄目だ。全然可愛くないし、美人でもない。
 唯一、目は二重で大きい方だと思うけれど、それだけだ。

 マリンやミラの様に華やかな顔でもないし。
 体つきと言えば、お腹や腕や足が引き締まっている位が取り柄かな?
 ああ、胸も引き締まっているか。お尻だってあまり肉がついていないし。
 結局全てが引き締まっているのだ。分かっていたけれど落ち込む。

 姉の春見の容姿なら、マリンやミラと比べても見劣りしないかもしれない。

 だ、駄目だ考える程落ち込む……

 イヤイヤ、こういう考え方は良くないな。うん。
 冷静に考えよう。

 もうこの思考が冷静ではないのだが、私はそれにも気が付かない。

 そもそも、典型的な日本人である私の何が良くて一目惚れなのだ。
 ザックって、もしかして趣味が凄く悪いのかな? 自分で言うのも何だけれど。
 それとも、綺麗なお姉さんばかり相手にしていて、少し変わり種をつまみ食いしたくなったとか? いや、それにしたって変わり種ばかり食べるのは胸やけを起こす可能性だってあるのに。
 いや、そういう事ではないでしょ。
 自分を変わり種って。胸やけを起こすとか。
 
 ふと見ると腕についたひっかき傷が目に入った。
 マリンが私の腕を不意に掴んだ時に出来た傷。

 その時、何かもの言いたげに振り向いていたマリンの顔が脳裏に浮かんだ。
 ノアに抱き上げられて、雨の中さっていくマリンは手足がスラッと長くて色が白く美しかった。

 それなのに……

「全然駄目なのに、更に傷なんて作っちゃって私、みっともない」
 ノアだけではないザックに抱き上げられたマリン。羨ましい。
 自分がもっと魅力的なら、自信を持って堂々と出来るのかな。

 私は自分の腕の傷を片手で押さえて、いつかネロさんが教えてくれた様に心の中で「治れ、治れ」と唱えてみる。

 しかし、傷は治らなかった。

 私に何かあるとすればこの医療魔法ぐらいしかないのに。
「能力があったって上手くコントロール出来ないなんてね。役立たず」
 私の乾いた笑いと呟きがポツンと部屋に響いた。

「こら。何言ってんだ?」
 コツンと頭を小突かれて驚いて振り向くと、タオルで頭をガシガシ拭いているザックが立っていた。
「い、いつの間に! シャワー終わったんだ?」
 私は驚いて声を上げる。
 ザックは柔らかい金髪を簡単に拭くと、髪を後ろに撫でつけてオールバックにしてみせる。それでも一房、二房と前髪が垂れてくる。その姿がとても色っぽい。
 ズボンは穿いているが、上半身はボタン全開の黒いシャツを羽織っただけだ。シャツの隙間から見える浅黒い肌。そしてはっきりと腹筋部分が割れていてとても魅力的だった。
「鏡の前で百面相をしていると思ったら、急に落ち込んだりしてどうしたんだ?」
「ひゃ、百面相って」
 あの変顔から見られていたのか! 私は恥ずかしくて再び顔を赤くした。
 そこで、ザックは思い出したみたいに吹き出すと、カラカラ声を上げて笑った。
「ハハッ、凄く変な顔をしてた。あんまり面白いから観察してたけど、何度も吹き出しそうだったぜ」
「も、もう! シャワーから出てきたなら声をかけてよっ」
 私はザックに背中を向けてキツく瞳を閉じた。頭から湯気が出そうだ。
「そういえば、体も色々チェックしていたなぁ。胸やらお尻やらウエストもギュッとしてみたりとか」
 ひぇっ。それも見られていたのかっ。
「も、もう。忘れてよっ!」
「ヤダ」
 ザックは後ろから私を抱き込むと耳元で呟いた。
 驚いて目を開けると目の鏡には情けない程眉が下がった私とザックの姿が見えた。
 比較的女性の中でもガッチリしている私の体を、後ろからすっぽり抱き込むザック。
 私の耳元に顔を寄せ、悪戯っぽく笑い音を立てて耳にキスをする。
 ゾクッとして目を細めるとザックが低い声で呟いた。
「あんな熱心に見ていた可愛い姿は忘れない」
 熱い息を吹きかけられる。だが、落ち込んでしまう。
 金髪で男前のザックに、明らかにつり合わない自分が鏡の前に映っているかと思うと何だか更に落ち込んでしまう。
「可愛くなんか──」
 ない。
 そう言おうと思ったのに、切なくて声が震えてしまう。
「そんな事ない。よく見ろ、ナツミ」
 後ろから私の顎を掴んで、鏡を見る様に顔を強引に前に向けられる。
 背けたはずの顔を改めて鏡で見ると、驚く位赤くなって、瞳が潤んだ顔があった。
「な? ここも、ここも。可愛いだけじゃない。色っぽい」
 そう言って、ザックは頬や潤んだ瞳を一つずつ指差す。
 優しく笑うザックは頬に軽くキスを落とす。
 私はくすぐったくて堪らず瞳を閉じた。
「わっ、分かった。分かったからザック!」
 色っぽいなんて、そんなはずないのに。
 しかし、優しく笑うザックの顔が嬉しくて仕方ない。
 落ち込んでいた気持ちが少し浮上する。
「ほら、こっち向け」
 くるんと体を回されて、ザックと向かい合うと私の腰に手を回しておでこをくっつけた。
「それで、何を落ち込んでるんだ?」
 優しい声に私は泣きたい気持ちになった。
「鏡に映った容姿が気になりはじめて。ザックが一目惚れって言ってくれたけど、良いところないなって落ち込んで。それから、傷が治るかなってやったのに、治らなくて。私ってあんまり役に立たないなぁって」

 何を言っているのだろう。

 とりとめのない呟きとなってしまう。
「容姿? 変な事を気にするなぁ。ナツミはナツミだろ」

 ナツミはナツミだろ。その言葉で簡単に救われてしまう。

 ザックの方こそ魔法が使えるのではないか。私は私なのだ。変えられない。
 
 それから、ザックは私の引っかかれた傷を手に取って見つめた。
「治る治らないはネロに頑張って研究してもらおうぜ。それに、傷を治す度お腹を減らすようじゃ大変だし。だけど、俺の目の見えないところで勝手に魔法を使おうとするな。心配するだろ?」
 ザックはそれから私の頬を撫でて、おでこの髪の毛をかき上げる。指を滑らせて横の耳の前の髪の毛を耳にかけ、最後に太い親指で私の唇を撫でる。
「……うん」
 近づいていくるザックの顔を見つめながら、瞼をゆっくりと閉じた。
「それに、俺の知らないところで勝手に落ち込むなよ。何かあれば話せ」
「うん。ザック、あり」
 ありがとう、と最後まで言わせてもらえなかった。
 ザックの薄い唇が私の唇を塞いでしまったから。何度もキスを繰り返す。
 舌を合わせてお互いのだ液を舐め取る様にやり取りをする。
 その間もザックは私の背中をワンピースの上から何度も撫で上げる。
 綺麗に広がったフリルがぐしゃぐしゃになるのが分かる。
「んっ。はぁ……」
 私ばかりが声を漏らしてしまう。途中で上手く息継ぎが出来ない。
「もっと……」
 ザックの掠れた声が響くだけで他は何も聞こえない。

 それから、どのぐらいキスに夢中になっていたのだろう。
 突然横から声がかかった。
「おい」
「!」
 ザックとキスをしたまま横を見ると、部屋の入り口のドアにもたれかかる様にして腕を組んだノアと真っ赤になって立っているマリンがいた。
 私は驚いて、弾ける様にザックのキスを拒む。
 慌てて、ザックの胸を押しのけていると、ザックが不機嫌な声を上げた。
「……何だよ」
「だ、だってノアとマリンが」
「は? 何言って──ん?」
 ザックは私が指差す方に睨む様に視線をやった。
「あれ? いたのか」
 ザックは初めて気づいたのか、間抜けな声を上げてノアとマリンを見ていた。
 それでも、私の腰に回した手を離そうとはしない。私だけがザックの胸に手を置いて突っぱねるだけだった。
「……コホン。いたんだよ。何度もドアを叩いたのに、気づかないなんて。珍しいな、ザック、そんなにキスに夢中だったか?」
 呆れる様に溜め息をついたノアは身を起こして、両手を上に上げた。
「ハハッ、悪い悪い」
 ザックはそう言いながら、悪びれる素振りもせず私を胸の中に抱きしめる。もう。恥ずかしいのにこれ以上密着してどうするのか。
「ザック、恥ずかしいから離してよ」
「駄目~今、最高にナツミがエロい顔をしているから」
「エ、エロ?」
 そんなはずはない! しかし、夢中でキスしていたのを見られていたのかと思うと恥ずかしくて堪らない。私は顔を隠す為に必死にザックにしがみついた。
「よしよし。照れない照れない。で? 何だよノア」
 ザックは私の背をポンポンと叩くとノアに話しかけた。
「ああ。夕食の時間だから呼びに来たんだ。アルマがもう用意済みでな」
 ノアが首を振って部屋の外へ出る様に促した。
「そうだな。そんな時間か。じゃぁ、ナツミ、行こうか?」
 ゆっくりとザックが体を離して私の顔を覗き込んだ。
「う、うん」
 何処に視線を合わせて良いのか分からず、おどおどしてしまう。
 顔の火照り少しだけ収まった。頭がボサボサになったので、照れ隠しに頭を撫でつける。
「あ、あの! ナツミ」
 その時、ノアの側で顔を赤くしてモジモジしていたマリンが声を上げた。
「マリン?」
 マリンも部屋に戻りシャワーを浴び髪の毛を乾かしたのか、泳ぎを習っていた時の様にお団子になった髪の毛は解かれ、ウェーブのかかったプラチナブロンドに戻っていた。
 青いワンピースを身に纏ったマリンが一歩前に出ると両手を胸の前で合わせる。それから、小さな声を上げる。
「ご、ごめんなさい……あの、その足がつった時にとっさにナツミの腕を掴んでひっかいちゃって」
 マリンは申し訳なさそうにしていた。
「そんな、大したことないし」
「池から上がった時直ぐに言いたかったけど言えなくて私……ごめんなさい」
 マリンが深々と頭を下げる。
 私は慌ててマリンに近寄って、下げた頭を上げる様に華奢な小さな肩に手を置いた。
「大丈夫だよ。ありがとう。マリン」
 わざわざ謝ってくれるなんて嬉しい。
「それより、私こそごめんね。足がつるぐらい疲れていたんだよね?」
「ううん。潜る事が出来たり泳げるかもって思うと嬉しくて。私も調子に乗っちゃって」
 マリンが顔を上げてニッコリ笑う。

 容姿は関係なく、こういう素直さがマリンの可愛いところなんだろうな。
 もうなんか、どうでも良くなってきた。いちいち落ち込んでいるのが馬鹿馬鹿しいや。
 私は諦めた様に溜め息をついた。
 その時、隣からニュッと手が伸びて私の腕を掴んだ人がいた。
「これか? マリンがひっかいたとこって」
 私の腕を掴んだのはノアだった。私は驚いて目を丸くした。
「うん。そうだけど」
「確かネロが作った即効性の傷薬があるから、後でアルマに聞いてみるといい」
「そうなんだ。ありがとう」
 ネロさんの薬なら間違いないかな。私はノアにお礼を言うが、中々手を離してくれなかった。それどころか、口を半開きにして両手で私の腕をさすりはじめた。
 何なのその反応は。
「ノア?」
「ナツミ、何だこの肌。凄く吸いつく様な感触が、痛ッ!」
 そこまで話したノアの頭にザックの拳骨が落ちてきた。
 ノアは殴られた頭を抑えながら、ザックに振り向いて文句を言う。
「ザック? 何するんだっ」
「何するんだじゃねぇよ。だから、俺のナツミに断りもなく触るんじゃない。嫌らしい奴だなぁノア」
「べ、別に嫌らしく触ったんじゃない! ちょっと感触に驚いて、痛ッ!」
 更にポコンとノアの頭を殴ったザックだった。二人は小競り合いを始める。

 その様子を見ながらマリンが苦笑いだった。
「仲が良いわねぇ~」
「そうなのかな……」
 仲が良いのか分からないがノアに突然触られて驚いた。ドキドキしてしまった。
「まぁ、ナツミの肌の感触が気持ちいいのは私も分かるから仕方ないわね。ノアの気持ちも分かるわ」
「あはは……」
 マリンとミラが私の肌をまさぐったのは記憶に新しい。
 しかし、ノアにまで触られるとは思っていなかった。
「仲の良いノアとザックは放っておいて、先に食堂に行きましょう? ナツミ」
 マリンはそう言って私の手を引いた。
「うん。そうしようか」
 そうして私とマリンは部屋を後にした。

 しかしマリンも、食堂へ行く道すがら再び私の腕を触り倒したのだった。
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