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014 魔法が使える世界
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ラブホテルの話も驚いたけれど、やはり最後の「海賊だった」には頭を殴られた気がした。ジルさんは稀に見る女海賊で船長も務めていたのだとか。
あの迫力は女海賊だったからなのか。思えばノアさんもザックさんもジルさんには一歩引いていたもんなぁ。
ダンさんは海賊時代から料理が好きで、ずっと仲間の料理を作ってきたそうだ。海から陸にあがる──海賊を廃業すると決めた時に、仲間と一緒にジルさんについていき『ジルの店』という名前でお店を開く事にしたそうだ。
ダンさんから洗い場の説明、お皿などを洗う手順や方法を教えてもらった。日本と同じ様にお皿洗い様の洗剤がある。他には食材を入れておくための業務用の冷蔵庫や、コンロまわりも教えてもらった。形は日本のものと同じ感じだが、プラスチック製の部分が鉄や違う素材で出来ている。
酒場である事もあり沢山のお酒が用意されている。ビールサーバーもあってビールを注ぐ方法も教えてもらった。海の家でアルバイトをしていた事が功を奏し、ビールは上手に注ぐ事が出来た。これはダンさんにお墨付きをもらえた。
一番不思議だったのが電気や火、水まわりの事。日本にいた時と同じ様に使える。
つまり、蛇口を捻れば水が出るし、コンロのダイヤルをまわせば火がつく。電気もあって、冷蔵庫等が使える。
これを動かしているのが『魔法石』という石なのだそうだ。
道端に転がっている様なゴツゴツした加工していない直径五センチの石だが、赤くボンヤリ輝いている。
何とこの世界は魔法が存在しているのだ。
しかし、誰でも使えるわけではない。ちなみにダンさんは魔法が使えない。魔法が使えない人は半分ぐらいだそうで、能力は先天的なものだそうだ。
「魔法が使えたら、空を飛んだり、人を生きかえらせたりとか! あと雷やあらゆる天変地異が起こせるとか?!」
魔法と聞いて食いついた私に、ダンさんは目を丸くする。しかし自分の坊主頭を撫でながら笑い飛ばした。
「何を言っているんだ。魔法はそんな事は出来ない。魔法はその人間に先天的に備わっている秘めた力で、具現化するには魔法陣や媒体が必要なんだ。ナツミの言っている事は無理だな」
「そうなんですか……」
しょぼくれると、ダンさんが乾いた笑いをあげる。
「先天的に何でも出来る……なんて人間がいたらすぐに国を傾けてしまうだろ。酷い世の中になってしまうんじゃないか?」
「うっ確かに」
そこで、魔法が使える人達が作り出したのが魔法石だ。皆の暮らしが豊かになる様に魔法石という形で還元している。
この魔法石を作っているのは国で認められた匠の技を持つ魔法を使える人間だそうで、それぞれの領地内のお城で働いているんだって。そして、国民に販売しているとの事。
私は頭の中で想像した。
ローブを纏った魔法使いが、ベルトコンベアで運ばれてくる小石に、聞いた事のない呪文を唱え、魔法石を作り出す。そして、綺麗に箱に詰められて出荷される。
ぷっ何か国営の燃料売りみたい。
「ナツミの国には魔法はないのか?」
一人想像でニヤつく私の頭上でダンさんの声が振ってきた。
「魔法はありません。だから、小説とか物語の中で魔法が使えたりするんです。それは夢の様な事が出来るんです。人の傷を治したりとか、一瞬にして移動したりとか。だから魔法って聞いてそういう事が出来るのかなって、思ったんです」
素直に感想を述べてダンさんを見上げると、ダンさんがフッと笑ってから頷いた。
「そうか。残念だがナツミの思っている様な魔法はこの国でも同じ夢物語の中だけだ」
「そうですか……」
「まぁ人の傷を治すというのは魔法で昔から出来るんだ。だから、先天的に魔法が使える人間は、医療系に進む事が多いな。だから病院の先生はみんな魔法が使える。だがな、ちょっとした怪我や病気の治りを早めたりする事は出来ても、人を生きかえらせるなんていうのは出来ないさ」
「そうですか……でも魔法で怪我や病気を治すっていうのは凄いですね!」
「万能じゃねぇけどな。おっと、話がそれたな、じゃぁ説明の続きをするからな」
そうして、ダンさんのレクチャーは開店前の夕方まで続いた。
「おい! そこの。えーとナツミだったっけ? これを五番テーブルに」
「はーい! 五番ですね」
頼まれたのはビールジョッキ四杯だ。ジョッキといってもガラスではなく、樽が小さくなった形で木製のものだ。取っ手がついている。これを右左二杯ずつ持ち上げる。重さはやはり現代の中ジョッキ四杯分だ。このぐらいは私にとっては余裕だ。
軽々と持つと、目を丸くしたのはダンさんの補佐をしている料理人の一人だった。
「へぇ細腕なのにやるじゃねぇか。落っことすなよ!」
「はい!」
私はフロア一杯の人をかき分ける様にして中央まで進む。
大盛況のジルの店だった。立ち飲みスタイルの場所もあるため、店内は定員オーバー気味だ。お客は昼に出会ったノアやザック達と同じ様な服装だ。軍人なのだろう。みんな比較的体格がよく男性ばかりだ。
「お待たせしました! ビールです」
中央五番テーブルの上には、空になった器が沢山積まれていた。
「おお! 待ってたぜサンキュー」
五番テーブルの軍人、男四人組はみんな不精ひげだが日焼けし逞しい顔つきをしている。長期の仕事明けなのか豪快に飲み食いしていた。
「あ、追加で頼む。このポレポレットマシューをあと二皿な」
「はい! 二皿ですね。かしこまりました!」
ビールも次々と消化していく。ポレポレットマシューとはお皿の形状から察するに、鶏肉の香草焼きだ。
メニュー名は変なものが多く覚えられないので、ダンさんに頼み込んで私が伝える時だけ形の説明に返させてもらった。
お皿の形で大体何の料理だったかが分かるから覚える事が出来た。
大盛況の店で、私の動きといえば、
その一、食事や酒を運ぶ
その二、空になった皿を回収
その三、追加注文受けカウンターに戻る
その四、新たに運ぶ料理が用意されている
そして再び一に戻るという事を三時間ぐらいずっと繰り返している。ちょっとした注文マラソンだ。
十七時に開店して、最初の二時間ぐらいは数人が食事だけを取る宿の旅人といった客が多かった。十九時を過ぎた頃から一気にこの軍人達が押し寄せるラッシュがはじまった。
大体三十分から一時間ぐらいしたら落ち着くので、その度に十分程度の休憩は取れる。しかし、またすぐ新たな客と入れ替わり同じ事を繰り返す。
マリンを助けた時はライフセーバーのアルバイトが役立ち、今度は海の家でアルバイトしていた事が役立っている。軍人の陽気になった酔っ払いも上手く躱し、大きなミスなく進める事が出来ている。
あれほど中途半端だと思っていたアルバイトの経験が役立つなんて……複雑だ。
大騒ぎする軍人の波をかき分けながらカウンターへ戻る。
「追加お願いします。五番テーブル鶏肉の香草焼き二皿です!」
「鶏肉の香草焼き……ああポレポレットマシューな。分かった。ああナツミ。運ぶ料理や酒はないから一休みしろ。ほれ水だ」
ダンさんがコップになみなみと注いだ水を私に差し出してくれた。
「ありがとうございます」
コップを受け取ると一気に飲み干す。冷たい水が喉を通って身体中に行き渡る。レモンの香りがした。
ダンさんは頭にバンダナを巻いていたが、バンダナもタンクトップも汗で濡れているのが分かる。キッチンの中は火力を使用しているせいもあるが、かなりの熱気となっている。
壁にかけられた温度計は四十度を指していた。ダンさんもかなり辛いはずだ。
キッチンの中は次々注文が入る料理を、ダンさんと二人の料理人が次々に仕上げていく。
私の様に食事を運んだり、お皿を洗うといった作業をする男性も数人いるが常に動いていないとまわらない。
「はぁ生きかえる」
思わずこぼした私の声に、白い歯を出して笑ったのはダンさんだった。
「まぁあと一時間ぐらいはこの状態が続く」
「あと一時間……頑張ります」
この調子があと一時間も続くのか。体力勝負になりそうだ。
「即戦力になるとはな。頼りにしてるぜ」
ニヤっと笑うとダンさんは私の手からコップを取ってキッチンの奥に戻っていこうとした。
その時だった。
出口付近の会計を済ますところで大きく怒鳴る声が聞こえた。
振り向くと、ウエイターが会計を済まそうとしている客に、酷く怒られている姿が見えた。
「だから、違うだろ! どうやったらそんな計算になるんだよっ!」
「お、おかしいな。すぐに、計算し直しますから」
「さっきから間違えてばかりじゃねーか! 三回目だぞ三回目!」
お会計の合計金額が合わなかった事に腹を立てた客が、ウエイターに喰ってかかっている。酔っ払っているのも手伝ってかかなり怒り気味だ。
「……チッ。あいつか。まぁ計算を教えたばかりだからな仕方ないか」
ダンさんが独り言の様に呟きカウンターから身を乗り出した。
ウエイターは私より年が若そうだ。手が震えていて明らかに焦ってしまっているのが分かる。
そうだよね……酔っ払いに絡まれると怖いよね。
海の家でアルバイトをしている時もあったな。
落ち度が自分にあるって分かると、余計怖くなる。
私はどんな計算なのか気になり、震えるウエイターに近づいた。
注文の明細表を見ると、見た事のない文字と、簡単な数字が書かれていた。
文字らしき部分は注文したものだろう。……全く読めない。
しかし、数字部分は私の知っている文字、数字だ。
「もしかして、500が五つに850が一つですか?」
確かめるために金額らしい部分だけを読みあげる。何だろう? 飲み物代と食事代といったところかな?
「そうさ! ビールが五杯に、ポレポレットマシューが一つ! なのにこいつ、3,450ボルだって言うんだ! しかも二回計算したのに間違えやがって、この合計はなぁ──」
酔っ払いの男が改めてふんぞり返った。
……ポレポレットマシュー大人気だなぁ。
私は、簡単な計算だったので思わず顔を上げて酔っ払いを見る。
「3,350ですね」
「ちがーっ……ん? そうだよ3,350ボルだろ!」
「仰る通りです。何度も間違えて申し訳ございませんでした。ほら君も謝ろう?」
私は酔っ払いの前で頭を下げる。それから、ポカンとするウエイターの方を振り返って、酔っ払いに見えない様小さくウインクをする。
ウエイターは自分が今まで謝っていない事に気が付くと、同じ様に酔っ払いに私と同じ様に頭を下げ大きな声で謝った。
「すみませんでした!」
突然ピタリと合った計算に虚をつかれた酔っ払いの男は、丁重に頭を下げる私達二人に急にテンションを下げるしかなかった。
「わ、分かればいんだよ! じゃぁほれ釣りくれよ釣り」
パラッと渡されたのは紙状のもの四枚と、銅色のコイン五枚だった。
多分4,050って事かな?
「はい。ありがとうございます。お釣りは700です」
出来るだけ愛想よく答える。
お客様は酔っ払っているけれども、計算もしっかりしている。怒鳴り散らすけれども、暴力的な様子ではない。出来るだけ丁寧に対応すれば怒りは収まってくれるのではないか。
「そーだよ。分かってんじゃねぇか、ちっこいボウズ!」
酔っ払いはバシバシ私の肩を叩く、結構痛いが笑いは崩さない。
ボウズではないけれど……まぁ、いいや!
その時にウエイターにお釣りお願いと目で促す。
ウエイターは私を見て何度も頷き、震える手で酔っ払いに銀色のコインを七枚渡していた。もちろんその時も丁重にお詫びをしながら。
「まぁ、仕方ねぇな。オメーは新人か? 許してやるよ、今度は気をつけろよ。ボウズがちっこいボウズに助けられるなんてなぁ。ハハ、おもしれーじゃねーか」
「申し訳ございませんでした。またのご来店をお待ちしております」
何処が面白いのかさっぱり分からないが、酔っ払いがひとまず引いてくれてよかった。
酔っ払いが出口のドアから陽気に手を振りながら出ていき、ドアが閉まったら私とウエイターはホーッと気を吐いた。
「はぁよかったね」
ウエイターは少し涙ぐみながら、私の手を取って握手した。
「ありがとう! 計算は最近覚えたばかりでよく間違えるんだ! 助かったよ」
そうか、計算最近覚えたばかりなのか。かなり簡単な計算のはずだが。
そういう私も海の家のアルバイトのお陰で簡単な暗算計算と、お釣りの計算だけは妙に早くなったけれども。最初は苦労したしなぁ。その気持ち分かるよ。
簡単なかけ算や足し算を最近教えてもらったという事は、少しだけ私より若いと思っていたが、それとも奴隷として連れてこられた人なのか……
思わず思いふけっていると大きな声が聞こえた。
「おーい! ナツミ! ビールを十二番テーブルに持っていってくれ~大至急だ!」
後ろの方でカウンターから身を乗り出した料理人が私を呼んでいる。
「あっはーい! 今行きまーす」
ウエイターにじゃぁねと小さく手を上げてカウンターに戻る。
また注文マラソンがはじまるのだ。しっかりしなくては。私は両手で頬をパンッと叩き気合いを入れ直した。
あの迫力は女海賊だったからなのか。思えばノアさんもザックさんもジルさんには一歩引いていたもんなぁ。
ダンさんは海賊時代から料理が好きで、ずっと仲間の料理を作ってきたそうだ。海から陸にあがる──海賊を廃業すると決めた時に、仲間と一緒にジルさんについていき『ジルの店』という名前でお店を開く事にしたそうだ。
ダンさんから洗い場の説明、お皿などを洗う手順や方法を教えてもらった。日本と同じ様にお皿洗い様の洗剤がある。他には食材を入れておくための業務用の冷蔵庫や、コンロまわりも教えてもらった。形は日本のものと同じ感じだが、プラスチック製の部分が鉄や違う素材で出来ている。
酒場である事もあり沢山のお酒が用意されている。ビールサーバーもあってビールを注ぐ方法も教えてもらった。海の家でアルバイトをしていた事が功を奏し、ビールは上手に注ぐ事が出来た。これはダンさんにお墨付きをもらえた。
一番不思議だったのが電気や火、水まわりの事。日本にいた時と同じ様に使える。
つまり、蛇口を捻れば水が出るし、コンロのダイヤルをまわせば火がつく。電気もあって、冷蔵庫等が使える。
これを動かしているのが『魔法石』という石なのだそうだ。
道端に転がっている様なゴツゴツした加工していない直径五センチの石だが、赤くボンヤリ輝いている。
何とこの世界は魔法が存在しているのだ。
しかし、誰でも使えるわけではない。ちなみにダンさんは魔法が使えない。魔法が使えない人は半分ぐらいだそうで、能力は先天的なものだそうだ。
「魔法が使えたら、空を飛んだり、人を生きかえらせたりとか! あと雷やあらゆる天変地異が起こせるとか?!」
魔法と聞いて食いついた私に、ダンさんは目を丸くする。しかし自分の坊主頭を撫でながら笑い飛ばした。
「何を言っているんだ。魔法はそんな事は出来ない。魔法はその人間に先天的に備わっている秘めた力で、具現化するには魔法陣や媒体が必要なんだ。ナツミの言っている事は無理だな」
「そうなんですか……」
しょぼくれると、ダンさんが乾いた笑いをあげる。
「先天的に何でも出来る……なんて人間がいたらすぐに国を傾けてしまうだろ。酷い世の中になってしまうんじゃないか?」
「うっ確かに」
そこで、魔法が使える人達が作り出したのが魔法石だ。皆の暮らしが豊かになる様に魔法石という形で還元している。
この魔法石を作っているのは国で認められた匠の技を持つ魔法を使える人間だそうで、それぞれの領地内のお城で働いているんだって。そして、国民に販売しているとの事。
私は頭の中で想像した。
ローブを纏った魔法使いが、ベルトコンベアで運ばれてくる小石に、聞いた事のない呪文を唱え、魔法石を作り出す。そして、綺麗に箱に詰められて出荷される。
ぷっ何か国営の燃料売りみたい。
「ナツミの国には魔法はないのか?」
一人想像でニヤつく私の頭上でダンさんの声が振ってきた。
「魔法はありません。だから、小説とか物語の中で魔法が使えたりするんです。それは夢の様な事が出来るんです。人の傷を治したりとか、一瞬にして移動したりとか。だから魔法って聞いてそういう事が出来るのかなって、思ったんです」
素直に感想を述べてダンさんを見上げると、ダンさんがフッと笑ってから頷いた。
「そうか。残念だがナツミの思っている様な魔法はこの国でも同じ夢物語の中だけだ」
「そうですか……」
「まぁ人の傷を治すというのは魔法で昔から出来るんだ。だから、先天的に魔法が使える人間は、医療系に進む事が多いな。だから病院の先生はみんな魔法が使える。だがな、ちょっとした怪我や病気の治りを早めたりする事は出来ても、人を生きかえらせるなんていうのは出来ないさ」
「そうですか……でも魔法で怪我や病気を治すっていうのは凄いですね!」
「万能じゃねぇけどな。おっと、話がそれたな、じゃぁ説明の続きをするからな」
そうして、ダンさんのレクチャーは開店前の夕方まで続いた。
「おい! そこの。えーとナツミだったっけ? これを五番テーブルに」
「はーい! 五番ですね」
頼まれたのはビールジョッキ四杯だ。ジョッキといってもガラスではなく、樽が小さくなった形で木製のものだ。取っ手がついている。これを右左二杯ずつ持ち上げる。重さはやはり現代の中ジョッキ四杯分だ。このぐらいは私にとっては余裕だ。
軽々と持つと、目を丸くしたのはダンさんの補佐をしている料理人の一人だった。
「へぇ細腕なのにやるじゃねぇか。落っことすなよ!」
「はい!」
私はフロア一杯の人をかき分ける様にして中央まで進む。
大盛況のジルの店だった。立ち飲みスタイルの場所もあるため、店内は定員オーバー気味だ。お客は昼に出会ったノアやザック達と同じ様な服装だ。軍人なのだろう。みんな比較的体格がよく男性ばかりだ。
「お待たせしました! ビールです」
中央五番テーブルの上には、空になった器が沢山積まれていた。
「おお! 待ってたぜサンキュー」
五番テーブルの軍人、男四人組はみんな不精ひげだが日焼けし逞しい顔つきをしている。長期の仕事明けなのか豪快に飲み食いしていた。
「あ、追加で頼む。このポレポレットマシューをあと二皿な」
「はい! 二皿ですね。かしこまりました!」
ビールも次々と消化していく。ポレポレットマシューとはお皿の形状から察するに、鶏肉の香草焼きだ。
メニュー名は変なものが多く覚えられないので、ダンさんに頼み込んで私が伝える時だけ形の説明に返させてもらった。
お皿の形で大体何の料理だったかが分かるから覚える事が出来た。
大盛況の店で、私の動きといえば、
その一、食事や酒を運ぶ
その二、空になった皿を回収
その三、追加注文受けカウンターに戻る
その四、新たに運ぶ料理が用意されている
そして再び一に戻るという事を三時間ぐらいずっと繰り返している。ちょっとした注文マラソンだ。
十七時に開店して、最初の二時間ぐらいは数人が食事だけを取る宿の旅人といった客が多かった。十九時を過ぎた頃から一気にこの軍人達が押し寄せるラッシュがはじまった。
大体三十分から一時間ぐらいしたら落ち着くので、その度に十分程度の休憩は取れる。しかし、またすぐ新たな客と入れ替わり同じ事を繰り返す。
マリンを助けた時はライフセーバーのアルバイトが役立ち、今度は海の家でアルバイトしていた事が役立っている。軍人の陽気になった酔っ払いも上手く躱し、大きなミスなく進める事が出来ている。
あれほど中途半端だと思っていたアルバイトの経験が役立つなんて……複雑だ。
大騒ぎする軍人の波をかき分けながらカウンターへ戻る。
「追加お願いします。五番テーブル鶏肉の香草焼き二皿です!」
「鶏肉の香草焼き……ああポレポレットマシューな。分かった。ああナツミ。運ぶ料理や酒はないから一休みしろ。ほれ水だ」
ダンさんがコップになみなみと注いだ水を私に差し出してくれた。
「ありがとうございます」
コップを受け取ると一気に飲み干す。冷たい水が喉を通って身体中に行き渡る。レモンの香りがした。
ダンさんは頭にバンダナを巻いていたが、バンダナもタンクトップも汗で濡れているのが分かる。キッチンの中は火力を使用しているせいもあるが、かなりの熱気となっている。
壁にかけられた温度計は四十度を指していた。ダンさんもかなり辛いはずだ。
キッチンの中は次々注文が入る料理を、ダンさんと二人の料理人が次々に仕上げていく。
私の様に食事を運んだり、お皿を洗うといった作業をする男性も数人いるが常に動いていないとまわらない。
「はぁ生きかえる」
思わずこぼした私の声に、白い歯を出して笑ったのはダンさんだった。
「まぁあと一時間ぐらいはこの状態が続く」
「あと一時間……頑張ります」
この調子があと一時間も続くのか。体力勝負になりそうだ。
「即戦力になるとはな。頼りにしてるぜ」
ニヤっと笑うとダンさんは私の手からコップを取ってキッチンの奥に戻っていこうとした。
その時だった。
出口付近の会計を済ますところで大きく怒鳴る声が聞こえた。
振り向くと、ウエイターが会計を済まそうとしている客に、酷く怒られている姿が見えた。
「だから、違うだろ! どうやったらそんな計算になるんだよっ!」
「お、おかしいな。すぐに、計算し直しますから」
「さっきから間違えてばかりじゃねーか! 三回目だぞ三回目!」
お会計の合計金額が合わなかった事に腹を立てた客が、ウエイターに喰ってかかっている。酔っ払っているのも手伝ってかかなり怒り気味だ。
「……チッ。あいつか。まぁ計算を教えたばかりだからな仕方ないか」
ダンさんが独り言の様に呟きカウンターから身を乗り出した。
ウエイターは私より年が若そうだ。手が震えていて明らかに焦ってしまっているのが分かる。
そうだよね……酔っ払いに絡まれると怖いよね。
海の家でアルバイトをしている時もあったな。
落ち度が自分にあるって分かると、余計怖くなる。
私はどんな計算なのか気になり、震えるウエイターに近づいた。
注文の明細表を見ると、見た事のない文字と、簡単な数字が書かれていた。
文字らしき部分は注文したものだろう。……全く読めない。
しかし、数字部分は私の知っている文字、数字だ。
「もしかして、500が五つに850が一つですか?」
確かめるために金額らしい部分だけを読みあげる。何だろう? 飲み物代と食事代といったところかな?
「そうさ! ビールが五杯に、ポレポレットマシューが一つ! なのにこいつ、3,450ボルだって言うんだ! しかも二回計算したのに間違えやがって、この合計はなぁ──」
酔っ払いの男が改めてふんぞり返った。
……ポレポレットマシュー大人気だなぁ。
私は、簡単な計算だったので思わず顔を上げて酔っ払いを見る。
「3,350ですね」
「ちがーっ……ん? そうだよ3,350ボルだろ!」
「仰る通りです。何度も間違えて申し訳ございませんでした。ほら君も謝ろう?」
私は酔っ払いの前で頭を下げる。それから、ポカンとするウエイターの方を振り返って、酔っ払いに見えない様小さくウインクをする。
ウエイターは自分が今まで謝っていない事に気が付くと、同じ様に酔っ払いに私と同じ様に頭を下げ大きな声で謝った。
「すみませんでした!」
突然ピタリと合った計算に虚をつかれた酔っ払いの男は、丁重に頭を下げる私達二人に急にテンションを下げるしかなかった。
「わ、分かればいんだよ! じゃぁほれ釣りくれよ釣り」
パラッと渡されたのは紙状のもの四枚と、銅色のコイン五枚だった。
多分4,050って事かな?
「はい。ありがとうございます。お釣りは700です」
出来るだけ愛想よく答える。
お客様は酔っ払っているけれども、計算もしっかりしている。怒鳴り散らすけれども、暴力的な様子ではない。出来るだけ丁寧に対応すれば怒りは収まってくれるのではないか。
「そーだよ。分かってんじゃねぇか、ちっこいボウズ!」
酔っ払いはバシバシ私の肩を叩く、結構痛いが笑いは崩さない。
ボウズではないけれど……まぁ、いいや!
その時にウエイターにお釣りお願いと目で促す。
ウエイターは私を見て何度も頷き、震える手で酔っ払いに銀色のコインを七枚渡していた。もちろんその時も丁重にお詫びをしながら。
「まぁ、仕方ねぇな。オメーは新人か? 許してやるよ、今度は気をつけろよ。ボウズがちっこいボウズに助けられるなんてなぁ。ハハ、おもしれーじゃねーか」
「申し訳ございませんでした。またのご来店をお待ちしております」
何処が面白いのかさっぱり分からないが、酔っ払いがひとまず引いてくれてよかった。
酔っ払いが出口のドアから陽気に手を振りながら出ていき、ドアが閉まったら私とウエイターはホーッと気を吐いた。
「はぁよかったね」
ウエイターは少し涙ぐみながら、私の手を取って握手した。
「ありがとう! 計算は最近覚えたばかりでよく間違えるんだ! 助かったよ」
そうか、計算最近覚えたばかりなのか。かなり簡単な計算のはずだが。
そういう私も海の家のアルバイトのお陰で簡単な暗算計算と、お釣りの計算だけは妙に早くなったけれども。最初は苦労したしなぁ。その気持ち分かるよ。
簡単なかけ算や足し算を最近教えてもらったという事は、少しだけ私より若いと思っていたが、それとも奴隷として連れてこられた人なのか……
思わず思いふけっていると大きな声が聞こえた。
「おーい! ナツミ! ビールを十二番テーブルに持っていってくれ~大至急だ!」
後ろの方でカウンターから身を乗り出した料理人が私を呼んでいる。
「あっはーい! 今行きまーす」
ウエイターにじゃぁねと小さく手を上げてカウンターに戻る。
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