【R18】まさか私が? 三人で! ~社内のイケメンが変態だった件について~ その3

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Case:岡本 9

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 長い壁を伝って随分と歩くなぁ、と思っていた。

 この辺りは老舗料亭が建ち並ぶ場所で私は滅多に足を踏み入れる事はない。いつだったか接待で一度だけ来た覚えがあるがあまりにも違う世界に目を丸めることしか出来なかった記憶しか無い。通りのライトアップも粋なもので随分と地域一体となって雰囲気を大切にしているんだなぁ、等感心しながらゆっくりと歩いていた。

 岡本はキョロキョロと辺りを見る私に小さく笑うと優しく手を引いてくれた。特に何も言わず私がちょっとしたデザインの看板や暖簾に感嘆の声を上げると合わせて頷く。

 すると一つの大きな迎門にたどり着いた。岡本が何も言わずくぐったので私はプライベートでは初めての料亭! と、ドキドキした。

 母屋に向かって歩いている、と思うのだが何と広い庭なのだろう。水に濡れた松の木。手入れされた植木。飛び石は歩きやすい配置だし、その庭を間接照明が程よくライトアップしていて幻想的だった。きっと四季折々の風景を楽しませてくれるのだろう。

 凄いお店を知っているのね。凄いなぁ岡本って。エスコートも格好いい。私が岡本を食事に誘う場合、どんな場所にしたらいいか悩んじゃうわね。

 全くいいアイデアが浮かばず歩く。お昼に過ごしたハイグレードのホテルはドレスコードを気にしなかったので、少しだけ雰囲気が違う場所に慣れていてよかった。最初に連れてこられたならきっと気後れしかしなかっただろう。

 しかし、その先にある純和風の母屋を見て結局私は足がすくむ思いをする。

 ま、まさかここって。タラリ……脇から汗が流れる。

 雑誌の特別な特集やインターネットで予約サイトを見たことがある。超有名な老舗旅館だと理解したのは迎門をくぐってから五分程歩いた後だった。



 ◇◆◇

「それではごゆっくりお過ごしくださいませ」
「ありがとうございます」
 案内してくれた女将さんと話をするのは聡司だ。手慣れた様子で挨拶をした後女将さんは私達の部屋を後にした。
 
 部屋に通されても私は、部屋の窓から見える景色に見惚れる事しかできなかった。そこには切り取った生きた風景が存在していた。まさに生きている絵画だ。

 本格的な冬は直ぐそこだ。先月まで恐らく燃える紅葉を見せていたのだろう。木々にはその余韻が残っていて少しの寂しさとこれから厳しい冬を迎えるであろう植物たちの命を見つめることができる。

 無言で私は窓際の椅子にゆっくりと座る。既に陽は沈みライトアップされた庭の向こうには小さな露天風呂が見えた。

 この風景を独り占め出来る露天風呂! 何て素敵なの……

 そんな私の向かい側の椅子に、聡司がゆっくりと腰掛けた。
「綺麗ですね。ずっと眺めていられるってこういう事ですね。近くにオフィスビルが並んでいるとは思えないですよ」
 銀縁の眼鏡のブリッジ部分を押し上げて優しく風景を望む聡司の顔は、一日過ごした緊張を解いた顔をしていた。

 家族と私を合わせるという大イベントを終えて、ホッとしたのだろう。

「今日はありがとう。里羅さんと会えてとても楽しかったわ。あ、お茶を淹れるわね」
 私は反対側に座る聡司に改めてお礼を伝えた。それからテーブルの下側に置いてある茶器セットを取り出し、緑茶を淹れる準備をする。
「いいえ。こちらこそホント滅茶苦茶な姉で。最初の登場なんて驚かせて申し訳ないです」
 聡司は自分の後頭部を大きな手で撫で照れくさそうに笑った。その赤い頬を見て私もつられて笑う。
「そうよね。まさか里羅さんが裸で登場するなんて想像しなかったわ……フフフ。今なら思い出して笑っちゃうわ。それにしてもあんなに洋服を貰ってしまって本当にいいのかしら。里羅さんに気を遣ってしまわせたんじゃないかしら」
 この冬や春先まで私のワードローブは充実して過ごせそうだ。それだけじゃない。鞄や下着、それに靴まで全部揃っていると言っても過言ではない。
「大丈夫ですよ。仕事柄なのかいつも洋服の山を消費するのに困っているんです。中には奇抜すぎるものもありますからね。だから気にしないでください」
 裏事情を詳しく知っている聡司がお茶を淹れる私の手元を見たら、視線を再び窓の外に移して背もたれにゆっくりと背を預けた。

 聡司はゆっくりと深呼吸をした。私も同じ様に窓の外の風景に視線と耳を傾けた。

 視界に入る風景に夜の独特な香り。庭を吹き抜ける風。空気を飲み込むと甘い冷たさを感じて喉の奥がぎゅっとなる。時間が静かに流れている場所で、私と聡司は秋の夜の訪れを五感で感じ取る。

 頭を空っぽにしたのはいつ振りだろう。仕事にプライベートで三人で過ごす事。めまぐるしい時間が過ぎていくことは贅沢で幸せだけれども。時には何も考えない時間というのは必要だ。思えば年末に向けての仕事への忙殺と、週末の聡司と悠司の家族に挨拶をするというイベントで息つく暇も無かった。

 後少し、聡司との二人の時間があるけれども、少しだけ肩の荷が下りた気がする──って、言ってもまだまだ誤解が沢山あって……そこまで私は考えて思考を停止した。

 少しだけ。数分でいいの。何も考えない時間を過ごそう。私は改めて深呼吸をした。

 それから数分の無言の時間が流れた。たった数分のことなのに何十分にも感じられる時間だった。私の淹れたお茶を飲み干して、ようやく聡司が口を開いた。

「黙想している感じになりますね。それもいいですけど。どうせなら、お風呂に入りませんか? ここの離れは窓の下にある露天風呂が独り占めなんです」
 聡司がにっこりと笑って椅子から立ち上がる。そして私の方に右手を差し出した。

 この風景だけでも素晴らしくて驚きなのに、まさか眼下にある露天風呂までもが離れについているものとは。どれだけ豪華なの。私はポカンとしたまま聡司を見上げてしまった。相当その私の顔がおかしかったのか聡司はぷっと吹き出していた。

「もう、そんな目が丸いと言うより点って。反則ですよそんな顔。それに初めて見ましたよ」
「点……ってそんな事ないわよ」
 私は慌てて自分の顔をさすって頬の辺りを両手でマッサージをした。

 い、いけないいけない。今日は里羅さんといい、この旅館といい、驚いてばかりだわ。

「まだ僕たちのデートは終わってませんよ? 食事の前に行きましょう」
「……うん」
 私は聡司の右手に自分の手を乗せてゆっくりと椅子から立ち上がった。



 ◇◆◇

 しっとりと濡れた石畳を歩く。家族で入ってもゆったりする石造りの露天風呂が、目の前にあった。天井には小さな木造の屋根がついている。雨や雪が降ってもゆっくりとお湯に浸かる事が出来る。近くには先程から部屋の窓から見えていた景色。紅葉がちっていゆく様が、低めの灯籠の灯りに照らされ幻想的だった。

 髪をアップに留め、かけ湯をし身体を洗い流す。それからゆっくりと石造りの露天風呂に肩まで浸かる。部屋から見下ろす景色とは違い、お湯に浸かると木々を見上げる角度になり、違う風情を感じる。白い湯気の中屋根から小さな雫が垂れ、音を立てて水面に波紋を作った。

 私と聡司は肩を寄せ合い、冷たくなった外の空気吸って足を伸ばす。眼鏡を外している聡司は前髪がすっかり垂れ随分と幼い顔になっていた。チラチラと斜め下から見つめていると、視線が気になったのか小さく笑った。

「もしかして、僕の顔に何かゴミでもついてます?」
「えっ? う、ううん。ついてないよ?」
 聡司にチラチラと見ていたことがバレて、私はいつもより一つ高い声で答えた。

 思わず揺らした身体のせいで水面が揺れた。パシャッと波が立ったのを見て、聡司は自分のおでこから髪の毛をかき上げて、瞳を細めて更に笑う。

「そんなに慌てなくても……この場所でも僕たち二人きりなんです。見つめ合ってお昼みたいに過ごしても、恥ずかしくないですよ?」
 聡司が顎を引いて私を斜め上から見下ろす。眼鏡を外した視線と温泉で濡れたせいか煌めいている瞳。とても三十歳とは思えない幼い顔が、瞬間的に男性になる瞬間だ。甘い視線から鋭い視線に見つめられると、釘付けになった。

 だから思わず言わなくてもいいことを口走ってしまう。

「み、見つめていたいって思うんだけど。もったいないって言うか……こっそりと見つめていたいって言うか。だって、聡司の視線って凄く心臓に悪くて」
「心臓に悪いって。ああ……確かに僕は視力が悪いから、目を細めるのが癖で。睨んでいるみたいに感じますよね」
 聡司がこめかみの辺りを軽くもんで、瞳を細めたりと焦点を調整し始めた。

 違う。そういう意味ではない。私は慌てて否定する。

「視線が鋭いのは確かだけど、睨まれているなんて思ってないわよ。何て言うのかな? 視線が合ったら、逸らせないぐらいときめくっていうか、ドキドキするっていうか。意味深に見つめられているわけではないって分かっているのに。聡司は比較的幼い顔なのに、突然男性を強く感じる顔になって。だから視線に驚くっていうか。と、とにかく! 仕事をしている時も視線が合ったらときめいて困る事があるの。だから聡司の落ち着いた優しい笑顔の姿を見ていたかったというか」
 何を言っているの私。

 お昼やたらと聡司が早口で謎の呪文を唱えていたけれども、今度は私が唱える番だった。仕事をしている時でもときめくって、私は何を言っているの。

 とにかく! は、恥ずかしい……

 そんな私の発言を聞いて、聡司が大きく目を開いた。
「え。仕事をしている時、。ですか?」
 だから。そこに食いつかないで。

 露天風呂だから空気が冷たくのぼせる事はない。なのに、自分の顔がきゅーっと首から頭にかけて赤くなるのを感じる。おまけに湯気まで頭の上から立ち上っていそうだ。私はとっさに頬を両手で覆って隠す。

「それぐらい聡司の視線って凄く威力があるのよ」
 最後は情けないほど尻すぼみになった。

 これから仕事で聡司と視線を合わせづらいじゃないのよ。そうじゃなくても聡司は目立つ存在なのだから。見つめられた若い社員達がこぞって頬を赤らめていたのは知っている。でも、いい年した私が動揺していると分かったら笑われてしまうわ。

 私がきゅーっと固まっていると、ようやく聡司が小さな掠れた声を上げた。

「は、はは……ふ、ふふふ。ふっ、アハハハ! ゴホッ。フッ、フフフ!」
 ゆっくりと自分で笑い出したら止まらないのか、最後はむせながら自分の背中をつるんとした石垣に預け天を仰いだ。

 聡司の笑い声は大きく響いて秋の夜に溶けていった。聡司はひとしきり笑ってから、私の肩に手をかけ自分に寄り添う様に引き寄せた。

 私は顔を赤くしたまま浮力に抗えず、まろやかなお湯に身体を預け聡司の肩に頭を置いた。聡司の鎖骨に耳を付けた形になり、彼の声が響いてくる。

「あー……もう、不意打ち過ぎですよ。そんな風に思っていてくれたなんて嬉しい……頬を必死に隠しても意味ないですよ。涼音の首筋からおでこまで真っ赤ですから」
 クスクスと笑う聡司の声は軽快で本当に力が抜けているものだった。
「そ、そんな風に言われると仕事で視線を合わせ辛らくなるから。集中していたらいいけど不意打ちが多すぎるから、聡司は」
 私は素直に口にしてようやく頬から手を放した。早く顔の火照りが収まって欲しい。

「涼音が仕事中にそんな事を考えているなんて。全く分かりませんでしたよ。ほら、僕はそれなりに女性からの視線が集中するって言うのは自覚がありますし。慣れると誰がどんな感じで見つめているのか分かるんですよね。だけど涼音からはそんな動揺すら感じなかったですよ?」
 斜め下から見つめる聡司。またその甘くて鋭い視線で私を見つめるのね。

「それは。もちろん表面に出ない様に必死に取り繕っていたからね」
 私は今の視線にも耐えられそうになくてプイと横を向いた。

 聡司は私の横顔を見つめて、ほどけた髪の一房を耳にかけてくれる。同時に視線を逸らした私の視界には、一枚の紅葉が水面に降りたって波紋を作った。

 それから聡司の小さくて低い声が聞こえる。

「僕の事は──そんな風に見ていないのかなってずっと思ってた。むしろそういう意味深な視線って僕より天野さんに向けている事が多いって思っていたし。涼音が意識しているのは僕よりも天野さんなのかなって」
 それは独り言の様だった。ボソボソと呟く程度の声だに私は無言で振り返る。聡司は私の耳たぶに触れていたけれども、視線は水面を滑る紅葉を見つめたままだった。

「天野さんって、視線のやりとりを自然とやってのけるじゃないですか。ああいうのを見ると、恋愛上級者なんだなって思って。ああ、視線だけで好きだと伝える事が出来るんだなって……」
 確かに悠司は皆に注目されている中でも、自分がどう見えているのかを十分に把握していて、それを利用している。

 私に近づいてきても他の女性社員と同じアプローチなのに、最後にはちょっとだけ違う顔を見せてくれる。周りの誰にも気づかれないままで。

「確かにそういうところあるわね」
「ですよね。そういうところ発見する度に、悔しいって思うんですよね」
 と、聡司は言うけれども。

 貴方だって私から見たら沢山の女性とお付き合いしてきた身で、エスコートも上手いし女性に対してナチュラルだし。そう本当にナチュラルなのだ。悠司と聡司なら自然と距離が近くなるのは断然聡司だ。だから突然近くに来て貴方のその鋭い視線で見つめられたら、ギャップに驚いてクラクラするのよ。そうやって聡司にときめいて思いを寄せる女性は多い。

「聡司だって沢山の女性とお付き合いしてきたのに?」
 思わず私は口を尖らせてしまう。

 聡司の自然な所作やエスコートは、経験を積まないと自然には出来ない。きっと聡司の前を沢山の女性が去っていったのだろう。

 が、聡司はゆっくりと左右に首を振って否定する。湯船を見つめて少しだけ寂しそうに話し始める。
「僕のは身体の関係だけで。もちろん行為自体は相手を想っていましたけど。気持ちから入るのって、僕は経験していないですからね。気持ちから入る関係は、経験不足を痛烈に感じます。今日の僕のデートプランだって、最初に天野さんが指摘した通りに結局なってるし」

 確か悠司は聡司のデートプランを「普通すぎ」「高級ホテルなんてセレブのお戯れ」と言い返していた。そういう悠司だってアミューズメントパークに行こうとして、似たり寄ったりだったのだが。

「それでも僕は、涼音と一緒に過ごせるだけで幸せで。だけど……先に天野さんと過ごした涼音にとって、今日のデートは物足りないのかなって。恋愛から入る付き合いが多い、経験豊富な天野さんですよ? きっと楽しかっただろうなって。そんな風に考え出すとそれだけで、胸が張り裂けそうで」
 聡司がおでこに手を当てて髪の毛をかき上げ、苦しそうな声で話す。

 顔を隠しているけれどもかき上げた髪の毛をむしる様に握りしめている手が震えていて、苦しい胸の内が伝わってくる。

 そんな事はない。
 聡司の考えてくれた事は全て伝わっているから。
 
 私はそう伝えたかった。それと同時に、こんなにも聡司を苦しめている理由は私の言葉が足りないからだろうか。そんな事を考える。

 それとも──

「物足りないなんてそんな事ない。そんな風に聡司の自信がなくなるのは。私が二人からの思いを貰ってばかりで過ごしているから?」

 だとしたら、私は初めて芽生えた聡司の気持ちを踏みにじっているのかな。

 そう思うと申し訳なくなってきた。すると聡司はパッと自分の髪の毛を掴んだ手を放して湯船の上にパシャリと音を立てて落とした。
「いいえ。違うんです。それは僕も同じで……何て言うのかな。僕って変じゃないですか。初恋そっちのけで、沢山の女性と身体ばかりの関係を続けてきて」
「うっ」
 それを『変』と言っていいものなのか。

 返答しにくい問いかけに私は口をキュッと閉じるしかない。

「それで僕自身は満足していたのに、いい年して突然涼音に恋をして。初恋ですよ。拗らせるしかないでしょ。まさか独占欲に悩まされる自分が存在しているとは考えもしなくて。本当に独占欲が人一倍強いって嫌って程、知る羽目になって。それなのに……僕は天野さんがいた方がいいって思ってる」
「うん」
「僕は元々『変』な上に、比べて苦しむ相手がいた方がいいとか。どんな変態なのかなって。どこまでもノーマルなままじゃいられないんだなって。天野さんっているだけで刺激的な最高の相手だから……って、嫌な表現ですよね。天野さんを最高の相手とか言う事自体、そんな自分に腹が立つんですけど。こればかりは認めるしかないですからね」
「……うん」
 私は聡司の言葉を聞くことに徹した。
「認めているくせに……いちいち比べてしまって落ち込むんですよね。天野さんとの差に。これは歩んできた人生経験の違いと差ですから。仕方ないって思うんですけど。でもその度に涼音は……貴方はどう思うのかなって。怖くなって」
 最後はもう聞き取れない程小さな声だった。

「聡司……」
 私は思わず名前を呟いた。

 学生の頃からお金を手にして、高級マンションを手に入れているだけでも凄いのに。五カ国語を操る聡司は本当はもっと大きな会社でも働ける実力を兼ね備えている。そんな人生の成功者である聡司が、不安がり落ち込み気にしている。誰かと比べて自信がないなんて。

 聡司も色んな経験を積んで財を築き成功した人間だ。そして成功したからと言って自分の人生を誰かと比べて自慢するわけでもなく、淡々とエリートの道を進んでいく。そんな風に聡司は冷静に対処すると思っていたのに。

 ああ、そういえば。天野も同じ様な事で悩んで爆発していたっけ。

 そう、今の聡司と同じだ。
 恋が、愛が人を少しずつ狂わせていく。自信や冷静さを奪って不安定にしていく。

 聡司は雨に濡れてたたずむ子犬の様な目をして自嘲して呟く。
「ホント、いい歳して独り落ち込んでるなんてね。すみません……涼音はこうやって僕の隣にいてくれるの、にっ?!」
 私は思わず膝たちになって聡司の頭をキュッと抱きしめる。そのせいで聡司の語尾が跳ね上がった。まろやかなお湯がはねて聡司の顔を濡らす。
「す、涼音っ、モガッ!」
「嬉しかったよ」
「え?」
「普段は出歩けない水族館も、二人で食べ合いをするランチも。どれも初体験でドキドキしたわ」
「!」
「それに映画館で突然あんな、その……凄い事になってびっくりしたけど。あの時の聡司を見て知らなかった一面を見られて嬉しかった」
「……涼音」
 聡司の掠れた声が聞こえる。小さく呟く声が少しだけ潤んでいる。

 ああ、なんと言ったらいいのかな。もっと上手く伝える言葉があればいいのに。

「えっと、実はね……言いにくいんだけど、私も聡司の元を去っていった女性が気になるの。だっていつもエスコートが上手なんだもの。きっと色んな女性に教えて貰ったりしたのかなって。だからそれは『経験』の差かなって思う時が今日は一杯ありました……」
 色んな場所に連れて行ってもらって独りうろたえていた事を告白する。

 そんな私の態度は丸わかりだったはずだ。聡司からすると落ち着きのない女だと思ったかもしれない。それでも、聡司はいつも優しくリードしてくれた。

 すると聡司が小さく息を飲んで肩を揺すって笑った。

 伝わったかな……そうだといいのに。私はゆっくりと抱きしめた聡司の頭を撫でる。すると聡司が嬉しそうに声を上げて私の背中に自分の両手を回した。

「うんそっか。そうですよね。僕も……今までしてこなかった事が叶って嬉しかった。これからも少しずつでいいから、馬鹿だなって言われてもいいから涼音とずっとイチャイチャしたいよ?」
 聡司がゆっくりと私の胸の間に自分の鼻を押しつけて落ち着いた声で呟いた。
「うん、そうね。バカップルって言われてもいいぐらいの事やりたいわね?」

 私も長い間恋人はいなかった。二十歳前半の若い時間は仕事尽くしで過ごしてしまった。聡司と同じで恋愛初心者、若葉マークなのだ。

「うん。映画館っていいですね。癖になりそうです。もう一度体験したいなぁ~いいよね、ああいう真っ暗な場所で、人に気づかれないで何処までやれるかって。結構スリルがありますよね」
 聡司の言葉に私は驚いて背中を反らし、抱きしめている彼の顔を上から覗き込んだ。

「えー! それはモラル的に無理じゃない? 今日のだって結構ハラハラしたわよ」
「えー? 僕の知らなかった一面を見て嬉しかったって言っていたじゃないですか。僕も新しい扉を開けるかなって思いましたし。それに今日行った『名前のない場所』にある映画館なら大丈夫だと思いますよ? また行きましょうよ」
 自信をすっかり取り戻した聡司はにっこりと笑って私の身体を抱き寄せる。

 その笑顔は無邪気に笑う少年だった。本当に色んな顔を見せてくれる。

 だけど、今日行った映画館ならってそんなのはいいかもしれない──じゃなくって!

「だっ、駄目よ。ほら恥ずかしいでしょ。人がいるところなんて迷惑だし。外でするのは……」
 あれだけの事をしておきながら私は慌てる。道徳的によくないとのたまっても全く説得力がない。

 しかし聡司は諦める様子がない。ゆっくり私の左頬を包んで啄むキスをして「あ」と一言、思い出して呟いた。

「それに僕たちにはやっぱり天野さんがいないとね」

 そんな嬉しい様な怖い様な事を聡司はとびきりの笑顔で答えた。
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