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その頃天野は(おまけの陽菜ちゃん)
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その頃──天野は久し振りに自分の部屋でチーズケーキ作りに専念していた。
先日、倉田と陽菜とで一緒に食べたチーズケーキを再現したくて奮闘中だ。お店で食べた料理を再現するのは今回が初めてではない。俺の隠れた特技だ。お菓子に関しては、ちょっとしたバランスで違うものになってしまう。先に焼いたチーズケーキはようやく二時間の冷蔵を終え試食となった。
一口咀嚼しゆっくりと味わう。鼻から抜けるチーズとレモンの香りは絶品だった。
「美味い。俺って天才? 料理研究家としてやっていけるんじゃね?」
そんな事を思わず呟いてしまう。
自画自賛──いやそんな事はない。それぐらい出来のいいものだった。
料理は物心ついた頃からしていた。共働きの両親、年の離れた妹、そして──世界各地の波に乗る為かかせない事だったけど『料理をやっている、やらなきゃいけない、やらされている』という意識は特別なかった。プロサーファーを目指すからには身体は資本だ。安いコンドミニアムで自炊するのは当たり前で、スタミナをつける為の料理も楽しく出来た。苦手だとか嫌々ならきっと苦痛でしかなかっただろう。
そんな料理が得意という事も家族以外に披露する事はなかったが、倉田と岡本そして俺──この三人で付き合い始めてからはこの特技を存分に活用している。何せ倉田の美味いものを食べたときの顔と言ったら可愛いんだよなぁ~
そして──『金を持っている岡本はグルメなはずだ!』そう思い込んで、打倒(?)岡本という目標を掲げどうやって唸らせようかと再現料理にのめり込んだのに。蓋を開けたら岡本は庶民的……というより食に固執していない男だった。すっかり餌付けしてしまったのは自分だった。
ま、まぁ美味しそうな顔をするからな岡本は。コメントは可愛げがないけどさ。良しとしよう。それよりも! 倉田はこのチーズケーキを食べたら陽菜と一緒に行った店の事を思い出して驚くだろうな。
「……フッ」
考えるだけも可愛い顔をしそうだよな倉田はさ。うっとりとろける顔にバラ色の頬か、いい! 岡本はそうだな──ま、いっか。あいつはどうでもいいし。うん、どうでも──
うーん。岡本は……そうだな。美味いとは言いそうだけどあいつだったこう言いそうかな。
『美味しいですね! いや……そうじゃなくて……くっ! 僕は何を素直に言ってるんだ……悔しい……僕に出来ない事を』
フン! そうだろう、そうだろう。岡本は美味しさに思わず褒めてしまって、その後悔しい顔をして歯ぎしりするんだ。そして──
『……駄目だ。完敗です美味しいですよ……悔しいですけれども。本当にお店で出せますよ多分……腹が立ちますけど。くっ! 屈辱的。何か他に言える事ないかな……あっ! 僕はもっとさっぱりした方が好きですよ。フフッ。さっぱり味は流石に出来ないでしょ?』
とか悔し紛れにいい感じの意見を言ってきそうだよな──くっ、いい事を言うじゃねぇか! そうかさっぱり味か。その方向もいいよな。俺もアリだと思う。
と、(俺の想像である)岡本がそう意見するので、レモンの量を増やして味違いに挑戦となった。
何かこう俺って年下に甘いのかな……妹で散々味わっているって言うのに。長男癖が抜けないって言うか世話を焼いてしまう。軽い付き合いの奴らからは信じられない行動ばかりしてるよな。ま、それも三人で付き合っているからそうなるよなって事で認めるしかないのだろう。
俺は倉田と二人きりの時間を過ごした事で、岡本に対して不思議な感情がある事を認め、自分に対して随分と(これでも)素直になっていた。
よし。このぐらいの方が濃厚なクリームチーズの後さっぱりとした味わいでいいよな。レモンは思った量の二倍入れても問題なさそうだ。そんな事を考えながら材料を混ぜ型に流し込んで我に返る。
「ハッ」
我に返った途端、予熱が完了とのブザーが電子レンジから聞こえた。
つーか俺は何で岡本用の好みのものを開発してんの? 何と戦ってるんだよ。確かに倉田と二人きりで過ごした事で岡本の存在を確かめる事になったとはいえ……こんなに考えてどうするんだよ。あいつ好みのケーキを焼くってさ。ないよマジで。
「全く、認めた途端これだよ。ホント男に振り回されるとか俺的にナイナイナイ」
予熱したオーブンにそっと置いて扉をしめ俺は呟いた。すると背中越しに大きな声が聞こえる。
「ねぇ~何を一人でぶつくさ言ってんのー? ヤバい人みたいだしー」
陽菜がダイナー風に仕上げたカウンターの上に両手をついて台所を覗き込んだ。
そう、今日俺のアパートには十四歳年の離れた妹、陽菜が遊びに来ていた。
しかも陽菜はちゃっかり倉田に連絡を取って、今週末俺が一人で過ごすという情報を先に得ていた。金曜日の夜、突然電話をかけてきて──
『涼音さんは明日、予定があるんだってね! それなら、お兄ちゃんの家に遊びに行ってもいい? だって暇しているでしょ? 久し振りにお兄ちゃんの部屋に行きたいなーって。ねっ? いいよねー? よし。決まり! 明日のお昼過ぎに行くからねー』
陽菜は電話口で一気にまくし立てると、俺の返事も聞かず一方的に電話を切った。
元々予定はなかったからよかったものの陽菜の強引さには言葉も出なかった。何だかんだで年の離れた妹には強く言えないものだと改めて思う。しかし、招き入れたというのに酷い言い草に俺は肩を落とした。
「……一人暮らしが長いと自然と独り言が多くなるんだよ」
痛いところをつかれて思わず口を尖らせ口元を片手で覆った。
確かに独り言多い気がするわ。
倉田と岡本と付き合ってからと言うもの週末は常に一緒に過ごしている。そういえば俺の呟きも、倉田と岡本は素直に反応するもんな。あの二人の前では独り言も全部拾い上げてくれて、会話になっていたんだな。そんな風に変わってしまったんだな俺……久し振りに独りで過ごす週末はそんな僅かな変化に気づかされる。
しみじみと状況を噛みしめていると陽菜がここぞとばかりに畳みかけてくる。
「ふーん……そんなもんなのかなぁ。陽菜も独り部屋の寮生活だけど独り言が多いのかなー? ヤッバー変な人になるから気をつけよっと」
「お前なぁ俺を変な人にするなよ。しかし、今日はえらい毒づいてるな。先週末の倉田の前では猫をかぶっていたのかよ」
やたらと『涼音さんー涼音さんー』と、俺の倉田にベタベタと触れておいて。今日は掌を返したみたいに俺にはこの冷たい態度って、酷い妹だ。
「こんなのさ毒づくのにはいんないよー! お兄ちゃんの変な癖を指摘したのー感謝してよねーっていうかさーまた新しいバージョンでケーキを作ってるのー? もしかしてー陽菜を太らせようとしてる?」
そして改めて二個目のチーズケーキを焼き始めた俺を見て目を丸めている。なので思わず俺は言い返してしまった。
「これは陽菜用のじゃないのーこれはー味をさっぱりにした岡──」
口調を陽菜に真似て軽快に話し出したのがいけなかったのか。思わず「岡本用に用意しているのー」と言おうとしてしまい俺は慌てて言葉を飲み込んだ。
何を言い出そうとしているんだ俺は! 手を上げたまま固まってしまう。
「えっ? 何? 何て言おうとしたの?」
陽菜がパッと表情を変えてカウンターの上から身を乗り出して来た。
「えっ! いや~ほら~アレだ! お、おかー丘の上に吹くそよ風を感じられる味にしたらーもっとパクパク食べられていいんじゃないかなぁと」
出来るだけ陽菜と視線を合わせない為に斜め上を見ながら話す。しかし下手な言い訳で何とも発言した自分が恥ずかしくなってきた。
何だよ。「丘の上に吹くそよ風」って。妙に長ったらしい料理の名前かよ!
少し照れくさくなってぎゅっと瞳を閉じてポーズを取ってみせた。苦し紛れとしか言えないが陽菜は身を乗り出してたカウンターからストンと降りて椅子に座り直した。ダイナー風のカウンターテーブルの向こうでフォークを持ったまま大笑いする。
「何それ。シェフがつける、やたらと長い料理名みたい~フフフ分かってるよー涼音さん用でしょ? 涼音さんさ、凄く痩せてるからもうちょっとぽっちゃりしてほしいもんね~だってあのおっぱいはけしからんし」
「ハハハ……」
どうやら美味くごまかせたみたいだ。
焦ったぜ。岡本なんて名前が出たら一体それは誰だと問い詰められるだろうし、男だと知ったら更に何でそこまでするの? と言われるだろうし……倉田用のだと思って貰えて助かった。
俺はおでこにかいた冷や汗を拭いながら、もう一度陽菜の言葉を反芻した。
ん? 『おっぱいはけしからんし』 って? 今度は俺が尋ねた。
「なぁ陽菜」
「んー?」
陽菜はお皿に載った第一弾のチーズケーキを切り分けフォークに刺していた。すっかり意識は、兄貴の俺じゃなくてチーズケーキに移っていた。
「どうして倉田のおっぱいがけしからん事を知っているんだ?」
「パフパフしたから」
「何、パフパフだとっ?!」
聞き捨てならない事を聞いて思わず身を乗り出そうとしたら、丁度頭上にある棚に勢いよくおでこをぶつけた。
ゴン! という鈍い音に合わせて棚が少し揺れた。
「痛っ!」
俺は目の前に星がいくつか散ったのが見えた。思わずズルズルとキッチンの中にしゃがみ込んでしまう。
賃貸アパート住まいだが、DIYなどで自由に改修していいという物件に住んでいる。キッチン周りは渋めのダイナー風に仕上げてとても気に入っているのだが、上部に設置している棚だけはどうにも出来なかったのでそのままだ。とはいえそんなに身を乗り出す事はないのだがまさかぶつけるとは。
「もーお兄ちゃん、そこは据え置きの棚だから、ダイナー風にする為のDIY出来ないって言ってたじゃん。自分の身長を考えなよーって、めちゃめちゃ美味ひぃ~何ほれ~」
陽菜は恐らく『美味しぃ~何これ~』と発音したと思うが正しく発音出来ていない。チーズケーキを頬張り食べ始めたのだろう。さながらリスが頬袋に餌をため込んでいる様な顔をしているに違いない。
「誰のせいだと……イテテ。あーこりゃたんこぶか?」
俺は何とか立ち上がり、新しい布巾を濡らしておでこを冷やす事にした。
◇◆◇
相変わらずお店の味の再現度がパーフェクトなんですけどぉ~お兄ちゃんってホント器用なんだから。私は心の中でそっと呟いた。
もちろんお兄ちゃんが何の努力もせずしてこの器用さを手に入れたわけじゃない事は知っている。小さい頃からの積み重ねで努力して得たものだ。
付き合う女性を取っ替え引っ替えしている印象はあったけど特にトラブルはなかった。こんな風に努力するし真剣な(?)一面がある、魅力的な人間だからなのだろう。
に、してもこのチーズケーキは気合いが入りすぎなんだよね~あっ、ヤダ……凄いトロトロのチーズケーキは何個でも食べられそうでマジでヤバい。私はおでこを冷やすお兄ちゃんの後ろ姿を見ながら、ケーキに舌鼓を打った。
涼音さんは週末用事があってお兄ちゃんと会えないとの事。その情報をメールアプリで受けて早速探りを入れようと私は思った。
「やっぱり一度お兄ちゃんのアパートに行って何かそれらしき痕跡がないか調べなきゃ! うん。まずはそれからよね」
私は学校の寮で大きな独り言を呟いた。幸い独り部屋だ、誰かにこの台詞を聞かれる心配はない。ハッ……しまった、これでは今日のお兄ちゃんと同じじゃないの私。
コホン。とにかく岡本さんという男性同僚と浮気をしている可能性が高いお兄ちゃん。あんなに美人で優しくて、おっぱいパフパフな涼音さんがいるのに! ここは証拠を突きつけて、お兄ちゃんに浮気なんてしない様に言い聞かせなきゃ。そうしないと私の涼音さんが……お兄ちゃんを信じている涼音さんが、悲しむから──と、私は行動を起こす事にした。
まずはお兄ちゃんの家にそれらしき痕跡がないか確認と思って今日は突撃をしたのだ。もしかしたら涼音さんに用事があるから、岡本さんという人と一緒に過ごそうとしているかもしれない。岡本さんがお兄ちゃんの家に出入りしているなら、歯ブラシとか洋服とか……お兄ちゃん以外の痕跡があるかもしれない。上手く行けば、はち合わせ──そう思ってやって来た。
絶対掴んでやると意気込んだのだが──残念ながらはち合わせもなく、証拠という証拠は岡本さんの家にある事が分かった。
お兄ちゃんの部屋のクローゼットには、綺麗に並んでいたはずの洋服やスーツが歯抜けみたいになっていた。大抵古いものを処分して新しいものを取り込むのだが、一部ごっそりと普段着がなくなっている。しかも私の記憶に新しいスーツ一式がない。一番新しいスーツを処分する理由はないはずだ。
事前に涼音さんに尋ねると、涼音さんの家にはそういったお兄ちゃんの荷物は置いていない話だった。って事は、服は何処に消えているの? どう考えても浮気相手の元にあるでしょ? そうでしょ!
つまり浮気相手の岡本さんの家に絶対に持ち込んでいるって事だよね。まずいわ。岡本さんとの浮気が100パーセント真っ黒って事じゃない。お兄ちゃんの馬鹿、最悪。だって、さっきの言いかけた台詞ってさー……
── これはー味をさっぱりにした岡本に用意しているんだ ──
って、言おうとしたよね?!
何よ「丘の上に吹くそよ風って」妙に長ったらしい料理の名前は~ごまかせてないよ、お兄ちゃん。
そんな岡本さんへの愛がダダ漏れなのがどうしても許せない。許せないけどケーキは美味しい……
私はスンと鼻を啜ってお兄ちゃんの罪深さに落胆していた。
これは、決着をつけるのは早めにしないと本当に涼音さんを傷つけて、取り返しがつかなくなるかもしれない。
私はおでこを冷やすお兄ちゃんの背中を睨みつけた。
きっと来週末はお兄ちゃん涼音さんと会うだろう。そして私の推理が正しければ、涼音さんと会う日に岡本さんと会うはず。そうして日にちを被せてアリバイをごまかしているんだわ!
だって、今日私と会うって事はそういう事だろうし。
「よし! 決めたわ!」
となると、来週末のお兄ちゃんを尾行ね。絶対に岡本さんとの密会を必ず押さえてみせるから。涼音さん、安心してね。お兄ちゃんの浮気は妹の私が必ず止めるから!
私は残りのチーズケーキをパクッと一口で食べて噛みしめながら心に誓った。
先日、倉田と陽菜とで一緒に食べたチーズケーキを再現したくて奮闘中だ。お店で食べた料理を再現するのは今回が初めてではない。俺の隠れた特技だ。お菓子に関しては、ちょっとしたバランスで違うものになってしまう。先に焼いたチーズケーキはようやく二時間の冷蔵を終え試食となった。
一口咀嚼しゆっくりと味わう。鼻から抜けるチーズとレモンの香りは絶品だった。
「美味い。俺って天才? 料理研究家としてやっていけるんじゃね?」
そんな事を思わず呟いてしまう。
自画自賛──いやそんな事はない。それぐらい出来のいいものだった。
料理は物心ついた頃からしていた。共働きの両親、年の離れた妹、そして──世界各地の波に乗る為かかせない事だったけど『料理をやっている、やらなきゃいけない、やらされている』という意識は特別なかった。プロサーファーを目指すからには身体は資本だ。安いコンドミニアムで自炊するのは当たり前で、スタミナをつける為の料理も楽しく出来た。苦手だとか嫌々ならきっと苦痛でしかなかっただろう。
そんな料理が得意という事も家族以外に披露する事はなかったが、倉田と岡本そして俺──この三人で付き合い始めてからはこの特技を存分に活用している。何せ倉田の美味いものを食べたときの顔と言ったら可愛いんだよなぁ~
そして──『金を持っている岡本はグルメなはずだ!』そう思い込んで、打倒(?)岡本という目標を掲げどうやって唸らせようかと再現料理にのめり込んだのに。蓋を開けたら岡本は庶民的……というより食に固執していない男だった。すっかり餌付けしてしまったのは自分だった。
ま、まぁ美味しそうな顔をするからな岡本は。コメントは可愛げがないけどさ。良しとしよう。それよりも! 倉田はこのチーズケーキを食べたら陽菜と一緒に行った店の事を思い出して驚くだろうな。
「……フッ」
考えるだけも可愛い顔をしそうだよな倉田はさ。うっとりとろける顔にバラ色の頬か、いい! 岡本はそうだな──ま、いっか。あいつはどうでもいいし。うん、どうでも──
うーん。岡本は……そうだな。美味いとは言いそうだけどあいつだったこう言いそうかな。
『美味しいですね! いや……そうじゃなくて……くっ! 僕は何を素直に言ってるんだ……悔しい……僕に出来ない事を』
フン! そうだろう、そうだろう。岡本は美味しさに思わず褒めてしまって、その後悔しい顔をして歯ぎしりするんだ。そして──
『……駄目だ。完敗です美味しいですよ……悔しいですけれども。本当にお店で出せますよ多分……腹が立ちますけど。くっ! 屈辱的。何か他に言える事ないかな……あっ! 僕はもっとさっぱりした方が好きですよ。フフッ。さっぱり味は流石に出来ないでしょ?』
とか悔し紛れにいい感じの意見を言ってきそうだよな──くっ、いい事を言うじゃねぇか! そうかさっぱり味か。その方向もいいよな。俺もアリだと思う。
と、(俺の想像である)岡本がそう意見するので、レモンの量を増やして味違いに挑戦となった。
何かこう俺って年下に甘いのかな……妹で散々味わっているって言うのに。長男癖が抜けないって言うか世話を焼いてしまう。軽い付き合いの奴らからは信じられない行動ばかりしてるよな。ま、それも三人で付き合っているからそうなるよなって事で認めるしかないのだろう。
俺は倉田と二人きりの時間を過ごした事で、岡本に対して不思議な感情がある事を認め、自分に対して随分と(これでも)素直になっていた。
よし。このぐらいの方が濃厚なクリームチーズの後さっぱりとした味わいでいいよな。レモンは思った量の二倍入れても問題なさそうだ。そんな事を考えながら材料を混ぜ型に流し込んで我に返る。
「ハッ」
我に返った途端、予熱が完了とのブザーが電子レンジから聞こえた。
つーか俺は何で岡本用の好みのものを開発してんの? 何と戦ってるんだよ。確かに倉田と二人きりで過ごした事で岡本の存在を確かめる事になったとはいえ……こんなに考えてどうするんだよ。あいつ好みのケーキを焼くってさ。ないよマジで。
「全く、認めた途端これだよ。ホント男に振り回されるとか俺的にナイナイナイ」
予熱したオーブンにそっと置いて扉をしめ俺は呟いた。すると背中越しに大きな声が聞こえる。
「ねぇ~何を一人でぶつくさ言ってんのー? ヤバい人みたいだしー」
陽菜がダイナー風に仕上げたカウンターの上に両手をついて台所を覗き込んだ。
そう、今日俺のアパートには十四歳年の離れた妹、陽菜が遊びに来ていた。
しかも陽菜はちゃっかり倉田に連絡を取って、今週末俺が一人で過ごすという情報を先に得ていた。金曜日の夜、突然電話をかけてきて──
『涼音さんは明日、予定があるんだってね! それなら、お兄ちゃんの家に遊びに行ってもいい? だって暇しているでしょ? 久し振りにお兄ちゃんの部屋に行きたいなーって。ねっ? いいよねー? よし。決まり! 明日のお昼過ぎに行くからねー』
陽菜は電話口で一気にまくし立てると、俺の返事も聞かず一方的に電話を切った。
元々予定はなかったからよかったものの陽菜の強引さには言葉も出なかった。何だかんだで年の離れた妹には強く言えないものだと改めて思う。しかし、招き入れたというのに酷い言い草に俺は肩を落とした。
「……一人暮らしが長いと自然と独り言が多くなるんだよ」
痛いところをつかれて思わず口を尖らせ口元を片手で覆った。
確かに独り言多い気がするわ。
倉田と岡本と付き合ってからと言うもの週末は常に一緒に過ごしている。そういえば俺の呟きも、倉田と岡本は素直に反応するもんな。あの二人の前では独り言も全部拾い上げてくれて、会話になっていたんだな。そんな風に変わってしまったんだな俺……久し振りに独りで過ごす週末はそんな僅かな変化に気づかされる。
しみじみと状況を噛みしめていると陽菜がここぞとばかりに畳みかけてくる。
「ふーん……そんなもんなのかなぁ。陽菜も独り部屋の寮生活だけど独り言が多いのかなー? ヤッバー変な人になるから気をつけよっと」
「お前なぁ俺を変な人にするなよ。しかし、今日はえらい毒づいてるな。先週末の倉田の前では猫をかぶっていたのかよ」
やたらと『涼音さんー涼音さんー』と、俺の倉田にベタベタと触れておいて。今日は掌を返したみたいに俺にはこの冷たい態度って、酷い妹だ。
「こんなのさ毒づくのにはいんないよー! お兄ちゃんの変な癖を指摘したのー感謝してよねーっていうかさーまた新しいバージョンでケーキを作ってるのー? もしかしてー陽菜を太らせようとしてる?」
そして改めて二個目のチーズケーキを焼き始めた俺を見て目を丸めている。なので思わず俺は言い返してしまった。
「これは陽菜用のじゃないのーこれはー味をさっぱりにした岡──」
口調を陽菜に真似て軽快に話し出したのがいけなかったのか。思わず「岡本用に用意しているのー」と言おうとしてしまい俺は慌てて言葉を飲み込んだ。
何を言い出そうとしているんだ俺は! 手を上げたまま固まってしまう。
「えっ? 何? 何て言おうとしたの?」
陽菜がパッと表情を変えてカウンターの上から身を乗り出して来た。
「えっ! いや~ほら~アレだ! お、おかー丘の上に吹くそよ風を感じられる味にしたらーもっとパクパク食べられていいんじゃないかなぁと」
出来るだけ陽菜と視線を合わせない為に斜め上を見ながら話す。しかし下手な言い訳で何とも発言した自分が恥ずかしくなってきた。
何だよ。「丘の上に吹くそよ風」って。妙に長ったらしい料理の名前かよ!
少し照れくさくなってぎゅっと瞳を閉じてポーズを取ってみせた。苦し紛れとしか言えないが陽菜は身を乗り出してたカウンターからストンと降りて椅子に座り直した。ダイナー風のカウンターテーブルの向こうでフォークを持ったまま大笑いする。
「何それ。シェフがつける、やたらと長い料理名みたい~フフフ分かってるよー涼音さん用でしょ? 涼音さんさ、凄く痩せてるからもうちょっとぽっちゃりしてほしいもんね~だってあのおっぱいはけしからんし」
「ハハハ……」
どうやら美味くごまかせたみたいだ。
焦ったぜ。岡本なんて名前が出たら一体それは誰だと問い詰められるだろうし、男だと知ったら更に何でそこまでするの? と言われるだろうし……倉田用のだと思って貰えて助かった。
俺はおでこにかいた冷や汗を拭いながら、もう一度陽菜の言葉を反芻した。
ん? 『おっぱいはけしからんし』 って? 今度は俺が尋ねた。
「なぁ陽菜」
「んー?」
陽菜はお皿に載った第一弾のチーズケーキを切り分けフォークに刺していた。すっかり意識は、兄貴の俺じゃなくてチーズケーキに移っていた。
「どうして倉田のおっぱいがけしからん事を知っているんだ?」
「パフパフしたから」
「何、パフパフだとっ?!」
聞き捨てならない事を聞いて思わず身を乗り出そうとしたら、丁度頭上にある棚に勢いよくおでこをぶつけた。
ゴン! という鈍い音に合わせて棚が少し揺れた。
「痛っ!」
俺は目の前に星がいくつか散ったのが見えた。思わずズルズルとキッチンの中にしゃがみ込んでしまう。
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「もーお兄ちゃん、そこは据え置きの棚だから、ダイナー風にする為のDIY出来ないって言ってたじゃん。自分の身長を考えなよーって、めちゃめちゃ美味ひぃ~何ほれ~」
陽菜は恐らく『美味しぃ~何これ~』と発音したと思うが正しく発音出来ていない。チーズケーキを頬張り食べ始めたのだろう。さながらリスが頬袋に餌をため込んでいる様な顔をしているに違いない。
「誰のせいだと……イテテ。あーこりゃたんこぶか?」
俺は何とか立ち上がり、新しい布巾を濡らしておでこを冷やす事にした。
◇◆◇
相変わらずお店の味の再現度がパーフェクトなんですけどぉ~お兄ちゃんってホント器用なんだから。私は心の中でそっと呟いた。
もちろんお兄ちゃんが何の努力もせずしてこの器用さを手に入れたわけじゃない事は知っている。小さい頃からの積み重ねで努力して得たものだ。
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に、してもこのチーズケーキは気合いが入りすぎなんだよね~あっ、ヤダ……凄いトロトロのチーズケーキは何個でも食べられそうでマジでヤバい。私はおでこを冷やすお兄ちゃんの後ろ姿を見ながら、ケーキに舌鼓を打った。
涼音さんは週末用事があってお兄ちゃんと会えないとの事。その情報をメールアプリで受けて早速探りを入れようと私は思った。
「やっぱり一度お兄ちゃんのアパートに行って何かそれらしき痕跡がないか調べなきゃ! うん。まずはそれからよね」
私は学校の寮で大きな独り言を呟いた。幸い独り部屋だ、誰かにこの台詞を聞かれる心配はない。ハッ……しまった、これでは今日のお兄ちゃんと同じじゃないの私。
コホン。とにかく岡本さんという男性同僚と浮気をしている可能性が高いお兄ちゃん。あんなに美人で優しくて、おっぱいパフパフな涼音さんがいるのに! ここは証拠を突きつけて、お兄ちゃんに浮気なんてしない様に言い聞かせなきゃ。そうしないと私の涼音さんが……お兄ちゃんを信じている涼音さんが、悲しむから──と、私は行動を起こす事にした。
まずはお兄ちゃんの家にそれらしき痕跡がないか確認と思って今日は突撃をしたのだ。もしかしたら涼音さんに用事があるから、岡本さんという人と一緒に過ごそうとしているかもしれない。岡本さんがお兄ちゃんの家に出入りしているなら、歯ブラシとか洋服とか……お兄ちゃん以外の痕跡があるかもしれない。上手く行けば、はち合わせ──そう思ってやって来た。
絶対掴んでやると意気込んだのだが──残念ながらはち合わせもなく、証拠という証拠は岡本さんの家にある事が分かった。
お兄ちゃんの部屋のクローゼットには、綺麗に並んでいたはずの洋服やスーツが歯抜けみたいになっていた。大抵古いものを処分して新しいものを取り込むのだが、一部ごっそりと普段着がなくなっている。しかも私の記憶に新しいスーツ一式がない。一番新しいスーツを処分する理由はないはずだ。
事前に涼音さんに尋ねると、涼音さんの家にはそういったお兄ちゃんの荷物は置いていない話だった。って事は、服は何処に消えているの? どう考えても浮気相手の元にあるでしょ? そうでしょ!
つまり浮気相手の岡本さんの家に絶対に持ち込んでいるって事だよね。まずいわ。岡本さんとの浮気が100パーセント真っ黒って事じゃない。お兄ちゃんの馬鹿、最悪。だって、さっきの言いかけた台詞ってさー……
── これはー味をさっぱりにした岡本に用意しているんだ ──
って、言おうとしたよね?!
何よ「丘の上に吹くそよ風って」妙に長ったらしい料理の名前は~ごまかせてないよ、お兄ちゃん。
そんな岡本さんへの愛がダダ漏れなのがどうしても許せない。許せないけどケーキは美味しい……
私はスンと鼻を啜ってお兄ちゃんの罪深さに落胆していた。
これは、決着をつけるのは早めにしないと本当に涼音さんを傷つけて、取り返しがつかなくなるかもしれない。
私はおでこを冷やすお兄ちゃんの背中を睨みつけた。
きっと来週末はお兄ちゃん涼音さんと会うだろう。そして私の推理が正しければ、涼音さんと会う日に岡本さんと会うはず。そうして日にちを被せてアリバイをごまかしているんだわ!
だって、今日私と会うって事はそういう事だろうし。
「よし! 決めたわ!」
となると、来週末のお兄ちゃんを尾行ね。絶対に岡本さんとの密会を必ず押さえてみせるから。涼音さん、安心してね。お兄ちゃんの浮気は妹の私が必ず止めるから!
私は残りのチーズケーキをパクッと一口で食べて噛みしめながら心に誓った。
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包んで、重ねて ~歳の差夫婦の極甘新婚生活~
吉沢 月見
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ひたすら妻を溺愛する夫は50歳の仕事人間の服飾デザイナー、新妻は23歳元モデル。
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