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週の間:岡本と天野
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「ハァ。ここにもない」
岡本 聡司は、空調管理が行き届いた資料室で海より深い溜め息をついた。
薄暗い資料室で一人、黙々と資料を探す。しかし思っていた資料は見つからない。これだけ探しても資料室にないのだから、誰かが持ち出しているのだろう。
しゃがんでいた両膝に手をついて起き上がる。岡本は背は高いのだがこの部屋に置かれている棚はもっと高い。一番上のファイルを取るには、脚立がないと無理だ。岡本はそんな背の高い棚に囲まれた通路で、もう一度小さく溜め息をついた。それからスーツ越しの腰に手を当ててゆっくりと背中を反らせ伸びをする。
岡本は先週末一人で過ごした。倉田と天野と三人で付き合ってから、一人で週末を過ごすのは久し振りだ。もちろんそれぞれ用事があり、個人で過ごす週末は何回かあるのだが、先週末の様に倉田を天野が独り占めしている──という状況は一度もなかった。
自分一人の時間が出来るのはありがたい事だが、虚しい様なぽっかり心に穴が開いた様な気分になった。表現しにくい感情で、こんな気持ちは人生で初めてだ。
それぞれの家族に恋人がいると報告する為に、こんな事になっていると理解している。一般的な家族に『三人で恋人なのだ』という事実を、受け入れて貰うにはハードルが高い。
「僕の家族は比較的恋愛に自由奔放だからなぁ」
あんまり気にしないと思うんですけどね。
僕の姉は四回の離婚ですよ。後、天野さんと倉田さんに言いませんでしたけど、両親も似た様なものですし。
それを考えると、天野さんの家族は三人の恋人っていう話は難しいでしょうね。だって普通だし。今回会うのは妹さん、女子高校生との事ですし。いくら天野さんが女性をとっかえひっかえだったとしても、三人が同時に付き合うという事実を知らされたら混乱するだけでしょう。そうなると僕の家族への紹介より、天野さんの家族への紹介がハードルが上がる。上がるという事はその分慎重になり、僕の時より親密なフリをするかもしれない。
先んじる天野さんなので、紹介する機会を先に譲ったんですけどね。まさかあんな言葉が返ってくるとは。
『後攻を自ら選ぶなんて変なヤツ。こんなのは先手必勝だぜ』
天野さんの少し垂れた瞳が強い意志を持っていた。嫌ですよねーこれだから顔のイイ自信家ってのは。
「……フン」
あの台詞を言い放った天野さんのしてやったりの顔を思い出し再び腹が立った。だから鼻で一蹴してみる。
先手必勝って何ですか。こういうのはね、先とか後とか関係ないんですよ。むしろ後の方が印象が残って有利に決まってるんです。とにかく今週末は僕のターンですから!
僕は誰もいない資料室で、背中を反ったまま両手を上げガッツポーズを決める。そのポーズで固まる事数秒。ゆっくりとポーズを解くと右側の本棚に身体を預けて背中を丸めた。
「だから僕のターンなんですよ。ハァ」
再び大きな溜め息を零す。
そうだ僕のターンなんだから。だからこんなに溜め息をつく必要ないはずなのに。気分は晴れない。晴れないどころか、黒々とした炎が身体の奥で籠もる。
天野さんは天野さんで進めるだけだし。女子高校生の妹さんとの関係だって、倉田さんを紹介する事でどうなるか分からないし。いや、いや、いや。そこは上手くいって貰わないと。今後三人で過ごす日々のバランスが崩れて──って。バランスが崩れるのなら、それはそれでいいじゃないか。僕からすればラッキーって事で。
でも、やっぱり天野さんは天野さんとして存在して貰わないと、刺激が半減してしまうって──
「っっ~ああ~もう! どっちなんだよ!」
僕は頭の髪の毛をぐちゃぐちゃと両手で掻きむしる。
半減って何だ。天野さんは天野さんとして存在して貰わないとって何だ!
とにかくDVDを勝手に盗み見る、僕の持ち物を勝手にあさる天野さんは許せません! そうだ、そうだ! 抜け駆けをしようとする天野さんなんて、倉田さんに呆れられてしまえばいいんですよ。お灸ですよお灸。
倉田さんは三人で過ごす事を選んでくれるはず。そう! 三人でいたいと思っているはずです。男性二人と同時に付き合うだけの感情を持っている事を悩んでいたけど、その気持ちを解き放って一緒にいるんです。
天野さん、倉田さん、そして必ずそこには僕がいるはです。
……何を力説しているんですかね、僕。自信があったはずなのに……一人になったら考えてしまうんですよ。
天野さんは手を伸ばすと倉田さんの手を取る。
二人は歩きながら互いを見つめる。
幸せそうに笑う天野さん。とびきりの笑顔の倉田さん。
二人は夜の町に消え、こぢんまりとした部屋で佇む。
天野さんが倉田さんを抱きしめる。
会話は二人にしか聞こえない。そう、僕には聞こえない。
天野さんのキスを受け入れる倉田さん。
ああ……天野さんは二人きりだと、どんな風に倉田さんを抱くのかな。そして倉田さんはどんな風な顔を見せるのかな。
天野さんが快楽で顔をゆがめると、猛烈に男の色気に当てられた感じになるし、倉田さんもグズグズに溶けたとろける微笑みを返して──
そこには僕が存在しなくてもいい。そう、最初から存在する必要がなかったと考えてしまう。想像なのに。
「こういうの何て言うのかな。ああ、そうだ……」
寝取られ──って言うのかな。その言葉がポツンと浮かんで虚しさが増す。そんなはずはない。全部僕の思い込みで悪い想像だ。
今日だって天野さんはいつも通り「おはよう」と声をかけてくれた。倉田さんとはまだ会えてないけれども、いつもと変わらないはず。
なのに考えれば考えるほど、僕の身体が熱くなるのは何故だろう。心の奥底で煮えたぎる感覚は嫉妬だと思う。嫉妬と落胆と悲しみ。最後には諦めの気持ちが込み上げてきてひたすら虚しい。虚しいのに──僕の身体は何故か熱くなってはけ口を探し始める。
「まずいっっっ~」
天野さんと倉田さんのセックスを想像すると勃起してくるのだ。
馬鹿だろこんな反応。僕って自分の好きな女性が別の男性に抱かれる場面を想像して、興奮する変態って事なのか?
いや、いや、いや。天野さんといつも一緒にセックスするし。勃起するのは別に変じゃない。変じゃないけど今の想像はそう事ではなくて……
ハッ!
もしかして僕は元々そんな気質だったのか? その場に僕がいないのに、想像しておっ勃てるとか。いや違う。これは、相手が天野さんだからこそ、こんな事になるのかも。
考えれば考えるほど倉田さんのあられもない姿がちらつき、ズボンの前をキツく張ってしまう。だから、腰を曲げ股間を隠すポーズを取った。
その時だった。
「何してんだ。腹が痛いのか?」
天野さんの声が聞こえて思わず情けない悲鳴を上げた。
◇◆◇
返却するファイルを持ち、資料室の扉を開ける。部屋は薄暗いのに人の気配がする。先客の気配は一人……だ。後ろ手で資料室の重たいドアをゆっくりと閉める。ほったらかしにすると通路に響くほどの大きな音を立てて閉まるからだ。
誰だよ、最低限まで光量を落とした部屋で資料を探す奴は。ファイルの背表紙見えてんのか? そう思ったが、嗅ぎ慣れた香水の香りに思わず眉間に皺を寄せる。
「岡本かよ。ったく電気つけろよな」
口の中だけでもごもごと呟き香水の主を探しつつ、資料を棚に戻す為薄暗い通路を歩き出す。
岡本は見た目が高校生みたいに爽やかなのに、妙に陰と言うか鬱に傾く時があるしな。倉田に似ている女優が出ているというAVのDVDを大事に持っているなんて、まさにそれだよな……うん。あんなところに隠していたとはな。掃除と整理がてら見つけたから俺も見たけど。確かにアレはちょっと似てたかも。そうじゃなくて! 岡本っていかにも物や人に執着しません~シンプルイズベストみたいな顔をしておきながら、しつこくてねちっこいもんな。あの執着具合は凄いよな。まるで初めての相手に必死になっている感じ……
俺にはあの必死さと言うか、飛び抜けた初々しさはもうない。そもそも岡本の初恋っても倉田が初めてなんだろう。
岡本のわけの分からない付き合い方、女性遍歴を聞けば初恋は初めてだろうという考えにたどり着く。俺も女性に対して誠実だったとは言えないけれども、恋愛という名がつく関係は何人かと過ごす事があった。
俺は通り過ぎてしまった感情を、岡本は倉田に対して人生初めて持っていると思う。倉田を想う気持ちを比べる事自体ナンセンスだと思う。三人で付き合うと決めた今、勝ち負けが関係ないと分かってはいるのに、甘酸っぱい気持ちのぶつけ方をする岡本には、何処か勝てないと感じてしまう。
だから余計嫉妬するんだよな。って、そんな嫉妬に振り回される俺も捨てたもんじゃないな。
先週末の倉田と二人きりの時間。恋人である事は確かだけど、二人っていうのは俺と倉田にとっては新鮮な出来事だった。だけど倉田から岡本の話がちらつくと胸の奥でじりじりと焦げていく黒いものが膨らんでくる。
普段の恋愛だったらそんなに感じる事のない気持ち──嫉妬だ。
そのせいで思わず倉田に無理を強いてしまった。何と格好悪い事か。でも倉田が優しく受け止めてくれたおかげでその気持ちが丸く溶けていくのが分かった。
嫉妬とは一つの原動力だ。
陰にも陽にも切り替わるもの。その切り替えは容易ではない。陰に塗りつぶされた気持ちは、簡単に払拭する事は出来ない。それを倉田がいとも簡単に陰から陽に変えてくれた。
そして改めて思う。そんな風に変えてくれる倉田も愛しいし、昔の甘酸っぱい忘れかけていた気持ちに揺さぶりをかけてくれる岡本も、いてくれてよかったと──そこまで考えて、俺は足を止め舌打ちをする。
「チッ。いてくれてよかったって何だよ。腹が立つんだよなぁ」
結局、岡本に感謝(?)して認めている自分がいるのだ。
岡本は倉田との関係の中に存在している必要な人間。これが三人でいる俺の結論ってやつだ。分かってはいるがこれを素直に認めて口にするのも癪だ。
大体、そんな事を伝えたら『ドヤ顔』するよな岡本の奴。うわぁ~あいつのそんな顔……ムカつくだけだよな。
ムカつくから一生、言わないでおこう。生活力がない財力だけの男、岡本は何処か拗らせ方も半端ないからな。
しっかし、岡本の奴は何で電気をつけないんだよ! おっと、蹴躓いたじゃねぇか。
資料を戻す棚の通路に差し掛かった時、長身の男のシルエットが浮かび上がる。岡本だ。岡本は俺に背中を向け、その長身を棚にも垂れかけていた。いつも背筋をピンと伸ばして姿勢がいいのに、何故か長身を曲げへっぴり腰になっていた。
だから思わず俺は部屋の薄暗さとは相反するボリュームで声をかけた。
「何してんだ。腹が痛いのか?」
すると、岡本は俺の声を聞いて情けない悲鳴を上げた。
◇◆◇
「ヒィア!」
岡本は曲げていた腰を思わずピンと伸ばし、勢いよく後ろを振り返り一歩後ろに下がった。岡本の悲鳴と言うよりもほとんど奇声に、天野も思わずファイルを抱えたまま一歩後ろに仰け反った。
薄暗い資料室の中で社内でも人気の二人。背の高い男二人はお互いの顔を見合ってから、同じタイミングで溜め息をついた。それから溜め息のタイミングが合った事に、お互いが不満を持ち直ぐに睨み合う。
最初に口を開いたのは天野だ。
「驚くだろ変な声を上げやがって。耳がおかしくなるだろ」
耳がおかしくなる等と言われるのは心外だと岡本も答える。
「変な声も出ますよ。だってこの部屋の薄暗さを考えてくださいよ」
奇声が出たのは天野のせいだと言われ、思わず眉間に皺を寄せる。
「ハァ~? 馬鹿なの? 薄暗くしていたのは岡本だろ。電気のボタン位置を知らないのかよ」
「位置は知っていますよ。直ぐに出るつもりだったから暗くしたままにしていたんです」
「で? そんな暗い資料室で何してんの」
「資料を探してるんです。資料室なんですから」
「そんなの分かっとるわ」
子供か! そう思って天野は持ってきた資料を元の位置に片付け始める。するとその資料を見た岡本が目を丸め指を差した。
「それですよ、僕が探していた資料は。天野さんが持ち出していたなんて。探してもないはずですよ」
そう言いながら岡本は片手を腰に当て、もう片手を資料室の棚に添える。
奇声から一転、岡本のガッカリした声に思わず天野は吹き出しそうになった。そういえば資料の事を共有しておけばよかったと思いながら、岡本に振り向いた。
「何だ岡本が探していたのこれだったのか? 悪かったな、この資料はまとめといたから──」
天野は隣の岡本に振り向きながら軽く笑った。笑いながら何気に岡本の頭の先から視線を下ろし、口を開けたまま固まってしまった。
岡本は会社でトラウザーズの前でテントを張っていた。
「何です? 変な顔し──!!!」
口を開けたままの天野の視線を追いかけて岡本も視線を移す。そして、慌てて自分の股間をぎゅっと押さえた。
「コッ、コッ、コッ、これは違うんです!」
岡本は慌てて天野に背を向けて再びへっぴり腰になって首を左右に激しく振る。いつかこの場所で聞いた台詞、ニワトリみたいな返しになっている。その背中を見ながら、天野は口の端を震わせ小さな声で呟いた。
「お前さ資料室で『直ぐに出るつもりだった』って言ったけど、まさか……」
「出るつもり? ハッ! 当たり前ですよっ、アレを『出すつもりだった』とかじゃないですよ!」
岡本は顔を真っ赤にして振り向き小さな声で力強く叫んだ。
「誰がそんな上手い返事をしろって言ったんだよ」
何で勃ってんの? 男性の生理現状だから仕方ないとはいえ、天野が笑いが込み上げてきた。
普通ならおっ勃てた男が振り向けば気持ち悪い。しかし相手は岡本だ。見慣れている上に、いつもなら堂々としているはずなのにへっぴり腰で格好がつかない姿。格好がつかない姿に笑いが込み上げてくる。声を出して笑うわけにもいかず口を押さえて何とか堪える。
そんな天野の震える姿を見て岡本は耳まで顔を赤くした。素っ裸を見られるより倉田さんとしているところ見られるより恥ずかしい。
「クッ……こんな姿をよりにもよって天野さんなんかに見つかるとか屈辱的」
つい先程、天野さんと倉田さんの二人抱き合う姿を想像して勃起してました──等と岡本は口が裂けても言えるはずもなく。それにしても焦れば焦るほど落ち着かない。
「むしろ俺でよかっただろ」
天野はそんな岡本の背中に近づきゆっくりと擦った。もちろん笑いながら。
何でそうなってしまったのかは聞かない事にする。岡本は岡本なりに何か想像か考え事をしてそうなったのだろう。天野は自分の事も振り返りそう考えた。しかし口にまでは出して指摘する事はしなかった。
「ううっ、そうですけど」
言われてみれば他の社員だったらとんだ変態扱いになるところだ。岡本は溜め息をついて落ち着くまで天野に背中を擦って貰った。
「……とんだ厄日ですよ。もう」
岡本のぽつりと呟いた一言に天野は笑いながらポンポンと背中を叩いて元気づけていた。
その後、表現しがたい雰囲気で資料室から出て来た天野と岡本に……少しだけ、一部の女性社員の間で微妙な噂が立ったとか立たなかったとか。
岡本 聡司は、空調管理が行き届いた資料室で海より深い溜め息をついた。
薄暗い資料室で一人、黙々と資料を探す。しかし思っていた資料は見つからない。これだけ探しても資料室にないのだから、誰かが持ち出しているのだろう。
しゃがんでいた両膝に手をついて起き上がる。岡本は背は高いのだがこの部屋に置かれている棚はもっと高い。一番上のファイルを取るには、脚立がないと無理だ。岡本はそんな背の高い棚に囲まれた通路で、もう一度小さく溜め息をついた。それからスーツ越しの腰に手を当ててゆっくりと背中を反らせ伸びをする。
岡本は先週末一人で過ごした。倉田と天野と三人で付き合ってから、一人で週末を過ごすのは久し振りだ。もちろんそれぞれ用事があり、個人で過ごす週末は何回かあるのだが、先週末の様に倉田を天野が独り占めしている──という状況は一度もなかった。
自分一人の時間が出来るのはありがたい事だが、虚しい様なぽっかり心に穴が開いた様な気分になった。表現しにくい感情で、こんな気持ちは人生で初めてだ。
それぞれの家族に恋人がいると報告する為に、こんな事になっていると理解している。一般的な家族に『三人で恋人なのだ』という事実を、受け入れて貰うにはハードルが高い。
「僕の家族は比較的恋愛に自由奔放だからなぁ」
あんまり気にしないと思うんですけどね。
僕の姉は四回の離婚ですよ。後、天野さんと倉田さんに言いませんでしたけど、両親も似た様なものですし。
それを考えると、天野さんの家族は三人の恋人っていう話は難しいでしょうね。だって普通だし。今回会うのは妹さん、女子高校生との事ですし。いくら天野さんが女性をとっかえひっかえだったとしても、三人が同時に付き合うという事実を知らされたら混乱するだけでしょう。そうなると僕の家族への紹介より、天野さんの家族への紹介がハードルが上がる。上がるという事はその分慎重になり、僕の時より親密なフリをするかもしれない。
先んじる天野さんなので、紹介する機会を先に譲ったんですけどね。まさかあんな言葉が返ってくるとは。
『後攻を自ら選ぶなんて変なヤツ。こんなのは先手必勝だぜ』
天野さんの少し垂れた瞳が強い意志を持っていた。嫌ですよねーこれだから顔のイイ自信家ってのは。
「……フン」
あの台詞を言い放った天野さんのしてやったりの顔を思い出し再び腹が立った。だから鼻で一蹴してみる。
先手必勝って何ですか。こういうのはね、先とか後とか関係ないんですよ。むしろ後の方が印象が残って有利に決まってるんです。とにかく今週末は僕のターンですから!
僕は誰もいない資料室で、背中を反ったまま両手を上げガッツポーズを決める。そのポーズで固まる事数秒。ゆっくりとポーズを解くと右側の本棚に身体を預けて背中を丸めた。
「だから僕のターンなんですよ。ハァ」
再び大きな溜め息を零す。
そうだ僕のターンなんだから。だからこんなに溜め息をつく必要ないはずなのに。気分は晴れない。晴れないどころか、黒々とした炎が身体の奥で籠もる。
天野さんは天野さんで進めるだけだし。女子高校生の妹さんとの関係だって、倉田さんを紹介する事でどうなるか分からないし。いや、いや、いや。そこは上手くいって貰わないと。今後三人で過ごす日々のバランスが崩れて──って。バランスが崩れるのなら、それはそれでいいじゃないか。僕からすればラッキーって事で。
でも、やっぱり天野さんは天野さんとして存在して貰わないと、刺激が半減してしまうって──
「っっ~ああ~もう! どっちなんだよ!」
僕は頭の髪の毛をぐちゃぐちゃと両手で掻きむしる。
半減って何だ。天野さんは天野さんとして存在して貰わないとって何だ!
とにかくDVDを勝手に盗み見る、僕の持ち物を勝手にあさる天野さんは許せません! そうだ、そうだ! 抜け駆けをしようとする天野さんなんて、倉田さんに呆れられてしまえばいいんですよ。お灸ですよお灸。
倉田さんは三人で過ごす事を選んでくれるはず。そう! 三人でいたいと思っているはずです。男性二人と同時に付き合うだけの感情を持っている事を悩んでいたけど、その気持ちを解き放って一緒にいるんです。
天野さん、倉田さん、そして必ずそこには僕がいるはです。
……何を力説しているんですかね、僕。自信があったはずなのに……一人になったら考えてしまうんですよ。
天野さんは手を伸ばすと倉田さんの手を取る。
二人は歩きながら互いを見つめる。
幸せそうに笑う天野さん。とびきりの笑顔の倉田さん。
二人は夜の町に消え、こぢんまりとした部屋で佇む。
天野さんが倉田さんを抱きしめる。
会話は二人にしか聞こえない。そう、僕には聞こえない。
天野さんのキスを受け入れる倉田さん。
ああ……天野さんは二人きりだと、どんな風に倉田さんを抱くのかな。そして倉田さんはどんな風な顔を見せるのかな。
天野さんが快楽で顔をゆがめると、猛烈に男の色気に当てられた感じになるし、倉田さんもグズグズに溶けたとろける微笑みを返して──
そこには僕が存在しなくてもいい。そう、最初から存在する必要がなかったと考えてしまう。想像なのに。
「こういうの何て言うのかな。ああ、そうだ……」
寝取られ──って言うのかな。その言葉がポツンと浮かんで虚しさが増す。そんなはずはない。全部僕の思い込みで悪い想像だ。
今日だって天野さんはいつも通り「おはよう」と声をかけてくれた。倉田さんとはまだ会えてないけれども、いつもと変わらないはず。
なのに考えれば考えるほど、僕の身体が熱くなるのは何故だろう。心の奥底で煮えたぎる感覚は嫉妬だと思う。嫉妬と落胆と悲しみ。最後には諦めの気持ちが込み上げてきてひたすら虚しい。虚しいのに──僕の身体は何故か熱くなってはけ口を探し始める。
「まずいっっっ~」
天野さんと倉田さんのセックスを想像すると勃起してくるのだ。
馬鹿だろこんな反応。僕って自分の好きな女性が別の男性に抱かれる場面を想像して、興奮する変態って事なのか?
いや、いや、いや。天野さんといつも一緒にセックスするし。勃起するのは別に変じゃない。変じゃないけど今の想像はそう事ではなくて……
ハッ!
もしかして僕は元々そんな気質だったのか? その場に僕がいないのに、想像しておっ勃てるとか。いや違う。これは、相手が天野さんだからこそ、こんな事になるのかも。
考えれば考えるほど倉田さんのあられもない姿がちらつき、ズボンの前をキツく張ってしまう。だから、腰を曲げ股間を隠すポーズを取った。
その時だった。
「何してんだ。腹が痛いのか?」
天野さんの声が聞こえて思わず情けない悲鳴を上げた。
◇◆◇
返却するファイルを持ち、資料室の扉を開ける。部屋は薄暗いのに人の気配がする。先客の気配は一人……だ。後ろ手で資料室の重たいドアをゆっくりと閉める。ほったらかしにすると通路に響くほどの大きな音を立てて閉まるからだ。
誰だよ、最低限まで光量を落とした部屋で資料を探す奴は。ファイルの背表紙見えてんのか? そう思ったが、嗅ぎ慣れた香水の香りに思わず眉間に皺を寄せる。
「岡本かよ。ったく電気つけろよな」
口の中だけでもごもごと呟き香水の主を探しつつ、資料を棚に戻す為薄暗い通路を歩き出す。
岡本は見た目が高校生みたいに爽やかなのに、妙に陰と言うか鬱に傾く時があるしな。倉田に似ている女優が出ているというAVのDVDを大事に持っているなんて、まさにそれだよな……うん。あんなところに隠していたとはな。掃除と整理がてら見つけたから俺も見たけど。確かにアレはちょっと似てたかも。そうじゃなくて! 岡本っていかにも物や人に執着しません~シンプルイズベストみたいな顔をしておきながら、しつこくてねちっこいもんな。あの執着具合は凄いよな。まるで初めての相手に必死になっている感じ……
俺にはあの必死さと言うか、飛び抜けた初々しさはもうない。そもそも岡本の初恋っても倉田が初めてなんだろう。
岡本のわけの分からない付き合い方、女性遍歴を聞けば初恋は初めてだろうという考えにたどり着く。俺も女性に対して誠実だったとは言えないけれども、恋愛という名がつく関係は何人かと過ごす事があった。
俺は通り過ぎてしまった感情を、岡本は倉田に対して人生初めて持っていると思う。倉田を想う気持ちを比べる事自体ナンセンスだと思う。三人で付き合うと決めた今、勝ち負けが関係ないと分かってはいるのに、甘酸っぱい気持ちのぶつけ方をする岡本には、何処か勝てないと感じてしまう。
だから余計嫉妬するんだよな。って、そんな嫉妬に振り回される俺も捨てたもんじゃないな。
先週末の倉田と二人きりの時間。恋人である事は確かだけど、二人っていうのは俺と倉田にとっては新鮮な出来事だった。だけど倉田から岡本の話がちらつくと胸の奥でじりじりと焦げていく黒いものが膨らんでくる。
普段の恋愛だったらそんなに感じる事のない気持ち──嫉妬だ。
そのせいで思わず倉田に無理を強いてしまった。何と格好悪い事か。でも倉田が優しく受け止めてくれたおかげでその気持ちが丸く溶けていくのが分かった。
嫉妬とは一つの原動力だ。
陰にも陽にも切り替わるもの。その切り替えは容易ではない。陰に塗りつぶされた気持ちは、簡単に払拭する事は出来ない。それを倉田がいとも簡単に陰から陽に変えてくれた。
そして改めて思う。そんな風に変えてくれる倉田も愛しいし、昔の甘酸っぱい忘れかけていた気持ちに揺さぶりをかけてくれる岡本も、いてくれてよかったと──そこまで考えて、俺は足を止め舌打ちをする。
「チッ。いてくれてよかったって何だよ。腹が立つんだよなぁ」
結局、岡本に感謝(?)して認めている自分がいるのだ。
岡本は倉田との関係の中に存在している必要な人間。これが三人でいる俺の結論ってやつだ。分かってはいるがこれを素直に認めて口にするのも癪だ。
大体、そんな事を伝えたら『ドヤ顔』するよな岡本の奴。うわぁ~あいつのそんな顔……ムカつくだけだよな。
ムカつくから一生、言わないでおこう。生活力がない財力だけの男、岡本は何処か拗らせ方も半端ないからな。
しっかし、岡本の奴は何で電気をつけないんだよ! おっと、蹴躓いたじゃねぇか。
資料を戻す棚の通路に差し掛かった時、長身の男のシルエットが浮かび上がる。岡本だ。岡本は俺に背中を向け、その長身を棚にも垂れかけていた。いつも背筋をピンと伸ばして姿勢がいいのに、何故か長身を曲げへっぴり腰になっていた。
だから思わず俺は部屋の薄暗さとは相反するボリュームで声をかけた。
「何してんだ。腹が痛いのか?」
すると、岡本は俺の声を聞いて情けない悲鳴を上げた。
◇◆◇
「ヒィア!」
岡本は曲げていた腰を思わずピンと伸ばし、勢いよく後ろを振り返り一歩後ろに下がった。岡本の悲鳴と言うよりもほとんど奇声に、天野も思わずファイルを抱えたまま一歩後ろに仰け反った。
薄暗い資料室の中で社内でも人気の二人。背の高い男二人はお互いの顔を見合ってから、同じタイミングで溜め息をついた。それから溜め息のタイミングが合った事に、お互いが不満を持ち直ぐに睨み合う。
最初に口を開いたのは天野だ。
「驚くだろ変な声を上げやがって。耳がおかしくなるだろ」
耳がおかしくなる等と言われるのは心外だと岡本も答える。
「変な声も出ますよ。だってこの部屋の薄暗さを考えてくださいよ」
奇声が出たのは天野のせいだと言われ、思わず眉間に皺を寄せる。
「ハァ~? 馬鹿なの? 薄暗くしていたのは岡本だろ。電気のボタン位置を知らないのかよ」
「位置は知っていますよ。直ぐに出るつもりだったから暗くしたままにしていたんです」
「で? そんな暗い資料室で何してんの」
「資料を探してるんです。資料室なんですから」
「そんなの分かっとるわ」
子供か! そう思って天野は持ってきた資料を元の位置に片付け始める。するとその資料を見た岡本が目を丸め指を差した。
「それですよ、僕が探していた資料は。天野さんが持ち出していたなんて。探してもないはずですよ」
そう言いながら岡本は片手を腰に当て、もう片手を資料室の棚に添える。
奇声から一転、岡本のガッカリした声に思わず天野は吹き出しそうになった。そういえば資料の事を共有しておけばよかったと思いながら、岡本に振り向いた。
「何だ岡本が探していたのこれだったのか? 悪かったな、この資料はまとめといたから──」
天野は隣の岡本に振り向きながら軽く笑った。笑いながら何気に岡本の頭の先から視線を下ろし、口を開けたまま固まってしまった。
岡本は会社でトラウザーズの前でテントを張っていた。
「何です? 変な顔し──!!!」
口を開けたままの天野の視線を追いかけて岡本も視線を移す。そして、慌てて自分の股間をぎゅっと押さえた。
「コッ、コッ、コッ、これは違うんです!」
岡本は慌てて天野に背を向けて再びへっぴり腰になって首を左右に激しく振る。いつかこの場所で聞いた台詞、ニワトリみたいな返しになっている。その背中を見ながら、天野は口の端を震わせ小さな声で呟いた。
「お前さ資料室で『直ぐに出るつもりだった』って言ったけど、まさか……」
「出るつもり? ハッ! 当たり前ですよっ、アレを『出すつもりだった』とかじゃないですよ!」
岡本は顔を真っ赤にして振り向き小さな声で力強く叫んだ。
「誰がそんな上手い返事をしろって言ったんだよ」
何で勃ってんの? 男性の生理現状だから仕方ないとはいえ、天野が笑いが込み上げてきた。
普通ならおっ勃てた男が振り向けば気持ち悪い。しかし相手は岡本だ。見慣れている上に、いつもなら堂々としているはずなのにへっぴり腰で格好がつかない姿。格好がつかない姿に笑いが込み上げてくる。声を出して笑うわけにもいかず口を押さえて何とか堪える。
そんな天野の震える姿を見て岡本は耳まで顔を赤くした。素っ裸を見られるより倉田さんとしているところ見られるより恥ずかしい。
「クッ……こんな姿をよりにもよって天野さんなんかに見つかるとか屈辱的」
つい先程、天野さんと倉田さんの二人抱き合う姿を想像して勃起してました──等と岡本は口が裂けても言えるはずもなく。それにしても焦れば焦るほど落ち着かない。
「むしろ俺でよかっただろ」
天野はそんな岡本の背中に近づきゆっくりと擦った。もちろん笑いながら。
何でそうなってしまったのかは聞かない事にする。岡本は岡本なりに何か想像か考え事をしてそうなったのだろう。天野は自分の事も振り返りそう考えた。しかし口にまでは出して指摘する事はしなかった。
「ううっ、そうですけど」
言われてみれば他の社員だったらとんだ変態扱いになるところだ。岡本は溜め息をついて落ち着くまで天野に背中を擦って貰った。
「……とんだ厄日ですよ。もう」
岡本のぽつりと呟いた一言に天野は笑いながらポンポンと背中を叩いて元気づけていた。
その後、表現しがたい雰囲気で資料室から出て来た天野と岡本に……少しだけ、一部の女性社員の間で微妙な噂が立ったとか立たなかったとか。
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そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
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※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
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