人斬り黄金伝

伊賀谷

文字の大きさ
上 下
1 / 9

猿ヶ辻異聞

しおりを挟む
「この刀に見覚えはござらぬか」

 田中新兵衛たなかしんべえは顔を上げて刀に目をやった。
 文久三年(一八六三)五月二十六日。京都町奉行所の座敷で、新兵衛は町奉行永井主水正ながいもんどのかみ訊問じんもんを受けていた。
 薩摩さつま藩士である新兵衛をお白洲しらすに座らせるわけにはいかない、ということもあり、座敷での訊問が行われている。
 去る五月二十日の深夜、公家くげ姉小路公知あねがこうじきんとも朝議ちょうぎの終わった帰路、猿ヶ辻さるがつじのあたりで何者かに暗殺された。公知を斬った者は逃げて行った。
 主水正が掲げる刀は公知が斬られた場所に落ちていたという。
 新兵衛は横に座している男に目を向けた。その男は凝然《ぎょうぜん》と刀を見ていたが、ゆっくりと主水正の前に膝行しっこうして刀を手に取る。男は手にしたものをまたしばらく眺めた。志士たちが愛用する反りが少ない長寸の打刀うちがたなであった。

「志々目どの。その刀はそなたのものに相違ござらぬか。山城信国やましろのぶくにでござろうな」

 永井の問いを受けて志々目献吉ししめけんきちはがくりと首をうな垂れた。どうやら姉小路公知暗殺の犯人は志々目で間違いなかろう。
 新兵衛は膝立ちになって志々目の肩を叩いた。

「人斬りってのは因果じゃのう。同情するぜ」

 町奉行の役人たちが捕らえようと近づいてきた時、志々目は甲高い叫び声と共に立ち上がり山城信国を抜刀した。

「と、捕らえよ」

 主水正が上ずった声を上げたが、役人たちはおののいて退く。

「ご免――」

 新兵衛が膝立ちのまま抜き打ちで背後から志々目の胴を薙いだ。
 噴出した血が畳を叩く。志々目は濡れた音を立てて倒れた。
 血飛沫を浴びた主水正は尻もちをついた姿で目を見開いていた。

「人斬り新兵衛――」

 誰からともなく声があがった。
 深紅に染まった部屋は時が止まったかのように誰一人として動かない。ただ一人、田中新兵衛――人斬り新兵衛だけが部屋から出て行った。

◇◆◇◆◇

 偉丈夫というべき体格の新兵衛が京の町を歩いていた。夏の太陽が赤銅色しゃくどういろの筋肉に光る。
 新兵衛は薩摩藩士であるが、末席に名を連ねる程度であった。天誅てんちゅうの用命があれば金を取って人を斬る。薩摩藩からすれば都合の良い役回りであるため、自由な行動が許されている。というより、人斬り新兵衛の異名に恐れをなして近づく者がいないというのが本当のところだ。
 新兵衛が料理屋に入ると、外の蝉の鳴き声が遠くなった。
 奥の縁台に背を丸めるように座る武士がいる。
 近づいて銭の音がする袋を武士の傍に置く。

「以蔵、ようやった」

 声をかけたら、男は料理をつついていた手を止めて顔を上げた。
 岡田以蔵おかだいぞう。土佐藩士であるが、近頃藩から出奔していた。
 京では泣く子も黙る尊王攘夷そんのうじょうい派の中心的集団、土佐勤皇党とさきんのうとう。その領袖が武市半平太たけちはんぺいたという男。以蔵は武市の弟子であり、武市の命ずるがままに天誅を行ってきた。いつしか人斬り以蔵と呼ばれるようになっていた。
 どうやら以蔵と武市の仲がこれまでのように良好ではなくなったらしい。
 以蔵には人を斬る天性の才がある。武市の喜ぶ顔を見たさに、刀を振るいまくった。度を過ぎるまでに。武市は以蔵のことが手に負えなくなった。
 実のところ新兵衛の責任もあった。天誅で金を稼ぐためには、以蔵の剣は捨てがたいものがある。いつしか二人は相棒となって金を稼ぐようになっていた。それが武市の目には以蔵の暴走と映ったのだろう。
 以蔵は新兵衛と目が合うとすぐに視線を逸らせた。以蔵は大人しく人見知りである。しかし、誰かに従っていないと身動きできない性分のようであった。すなわち武市の弟子となることであり、新兵衛の相棒でいることである。

「おまえの取り分じゃ。姉小路公知は大物じゃったな」

 新兵衛は腰から刀を外した。奥和泉守忠重おくいずみのかみただしげの作。鮫の黒塗の柄が手垢に黒光りしていた。
 袋を手に取って中の金を覗いている以蔵の向かいに、新兵衛は腰をかけた。

「わしが姉小路公知を斬った場所に、おまえが盗んだ志々目の刀を置いてくれたおかげじゃ」

 新兵衛は以蔵の肩を叩きながら笑った。以蔵も俯きながら笑みを浮かべていた。

「あいつは人斬りの商売敵じゃったからのう」
「おれは新兵衛さんが言ったとおりにやっただけだから」
「ああ。大金もいただいて商売敵も斬った。一石二鳥じゃったな」

 新兵衛は以蔵の料理を指でつまんで口に運ぶ。
 二人の座る縁台をいくつかの影法師が覆った。
 新兵衛はゆっくりと顔を上げる。顔に汗を光らせた凶暴な目つきの男たちがこちらを睨んでいた。

「鵜木さん何用だい」

 鵜木孫兵衛うのきまごべえは一緒に店に入ってきた三人の男たちに目をやってから、新兵衛に向けて薄っすらと笑みを浮かべた。

「田中。きさま志々目さんを斬りおったな」
「志々目どのが乱心したゆえ、町奉行さまのお許しを以て斬っただけじゃ」
「ふざけるな!」

 鵜木と男たちが抜刀した。店の中で悲鳴が上がる。
 同時に以蔵が鞘の先端のこじりを男たちの一人の足の甲に叩き落とした。
 声にならない悲鳴を上げて男がうずくまる。
 その隙をついて俊敏な動きで以蔵は店の外に駆け出した。

「待て!」

 男たちが以蔵を追うと、店の中には新兵衛と鵜木の二人だけになった。
 新兵衛は口に含んだ茶をつかに勢いよく吹きかけてから刀を抜く。
 鵜木が左肘を体につけて上段に構えた。薩摩藩士が使う示現流じげんりゅう蜻蛉とんぼの構えである。
 新兵衛も同じように蜻蛉の構えを取ったが、肘は曲げずに伸ばしている。こちらは薩摩の下級武士たちが使う野太刀自顕流のだちじげんりゅうであった。

「田中。なぜ同じ薩摩藩士で斬り合うか」
「薩摩藩など関係ない。剣が強ければ、人を斬ればいくらでも金が手に入る。わしは京で大金を手に入れるんじゃ」
「この人斬りが」

 向かい合ったまましばらく時が過ぎた。

「鵜木さん、聞こえるかい」
「なに」
「蝉の鳴き声じゃ」

 店の壁に張り付いているのか、大きな鳴き声が耳を打つ。

「あの鳴き声が止んだら合図じゃ。どちらの剣が早いか勝負といこう」

 鵜木の顔に玉のような汗が垂れた。新兵衛も汗が頬を伝うのを感じる。
 永遠に続くかと思われた蝉の鳴き声がふいに止んだ。

「チェストッ!」

 お互い同時に裂帛れっぱくの気合と共に刀を振り下ろした。
 いや、寸分早く新兵衛の刀が鵜木に到達し、右肩から腹まで斬り裂いた。
 天井まで血が吹き上がる。

「わしの方が早かったのう」

 新兵衛は血刀を鵜木の着物で拭いてから鞘に納めて外に向かった。懐から銭の入った袋を取り出して店の主に投げる。

「血で汚してすまぬ」

 店を出ると以蔵が佇んでいた。白い通りには赤い血で濡れた三人の男が倒れている。

「やったか」

 以蔵が頷いた。以蔵は一刀流と、江戸で鏡心明智流きょうしんめいちりゅうを修めたという。いずれにせよ瞬く間に三人を斬った腕前は恐るべきものであった。
 胸を張った新兵衛は、背を丸めた以蔵の肩に腕を回して歩き出した。

「わしらが京で一番、いや日本一の人斬りじゃ」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

朝敵、まかり通る

伊賀谷
歴史・時代
これが令和の忍法帖! 時は幕末。 薩摩藩が江戸に総攻撃をするべく進軍を開始した。 江戸が焦土と化すまであと十日。 江戸を救うために、徳川慶喜の名代として山岡鉄太郎が駿府へと向かう。 守るは、清水次郎長の子分たち。 迎え撃つは、薩摩藩が放った鬼の裔と呼ばれる八瀬鬼童衆。 ここに五対五の時代伝奇バトルが開幕する。

直違の紋に誓って

篠川翠
歴史・時代
かつて、二本松には藩のために戦った少年たちがいた。 故郷を守らんと十四で戦いに臨み、生き延びた少年は、長じて何を学んだのか。 二本松少年隊最後の生き残りである武谷剛介。彼が子孫に残された話を元に、二本松少年隊の実像に迫ります。

忍びしのぶれど

裳下徹和
歴史・時代
 徳川時代、使い捨てにされる自分達の境遇に絶望し、幕府を転覆させることに暗躍した忍者留崎跳。明治の世では、郵便配達夫の職に就きつつも、駅逓頭前島密の下、裏の仕事にも携わっている。  旧時代を破壊して、新時代にたどり着いたものの、そこに華やかな人生は待っていなかった。政治の中枢に入ることなど出来ず、富を得ることも出来ず、徳川時代とさほど変わらない毎日を送っていた。  そんな中、昔思いを寄せた女性に瓜二つの「るま」と出会い、跳の内面は少しずつ変わっていく。  勝ち馬に乗りながらも、良い立ち位置にはつけなかった薩摩藩士石走厳兵衛。  元新選組で、現在はかつての敵の下で働く藤田五郎。  新時代の波に乗り損ねた者達と、共に戦い、時には敵対しながら、跳は苦難に立ち向かっていく。  隠れキリシタンの呪い、赤報隊の勅書、西洋の龍と東洋の龍の戦い、西南戦争、 様々な事件の先に、跳が見るものとは…。  中枢から時代を動かす者ではなく、末端で全体像が見えぬままに翻弄される者達の戦いを描いた小説です。  活劇も謎解きも恋もありますので、是非読んで下さい。

永き夜の遠の睡りの皆目醒め

七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。 新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。 しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。 近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。 首はどこにあるのか。 そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。 ※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい

北武の寅 <幕末さいたま志士伝>

海野 次朗
歴史・時代
 タイトルは『北武の寅』(ほくぶのとら)と読みます。  幕末の埼玉人にスポットをあてた作品です。主人公は熊谷北郊出身の吉田寅之助という青年です。他に渋沢栄一(尾高兄弟含む)、根岸友山、清水卯三郎、斎藤健次郎などが登場します。さらにベルギー系フランス人のモンブランやフランスお政、五代才助(友厚)、松木弘安(寺島宗則)、伊藤俊輔(博文)なども登場します。  根岸友山が出る関係から新選組や清河八郎の話もあります。また、渋沢栄一やモンブランが出る関係からパリ万博などパリを舞台とした場面が何回かあります。  前作の『伊藤とサトウ』と違って今作は史実重視というよりも、より「小説」に近い形になっているはずです。ただしキャラクターや時代背景はかなり重複しております。『伊藤とサトウ』でやれなかった事件を深掘りしているつもりですので、その点はご了承ください。 (※この作品は「NOVEL DAYS」「小説家になろう」「カクヨム」にも転載してます)

腐れ外道の城

詠野ごりら
歴史・時代
戦国時代初期、険しい山脈に囲まれた国。樋野(ひの)でも狭い土地をめぐって争いがはじまっていた。 黒田三郎兵衛は反乱者、井藤十兵衛の鎮圧に向かっていた。

ゆらりゆらゆら

霰月
歴史・時代
難波津に 咲くやこの花 冬籠り 今を春べと 咲くや木の花 百人一首の歌から妄想しました。 その歌の時代背景とかは全く関係ありません。 その歌を基にしているだけのであしからず。 私の妄想を書き出しただけです。

鈍亀の軌跡

高鉢 健太
歴史・時代
日本の潜水艦の歴史を変えた軌跡をたどるお話。

処理中です...