朝敵、まかり通る

伊賀谷

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第六章

化物退治第四番

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 原田左之助はらださのすけいや、牙刀院凶念がとういんきょうねんは無防備に突進してきた。
 刀と槍の打ち合いが数合すうごう行われた。
 凶念の槍はこれまでになく早く強い。
 それに。
 ――何かおかしい。
 だが、鉄太郎はすぐに気がついた。
 凶念の間合いが近すぎるのだ。
 防御することを一切考えていない。
 まだ浅手しか受けていないが、凶念は原田の身体が傷つくことを意に介していない。
 その分、凶念は攻撃に専念してくる。
 対して、鉄太郎は守りをおこたることはできない。
 やりにくい。
 初めて体験する立ち会いであった。
 ――早めに決着をつけるしかない。
 突き込まれた槍を紙一重でかわすす。
 ――原田、ゆるせ。
 鉄太郎は凶念の右肩を斬り下ろした。
 ずるり。
 嫌な感触とともに、凶念は斬り込まれた刀に沿って滑るように前に進み出る。
 そのまま鉄太郎に抱きついた。
「ほほほ」
 凶念は哄笑こうしょうしながら、槍を鉄太郎の背に差し込もうとする。
「が!」
 凶念の動きが止まった。頭に撒菱まきびしが三つ刺さっていた。
 それでも凶念は首を動かして撒菱が飛んできた方を向いた。
 お満が立っていた。
「何をなされる。立会人が手助けをしては約定やくじょうを破ることになりますぞ」
 凶念が好々爺こうこうやのような声音で言う。
「そうだ、お満。手出しは無用」
「ですが、この者はまことの化物です」
 お満が押し殺した声で言う。
「化物とな。お褒めの言葉受け取りましょう。ふぉふぉふぉ」
「多くの人を操って、それこそ約定違反ではありませぬか」
「それがわしの忍法」
 凶念はじっとお満を見つめている。声音にもどこか親しげな色がある。
 ――知り合いなのか。
 鉄太郎はわずかな違和感を感じた。
「よいのだ、お満。これはおれの戦いだ。おれは必ずこ奴を倒す」
「ふぉふぉふぉ。頼もしい言葉よ」
「すまぬ凶念。立ち会いに水をさしてしまった。始めよう」
「おうよ」

 例えれば、それは獣同士の戦いといったものであろうか。
 山岡鉄太郎と牙刀院凶念は二十ごうは斬り合っていた。
 凶念の槍は一突き一振りごとに技の冴えが増す。
 今や二人の技は拮抗きっこうしていた。
 いや、よく見ると凶念の右耳はなくなっている。左手の指も何本か半ばで切り落とされている。そして全身に切り傷がある。
 それでも致命傷がないのは、鉄太郎がここにきて手心てごころを加えているからであった。
 対して鉄太郎はと言えば、左頬に切り傷があり、数は少ないが身体にも何箇所か傷がある。ほとんどは浅手だが、左腿の傷は深い。
 二人とも顔を朱に染めて、着物も自らの血と返り血で赤黒く染まっている。
 それより鉄太郎にとって深刻なのは体力であった。
 鉄太郎の呼吸はすでに乱れて肩で息をしている有り様であった。
 だが、凶念は疲れを知らぬかのように動いていた。
 もありなん、凶念は死人しびとである原田左之助を操っているのだから。
 遂に鉄之助は膝から崩れて地に手をついた。
「山岡鉄太郎、なぜ斬らぬ。何度か斬る機会はあったはず。斬ればおぬしが勝っていたのだぞ。ふぉふぉふぉ」
「黙れ」
「原田左之助の身体を選んだのは思わぬ僥倖ぎょうこうであったわい」
 鉄太郎は荒い呼吸のままで上目遣いで凶念を見上げている。
 素早く脇差わきざしを抜いて、凶念の左足の甲を刺し貫き、地面に縫い止めた。
「なんと」
 凶念は笑みを崩さず狂喜の声をあげた。
 鉄太郎は起き上がって、刀を持たぬ左手で凶念の首を掴んだ。そのまま絞め上げる。
「ぐがが」
 凶念の喉から苦しげな音が漏れた。
「ふん!」
 鉄太郎の太い左腕に力こぶが膨れ上がり、血管が浮き出る。
 小枝の束が折れるような音がした。
 凶念の首は折れ曲がった。
 手を放すと凶念は倒れた。
 鉄太郎もその場に座り込んだ。最後の力を振り絞ったのだ。
「倒したのですか」
 お満が声をかけてくる。
 鉄太郎は声を上げるのもしんどく、なんとか首を横に振った。
 正直、鉄太郎にも凶念を倒したのかは分からない。
 だが、少なくとも息を整える時間を作ることはできた。今は調息ちょそくに努めたかった。
「や、山岡さま」
 お満が愕然とした声をあげる。
 鉄太郎はその声でようやく気がついた。
 牙刀院凶念が立ち上がっていたのだ。
 首が曲がったままであった。
 凶念は両手で頭を持って首の位置を直す。気味の悪い骨の音がする。
「これでよいかのう」
 少し歪んだ首にのった顔が笑みを浮かべる。
 凶念は槍を構えた。
「さて。これが最後の一突きとなるかのう。分かっておろうが、これまでで最も早く、最も強い突きで参る」
 鉄太郎はなんとか立ち上がった。大きく息を吸ってからゆっくり吐いた。
「行くぞ、山岡鉄太郎!」
「チェストー!」
 どこからか裂帛れっぱくの掛け声が聞こえた。
「え」
 凶念の動きが止まった。
 その背から血が噴出している。
 赤い奔流の向こうに、浅黒い肌に「だんぶくろ」と称するズボンをはいた白い洋装の男が立っていた。
 中村半次郎なかむらはんじろうであった。
 半次郎が背後から凶念を斬ったのだ。
「な、中村半次郎……。きさま裏切りおったか」
 凶念が声をあげる。
「何をゆちょっ。おまえと仲間になった覚えはなか。むしろ、おいはおまえを斬り捨てて交代したはずだ」
「き、きさま」
 半次郎は凶念を相手にせず、鉄太郎に近づいた。
「ないごて、こいつを斬らん」
 鉄太郎は答えない。
「知っちょっ者じゃっでか。それは虫がよすぎるとちがうか」
「なに」
「おまえはおいと同じですでに修羅の道に足を踏み入れちょっど」
 たしかに半次郎の言う通りであった。
 鉄太郎はこの旅でも鬼童衆の者たちを斬ってきた。
 見知っている者だからといって、原田左之助だけは斬れないという道理はないかもしれない。
 ましてや左之助は牙刀院凶念に身体を乗っ取られていたのだ。
「山岡鉄太郎。おまえは強き者と命のやりとりをするときに心のたかぶりを感じちょっはずだ」
 その通りであった。この旅で幾度もその昂りを味わっている。
 己はその瞬間をこそ求めて生きていたのかもしれないとまで考えていた。
 鉄太郎は半次郎の目を見つめた。
「それはおまえが剣士だからだ」
 半次郎はにやりと笑った。
 しばらくしてから鉄太郎も同じように微笑んだ。
 半次郎は振り向いて、鉄太郎と並んで牙刀院凶念に対峙した。
「さて。こいつを片付けよう。おいも一緒に斬ってやる。ともに魔天まてんちてやろう」
「かたじけない」
 鉄太郎が一歩踏み込んだ。
 その時には、凶念の右腕が飛んでいた。
 手心なしの鉄太郎渾身こんしんの一刀。
「か、刀が見えなかった。山岡鉄太郎はまだ本気を出していなかったというのか」
 凶念は不思議そうに切断された腕を見つめている。
 ――原田。せめておれの全霊ぜんれいを籠めた剣で成仏せよ。
 鉄太郎と半次郎が刀を振るった。
 そのあとにはいくつもの肉塊にくかいと化した牙刀院凶念が大地に散らばっていた。
「化物退治第四番――」
 鉄太郎がその場に倒れそうになるのを半次郎が支えた。
「まだ倒れるのは早かど」
「中村半次郎、おぬしに助けられたな。礼を言う」
「まだおいとの勝負が残っちょっじゃろ」
「そうであったな」
 鉄太郎は笑みを浮かべた。
「……これで四対一」
 お満がそばに来て呟いた。
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