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第二十一章 それでもぼくはきみに笑おう

第二話 亡霊と病人二人

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前回のあらすじ

旅の疲れか熱を出してしまうトルンペート。
翌朝リリオは起きてこれなかった。
…………あれ?



 リリオが倒れた。
 というより、寝床から起き上がれなくなっていた。
 私は冷え込む朝だというのに隣の体温が高いことに気づいて、愕然としていた。

 額に触れれば、常の子供体温ではすまされない熱。
 くったりと脱力して、浅い息を繰り返すさまは、どこからどう見ても弱り切っていた。
 トルンペートもまた同様の症状で、昨夜から回復は見られない。

 私は二人を並べて布団で包み込み、ストーブにやかんを沸かして幌馬車内の気温と湿度を高く保たせた。
 馬車を降りると、ボイが不安げに私を見つめていた。匂いか、雰囲気か、賢いこの子は二人の不調を悟ったのだろう。私はこの大きな犬をできるだけ丁寧に撫で、朝の分の餌をやり、そうすることで自分の心の安定をはかった。

 少しして二人は目覚めたが、ひどくだるいとしきりに言った。
 ひどい筋肉痛のような疲労を感じるという。疲労。発熱。症状だけ見れば過労のようにも見える。わからない。
 鍋でパン粥を作り二人に与えたが、リリオでさえ食欲がわかないようだった。
 それでも、とにかく体力だけはもたせなければならない。南部産の黒砂糖と、岩塩、柑橘類の果汁でスポーツドリンクもどきを作ってみると、二人ともなんとか飲んでくれた。
 嚥下えんげ能力も弱っているのか、すこしのみ込みづらそうだ。

 ボイを馬車につなぎ、急ぎ走らせる。ボイも主人らの不調を思ってか、荒れた山道の中を精一杯急いでくれている。
 私は頻繁に二人の様子を確認しながら、地図をにらみ、道程を確かめた。

 割合、落ち着いて行動できている、とは思う。
 私は人の看病などしたことはなかった。
 父は体調管理に気を遣い、病気をしない人で、少なくとも娘にその姿を見せることのない人で、がんを宣告されるまで、それは続いた。私は父の面倒を直接見たことがない。
 けれど、幼いころは体を壊しがちだったから、父が私を看病してくれる姿はよく覚えていた。甲斐甲斐しく世話をしてくれ、不安になった私に「こよみさんの時と比べると大分安心感があります」と、病弱だった母と比較して妙な慰め方をしてくれた。

 だから、最低限何をすればいいのかはわかる。
 けれど、原因がわからないのでは私には打つ手がない。
 熱が出て、体調が悪い、じゃあ風邪だ、という短慮はよくない。
 二人はくしゃみも咳も鼻水もなく、ただ倦怠感が続いている。それがどういう病気なのか私にはわからない。

 医学書を読んでおけば、とは思わない。
 やろうと思えば私は棚ごと医学書を覚えることだってできたけど、そうはしなかった。なぜならば、読んでも意味がわからないことが早期に判明したからだ。
 学術書の類は、それを読み解くのに必要な前提知識があまりにも膨大だ。その前提知識を学ぶことにさえ、広範な知識の理解が必要になる。
 全く畑違いの分野の知識は、ただ蓄えたところで理解にはつながらない。
 私に理解できる範囲は家庭の医学系の生活で役立つものくらいで、そしてそれらはいま十分に活躍してくれている。それ以上は望めない。

 この世界の医療や病気について、もう少し学んでおけばよかったというのはある。
 リリオもトルンペートも基本的に健康で体調を崩すことも稀なので、その二人が一度に倒れてしまうと、私は途端に役立たずが露呈してしまう。

 医者が必要だ。
 切実にいま、そう思う。
 医者か、このファンタジー世界なら、癒しの力を持つ神官。

 でもそのどちらも、この世界では希少だ。いや、元の世界でだって、医者というのは人口に比べて少ないものだった。でも、少なくとも車を飛ばせばたどり着ける範囲にはいた。
 でも、馬車が進める距離は限られている。大きな町の病院など、たどりつけようはずもない。

 次の村には医者がいるだろうか。神官がいるだろうか。それはあまりにも乏しい希望だった。小さな村には、医療従事者がいないことはざらだ。
 病気になれば横になって休むほかにすべはなく、けがをすれば自分たちで包帯を巻くくらいしかない。あるいは村の老人が、薬草などについて詳しいこともある。そういう人は薬師くすしとして重宝される。
 だがそれでさえ、いない村はいないのだ。隣村や、町にまでいかねばどうしようもない、そんな村があるのだ。

 昼頃、私は馬車を止めて昼食を準備した。
 粥は、やはりあまり入らないらしく、申し訳なさそうに謝られる。

「ごめんなさい……せっかく、作ってくれたのに……」
「いいんだよ。大丈夫。水を足して重湯みたいにするから、それで少しは飲めるかな」
「あたしの《自在蔵ポスタープロ》の、干した人参カロトみたいなのいれていいから……あと鹿節スタンゴ・ツェルボで出汁とって……」
「君はよくまあそんなに喋れるねえ」

 二人に何とか食事をとってもらい、休んでもらう。眠くなくても眠って体力の消費を抑えてもらうつもりだったけど、言うまでもなく二人はすぐに意識を手放した。ひどく疲れた時みたいに。
 額に手を当てる。熱はまだ高かった。微熱状態がずっと続いてる。額だけでなく体も汗ばんでいて、冷えないように丁寧に拭いて、着替えさせる。その間も二人は目覚めず、意識のない体を動かすのには骨が折れた。

「意識はまだ明瞭……熱と倦怠感であんまり起きていたくはないみたいだけど。扁桃腺が腫れてたりもない。感染症じゃないのかな……いや、素人判断はよくないな。とにかく、栄養を取らせて、休ませるしかない」

 風邪の時の対処もそうだけど、人体というのは基本的に病気に対しては免疫力に頼るほかにない。消化の良い栄養のあるものを食べて、体を温め、体力を消耗しないように休む。これだけだ。病原体だけをピンポイントで破壊する薬はそう都合よくは存在しない。

 私は自分の分の昼食も用意して、手早く済ませる。
 食事は味気なく、一人だけ形も味もはっきりしたものを食べるのは気が引けたけど、看病している私が倒れてしまっては意味がない。まず私が体調を管理しなければ、二人を助けることはできない。

 私は地図を広げる。
 リリオが買った雑誌についていたちゃちな地図だけど、村や町の位置関係は十分に正確だ。

「とはいえ……現在地まではわかんないからな」

 おおよその居場所はわかる。次の村がこの先にあることもわかる。
 しかし、ではあとどれくらいなのかがわからない。
 大き目の街道などは、マイルストーンや看板などでおおよその距離がわかるけど、この道にはそういうものもない。

 この先にある村と、元来た道の先にある町と、どちらが近いのか、もう判断がつかない。
 町には医者も神官もいたけど、ここまでにかかった時間を考えると、決して近いとは言えない。
 それならば、まだ村のほうが近いのではないだろうか。村だってそう他の町などから離れた辺鄙な場所にぽつんと存在することはないはずだ。ある程度行き来が可能な距離にあるはずだ。

 はずだ、というより、きっとそうだろうという期待が強かったが、しかし私には頼れるものがもはやない。とにかく、進むしかない。
 村に行けば医者がいる。村はきっともうすぐだ。そうとでも思わなければ、私は焦燥感のあまりにどうにかなってしまいそうだった。

 苛立ちは、何も生まない。冷静な思考の邪魔になるだけだ。
 そう考えようとしても、苛立ちや焦燥を抑え込めるわけではなかった。

 不安な状況だけでなく、環境もまた私をいらだたせた。
 私はしばしば耳元の羽音に手を振り回し、肌に何かが触れる感触に手足をこすったり払ったりした。

「……山か海かで言えば、やっぱ海だな」

 ぱちん、と蚊を叩き潰しながら、私はぼやいた。
 冬の間は全然出てこなかったので忘れていたけど、森の中は普通に虫が出るのだ。
 蚊とかダニとか、ムカデとか蜂とか、とにかく足が多くて小さい奴らがわさわさいるのだ。
 私は最近ではリリオたちのせいで虫を食べる羽目にもなっているから、多少慣れてきたけど、でも嫌いなものは嫌いだ。
 特に小さいのがダメだ。羽虫とか、ダニとか。

 でっかいのはまあ、食べさせられてきたのもあるけど、まあ甲殻類かなと思えば耐えられないことはない。それに、この世界の虫の「でかい」は本当にでかいので、もはや虫というより敵Mob扱いで何とか対処できる。きもいけど。

 でも小さい奴は本当にダメだ。
 人によってはでかいほうが嫌だって人もいるかもだけど、私は小さいほうがダメ。
 体を這いずり回りそうな、そういう感じがすごい嫌。
 実際に見たり触れたりするだけじゃなく、映像や画像で見たり、いるかもって想像するだけで、ちょっと体がかゆくなるくらいだ。

 実際、いまもそういう気分で、しょっちゅう体を払ったりしてる。
 二人と話してるときは気もまぎれるけど、一人で黙っていると、虫の妄想や、実在の虫が、ダブルで私の精神を責め立てる。

 ああ、やめよう。
 考えると余計にそっちに意識が行っちゃう。

 私は二人の容態を確かめる。
 呼吸は少し浅いけれど、息苦しいという感じではない。ただ少し、力ない。

 リリオは病気もケガも乗り越えなくてはならないのだといった。
 そうして強くなって、旅を続けていかなければならないと。
 でもその試練は、こぼれおちた脱落者をすくいあげてはくれないだろう。
 試練を乗り越えられなかったものはどうなるのか。そんなのは決まっている。
 。死ぬか、そうでなくても二度と旅はできなくなるか。
 私たちの旅もそのような結末を迎えるのだろうか。
 それは、受け入れがたかった。

 たとえそれがこの世界の全員に平等に与えられる試練だとしても、私は二人を贔屓したかった。
 二人以外との旅を、私はもはや想像できなかった。許容できなかった。
 半端に舞台に上がってしまった観客は、もはや客席に戻ることなどできやしない。

 それなら、と私はインベントリに手を入れた。
 引き抜いたのは、輝く装飾も厳かなガラス瓶。

 《万能薬》。

 MMORPG《エンズビル・オンライン》で、私が頼りにしていた回復アイテムを、二人に投与することを決めた。
 この世界からすればチートそのものでしかないアイテムの使用を、もはや私はためらわなかった。





用語解説

・暦(こよみ)
 妛原 暦。妛原閠の母。閠を出産後、産後の肥立ちが悪くそのまま亡くなってしまった。
 生まれつき病弱で、出産は命がけになると知っていた。

・干した人参カロトみたいなの
 高麗人参……と見せかけて、普通に干した人参カロト
 人参カロトは栄養が高いだけでなく、免疫力を高める効果があるとされ、薬用として干したものを常備しているものは多い。

・《万能薬》
 ゲーム内アイテム。
 病気や火傷、衰弱、麻痺など、ほとんどの身体系バッドステータスを回復させる効果がある。
 重量値がやや高く、値段も高いため低レベル帯では非常に貴重。
 しかし、複数種類の回復アイテムを常備しておくととてもかさばるので、これ一本に絞るプレイヤーは少なくない。
 『五百ページ目に記載された薬は万病を癒す』
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