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第十六章 おかえりなさい

最終話 おかえりなさい

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前回のあらすじ

ふてぶてしくなければ女中はやっていけない。
ふてぶてしすぎると人間としてどうかと思うが。





 人間台風と人外台風がぶつかり合うとどうなるかっていうと、こうなるのね。
 こうなっちゃうのね。
 流れ星でも落ちてきたかのように、飛竜の溜めに溜め込んだ咆哮ムジャードが至近距離からぶちかまされたように、前庭は盛大に大穴を開けて吹き飛んでいた。
 庭師のエシャフォド爺さんがブチ切れて、とてもここに書けないような罵詈雑言を吐き散らしていたけれど、怒りが限界を迎えて卒倒でもしたのか、若い衆が思い遣って他所へ引っ張っていってくれたのか、それももう聞こえない。

 いつまでも続くかと思われた激しいぶつかり合いは、お互いの剣がかち合ってへし折れたことで一転した。
 一瞬呆けたような沈黙が走り、それも束の間、お二人は無用の剣を捨てて取っ組み合いの殴り合いに突入なさった。
 突入というか、その後、殆ど数秒の間に決着がついたんだけど。

 単純な力比べとなれば圧倒できると踏んだのか、御屋形様が掴みかかろうとなさったたところを、奥様が力いっぱいに踏みつけた地面が、圧縮され鋼のように研ぎ澄まされた土の槍となって襲い掛かる。
 これを素手で握りしめて力づくで押さえつけて、押さえ込んで、ねじ伏せてしまったのはさすがに御屋形様というべきところだけど、同時にさすがは脳筋蛮族の大親玉、などというウルウじみた感想が浮かんでしまった。
 その蛮族解決法は大きな隙を生み、奥様の指打ちが生んだ風の刃ががら空きの顔面を襲った。
 隙があったとはいっても、その肉体自体が魔力で鎧われた頑丈さ。いくら奥様でも簡略化した魔術では、皮一枚は切れても肉まで及ばない。及ばないけど、逆に言えば皮一枚は切れる。
 その剃刀じみた鋭さに御屋形様が思わず目を閉じてしまわれた瞬間、奥様の拳が顎先に打ち込まれて、人体が立ててはいけない音を立てて、人体がやっちゃいけないような角度に首がかしいだ。

 いくら辺境貴族が頑丈で、御屋形様がその頂点に立たれているとはいえ、脳が揺れれば体の自由は奪われる。
 ぐらりと足元が揺れたのを見逃さず、奥様はよろけた体に組み付いて地面に引き倒すや、ご自分の伴侶のお美しい顔面を、畑でも耕すかのように左右の拳で滅多打ちにし始められた。
 肉と肉とがぶつかる湿った音と、骨と骨とがぶつかる硬く鈍い音とが、絶え間なく響き続ける。
 その間も御屋形様の身体は痙攣するようにはねては奥様を振り払おうとなさるけれど、完全に組み敷かれておられるようで、暴れても暴れても奥様は絡みつく蛇のように離れない。離れたらすさまじい反撃が返ってくることを思えば、当然も当然か。

 すっかり頭に血が上っておられるのか、奥様は温厚な顔立ちに獰猛な獣のような笑みを浮かべて、南部訛りの激しい罵倒語を繰り返しながら、旦那様の顔面を地面に埋めようとでもするかのような拳を叩き込み続ける。
 御屋形様の身体がくったりと脱力したのは拳が五十を数えたあたり。奥様が回転しすぎた車輪を落ち着かせるように緩やかに速度を落としながら殴り続けることさらに十数度。奥様が荒い息を繰り返しながら拳を止めたころには、御屋形様の上半身は柔らかくほぐされた黒土に埋もれていた。



 自分の伴侶にまたがったまま、血まみれの拳を振り上げて蛮族の勝鬨を上げる奥様。
 辺境貴族に真っ向勝負で打ち勝つというのも物凄いけれど、自分の伴侶の顔面を容赦なく滅多打ちにできる人間性というのも凄まじい。
 奥様の穏やかなお顔しか知らないあたしとしては、成程辺境貴族と結婚するような人間がまともなわけがないと大いに納得するのだった。現実から逃げてるとか言うな。
 常識的じゃない生き物だけに常識というものをしっかり教え込まれたリリオは、その常識を幾重にも上塗りする現実を前に絶句していたし、ウルウもドン引きした様子で言葉もない。
 あたしも、乾いた笑いしか出てこないわよ、これは。

「素晴らしい腕前、素晴らしい胆力。お変わりないようで安心いたしました」

 そんなあたしたちを尻目に、特等武装女中のペルニオ様が、やる気のない拍手とともに、熱のない声音でそんなことをうそぶく。
 この人は本当に、どんな時でも平常運転だ。神経が死んでるんだろうか。
 吠えながら拳を振り上げる奥様と、下半身だけ土からはみ出している御屋形様。
 それはあたしの知っている奥様ではないし、あたしの知っている御屋形様でもない。
 どうしてこんな惨状を目の当たりにして平然としていられるのか、あたしには理解できない。
 などと思っていたら、ペルニオ様のガラス玉みたいな目がアタシを見つめていて、うへえとする。どうもあたしは、昔からこの人の目が苦手だ。
 まるで造り物みたいに冷たくて、無感情で、その癖、その鉄面皮のままドすべり冗句や謎の姿勢を決めてくるので、あたしには、というか使用人みんな揃って、笑っていいのかなんなのかいまだにわからない。
 バカ受けするのは女中頭位だ。あの人はあの人でどうかしている。

 その人形づらがあたしを見つめて、ゆっくりと瞬きする。

「トルンペート」
「うぇ、はいっ」
「物事を、一面的に見てはいけません。あれも現実。これも現実。主がぼろ雑巾にされているのも現実です。笑えますね」
「わら、えっ」
「失敬。本音が」
「えっ」
「おすまし顔で格好つけている御屋形様も現実。あそこで湿った生乾きの雑巾みたいになっている御屋形様も現実。穏やかな気持ちで受け入れていきましょう」
「主がぼろ雑巾にされていて、なんでそんなに平然と……?」
「私が武装女中だからです」
「えっ」

 ペルニオ様はまたゆっくりと瞬きをして、続けた。

「時には主を護り、時には主から護るのが武装女中のお勤め。主が暴走した時には、よっしゃいまだとばかりに物理的に押さえ込んで囲んで棒で叩いてでも止めるのが武装女中です。自分の手を汚さずに鎮圧できたのならば、喜んでお茶請け片手に観戦するのもお務めです」
「えっ……えっ?」
「武装女中って強くなればなるほど頭おかしくなるの?」
「否定できないのが辛い」
「左様でございますね。みな、大概面白おかしくいらっしゃるようです」
「他人事のように」

 ペルニオ様はしれっとぬかしたあと、改めてあたしたちに向き直り、ゆっくりと美しく立礼した。

「なにはともあれ、おかえりなさいませ」

 美しい女中の後ろで、奥様の死体蹴りが旦那様を掘り起こしていた。





用語解説

・南部訛りの激しい罵倒語
 南部訛りは罵倒語のバリエーションに富むと言われている。
 帝都人や東部人のような皮肉などよりも、直接的な罵倒が多い。
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