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第十四章 処女雪
第十二話 鉄砲百合と寝耳に水
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前回のあらすじ
切り札を一枚切ってでも格好いいところを見せたかったウルウ。
ええかっこうしいである。
ウルウの動きを目で追うのは難しい。
単純に動きが速いということもあるけれど、予想もしない動きをすることが多々あるから、まともな戦闘を繰り返してきた人間ほど、その意味不明な動きに困惑させられる。
人間より魔獣とやり合うことが多く、人間にはとても繰り出せない挙動を多く経験してきている辺境の人間にとっても、これがやりづらい。
しかも本当に厄介なのは、その意味不明さが本人にも理解できていないし把握もできていないということだ。
妙な話だけど、ウルウは自分の体の動きを全然把握していない。
相手の攻撃をぬるりと避けた後に、自分が避けたのだということを察する、そんなおかしなことがちょくちょくあるくらいだ。
ウルウは自動的だからなどとうそぶいているけど、無意識の挙動は、一層動きを読めなくしてる。
身のこなしは恐ろしく鋭いのに、本人の意識はぽやっとしているから、やろうと思えばこれを追い込むことはできる。どんなに意味不明な動きをしても、どんなに無意識で体が動いても、よくよく観察してやれば、ウルウは決まった動きしかしていないことがわかる。
どんな状況でも対応するほど多彩だから気づきにくいけど、同じ体勢、同じ角度で、同じ攻撃を繰り出された時、ウルウは全く同じ避け方をする。
あたしだって、こん畜生、どうにかして暴いてやるわって何度も挑んで、それでやっとこ気づいたことだけど、ウルウの避け方は、実はわかりやすいのだ。
迫ってくる脅威に対して、最短距離で、最小の動きで、回避する。
本当にこれだけなのだ。
避けた後の体勢とか、相手の次の挙動とか、自分の今後の行動とか、そう言うのを何も考えていない、ただその一瞬の危険を回避するだけの動き。
それが繰り返されると、どんどん無駄と無理が積み重なっていくから、一見意味不明で理解不能な身のこなしに見えているけど、あのぬるりぬるりぐにゃりぐにょりとした動きもすべては最短最小、それに尽きる。
だから、ウルウが無理な体勢を取らざるを得ないような攻撃を繰り返していけば、ウルウの動きはある程度強制できる。いくらウルウでも、物理的にできない動きはできない。
……まあ、理屈の上でいえば、だけど。
奥様はちょくちょくこの回避不能状況に追い込んでくるし、達人の勝負っていうのはもともとそう言う詰将棋みたいなところがあるけど、ウルウの本当に厄介な所は、そこまでやってなお、運が良くないと追い詰め損ねるってことね。
どういうことかって言うと、ウルウは極端に運がいいのだ。
運の良し悪しなんて口にするのは、勝てない言い訳みたいで好きじゃないんだけど、でもウルウの場合、はっきりと数字に出るくらいに運がいい。
あと一歩というところで、足が滑る、帯がほどける、風が吹いて目に砂が入る、足元にもぐらの巣穴があって踏み抜く、弾かれた小石がひゅーるるると上空で弧を描いて何の因果か動き回った後の頭の上に落ちてくる、いやほんと、冗談みたいだけど全部本当にあったことなのよね。
ウルウ一流の言い方をすれば、蓋然性があるなら必ずそうなる程度の運の良さなのだ。
これは戦闘だけでなく、日常においてもそうで、だからあたしたちは福引とか引くときは必ずウルウに引かせるし、そしてそれは必ず当たる。もっとも当たるって言ったって、最初から入っていない当たりくじは引けないし、ウルウにとってどれが当たりかっていうのもあるから、必ずしもあたしたちの望み通りってわけにはいかないけど。
なので、ウルウを追い詰めるときはそんな運の良さも黙るくらい徹底的に追い詰めないといけない。
男爵家剣術指南役コルニーツォさんは、そのあたり容赦がなかった。
雪に慣れていないと察すればさりげなく足場の雪を乱して足を取り、積極的に攻める気がないことを見て取ればますます大胆に攻め立て、短い時間でウルウの癖をどんどん暴いて追い詰めていく。
ウルウがよけきれずに二刀を引き抜くまで、ものの数分といったところだろうか。
あたしやリリオじゃあまず抜かせることさえ二人がかりでないとできないってのに、全く怖いものだ。
ウルウがあの禍々しい二刀を抜いて、それで持ち直したかって言うと、そうでもない。むしろ剣撃は悪辣さを増していく。
芸術的なほど正確に、ウルウの二刀は剣を受け流そうとする。
けどコルニーツォさんの剣は、直前で驚くほど鋭角に軌道を変えたり、あえて受けさせてその上を滑るように切り返してくる。
あれは、つらい。
しっかり構えて対応すれば、見せかけの剣か本命の剣かは、振りの鋭さや強さから見抜けないこともない。でも、そもそも戦闘勘がまるでないウルウには、とてもじゃないけど、見えはしても咄嗟に対処できないだろう。
それにあの受け手の刃の上を滑ってくる斬撃。あれがいやらしい。
からみつくような剣は、激しい音は立てないけれど、確実に気力体力を削ってくる。
おまけに、一度短剣で受けているからか、ウルウのあの奇妙な回避がうまく機能しないみたいで、反応がやや遅れる。
奥様との手合わせだとこのくらい追い詰められたあたりで手も足も出なくなって一本取られるのが常だったけれど、この日のウルウはもう一枚札を切るようだった。
「ちょっと手妻を見せるので」
「フムン?」
「驚いて死なないでねおじいちゃん」
「ぬかすわ!」
あえてさらしたような隙に、コルニーツォさんの剣が容赦なく振り下ろされる。
そして振り抜かれる。
ウルウの脳天抜けて。
抜けてっていうか、脳天から股下まで切り裂いて。
老練な剣士であるコルニーツォさんも、これにはさすがに驚いてつんのめってしまったようだ。
そしてその隙にウルウの体はまるで本当の亡霊のようにコルニーツォさんをすり抜けて背後に回り、短剣を突き付けて決着。
審判役の男爵閣下も理解が及ばなかったようで、迷うように一拍遅れてからの、一本の声。
あたしはもうこれ、二度目なので、ちょっと驚きはしたけど、それだけだ。
以前にナージャとかいう、ウルウより背の高い女剣士との手合わせで見せたまじないね。
まるで身体が影になってしまったかのように、黒く染まったその身体はなんでもすり抜けてしまうみたいだった。
あれからあたしやリリオが何度か見せてよってお願いしても、すきるぽいんとの減りが激しいから嫌だ、とかなんとか言われて嫌がられている。たぶん魔力的なものをたくさん使うんだろう。
でもなんだかんだちょろもとい甘いから、二人がかりでおねだりを続けたらやってくれそうではあるので、時々思い出したようにお願いしてみたりしてる。
あたしは単純な好奇心からだけど、リリオはウルウと重なってみたら実質ウルウに包まれていることになるのではとかなんとか大分気持ち悪いことを言っていた。でも割とわかりみが深いので、そうねとだけ言っておいた。
ほんと、そうね。
ウルウのまじないで一発逆転されたコルニーツォさんはしてやられたと楽しそうに笑い、男爵閣下も非常に満足されたようだった。
内地の人が良く勘違いするところだけど、辺境武士は別に搦め手や策略、まじないなんかを卑怯だとか惰弱だとかは言わない。
そりゃ、力自慢はするし、正々堂々としているのは確かだけど、それはそれとして毒を使おうが罠にはめようが奇襲をかけようが、それを卑怯卑劣とののしることはない。
何しろ闘っている相手が自然の驚異と竜なのだ。この二つを相手に、辺境の人々は闘い続けてきたのだ。鍛え続けて全身全霊をささげてもなお届かない。頭を絞り道具を造り策を練り上げ罠にはめる。本当の本当に、できる限りのことをできる限りする。
それが人間の可能性であり、それが辺境の誇りなのだ。
だから、それを褒め称えこそすれ、蔑むことはない。
ただ、大昔に戦争した時に、これでもかと毒と罠と策略盛り盛りで攻めてきた内地の人を、素晴らしい覚悟と意気込みだって褒め称え笑いながら、真正面から正攻法で叩き潰しちゃった逸話が残っているらしく、その印象が強いのか、内地の物語に残る辺境武士は卑怯なことを嫌うまっすぐな騎士とかそんな感じに思われているらしい。
単に搦め手使わなくても勝てる戦力差だったかららしいんだけど。あ、数じゃなくて質でね。辺境貴族出たら終わる感じの。
なお、ウルウもこの話を聞いて「なにその魔王ムーブメント」と多分ドン引きしていたので、辺境人は昔から辺境人なんだなとは思う。
手合わせも無事終わり、私たちはお昼をいただきながら、手合わせの感想などを語り合った。
参加したコルニーツォさんとペンドグラツィオも同席した。
武装女中であるペンドグラツィオは、さすがに席について食事までは一緒にせず、ネジェロ様の給仕をしながら、受け答えしてる感じだけど。
あたしも武装女中なんだけどなとは思うけど、さすがに給仕されることももう慣れた。
あたしとペンドグラツィオの手合わせは、普段見ることのできない武装女中同士の戦闘が見られたということで、まずまず満足度は高いようだった。
リリオたちも、いつも見せる投擲をほとんど使わない近接戦を演じてみせたことで、あたしが遠間からちまちま攻め立てるだけの女でないことを見直してくれたようだった。
ぶっちゃけると、三人の中で一番弱いのはあたしだという自覚はあるので、今回自分の成長がはっきりと確認できて安心していたりする。
二人はあたしが弱いからってあたしをのけ者にしたりなんかはしないけど、でもあたし自身が、あたしが足手まといになりたくないのだ。武装女中なのに家事しかできないことを許容できない職業的な矜持でもあるし、二人と並んで立ちたいっていう個人的な希望でもある。
リリオとネジェロ様に関しては、まあ辺境人らしいなという感じ。
搦め手やまじないを否定しない辺境武士だけど、辺境貴族はそもそもの地力が強すぎるから、策を弄さない殴り合いが一番一般的だ。
互いの剣の鋭さや重さを素直に褒め称え、大声で笑いながら激しく酒杯を交わす。
うん、内地で想像する豪放で粗野な蛮族そのものだ。
ただ、リリオは黙ってれば美少女だし、ネジェロ様も甘い顔立ちの男前なので、絵面はちゃんと貴族同士の歓談だ。顔がいいっていうのはそれだけで武器になるなとつくづく思う。
奥様もリリオのお母様なだけあって、全然種類は違うけど美しい方だし、ウルウもまあ、癖があるというかちょっとよく見ないと分かりづらいけど美人さんだし、よくよく考えてみなくてもあたしは結構な美形たちと行動を共にしてるわけだ。
あたし?
あたしはほら、武装女中って基本貴族の侍女だから、顔の良さも選定条件なのよ。
そういうこと。
そんな感じで和やかに歓談は弾んだんだけど、ウルウとコルニーツォさんの手合わせの話になって、問題発言が飛び出た。
「いや! いや! いや! ウルウ殿は全く大したお方だ!」
「いえいえそんな」
「謙遜なさるな! じいが後ろを取られるところなぞ、わしは初めて見ましたぞ!」
「ちょっとした手妻ですよ」
「はっはっは! 大した手妻だ! いや! リリオお嬢様がヨメを連れてくるなどと言うので危ぶんでおりましたが、成程! 成程! ただ好いた惚れたというわけではなかったのですな!」
「──はあ?」
曖昧な笑みで男爵閣下の賛辞をのらりくらりと受けていたウルウの表情が固まった。
そしてゆっくり小首をかしげて、ゆっくりリリオを凝視する。半端に微笑みが残ってる分、怖い。
そんな濁った眼で見られたリリオは全力で首を振ってるけど、普段の言動もあって信用されてないのがまるわかりの視線のやり取りだった。
二人の間の緊張が高まったので、あたしがそっと挙手する。
「えーと、男爵閣下。横から失礼しますが、その、えー、いったいそのようなお話をいずこからお聞きに?」
「はて。はて。マテンステロ殿にお伺いしたのだが」
「ええ、私よー」
首を傾げる閣下に、平然と笑う奥様。
どうやらこのクソアマこと奥様の悪戯であったらしい。
悪戯なのか本気なのかと言われたらちょっと怪しいけど。
まあ、悪戯であるにせよ、何か考えがあるにせよ、リリオがウルウをそう言う意味で好いて慕っているのは、はたから見ても事実だった。
ウルウはリリオのそういう態度をわかっていて、その上で子供の言うことだとあしらっている。
子供だから、年上の女性に対するあこがれみたいなものを、勘違いしているのだと。
そういうことに、しようとしている。
そういうことに、したがっている。
ウルウの故郷では女同士っていうのがあんまり普通じゃないとか、ウルウ自身が恋愛沙汰にあんまり触れたくないとか、建前通りリリオがまだ子供だから本気にしちゃいけないとか、いろいろあるんだろうけど、でも、たぶん、一番は、いまの関係を崩したくないっていうのが大きいんだと思う。
友達と下らないこと話しながら特に目的もなく旅して美味しいもの食べたりお風呂入ったり冒険してみたり、子供がなんとなく想像する楽しそうな暮らしを、子供がなんとなく想像するように淡く夢見てた女が、手に入れたのだ。手に入れてしまったのだ。
大人の頭と子供の心で持て余してた夢を、大人の頭と子供の心で諦めてた世界を、今更手放せるわけがない。
あたしから見たら、ウルウってやつは化け物みたいに強くて、化け物みたいに得体が知れなくて、化け物みたいな化け物なんだけど、でも同時に、こいつの中身はようやくつなげた手のかたちを変えることさえ恐れるほどの臆病な子供なのだ。
自分が得たものをとても信じられなくて、時々立ち止まって呆然と手を眺めて、夢なんじゃないか動いたら消えちゃうんじゃないかって、それでもつないだ手を離すことの方がもっと怖くて、立ちすくんで泣きそうになっている、そんな小さな女の子なのだ。
どうやったらそんな、心が粉砕骨折して整復しないまま治っちゃって神経にザクザク刺さってんのに痛み止めもなしで過ごしてでも大丈夫ですなんて言えるわけもないから黙りこくって死に損なってるような人格が形成されるのかあたしにはわかんないけど、でも、得たものが信じられなくて、絶対に手放したくないっていう、その気持ちはよくわかる。
だって、あたしもそうだったから。
だって、あたしもそうだったんだから。
何にもなかったあたしはリリオに拾われ、何にもなかったあたしは何もかもを与えられて、何にもなかったあたしはあたしになれて、そして、何にもなかったあたしは誰かを好きになることができた。
だから、変えたくない、失いたくない、ウルウのそんな気持ちが、わかる、ような気がする。
そうして見れば、ひどく強張ったウルウの目は、なんだか泣きそうな子供のそれのようにも、見えるのだった。
リリオは、ちらりとウルウを見て、ちらりとあたしを見て、一つ息を吸って、一つ息を吐いて、それからもう一度ウルウとあたしを見て、深く息を吸って、細く吐いた。
「私が、ウルウを慕っているのは本当です。けれど、そう言う関係ではありません。私たちは、仲間で、友達で、姉妹で、そして、それ以上は、まだ、そう、まだ、これからなのです」
軽く目を伏せるようにして、だから何も言ってくれるなと言外に語るリリオに、閣下は頷かれた。
「なんと、そうでしたか」
うむうむ、と頷いて、閣下はからりと笑った。
「では早めに交渉を済ませるがよろしい」
「は?」
「寝室を用意します故、ごゆるりと」
閣下が指を鳴らすなり、すべて承知しておりますと言わんばかりの訳知り顔の女中どもにかこまれ、二人は拉致されたのだった。
これだから辺境貴族は。
用語解説
・辺境貴族
基本的に、辺境貴族は人の心がわからない連中が多い。
わかっていてもやることなすことが荒いことも多い。
切り札を一枚切ってでも格好いいところを見せたかったウルウ。
ええかっこうしいである。
ウルウの動きを目で追うのは難しい。
単純に動きが速いということもあるけれど、予想もしない動きをすることが多々あるから、まともな戦闘を繰り返してきた人間ほど、その意味不明な動きに困惑させられる。
人間より魔獣とやり合うことが多く、人間にはとても繰り出せない挙動を多く経験してきている辺境の人間にとっても、これがやりづらい。
しかも本当に厄介なのは、その意味不明さが本人にも理解できていないし把握もできていないということだ。
妙な話だけど、ウルウは自分の体の動きを全然把握していない。
相手の攻撃をぬるりと避けた後に、自分が避けたのだということを察する、そんなおかしなことがちょくちょくあるくらいだ。
ウルウは自動的だからなどとうそぶいているけど、無意識の挙動は、一層動きを読めなくしてる。
身のこなしは恐ろしく鋭いのに、本人の意識はぽやっとしているから、やろうと思えばこれを追い込むことはできる。どんなに意味不明な動きをしても、どんなに無意識で体が動いても、よくよく観察してやれば、ウルウは決まった動きしかしていないことがわかる。
どんな状況でも対応するほど多彩だから気づきにくいけど、同じ体勢、同じ角度で、同じ攻撃を繰り出された時、ウルウは全く同じ避け方をする。
あたしだって、こん畜生、どうにかして暴いてやるわって何度も挑んで、それでやっとこ気づいたことだけど、ウルウの避け方は、実はわかりやすいのだ。
迫ってくる脅威に対して、最短距離で、最小の動きで、回避する。
本当にこれだけなのだ。
避けた後の体勢とか、相手の次の挙動とか、自分の今後の行動とか、そう言うのを何も考えていない、ただその一瞬の危険を回避するだけの動き。
それが繰り返されると、どんどん無駄と無理が積み重なっていくから、一見意味不明で理解不能な身のこなしに見えているけど、あのぬるりぬるりぐにゃりぐにょりとした動きもすべては最短最小、それに尽きる。
だから、ウルウが無理な体勢を取らざるを得ないような攻撃を繰り返していけば、ウルウの動きはある程度強制できる。いくらウルウでも、物理的にできない動きはできない。
……まあ、理屈の上でいえば、だけど。
奥様はちょくちょくこの回避不能状況に追い込んでくるし、達人の勝負っていうのはもともとそう言う詰将棋みたいなところがあるけど、ウルウの本当に厄介な所は、そこまでやってなお、運が良くないと追い詰め損ねるってことね。
どういうことかって言うと、ウルウは極端に運がいいのだ。
運の良し悪しなんて口にするのは、勝てない言い訳みたいで好きじゃないんだけど、でもウルウの場合、はっきりと数字に出るくらいに運がいい。
あと一歩というところで、足が滑る、帯がほどける、風が吹いて目に砂が入る、足元にもぐらの巣穴があって踏み抜く、弾かれた小石がひゅーるるると上空で弧を描いて何の因果か動き回った後の頭の上に落ちてくる、いやほんと、冗談みたいだけど全部本当にあったことなのよね。
ウルウ一流の言い方をすれば、蓋然性があるなら必ずそうなる程度の運の良さなのだ。
これは戦闘だけでなく、日常においてもそうで、だからあたしたちは福引とか引くときは必ずウルウに引かせるし、そしてそれは必ず当たる。もっとも当たるって言ったって、最初から入っていない当たりくじは引けないし、ウルウにとってどれが当たりかっていうのもあるから、必ずしもあたしたちの望み通りってわけにはいかないけど。
なので、ウルウを追い詰めるときはそんな運の良さも黙るくらい徹底的に追い詰めないといけない。
男爵家剣術指南役コルニーツォさんは、そのあたり容赦がなかった。
雪に慣れていないと察すればさりげなく足場の雪を乱して足を取り、積極的に攻める気がないことを見て取ればますます大胆に攻め立て、短い時間でウルウの癖をどんどん暴いて追い詰めていく。
ウルウがよけきれずに二刀を引き抜くまで、ものの数分といったところだろうか。
あたしやリリオじゃあまず抜かせることさえ二人がかりでないとできないってのに、全く怖いものだ。
ウルウがあの禍々しい二刀を抜いて、それで持ち直したかって言うと、そうでもない。むしろ剣撃は悪辣さを増していく。
芸術的なほど正確に、ウルウの二刀は剣を受け流そうとする。
けどコルニーツォさんの剣は、直前で驚くほど鋭角に軌道を変えたり、あえて受けさせてその上を滑るように切り返してくる。
あれは、つらい。
しっかり構えて対応すれば、見せかけの剣か本命の剣かは、振りの鋭さや強さから見抜けないこともない。でも、そもそも戦闘勘がまるでないウルウには、とてもじゃないけど、見えはしても咄嗟に対処できないだろう。
それにあの受け手の刃の上を滑ってくる斬撃。あれがいやらしい。
からみつくような剣は、激しい音は立てないけれど、確実に気力体力を削ってくる。
おまけに、一度短剣で受けているからか、ウルウのあの奇妙な回避がうまく機能しないみたいで、反応がやや遅れる。
奥様との手合わせだとこのくらい追い詰められたあたりで手も足も出なくなって一本取られるのが常だったけれど、この日のウルウはもう一枚札を切るようだった。
「ちょっと手妻を見せるので」
「フムン?」
「驚いて死なないでねおじいちゃん」
「ぬかすわ!」
あえてさらしたような隙に、コルニーツォさんの剣が容赦なく振り下ろされる。
そして振り抜かれる。
ウルウの脳天抜けて。
抜けてっていうか、脳天から股下まで切り裂いて。
老練な剣士であるコルニーツォさんも、これにはさすがに驚いてつんのめってしまったようだ。
そしてその隙にウルウの体はまるで本当の亡霊のようにコルニーツォさんをすり抜けて背後に回り、短剣を突き付けて決着。
審判役の男爵閣下も理解が及ばなかったようで、迷うように一拍遅れてからの、一本の声。
あたしはもうこれ、二度目なので、ちょっと驚きはしたけど、それだけだ。
以前にナージャとかいう、ウルウより背の高い女剣士との手合わせで見せたまじないね。
まるで身体が影になってしまったかのように、黒く染まったその身体はなんでもすり抜けてしまうみたいだった。
あれからあたしやリリオが何度か見せてよってお願いしても、すきるぽいんとの減りが激しいから嫌だ、とかなんとか言われて嫌がられている。たぶん魔力的なものをたくさん使うんだろう。
でもなんだかんだちょろもとい甘いから、二人がかりでおねだりを続けたらやってくれそうではあるので、時々思い出したようにお願いしてみたりしてる。
あたしは単純な好奇心からだけど、リリオはウルウと重なってみたら実質ウルウに包まれていることになるのではとかなんとか大分気持ち悪いことを言っていた。でも割とわかりみが深いので、そうねとだけ言っておいた。
ほんと、そうね。
ウルウのまじないで一発逆転されたコルニーツォさんはしてやられたと楽しそうに笑い、男爵閣下も非常に満足されたようだった。
内地の人が良く勘違いするところだけど、辺境武士は別に搦め手や策略、まじないなんかを卑怯だとか惰弱だとかは言わない。
そりゃ、力自慢はするし、正々堂々としているのは確かだけど、それはそれとして毒を使おうが罠にはめようが奇襲をかけようが、それを卑怯卑劣とののしることはない。
何しろ闘っている相手が自然の驚異と竜なのだ。この二つを相手に、辺境の人々は闘い続けてきたのだ。鍛え続けて全身全霊をささげてもなお届かない。頭を絞り道具を造り策を練り上げ罠にはめる。本当の本当に、できる限りのことをできる限りする。
それが人間の可能性であり、それが辺境の誇りなのだ。
だから、それを褒め称えこそすれ、蔑むことはない。
ただ、大昔に戦争した時に、これでもかと毒と罠と策略盛り盛りで攻めてきた内地の人を、素晴らしい覚悟と意気込みだって褒め称え笑いながら、真正面から正攻法で叩き潰しちゃった逸話が残っているらしく、その印象が強いのか、内地の物語に残る辺境武士は卑怯なことを嫌うまっすぐな騎士とかそんな感じに思われているらしい。
単に搦め手使わなくても勝てる戦力差だったかららしいんだけど。あ、数じゃなくて質でね。辺境貴族出たら終わる感じの。
なお、ウルウもこの話を聞いて「なにその魔王ムーブメント」と多分ドン引きしていたので、辺境人は昔から辺境人なんだなとは思う。
手合わせも無事終わり、私たちはお昼をいただきながら、手合わせの感想などを語り合った。
参加したコルニーツォさんとペンドグラツィオも同席した。
武装女中であるペンドグラツィオは、さすがに席について食事までは一緒にせず、ネジェロ様の給仕をしながら、受け答えしてる感じだけど。
あたしも武装女中なんだけどなとは思うけど、さすがに給仕されることももう慣れた。
あたしとペンドグラツィオの手合わせは、普段見ることのできない武装女中同士の戦闘が見られたということで、まずまず満足度は高いようだった。
リリオたちも、いつも見せる投擲をほとんど使わない近接戦を演じてみせたことで、あたしが遠間からちまちま攻め立てるだけの女でないことを見直してくれたようだった。
ぶっちゃけると、三人の中で一番弱いのはあたしだという自覚はあるので、今回自分の成長がはっきりと確認できて安心していたりする。
二人はあたしが弱いからってあたしをのけ者にしたりなんかはしないけど、でもあたし自身が、あたしが足手まといになりたくないのだ。武装女中なのに家事しかできないことを許容できない職業的な矜持でもあるし、二人と並んで立ちたいっていう個人的な希望でもある。
リリオとネジェロ様に関しては、まあ辺境人らしいなという感じ。
搦め手やまじないを否定しない辺境武士だけど、辺境貴族はそもそもの地力が強すぎるから、策を弄さない殴り合いが一番一般的だ。
互いの剣の鋭さや重さを素直に褒め称え、大声で笑いながら激しく酒杯を交わす。
うん、内地で想像する豪放で粗野な蛮族そのものだ。
ただ、リリオは黙ってれば美少女だし、ネジェロ様も甘い顔立ちの男前なので、絵面はちゃんと貴族同士の歓談だ。顔がいいっていうのはそれだけで武器になるなとつくづく思う。
奥様もリリオのお母様なだけあって、全然種類は違うけど美しい方だし、ウルウもまあ、癖があるというかちょっとよく見ないと分かりづらいけど美人さんだし、よくよく考えてみなくてもあたしは結構な美形たちと行動を共にしてるわけだ。
あたし?
あたしはほら、武装女中って基本貴族の侍女だから、顔の良さも選定条件なのよ。
そういうこと。
そんな感じで和やかに歓談は弾んだんだけど、ウルウとコルニーツォさんの手合わせの話になって、問題発言が飛び出た。
「いや! いや! いや! ウルウ殿は全く大したお方だ!」
「いえいえそんな」
「謙遜なさるな! じいが後ろを取られるところなぞ、わしは初めて見ましたぞ!」
「ちょっとした手妻ですよ」
「はっはっは! 大した手妻だ! いや! リリオお嬢様がヨメを連れてくるなどと言うので危ぶんでおりましたが、成程! 成程! ただ好いた惚れたというわけではなかったのですな!」
「──はあ?」
曖昧な笑みで男爵閣下の賛辞をのらりくらりと受けていたウルウの表情が固まった。
そしてゆっくり小首をかしげて、ゆっくりリリオを凝視する。半端に微笑みが残ってる分、怖い。
そんな濁った眼で見られたリリオは全力で首を振ってるけど、普段の言動もあって信用されてないのがまるわかりの視線のやり取りだった。
二人の間の緊張が高まったので、あたしがそっと挙手する。
「えーと、男爵閣下。横から失礼しますが、その、えー、いったいそのようなお話をいずこからお聞きに?」
「はて。はて。マテンステロ殿にお伺いしたのだが」
「ええ、私よー」
首を傾げる閣下に、平然と笑う奥様。
どうやらこのクソアマこと奥様の悪戯であったらしい。
悪戯なのか本気なのかと言われたらちょっと怪しいけど。
まあ、悪戯であるにせよ、何か考えがあるにせよ、リリオがウルウをそう言う意味で好いて慕っているのは、はたから見ても事実だった。
ウルウはリリオのそういう態度をわかっていて、その上で子供の言うことだとあしらっている。
子供だから、年上の女性に対するあこがれみたいなものを、勘違いしているのだと。
そういうことに、しようとしている。
そういうことに、したがっている。
ウルウの故郷では女同士っていうのがあんまり普通じゃないとか、ウルウ自身が恋愛沙汰にあんまり触れたくないとか、建前通りリリオがまだ子供だから本気にしちゃいけないとか、いろいろあるんだろうけど、でも、たぶん、一番は、いまの関係を崩したくないっていうのが大きいんだと思う。
友達と下らないこと話しながら特に目的もなく旅して美味しいもの食べたりお風呂入ったり冒険してみたり、子供がなんとなく想像する楽しそうな暮らしを、子供がなんとなく想像するように淡く夢見てた女が、手に入れたのだ。手に入れてしまったのだ。
大人の頭と子供の心で持て余してた夢を、大人の頭と子供の心で諦めてた世界を、今更手放せるわけがない。
あたしから見たら、ウルウってやつは化け物みたいに強くて、化け物みたいに得体が知れなくて、化け物みたいな化け物なんだけど、でも同時に、こいつの中身はようやくつなげた手のかたちを変えることさえ恐れるほどの臆病な子供なのだ。
自分が得たものをとても信じられなくて、時々立ち止まって呆然と手を眺めて、夢なんじゃないか動いたら消えちゃうんじゃないかって、それでもつないだ手を離すことの方がもっと怖くて、立ちすくんで泣きそうになっている、そんな小さな女の子なのだ。
どうやったらそんな、心が粉砕骨折して整復しないまま治っちゃって神経にザクザク刺さってんのに痛み止めもなしで過ごしてでも大丈夫ですなんて言えるわけもないから黙りこくって死に損なってるような人格が形成されるのかあたしにはわかんないけど、でも、得たものが信じられなくて、絶対に手放したくないっていう、その気持ちはよくわかる。
だって、あたしもそうだったから。
だって、あたしもそうだったんだから。
何にもなかったあたしはリリオに拾われ、何にもなかったあたしは何もかもを与えられて、何にもなかったあたしはあたしになれて、そして、何にもなかったあたしは誰かを好きになることができた。
だから、変えたくない、失いたくない、ウルウのそんな気持ちが、わかる、ような気がする。
そうして見れば、ひどく強張ったウルウの目は、なんだか泣きそうな子供のそれのようにも、見えるのだった。
リリオは、ちらりとウルウを見て、ちらりとあたしを見て、一つ息を吸って、一つ息を吐いて、それからもう一度ウルウとあたしを見て、深く息を吸って、細く吐いた。
「私が、ウルウを慕っているのは本当です。けれど、そう言う関係ではありません。私たちは、仲間で、友達で、姉妹で、そして、それ以上は、まだ、そう、まだ、これからなのです」
軽く目を伏せるようにして、だから何も言ってくれるなと言外に語るリリオに、閣下は頷かれた。
「なんと、そうでしたか」
うむうむ、と頷いて、閣下はからりと笑った。
「では早めに交渉を済ませるがよろしい」
「は?」
「寝室を用意します故、ごゆるりと」
閣下が指を鳴らすなり、すべて承知しておりますと言わんばかりの訳知り顔の女中どもにかこまれ、二人は拉致されたのだった。
これだから辺境貴族は。
用語解説
・辺境貴族
基本的に、辺境貴族は人の心がわからない連中が多い。
わかっていてもやることなすことが荒いことも多い。
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そんなある日、プリムローズは王侯貴族の子女が6~10歳の間に受ける『スキル鑑定の儀』の際、邪悪とされる大罪系スキルの所有者であると判定されてしまう。
プリムローズはその日のうちに、同じ判定を受けた唯一の友人、美少女と見まごうばかりの気弱な第二王子・リトス共々捕えられた挙句、国境近くの山中に捨てられてしまうのだった。
しかし、中身が元ヤンアラサー女の図太い少女は諦めない。
プリムローズは時に気弱な友の手を引き、時に引いたその手を勢い余ってブン回しながらも、邪悪と断じられたスキルを駆使して生き残りを図っていく。
これは、図太くて口の悪い、ちょっと(?)食いしん坊な転生令嬢が、自分なりの幸せを自分の力で掴み取るまでの物語。
こちらの作品は、2023年12月28日から、カクヨム様でも掲載を開始しました。
今後、カクヨム様掲載用にほんのちょっとだけ内容を手直しし、1話ごとの文章量を増やす事でトータルの話数を減らした改訂版を、1日に2回のペースで投稿していく予定です。多量の加筆修正はしておりませんが、もしよろしければ、カクヨム版の方もご笑覧下さい。
※作者が適当にでっち上げた、完全ご都合主義的世界です。細かいツッコミはご遠慮頂ければ幸いです。もし、目に余るような誤字脱字を発見された際には、コメント欄などで優しく教えてやって下さい。
※検討の結果、「ざまぁ要素あり」タグを追加しました。
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掲載は不定期になります。
追記
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お知らせ
カクヨム様でも掲載中です。
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