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第十三章 飛竜空路
第七話 鉄砲百合と狸鶉と韮葱の炒め焼き
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前回のあらすじ
お布団にくるまれてガールズトークに興じるウルウとトルンペート。
おっぱいは大事。
窓も戸も閉め切った竜車の中では、朝の訪れを感じ取ることは難しい。
まあ、いつも決まった時間に、かちりと歯車の噛み合ったように目覚めるあたしが、惰眠をむさぼるには少しばかり弱い言い訳だけれど。
あたしを抱きしめたまま静かな寝息を立てるおっぱいもといウルウの寝顔を眺めながら、なんとはなしに昨夜話していたことを思い出して、抜け出しづらくなってしまった、というのが本当のところだった。
別に、あたしがするりと抜け出して、てきぱきと支度を整えたところで、ウルウは何にも言わないだろうし、朝の準備が楽でいいとさえ思うかもしれない。
けれどそれで、顔に出ないだけで、確かな言葉にはならないだけで、もしかしたらもやもやとやらを抱えているのかもしれないと思うと、仕方がないなあという気持ちになって、布団から抜け出せないでいるのだった。
そのままだと二度寝してしまいそうだったので、おっぱいからは抜け出したけれど、暖を求めてむずかるものだから、腕の中からは抜け出せそうになかった。
日頃のウルウは、いつも何考えてるかわかんない無表情で、目つきも眠そうに細めていることが多いけれど、それでも、ご飯を食べてほんのり唇の端が持ち上がったり、街並みを眺めて目を見開いたり、近頃はその感情の起伏が見て取れるようになってきたと思う。
表情には乏しいけれど、あえて表情を隠そうとするわけでもないから、よくよく見ていればその違いは必ず目に見える形で浮かんでくるものだったし、慣れてくればその気配で、なんとなくわかっても来るものだった。
いまも何考えてるのかわかんないってことは結構あるけれど、でも、どう感じているんだろうっていうのは、もうあんまり間違えないんじゃないかと思う。
そう、そして、寝顔だ。
起きているときは、ちょっと気取ったり、格好をつけたりするところのあるウルウだけれど、寝ているときはそういったものがみんな取れちゃう。
辺境育ちのあたしや、もともと色が薄いリリオとはまた違った、ちょっと病的な肌の白さのせいで、最初はまるで死人みたいだと思うこともあったけれど、眺めているとこれほど賑やかな死人はそういないわね。
だらしなく口を開いて涎を垂らしたりなんかしないけど、夢でも見ているのか微笑んでいる時もあるし、リリオの寝相で布団がはだけたり、あたしが抜けだしたりしてぬくもりが消えると眉をひそめたりする。
寝息は静かで、寝返りもあまり打たなくて、寝相はいいけれど、ちょうどいい大きさのものがあると抱き枕にする癖がある。それはリリオだったり、あたしだったり、枕だったり、どこかから取り出した大きなぬいぐるみだったりする。
それから、顔の近くにあるものに、赤ちゃんみたいに唇をくっつける癖がある。そうすると、安心するみたいだった。
だからあたしとリリオは、ウルウの顔が自分の方を向いていると、そっと手を寄せてみたりしてみる。そうすると、すり寄ってくるのだった。
リリオに同じことをすると、舐められたりしゃぶられたり、下手すると噛まれるので迂闊なことはできないわね。
いまも物寂しそうにしている唇に手の甲を当ててやって、まどろみに安らぎを与えてやる。
こんなふうに甘やかすから、ダメになるかも、なんて言われるのだろうか。
そんなことをぼんやりと考えていると、何やら視線を感じた。
振り向けば、がっしりとしがみついたまま寝息を立てるリリオを腰のあたりにぶら下げた奥様が、にやにやと笑っていた。
別に後ろめたい所はないのだけれど、なんとなく気恥ずかしくなって視線を逸らすと、ますます悪戯っぽい笑みが深くなったような気がする。
奥様はうん、とひとつ伸びをすると、何のためらいもなく立ち上がり、腰にリリオをぶら下げたままのしのしとあたしたちの布団をまたいで、勢いよく竜車の戸を開いた。
竜車にはまじないが刻まれていて、閉め切っている限りは風は強く吹き込まないし、息が詰まるということもないけれど、さすがに戸を開け放つとその効果も途切れる。
南部とはいえ冬の朝。
冷え込んだ空気がどっと流れ込んで、寝坊助二人がわたわたと目を覚まし始めた。
竜車の中でリリオとウルウが身を寄せ合うようにして朝の訪れに抗っているのを尻目に、奥様は颯爽と竜車を降りていく。
あたしも手早く髪を整えて、速やかにそれに続く。武装女中は、朝から完璧でなくてはならないのだ。
あたしが竜車から降りると、奥様は巨大な赤い毛玉に取り付いていた。
よく見ればそれは体を丸めて、翼に首と尾を突っ込んで眠っている飛竜二頭だった。
キューちゃんとピーちゃんは奥様の気配に気づいて起き出し、わしわしと撫でてもらいながら、羽繕いを始めたようだった。
飛竜乗りは飛竜との触れ合いの時間を多くとるというし、あれもそうなんだろう。
あたしは水精晶の水で顔を洗い、口をゆすぎ、朝食の準備に入ることにした。
石を組んだかまどに改めて火を起こし、新しい鍋で水を湧かす。
温まるまでの間に、昨日ウルウに羽をむしらせ、内臓を取り除いておいた狸鶉に手を付ける。
皮に残った毛や、細かい毛を焼いて処理し、小刀片手に解体していく。
鳥の類の解体を覚えておくと、他の生き物を解体する時にも役立つわね。
猪とか大きいのは、解体の手順が違ってくるけど、少なくとも鳥の類はみんな大体同じ造りだから、どうすればいいのかってことはわかってくる。
今回は昨夜のうちに頭は落として、内臓も抜いてしまったから、まず、関節を外して、腿から下を切り外す。胸肉をあばらから浮かせて、筋を外した手羽ごと引きはがす。骨からささみを抜く。
骨付きのまま煮たりすると美味しいが、食べるときちょっと面倒くさいし、手短にさっと炒めるつもりなので、骨は外してしまう。骨にそって刃をいれて開き、骨を取り除き、しがみつく軟骨を外す。軟骨も美味しいは美味しいけれど、集めるほどの数はないので、今回は見送りだ。
こうしちゃうともう、なんていう鳥だったのか見分けるのが難しくなるくらい、いわゆる「お肉」の形だ。
骨は鍋に放り込んで、だしを取る。
ささみの筋を取り、余分な脂を切り取り、適当な大きさに切り分けていく。食べてるって感じがするくらいの大きさ、でも下品じゃない程度にころころとした感じに。
狸鶉は結構皮の脂が厚くて食いでがある一方、肉の方は割とあっさりとした、臭みのない赤身肉で、羽獣ではあるけれど、どちらかと言えば鳥の類より獣の類の肉に近い味がする。
切り終えたら下味を入れて、粉をはたいて衣をつける。
韮葱の緑の硬い部分は出し取りも兼ねて猪鍋に放り込んでおき、白い部分は肉と同じくらいの感じでざくざくと刻んでいく。個人的にはあればあっただけ嬉しい。
肉と韮葱だったら、韮葱の方がおいしいときだってあるくらいだ。
ハヴェノを出るときに仕入れた甘唐辛子があったから、これも新鮮なうちに使っちゃいましょ。鮮やかな赤や黄色、緑の色どりが映えることでしょうよ。
ヘタを取り、種を外し、肉厚な果肉を刻んでいく。
ちょっと甘みが強いけれど、ま、悪いことにはならないでしょ。
これだけでもいいけど、ハヴェノの華夏街で食べた炒め物が美味しかったのよね。
こう、変わった形の豆だか木の実だかみたいのが入ってて、なんて言ったかしら、ウカジュ? カジュ? みたいな名前のやつ、あれが美味しかったんだけど、色々食べ歩きしてたら、買って来るの忘れちゃったのよね。
だから今日は、兜胡桃で代用ね。
殻付きのまま袋詰めにされた兜胡桃を、もそもそ起き出してちんたら顔を洗っていたリリオに投げつけて、割らせることにする。
普通の胡桃ならあたしでも割れるけど、投げつけたら武器になるほど硬い兜胡桃は胡桃割りがいる。鍋で炒って温めて、薄く口を開いたところに短刀をねじ込んで割る、というのもできなくはないけど、やっぱり時間かかるし、面倒くさいのよね。
その点、リリオは素手で平然と割っていく。
小さい手の中でばきばきと恐ろしい音を立てて兜胡桃が割れていく。
試しにと手に取ったウルウが、しばらく取り組んで、それから真顔でリリオの作業を見つめてた。
そうよねえ。あれ人間が割れる硬さじゃないわよねえ。
リリオがあくびまじりにばきばきと兜胡桃を割っている間に、あたしは出汁の取れた鍋をかまどから降ろし、揚げ物用の鍋に油を満たして火にかける。
「鍋いくつ持ってるのよ?」
「え、いくつでしたっけ………ウルウ、鍋何個あったかしら?」
「えーっと、その大鍋ひとつと、揚げ物用ひとつと、寸胴鍋と、片手鍋が二つ、あ、三つか、あとは、土鍋ひとつと、フライパン……浅鍋が二つ、華夏鍋の大きいのがひとつ、小さいのがひとつ、それから」
「もういいわ。ウルウちゃん、私のパーティに入らない?」
「お・か・あ・さ・ま!」
「冗談よ。半分は」
「もう!」
突っ込まれるまで完全に忘れてたけど、そうよね、鍋だけでもこんなにあるって異常よね。
便利だからあたしは何にも言わないけど。
鍋に用意した油は、葡萄種油だ。
香りがないからなんにでも合わせられるけど、逆に言うと油の香りを生かしたい時にはちょっと物足りない。今日は揚げ物ってわけじゃないから、これでいい。揚げ物として香りをつけたい時は、香りの強い油をちょっと加えてやればいい。
油の温度が低いうちから、兜胡桃を放り入れて、じんわり過熱して水分を飛ばしていく。これやると油が一発で汚れるからあんまり好きじゃないんだけど、でもまあ、そこまで気にする程じゃない。
どうせ油はウルウに大量に持たせてるもの。
兜胡桃が仕上がったら、狸鶉の肉を油通し、というより揚げちゃう。カリッと揚げちゃう。
で、野菜は油通し。
油を油入れに濾し入れて、古布で残った油をふき取り、揚げ物鍋をリリオに放り投げる。洗い物くらいはして貰おう。
華夏鍋を取り出してよくよく熱して、油返ししたら、刻んでおいた生姜と大蒜を炒めて香りを出し、狸鶉のガラの出汁と牡蠣油、醤油でたれを作り、味を調え、調え……
「こんな感じだったっけ?」
「大丈夫?」
「不味くはないわよ。なんか記憶と違うだけで」
「まあ、隠し味もあるだろうしねえ」
まあ大体こんな感じだったからいいわよ。
材料を放り込んでざっくり絡めて、出来上がりだ。
それから、昨夜の猪鍋の残りを温めて、かなり豪勢な朝ごはんのできあがり。
華夏の調味料使って、華夏料理っぽくして見たけど、やっぱりまだまだ違うわね。美味しいは美味しいけど。
朝食を済ませ、あたしたちは今日の旅程を確認する。
広げた地図は、南部のものと、そして東部のものね。
普通の旅ならその地方の地図があればいいけど、なにしろ一度にかなりの距離を飛ぶ竜車だから、あっさりと地方をまたげるわけね。
奥様は東部の地図をとんとんと指さす。
「今日は、そうねえ、このあたりまでかしらね」
「えーと……バセーノ子爵領ですね」
「どんなところ?」
「そうですねえ、温泉で有名ですね」
「温泉」
ウルウが食いつくけど、でも、いくらなんでも竜車で温泉街に乗りつけるってわけにはいかない。
かといって、山や森に竜車を隠してちょっと寄ってみる、なんてのも難しい。
なあんだ、と露骨に気落ちするウルウはわかりやすいけど、まあ、あたしも残念だ。
なんだかんだ、あたしたち、お風呂やら温泉やら楽しみにしてるものね、いっつも。
「ああ、でも、辺境から帰ってきた時に、山の中に温泉見つけたのよ」
「秘湯ってやつですか?」
「そうねえ、その時にちょっと手を入れて入れるようにしたから、まだ使えるんじゃないかしら」
寄る?
と悪戯っぽく笑う奥様に、私たちの答えはもちろん決まっていた。
朝から枝肉を平らげた飛竜たちによって竜車は空高く飛び上がり、ウルウは朝ごはんが出てこないように床に沈んで黙り込んだ。
東部へ向かい、徐々に北上していくにつれて、段々と寒さも深まってきた。
まだまだ辺境程じゃあないけど、南部と比べたらやっぱり冷え込む。
南部じゃあ雪なんてめったに見られないけど、東部はちょくちょく降る。地域によっては、かなり積もるところもあるらしい。
北部でもあまり雪が積もらないところがあるから、単純に北の方で寒いから雪が降るってわけじゃないのよね。
雪は結局雲によって運ばれてくるわけだから、風向きとか、山で遮られたりとか、いろいろ条件がかかわってくるわけ。
「ヴォースト出てきた時は、まだ秋で雪は降ってなかったよね」
「あのあともうすぐに降り始めてたと思いますけどね」
「え、そんなに降り始めるの早いの?」
「ヴォーストあたりは大分雪降るらしいですからねえ」
「辺境はもっと早いわよ」
「一年の半分くらいは雪が積もってるって言っていいですよね」
「じゃあ私たちがつく時はもう、すっかり雪が積もってるわけだ」
「そうなるわね」
雪の積もった辺境の景色を思い浮かべて、私たちはほうと息を吐いた。
「ちょっと楽しみだね」
「うんざりするわね」
噛み合わない呟きに、思わず顔を見合わせるのだった。
用語解説
・韮葱(poreo)
南部原産のネギ属の野菜。茎は太く、葉は平たい。
基本的に成長とともに土を盛り上げて育てる根深ネギ。
軟白化した部分を主に食用とし、緑の葉も柔らかい部分は食す。
リーキ、ポロネギ。
・甘唐辛子(dolĉa kapsiko)
甘味種の唐辛子を品種改良したもの。
鐘型、やや大型の果実で、辛みはない、またはほとんどない。
緑、黄色、赤など、さまざまな色が存在する。
生食のほか加熱したり、乾燥させて粉末状にしたものを色素や香辛料として用いる。
ピーマン、パプリカ。
・華夏
大叢海をはさんだ向こう側、西大陸のほとんどを支配下に置く西の帝国ことファシャ国。
ざっくりと言えば中国のような国家であるらしいが、帝国のように広範であるため、一概には言えない。
現在は帝国との仲は極めて良好であり大叢海さえなければ気軽に握手したいと言わせるほど。
・華夏街
ハヴェノの一角に存在する、華夏からやってきた人々が暮らす外国人街。
異国情緒あふれる町並みで、華夏料理や華夏文化などが楽しめる。
もちろん、活気あふれるこの区画にも、薄暗い面はあるのだが。
・華夏街で食べた炒め物
恐らく腰果鶏丁。
鶏肉と腰果の炒め物。
トルンペート達が食べたものは、帝国人向けに調整されたもので、鶏肉を揚げたものにソースを絡めた形だったようだ。
・ウカジュ? カジュ? みたいな名前のやつ
腰果(akaĵunukso)。
ウルシ科の常緑高木の種子。
南大陸原産で、華夏では腰果として利用されているほか、南部でも輸入している。
・兜胡桃(Kiras juglando)
胡桃の一種。
肉厚で大振りであり、仁は大きくコクがあるが、石のように頑丈な殻でおおわれており、取り出すには苦労する。
大型の胡桃割りや、万力型の胡桃割りなどが必要で、大量に用意するのはかなりの労力である。
石で殴ると石の方が割れるほどのあまりの硬さに、胡桃割り人形殺しなどとも呼ばれる。
・華夏鍋
西大陸を治める華夏で広く用いられる鉄の丸底鍋。
持ち手や鍋の深さ、大きさなど、いくつか種類がある。
・葡萄種油(vinsemoleo)
葡萄酒を作る過程で得られる種子を絞って得られる油。
古くは葡萄酒を作る際は、葡萄の種類も様々に混ぜ、皮も種も混ぜ込んで作っていたが、洗練されていくうちに副産物として油も搾られるようになった。
・牡蠣油(ostrsaŭco)
牡蠣を塩茹でした煮汁を濃縮し、小麦粉などでとろみをつけ、砂糖などで調味したもの。
華夏の料理人の間で崇められる食の神ジィェンミンがもたらしたとされる。
・食の神ジィェンミン
華夏が西大陸を統一した頃に存在したと言われる料理人。またその陞神した神。
現在の多彩な華夏料理の基礎を作り上げたと言われる。
一説によれば、美味なる料理を求めた境界の神プルプラが異界より招いたともされる。
・大蒜(ajlo)
ヒガンバナ科ネギ属の多年草。球根を香辛料・食用として用いる。ニンニク。
・バセーノ子爵領(baseno)
東部の領地の一つ。温泉地で有名。
浴場建築の優れた技術が蓄積されており、美麗な浴場が多く見られる。
・噛み合わない呟き
降雪地帯とそうでない地帯の出身の人には、雪に対する認識に結構違いがみられる。
お布団にくるまれてガールズトークに興じるウルウとトルンペート。
おっぱいは大事。
窓も戸も閉め切った竜車の中では、朝の訪れを感じ取ることは難しい。
まあ、いつも決まった時間に、かちりと歯車の噛み合ったように目覚めるあたしが、惰眠をむさぼるには少しばかり弱い言い訳だけれど。
あたしを抱きしめたまま静かな寝息を立てるおっぱいもといウルウの寝顔を眺めながら、なんとはなしに昨夜話していたことを思い出して、抜け出しづらくなってしまった、というのが本当のところだった。
別に、あたしがするりと抜け出して、てきぱきと支度を整えたところで、ウルウは何にも言わないだろうし、朝の準備が楽でいいとさえ思うかもしれない。
けれどそれで、顔に出ないだけで、確かな言葉にはならないだけで、もしかしたらもやもやとやらを抱えているのかもしれないと思うと、仕方がないなあという気持ちになって、布団から抜け出せないでいるのだった。
そのままだと二度寝してしまいそうだったので、おっぱいからは抜け出したけれど、暖を求めてむずかるものだから、腕の中からは抜け出せそうになかった。
日頃のウルウは、いつも何考えてるかわかんない無表情で、目つきも眠そうに細めていることが多いけれど、それでも、ご飯を食べてほんのり唇の端が持ち上がったり、街並みを眺めて目を見開いたり、近頃はその感情の起伏が見て取れるようになってきたと思う。
表情には乏しいけれど、あえて表情を隠そうとするわけでもないから、よくよく見ていればその違いは必ず目に見える形で浮かんでくるものだったし、慣れてくればその気配で、なんとなくわかっても来るものだった。
いまも何考えてるのかわかんないってことは結構あるけれど、でも、どう感じているんだろうっていうのは、もうあんまり間違えないんじゃないかと思う。
そう、そして、寝顔だ。
起きているときは、ちょっと気取ったり、格好をつけたりするところのあるウルウだけれど、寝ているときはそういったものがみんな取れちゃう。
辺境育ちのあたしや、もともと色が薄いリリオとはまた違った、ちょっと病的な肌の白さのせいで、最初はまるで死人みたいだと思うこともあったけれど、眺めているとこれほど賑やかな死人はそういないわね。
だらしなく口を開いて涎を垂らしたりなんかしないけど、夢でも見ているのか微笑んでいる時もあるし、リリオの寝相で布団がはだけたり、あたしが抜けだしたりしてぬくもりが消えると眉をひそめたりする。
寝息は静かで、寝返りもあまり打たなくて、寝相はいいけれど、ちょうどいい大きさのものがあると抱き枕にする癖がある。それはリリオだったり、あたしだったり、枕だったり、どこかから取り出した大きなぬいぐるみだったりする。
それから、顔の近くにあるものに、赤ちゃんみたいに唇をくっつける癖がある。そうすると、安心するみたいだった。
だからあたしとリリオは、ウルウの顔が自分の方を向いていると、そっと手を寄せてみたりしてみる。そうすると、すり寄ってくるのだった。
リリオに同じことをすると、舐められたりしゃぶられたり、下手すると噛まれるので迂闊なことはできないわね。
いまも物寂しそうにしている唇に手の甲を当ててやって、まどろみに安らぎを与えてやる。
こんなふうに甘やかすから、ダメになるかも、なんて言われるのだろうか。
そんなことをぼんやりと考えていると、何やら視線を感じた。
振り向けば、がっしりとしがみついたまま寝息を立てるリリオを腰のあたりにぶら下げた奥様が、にやにやと笑っていた。
別に後ろめたい所はないのだけれど、なんとなく気恥ずかしくなって視線を逸らすと、ますます悪戯っぽい笑みが深くなったような気がする。
奥様はうん、とひとつ伸びをすると、何のためらいもなく立ち上がり、腰にリリオをぶら下げたままのしのしとあたしたちの布団をまたいで、勢いよく竜車の戸を開いた。
竜車にはまじないが刻まれていて、閉め切っている限りは風は強く吹き込まないし、息が詰まるということもないけれど、さすがに戸を開け放つとその効果も途切れる。
南部とはいえ冬の朝。
冷え込んだ空気がどっと流れ込んで、寝坊助二人がわたわたと目を覚まし始めた。
竜車の中でリリオとウルウが身を寄せ合うようにして朝の訪れに抗っているのを尻目に、奥様は颯爽と竜車を降りていく。
あたしも手早く髪を整えて、速やかにそれに続く。武装女中は、朝から完璧でなくてはならないのだ。
あたしが竜車から降りると、奥様は巨大な赤い毛玉に取り付いていた。
よく見ればそれは体を丸めて、翼に首と尾を突っ込んで眠っている飛竜二頭だった。
キューちゃんとピーちゃんは奥様の気配に気づいて起き出し、わしわしと撫でてもらいながら、羽繕いを始めたようだった。
飛竜乗りは飛竜との触れ合いの時間を多くとるというし、あれもそうなんだろう。
あたしは水精晶の水で顔を洗い、口をゆすぎ、朝食の準備に入ることにした。
石を組んだかまどに改めて火を起こし、新しい鍋で水を湧かす。
温まるまでの間に、昨日ウルウに羽をむしらせ、内臓を取り除いておいた狸鶉に手を付ける。
皮に残った毛や、細かい毛を焼いて処理し、小刀片手に解体していく。
鳥の類の解体を覚えておくと、他の生き物を解体する時にも役立つわね。
猪とか大きいのは、解体の手順が違ってくるけど、少なくとも鳥の類はみんな大体同じ造りだから、どうすればいいのかってことはわかってくる。
今回は昨夜のうちに頭は落として、内臓も抜いてしまったから、まず、関節を外して、腿から下を切り外す。胸肉をあばらから浮かせて、筋を外した手羽ごと引きはがす。骨からささみを抜く。
骨付きのまま煮たりすると美味しいが、食べるときちょっと面倒くさいし、手短にさっと炒めるつもりなので、骨は外してしまう。骨にそって刃をいれて開き、骨を取り除き、しがみつく軟骨を外す。軟骨も美味しいは美味しいけれど、集めるほどの数はないので、今回は見送りだ。
こうしちゃうともう、なんていう鳥だったのか見分けるのが難しくなるくらい、いわゆる「お肉」の形だ。
骨は鍋に放り込んで、だしを取る。
ささみの筋を取り、余分な脂を切り取り、適当な大きさに切り分けていく。食べてるって感じがするくらいの大きさ、でも下品じゃない程度にころころとした感じに。
狸鶉は結構皮の脂が厚くて食いでがある一方、肉の方は割とあっさりとした、臭みのない赤身肉で、羽獣ではあるけれど、どちらかと言えば鳥の類より獣の類の肉に近い味がする。
切り終えたら下味を入れて、粉をはたいて衣をつける。
韮葱の緑の硬い部分は出し取りも兼ねて猪鍋に放り込んでおき、白い部分は肉と同じくらいの感じでざくざくと刻んでいく。個人的にはあればあっただけ嬉しい。
肉と韮葱だったら、韮葱の方がおいしいときだってあるくらいだ。
ハヴェノを出るときに仕入れた甘唐辛子があったから、これも新鮮なうちに使っちゃいましょ。鮮やかな赤や黄色、緑の色どりが映えることでしょうよ。
ヘタを取り、種を外し、肉厚な果肉を刻んでいく。
ちょっと甘みが強いけれど、ま、悪いことにはならないでしょ。
これだけでもいいけど、ハヴェノの華夏街で食べた炒め物が美味しかったのよね。
こう、変わった形の豆だか木の実だかみたいのが入ってて、なんて言ったかしら、ウカジュ? カジュ? みたいな名前のやつ、あれが美味しかったんだけど、色々食べ歩きしてたら、買って来るの忘れちゃったのよね。
だから今日は、兜胡桃で代用ね。
殻付きのまま袋詰めにされた兜胡桃を、もそもそ起き出してちんたら顔を洗っていたリリオに投げつけて、割らせることにする。
普通の胡桃ならあたしでも割れるけど、投げつけたら武器になるほど硬い兜胡桃は胡桃割りがいる。鍋で炒って温めて、薄く口を開いたところに短刀をねじ込んで割る、というのもできなくはないけど、やっぱり時間かかるし、面倒くさいのよね。
その点、リリオは素手で平然と割っていく。
小さい手の中でばきばきと恐ろしい音を立てて兜胡桃が割れていく。
試しにと手に取ったウルウが、しばらく取り組んで、それから真顔でリリオの作業を見つめてた。
そうよねえ。あれ人間が割れる硬さじゃないわよねえ。
リリオがあくびまじりにばきばきと兜胡桃を割っている間に、あたしは出汁の取れた鍋をかまどから降ろし、揚げ物用の鍋に油を満たして火にかける。
「鍋いくつ持ってるのよ?」
「え、いくつでしたっけ………ウルウ、鍋何個あったかしら?」
「えーっと、その大鍋ひとつと、揚げ物用ひとつと、寸胴鍋と、片手鍋が二つ、あ、三つか、あとは、土鍋ひとつと、フライパン……浅鍋が二つ、華夏鍋の大きいのがひとつ、小さいのがひとつ、それから」
「もういいわ。ウルウちゃん、私のパーティに入らない?」
「お・か・あ・さ・ま!」
「冗談よ。半分は」
「もう!」
突っ込まれるまで完全に忘れてたけど、そうよね、鍋だけでもこんなにあるって異常よね。
便利だからあたしは何にも言わないけど。
鍋に用意した油は、葡萄種油だ。
香りがないからなんにでも合わせられるけど、逆に言うと油の香りを生かしたい時にはちょっと物足りない。今日は揚げ物ってわけじゃないから、これでいい。揚げ物として香りをつけたい時は、香りの強い油をちょっと加えてやればいい。
油の温度が低いうちから、兜胡桃を放り入れて、じんわり過熱して水分を飛ばしていく。これやると油が一発で汚れるからあんまり好きじゃないんだけど、でもまあ、そこまで気にする程じゃない。
どうせ油はウルウに大量に持たせてるもの。
兜胡桃が仕上がったら、狸鶉の肉を油通し、というより揚げちゃう。カリッと揚げちゃう。
で、野菜は油通し。
油を油入れに濾し入れて、古布で残った油をふき取り、揚げ物鍋をリリオに放り投げる。洗い物くらいはして貰おう。
華夏鍋を取り出してよくよく熱して、油返ししたら、刻んでおいた生姜と大蒜を炒めて香りを出し、狸鶉のガラの出汁と牡蠣油、醤油でたれを作り、味を調え、調え……
「こんな感じだったっけ?」
「大丈夫?」
「不味くはないわよ。なんか記憶と違うだけで」
「まあ、隠し味もあるだろうしねえ」
まあ大体こんな感じだったからいいわよ。
材料を放り込んでざっくり絡めて、出来上がりだ。
それから、昨夜の猪鍋の残りを温めて、かなり豪勢な朝ごはんのできあがり。
華夏の調味料使って、華夏料理っぽくして見たけど、やっぱりまだまだ違うわね。美味しいは美味しいけど。
朝食を済ませ、あたしたちは今日の旅程を確認する。
広げた地図は、南部のものと、そして東部のものね。
普通の旅ならその地方の地図があればいいけど、なにしろ一度にかなりの距離を飛ぶ竜車だから、あっさりと地方をまたげるわけね。
奥様は東部の地図をとんとんと指さす。
「今日は、そうねえ、このあたりまでかしらね」
「えーと……バセーノ子爵領ですね」
「どんなところ?」
「そうですねえ、温泉で有名ですね」
「温泉」
ウルウが食いつくけど、でも、いくらなんでも竜車で温泉街に乗りつけるってわけにはいかない。
かといって、山や森に竜車を隠してちょっと寄ってみる、なんてのも難しい。
なあんだ、と露骨に気落ちするウルウはわかりやすいけど、まあ、あたしも残念だ。
なんだかんだ、あたしたち、お風呂やら温泉やら楽しみにしてるものね、いっつも。
「ああ、でも、辺境から帰ってきた時に、山の中に温泉見つけたのよ」
「秘湯ってやつですか?」
「そうねえ、その時にちょっと手を入れて入れるようにしたから、まだ使えるんじゃないかしら」
寄る?
と悪戯っぽく笑う奥様に、私たちの答えはもちろん決まっていた。
朝から枝肉を平らげた飛竜たちによって竜車は空高く飛び上がり、ウルウは朝ごはんが出てこないように床に沈んで黙り込んだ。
東部へ向かい、徐々に北上していくにつれて、段々と寒さも深まってきた。
まだまだ辺境程じゃあないけど、南部と比べたらやっぱり冷え込む。
南部じゃあ雪なんてめったに見られないけど、東部はちょくちょく降る。地域によっては、かなり積もるところもあるらしい。
北部でもあまり雪が積もらないところがあるから、単純に北の方で寒いから雪が降るってわけじゃないのよね。
雪は結局雲によって運ばれてくるわけだから、風向きとか、山で遮られたりとか、いろいろ条件がかかわってくるわけ。
「ヴォースト出てきた時は、まだ秋で雪は降ってなかったよね」
「あのあともうすぐに降り始めてたと思いますけどね」
「え、そんなに降り始めるの早いの?」
「ヴォーストあたりは大分雪降るらしいですからねえ」
「辺境はもっと早いわよ」
「一年の半分くらいは雪が積もってるって言っていいですよね」
「じゃあ私たちがつく時はもう、すっかり雪が積もってるわけだ」
「そうなるわね」
雪の積もった辺境の景色を思い浮かべて、私たちはほうと息を吐いた。
「ちょっと楽しみだね」
「うんざりするわね」
噛み合わない呟きに、思わず顔を見合わせるのだった。
用語解説
・韮葱(poreo)
南部原産のネギ属の野菜。茎は太く、葉は平たい。
基本的に成長とともに土を盛り上げて育てる根深ネギ。
軟白化した部分を主に食用とし、緑の葉も柔らかい部分は食す。
リーキ、ポロネギ。
・甘唐辛子(dolĉa kapsiko)
甘味種の唐辛子を品種改良したもの。
鐘型、やや大型の果実で、辛みはない、またはほとんどない。
緑、黄色、赤など、さまざまな色が存在する。
生食のほか加熱したり、乾燥させて粉末状にしたものを色素や香辛料として用いる。
ピーマン、パプリカ。
・華夏
大叢海をはさんだ向こう側、西大陸のほとんどを支配下に置く西の帝国ことファシャ国。
ざっくりと言えば中国のような国家であるらしいが、帝国のように広範であるため、一概には言えない。
現在は帝国との仲は極めて良好であり大叢海さえなければ気軽に握手したいと言わせるほど。
・華夏街
ハヴェノの一角に存在する、華夏からやってきた人々が暮らす外国人街。
異国情緒あふれる町並みで、華夏料理や華夏文化などが楽しめる。
もちろん、活気あふれるこの区画にも、薄暗い面はあるのだが。
・華夏街で食べた炒め物
恐らく腰果鶏丁。
鶏肉と腰果の炒め物。
トルンペート達が食べたものは、帝国人向けに調整されたもので、鶏肉を揚げたものにソースを絡めた形だったようだ。
・ウカジュ? カジュ? みたいな名前のやつ
腰果(akaĵunukso)。
ウルシ科の常緑高木の種子。
南大陸原産で、華夏では腰果として利用されているほか、南部でも輸入している。
・兜胡桃(Kiras juglando)
胡桃の一種。
肉厚で大振りであり、仁は大きくコクがあるが、石のように頑丈な殻でおおわれており、取り出すには苦労する。
大型の胡桃割りや、万力型の胡桃割りなどが必要で、大量に用意するのはかなりの労力である。
石で殴ると石の方が割れるほどのあまりの硬さに、胡桃割り人形殺しなどとも呼ばれる。
・華夏鍋
西大陸を治める華夏で広く用いられる鉄の丸底鍋。
持ち手や鍋の深さ、大きさなど、いくつか種類がある。
・葡萄種油(vinsemoleo)
葡萄酒を作る過程で得られる種子を絞って得られる油。
古くは葡萄酒を作る際は、葡萄の種類も様々に混ぜ、皮も種も混ぜ込んで作っていたが、洗練されていくうちに副産物として油も搾られるようになった。
・牡蠣油(ostrsaŭco)
牡蠣を塩茹でした煮汁を濃縮し、小麦粉などでとろみをつけ、砂糖などで調味したもの。
華夏の料理人の間で崇められる食の神ジィェンミンがもたらしたとされる。
・食の神ジィェンミン
華夏が西大陸を統一した頃に存在したと言われる料理人。またその陞神した神。
現在の多彩な華夏料理の基礎を作り上げたと言われる。
一説によれば、美味なる料理を求めた境界の神プルプラが異界より招いたともされる。
・大蒜(ajlo)
ヒガンバナ科ネギ属の多年草。球根を香辛料・食用として用いる。ニンニク。
・バセーノ子爵領(baseno)
東部の領地の一つ。温泉地で有名。
浴場建築の優れた技術が蓄積されており、美麗な浴場が多く見られる。
・噛み合わない呟き
降雪地帯とそうでない地帯の出身の人には、雪に対する認識に結構違いがみられる。
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