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第四章 異界考察
第二話 亡霊とヴォーストの街・中
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前回のあらすじ
リリオから解放され、ヴォーストの街をうろつくウルウ。
寂しがるかと思いきや一人飯に舌鼓を打つ当たり根っからの孤独飯である。
小腹を満たして、今度は逆方向、運河沿いに南下していくと、漁場は姿を消し、代わってかんかんがんがんごうごうごんごんとやかましい音がするようになり、匂いや、川の色も一変する。
鍛冶屋街だ。
メザーガに紹介された鍛冶屋カサドコの看板もこの鍛冶屋街に掲げられている。
鍛冶というものは火を使う薪を使う、そしてそれだけでなく水を使う。製鉄にはたくさんの水が必要だ。だから川沿いに鍛冶屋が並ぶ。そうして鍛冶屋が並ぶと水が汚れる。なので漁場が減る。上流に鍛冶屋ができると下流全てが汚れるので、下流にかたまる。そのように住み分けができている。
進捗伺いも兼ねてカサドコに顔を出し、土産と素材売りを兼ねて霹靂猫魚を渡してみると、大いに歓迎された。
私などは無傷でいくらでも捕まえることのできる相手でしかないのだけれど、耐電装備はこの世界には少ないようで、本来はなかなか高値らしい。
「霹靂猫魚を安定して捕まえるのに、まず霹靂猫魚の革で作った鎧が必要なんだからさ、そりゃ難しいさ」
「囲んで棒で叩いて弱らせるって聞いたけど」
「それが安全だけどね、でも叩けばその分傷つくし、弱ればその分価値も落ちる。ましてサシミなんざねえ」
カサドコは霹靂猫魚の刺身を何よりの好物とする地潜の女性だ。長身な方である私よりも背が高いし、がっしりとしていて、気風がいい。
人間嫌いを標榜する私ではあるけれど、仕事と酒と刺身、それに妻のイナオのことくらいしか興味がないこの土蜘蛛は割と嫌いではなかった。勿論好きというほどではないのだけれど、私のことをこれっぽっちも気にかけない人種というのは割とありがたい。
旦那と比べて穏やかでにこにこと控えめなイナオは私に豆茶を、旦那には酒を一献注いで奥に下がった。実はイナオもそこそこ気に入っている。あのいかにもおしとやかでございという態度が、実のところ面倒臭いので世の中に積極的に関わらないようにしているというスタンスであるというのが端々にうかがえるからだ。
すっごくよくわかる、うん。
それに豆茶が美味いというのは、これは才能だ。
真昼間から注がれた酒を飲み干し、また手酌でじゃぶじゃぶやっているカサドコだが、土蜘蛛というのは基本的に酒に強い、というより水代わりに飲むらしい。その癖、実は豆茶であっさり酔うという話だから分からない。
ん、待てよ。そうなるとこれは人族流に言えば客に酒を出しているのではなかろうか、と思わず黒い水面を見つめてしまった。
「進捗どうですか」
「あんだって?」
「剣の修理の進み具合はどうかなって」
「まだまだだね。いまは霹靂猫魚の皮をなめして処理してるとこ。レドのじいさんに見せたら、年甲斐もなくはしゃいじまってね、ありゃ前よりもっと強烈なのができそうだ」
「刀身は?」
「あれな。あれが難しい。大具足裾払ってのはまあ、裾払の仲間なんだが、とにかく硬い甲殻で有名でね。まず切り出すのに聖硬銀か、同じ甲殻で削るしかない。そう、削り出しなんだよ、基本。これが歪んじまったから直すなんてのは、ハ、どうしたもんかね」
カサドコは渋い顔で酒を煽り、骨煎餅をかじった。これは霹靂猫魚の骨をよくよくあぶって塩を振ったものだそうで、それだけ言うと安っぽく感じるが、素材が素材なだけに相当高価らしい。まあ、私が卸した奴だからあほほど安いんだろうけど。
「熱に強い、酸にも強い、折れず欠けず曲がりもしないってのが大具足裾払なんだけどねえ」
「もしかしてあれってすごい剣だったの?」
「まあ、辺境から出てくることが滅多にないらかそんなに知られちゃいないけどね。あれ一振りで帝都に屋敷が買えてもおかしくないよ」
「ごめん、基準がわかんない」
「ま、とにかく凄いのさ」
すごいらしい。
私も骨煎餅をかじってみたがこれがなかなか面白い。
かじると塩気と、香ばしさ、それからぴりりと来るものがある。辛さじゃなく、痺れだ。山椒なんかの痺れじゃなく、電気の痺れがピリッと舌先に来る。
「なにこれ」
「面白いだろ。霹靂猫魚は背中側の筋肉に雷を生む肉がついてる。で、皮はこれを内側から外側に通すけど、逆は弾く。それで自分は感電しないんだがね、なんと骨の内側、骨髄には強い雷が流れてるみたいなんだよ。
学者の何とかが言うにはね、この雷が駆け巡るおかげで霹靂猫魚は巨体の割に非常に頭の回転が速くて、強いだけでなく細かな雷の制御ができるんだそうだ」
うーん。脊髄と骨髄とごっちゃになってる感じはする。しかし電流と神経系の関係に触れているあたり解剖学がそこそこ進んでいる感じはする。
「以前は皮と分厚い脂肪で自分が感電しないようにしているってのが主流だったんだけどね、どうも雷精を操って自分の筋肉を震わせて、巨体の割に機敏な動きをさせているんじゃないかって研究があってね。水中での移動速度が同じような体型の猫魚とは比べ物にならないってんで調べたやつがいてさ、帝都の奴なんだが、これを流用して着た奴の運動能力を高める強化鎧ってーのをこさえた鍛冶屋だか錬金術師だかがいて、なかなか面白そうなんだよ。そいつが言うには生き物ってのはみんなよわーいいかずちで動いてるそうで、それをうまいこと調整できりゃあ霹靂猫魚がやってるみたいな自分の強化が手軽にできるんじゃないかって、なんつったかな、二人組の奴らなんだけど、」
この程度の酒では全然酔わないという話だから、多分話に興が乗っているんだろうけれど、まあよく喋る。相手のことをまったく気にしていないお喋りだけれど、実は私はこういう人種はそんなに嫌いではない。話は通じないけど仕事はできる。話は通じないけど。イナオがいい感じにマネジメントしてくれると助かる。
しかし、聞き流してはいるけれど、これは生体電流についての話だろうか。で、それを操ることで装着者を強化するある種のパワードスーツ。動力が外力じゃないから限度はありそうだけど、反射速度を高めたりということに利用しているっぽい、のかな。
思ったよりも発想や技術が進んでるなあ、異世界。
「そう言えば」
「先月の《帝学月報》に載ってたんだけど、どこやったか、」
「電気で歪んだんなら電気で直せるんじゃないの」
「ユベルとかいったか、あん? なんだって?」
「いや、熱にも酸にも強くて外圧にも強い素材が雷で歪んだんなら、雷でもっかい歪めれば直せるんじゃないの」
思い付きで適当な事を言ってみたのだが、カサドコは一本の手で顎をさすって、もう一本の手で酒を煽り、それから分厚い本を別の一本の手で引きずり出し、また一本の手で眼鏡を取り出し、四本の腕をフル稼働しながらぶつぶつと考え始めたようだった。
「大具足裾払の甲殻がはぎ取った後も加工のノリが悪いのは生体反応が消えていないからと聞いたことがあるな。つまり甲殻は甲殻でまだ生きてるわけだ。金属質であるともいえるし生物質であるとも言える。下手な竜も喰らう超生物なら死の概念そのものが違うのかもしれないねえ。この甲殻は単なる外骨格じゃなく、大具足裾払の用いる魔術の回路基板でもあるという記述があるし、剥ぎ取って加工した後もまだある種の生物であると言えるのかもしれない。イナオ、酒。いや、雷精だけが原因じゃないのかもしれない。魔術回路基板であるということは生体電流による影響だけじゃなく魔力による構造変化が基本となっていると考えりゃああの剛性での柔軟な動きも納得できる。莫大な熱量によって溶け歪んだって感じなかったし、リリオの奴のやばすぎるなっていう躊躇いが刀身にもろに出たのかね。魔力と雷精によって一時的に回路基板と接続されて一つの生物として認識されたのか? いや、ここは」
あ、これ駄目な奴だ。
がりがりと書き物まで始めたカサドコを尻目に、骨煎餅をもう一つ頂いて、イナオに挨拶しておさらばすることにした。
「お邪魔しました」
「あれで半日は静かだからありがとうございます」
「君も大概だなあ」
「あれの妻ですよ僕は」
「ごもっとも」
鍛冶屋街を後にして、運河沿いを仕事場にしている渡し舟に小銭を寄越すと、暇そうにキセルをふかしていた船頭はよし来たと手綱を牽き、早速水馬車を走らせ始めた。
船を曳く生き物は泳ぎ犬と呼ばれる犬、八つ足ではなく四つ足の哺乳類としての犬で、ふわふわとした毛足の長い大型犬たちだった。
栗毛と黒毛の二頭曳きで、愛らしい外見もあって人気であるらしい、とは船頭の自慢だが、意味不明のファンタジー生物と比べてなるほど確かに素直に愛らしい。
わふわふと可愛らしい犬たちに曳かれる船に揺られながら景色を楽しんでみたが、この運河、なかなかに広い。向こう側が見えないというほどではないが、泳いで渡るにはいささか岸が遠い。
この川に橋を架けると、下に船を通す都合もあって相当大掛かりにならざるを得なかったようで、それなりに広い街の中にあって、運河にかかる橋は三本しかない。
その代わりというか、大小さまざまな渡し舟がこうして往来を支えているらしい。
のんびりとした水上の旅を楽しみ、降り際に犬たちにとチップを渡してやり、私はうんと一つ伸びをした。
何人か乗れる船に一人きりだったし、座席もクッションが敷いてあって悪くはなかったのだけれど、やはり船は、少し窮屈だ。
揺れはまあ時間も短いし耐えられるけど、何かあっても降りるに降りれない環境がそう感じさせるのか、視界は広いけれど心は窮屈という妙に疲れる思いだった。
自分の意思でどうにもできないというのは、少し、疲れる。
川向い、つまり西地区は、東地区と似た部分も多いけれど、違う部分も多い。今日はそこを見物する予定だ。
早速の違いその一は、同じ下流沿いにありながら、西地区は鍛冶屋街ではなく、同じく水を多用し、そして水質を汚しがちな連中の集まるところだということだ。
時折ケミカルな色の煙が上がったり、ケミカルな色の爆発が起きたり、ケミカルな人種の叫び声が聞こえたりする、実に怪しい地域。
人はここを錬金術師街と呼ぶ。
……と、その前に。
私は大型の鳥が引く小型の辻馬車に小銭を払って、商店街に向かった。
軽めのブランチでは、そろそろ燃料切れだったのだ。
用語解説
・裾払
主に森林地帯に住まう甲殻生物。長らく蟲獣と思われていたが、むしろ蟹などの仲間であることが近年発覚した。前後のわかりづらい胴体から四本から八本の細長い足をはやした生物で、食性や生態なども様々。主に長い足を払うようにして外敵を追い払うため裾払いの名がある。
・強化鎧
外部動力でアシストするパワードスーツではなく、着込んだものの筋肉に微細な電流で刺激を与えて反射速度やいわゆる火事場の馬鹿力を発揮させる鎧。実験段階である。
・《帝学月報》
学術雑誌。主に帝都の帝都大学をはじめとした学術機関にまとめられた学術記事を月に一度発行している。なお北部は準辺境扱いで、一か月二か月遅れは当たり前。
・泳ぎ犬
ふわふわとした毛足の長い四つ足の大型犬。泳ぎが非常に得意で、どちらかと言えば陸上を走るより泳ぐ方が得意なくらい。さほど勇敢ではないが小器用で賢く、おぼれた人間を救助する能力に秀でているとされる。というか他の水馬がその能力に欠けすぎているのかもしれないが。
・大型の鳥
走り鈍足。ずんぐりむっくりした体つきの飛べない鳥。非常にのろまそうな外見なのだが、最高時速八十キロメートルはたたき出す俊足の鳥。体力もあり、荷牽きや馬車によく使われる。
リリオから解放され、ヴォーストの街をうろつくウルウ。
寂しがるかと思いきや一人飯に舌鼓を打つ当たり根っからの孤独飯である。
小腹を満たして、今度は逆方向、運河沿いに南下していくと、漁場は姿を消し、代わってかんかんがんがんごうごうごんごんとやかましい音がするようになり、匂いや、川の色も一変する。
鍛冶屋街だ。
メザーガに紹介された鍛冶屋カサドコの看板もこの鍛冶屋街に掲げられている。
鍛冶というものは火を使う薪を使う、そしてそれだけでなく水を使う。製鉄にはたくさんの水が必要だ。だから川沿いに鍛冶屋が並ぶ。そうして鍛冶屋が並ぶと水が汚れる。なので漁場が減る。上流に鍛冶屋ができると下流全てが汚れるので、下流にかたまる。そのように住み分けができている。
進捗伺いも兼ねてカサドコに顔を出し、土産と素材売りを兼ねて霹靂猫魚を渡してみると、大いに歓迎された。
私などは無傷でいくらでも捕まえることのできる相手でしかないのだけれど、耐電装備はこの世界には少ないようで、本来はなかなか高値らしい。
「霹靂猫魚を安定して捕まえるのに、まず霹靂猫魚の革で作った鎧が必要なんだからさ、そりゃ難しいさ」
「囲んで棒で叩いて弱らせるって聞いたけど」
「それが安全だけどね、でも叩けばその分傷つくし、弱ればその分価値も落ちる。ましてサシミなんざねえ」
カサドコは霹靂猫魚の刺身を何よりの好物とする地潜の女性だ。長身な方である私よりも背が高いし、がっしりとしていて、気風がいい。
人間嫌いを標榜する私ではあるけれど、仕事と酒と刺身、それに妻のイナオのことくらいしか興味がないこの土蜘蛛は割と嫌いではなかった。勿論好きというほどではないのだけれど、私のことをこれっぽっちも気にかけない人種というのは割とありがたい。
旦那と比べて穏やかでにこにこと控えめなイナオは私に豆茶を、旦那には酒を一献注いで奥に下がった。実はイナオもそこそこ気に入っている。あのいかにもおしとやかでございという態度が、実のところ面倒臭いので世の中に積極的に関わらないようにしているというスタンスであるというのが端々にうかがえるからだ。
すっごくよくわかる、うん。
それに豆茶が美味いというのは、これは才能だ。
真昼間から注がれた酒を飲み干し、また手酌でじゃぶじゃぶやっているカサドコだが、土蜘蛛というのは基本的に酒に強い、というより水代わりに飲むらしい。その癖、実は豆茶であっさり酔うという話だから分からない。
ん、待てよ。そうなるとこれは人族流に言えば客に酒を出しているのではなかろうか、と思わず黒い水面を見つめてしまった。
「進捗どうですか」
「あんだって?」
「剣の修理の進み具合はどうかなって」
「まだまだだね。いまは霹靂猫魚の皮をなめして処理してるとこ。レドのじいさんに見せたら、年甲斐もなくはしゃいじまってね、ありゃ前よりもっと強烈なのができそうだ」
「刀身は?」
「あれな。あれが難しい。大具足裾払ってのはまあ、裾払の仲間なんだが、とにかく硬い甲殻で有名でね。まず切り出すのに聖硬銀か、同じ甲殻で削るしかない。そう、削り出しなんだよ、基本。これが歪んじまったから直すなんてのは、ハ、どうしたもんかね」
カサドコは渋い顔で酒を煽り、骨煎餅をかじった。これは霹靂猫魚の骨をよくよくあぶって塩を振ったものだそうで、それだけ言うと安っぽく感じるが、素材が素材なだけに相当高価らしい。まあ、私が卸した奴だからあほほど安いんだろうけど。
「熱に強い、酸にも強い、折れず欠けず曲がりもしないってのが大具足裾払なんだけどねえ」
「もしかしてあれってすごい剣だったの?」
「まあ、辺境から出てくることが滅多にないらかそんなに知られちゃいないけどね。あれ一振りで帝都に屋敷が買えてもおかしくないよ」
「ごめん、基準がわかんない」
「ま、とにかく凄いのさ」
すごいらしい。
私も骨煎餅をかじってみたがこれがなかなか面白い。
かじると塩気と、香ばしさ、それからぴりりと来るものがある。辛さじゃなく、痺れだ。山椒なんかの痺れじゃなく、電気の痺れがピリッと舌先に来る。
「なにこれ」
「面白いだろ。霹靂猫魚は背中側の筋肉に雷を生む肉がついてる。で、皮はこれを内側から外側に通すけど、逆は弾く。それで自分は感電しないんだがね、なんと骨の内側、骨髄には強い雷が流れてるみたいなんだよ。
学者の何とかが言うにはね、この雷が駆け巡るおかげで霹靂猫魚は巨体の割に非常に頭の回転が速くて、強いだけでなく細かな雷の制御ができるんだそうだ」
うーん。脊髄と骨髄とごっちゃになってる感じはする。しかし電流と神経系の関係に触れているあたり解剖学がそこそこ進んでいる感じはする。
「以前は皮と分厚い脂肪で自分が感電しないようにしているってのが主流だったんだけどね、どうも雷精を操って自分の筋肉を震わせて、巨体の割に機敏な動きをさせているんじゃないかって研究があってね。水中での移動速度が同じような体型の猫魚とは比べ物にならないってんで調べたやつがいてさ、帝都の奴なんだが、これを流用して着た奴の運動能力を高める強化鎧ってーのをこさえた鍛冶屋だか錬金術師だかがいて、なかなか面白そうなんだよ。そいつが言うには生き物ってのはみんなよわーいいかずちで動いてるそうで、それをうまいこと調整できりゃあ霹靂猫魚がやってるみたいな自分の強化が手軽にできるんじゃないかって、なんつったかな、二人組の奴らなんだけど、」
この程度の酒では全然酔わないという話だから、多分話に興が乗っているんだろうけれど、まあよく喋る。相手のことをまったく気にしていないお喋りだけれど、実は私はこういう人種はそんなに嫌いではない。話は通じないけど仕事はできる。話は通じないけど。イナオがいい感じにマネジメントしてくれると助かる。
しかし、聞き流してはいるけれど、これは生体電流についての話だろうか。で、それを操ることで装着者を強化するある種のパワードスーツ。動力が外力じゃないから限度はありそうだけど、反射速度を高めたりということに利用しているっぽい、のかな。
思ったよりも発想や技術が進んでるなあ、異世界。
「そう言えば」
「先月の《帝学月報》に載ってたんだけど、どこやったか、」
「電気で歪んだんなら電気で直せるんじゃないの」
「ユベルとかいったか、あん? なんだって?」
「いや、熱にも酸にも強くて外圧にも強い素材が雷で歪んだんなら、雷でもっかい歪めれば直せるんじゃないの」
思い付きで適当な事を言ってみたのだが、カサドコは一本の手で顎をさすって、もう一本の手で酒を煽り、それから分厚い本を別の一本の手で引きずり出し、また一本の手で眼鏡を取り出し、四本の腕をフル稼働しながらぶつぶつと考え始めたようだった。
「大具足裾払の甲殻がはぎ取った後も加工のノリが悪いのは生体反応が消えていないからと聞いたことがあるな。つまり甲殻は甲殻でまだ生きてるわけだ。金属質であるともいえるし生物質であるとも言える。下手な竜も喰らう超生物なら死の概念そのものが違うのかもしれないねえ。この甲殻は単なる外骨格じゃなく、大具足裾払の用いる魔術の回路基板でもあるという記述があるし、剥ぎ取って加工した後もまだある種の生物であると言えるのかもしれない。イナオ、酒。いや、雷精だけが原因じゃないのかもしれない。魔術回路基板であるということは生体電流による影響だけじゃなく魔力による構造変化が基本となっていると考えりゃああの剛性での柔軟な動きも納得できる。莫大な熱量によって溶け歪んだって感じなかったし、リリオの奴のやばすぎるなっていう躊躇いが刀身にもろに出たのかね。魔力と雷精によって一時的に回路基板と接続されて一つの生物として認識されたのか? いや、ここは」
あ、これ駄目な奴だ。
がりがりと書き物まで始めたカサドコを尻目に、骨煎餅をもう一つ頂いて、イナオに挨拶しておさらばすることにした。
「お邪魔しました」
「あれで半日は静かだからありがとうございます」
「君も大概だなあ」
「あれの妻ですよ僕は」
「ごもっとも」
鍛冶屋街を後にして、運河沿いを仕事場にしている渡し舟に小銭を寄越すと、暇そうにキセルをふかしていた船頭はよし来たと手綱を牽き、早速水馬車を走らせ始めた。
船を曳く生き物は泳ぎ犬と呼ばれる犬、八つ足ではなく四つ足の哺乳類としての犬で、ふわふわとした毛足の長い大型犬たちだった。
栗毛と黒毛の二頭曳きで、愛らしい外見もあって人気であるらしい、とは船頭の自慢だが、意味不明のファンタジー生物と比べてなるほど確かに素直に愛らしい。
わふわふと可愛らしい犬たちに曳かれる船に揺られながら景色を楽しんでみたが、この運河、なかなかに広い。向こう側が見えないというほどではないが、泳いで渡るにはいささか岸が遠い。
この川に橋を架けると、下に船を通す都合もあって相当大掛かりにならざるを得なかったようで、それなりに広い街の中にあって、運河にかかる橋は三本しかない。
その代わりというか、大小さまざまな渡し舟がこうして往来を支えているらしい。
のんびりとした水上の旅を楽しみ、降り際に犬たちにとチップを渡してやり、私はうんと一つ伸びをした。
何人か乗れる船に一人きりだったし、座席もクッションが敷いてあって悪くはなかったのだけれど、やはり船は、少し窮屈だ。
揺れはまあ時間も短いし耐えられるけど、何かあっても降りるに降りれない環境がそう感じさせるのか、視界は広いけれど心は窮屈という妙に疲れる思いだった。
自分の意思でどうにもできないというのは、少し、疲れる。
川向い、つまり西地区は、東地区と似た部分も多いけれど、違う部分も多い。今日はそこを見物する予定だ。
早速の違いその一は、同じ下流沿いにありながら、西地区は鍛冶屋街ではなく、同じく水を多用し、そして水質を汚しがちな連中の集まるところだということだ。
時折ケミカルな色の煙が上がったり、ケミカルな色の爆発が起きたり、ケミカルな人種の叫び声が聞こえたりする、実に怪しい地域。
人はここを錬金術師街と呼ぶ。
……と、その前に。
私は大型の鳥が引く小型の辻馬車に小銭を払って、商店街に向かった。
軽めのブランチでは、そろそろ燃料切れだったのだ。
用語解説
・裾払
主に森林地帯に住まう甲殻生物。長らく蟲獣と思われていたが、むしろ蟹などの仲間であることが近年発覚した。前後のわかりづらい胴体から四本から八本の細長い足をはやした生物で、食性や生態なども様々。主に長い足を払うようにして外敵を追い払うため裾払いの名がある。
・強化鎧
外部動力でアシストするパワードスーツではなく、着込んだものの筋肉に微細な電流で刺激を与えて反射速度やいわゆる火事場の馬鹿力を発揮させる鎧。実験段階である。
・《帝学月報》
学術雑誌。主に帝都の帝都大学をはじめとした学術機関にまとめられた学術記事を月に一度発行している。なお北部は準辺境扱いで、一か月二か月遅れは当たり前。
・泳ぎ犬
ふわふわとした毛足の長い四つ足の大型犬。泳ぎが非常に得意で、どちらかと言えば陸上を走るより泳ぐ方が得意なくらい。さほど勇敢ではないが小器用で賢く、おぼれた人間を救助する能力に秀でているとされる。というか他の水馬がその能力に欠けすぎているのかもしれないが。
・大型の鳥
走り鈍足。ずんぐりむっくりした体つきの飛べない鳥。非常にのろまそうな外見なのだが、最高時速八十キロメートルはたたき出す俊足の鳥。体力もあり、荷牽きや馬車によく使われる。
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それは『家を出て行け』と言われているのと同じであり、レベッカはショックを受ける。しかし、奉公先の人々は皆優しく、主であるハーヴィン公爵はとても美しい人で、レベッカは彼にとても気に入られる。
友達もでき、忙しいながらも幸せな毎日を送るレベッカ。そんなある日のこと、妹のキャリーがいきなり公爵の館を訪れた。……キャリーは、レベッカに支払われた給料を回収しに来たのだ。
レベッカは、金銭に対する執着などなかったが、あまりにも身勝手で悪辣なキャリーに怒り、彼女を追い返す。それをきっかけに、公爵家の人々も巻き込む形で、レベッカと実家の姉妹たちは争うことになる。
そして、姉妹たちがそれぞれ悪行の報いを受けた後。
レベッカはとうとう、母親と直接対峙するのだった……
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