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第一章 冒険屋
第十六話 亡霊とお買い物
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前回のあらすじ
メザーガの無茶ぶりにそれもう見たとばかりの塩対応をするウルウ。
残る試練は後一体。ここにきて妙な展開の速さであった。
冒険屋になりたいというリリオについて冒険屋事務所とやらに顔を出してみたが、どうもすんなり冒険屋になれるというものではないらしい。というかいろいろ聞き捨てならないことを聞いたような気もする。
気もするけれど、言及すると面倒くさいので聞かなかったことにする。
世の中気にしたところで面倒ごとにしかならないということが多すぎる。会社でもそうだった。どう考えてもその方が効率化するのにマシンパワーに頼ると途端に努力が足りないとか誠意がどうのとかでマンパワーに頼ろうとするんだよ。じゃあ給料寄越せよ。
ああ、いや、そんなダークサイドとはお別れしたんだった。
深く考えるな、私よ。
ともあれ、だ。
入所試験として乙種魔獣討伐二体分とやらを課されたわけだけれど、幸い、チュートリアルイベントじみた戦闘で獲得したドロップアイテムもとい死体が役に立った。いやあ、すっかり忘れていた。
インベントリに突っ込んだものはどうも腐ったりはしないようなので助かったが、もしこれがまともに時間経過するシステムだったら、何しろ初夏の陽気だ、今頃インベントリを開ける度にやばい匂いがしていただろう。
この死体はメザーガが売ってくれるということだったので、ついでにリリオが採取してきた角猪の角も一緒に売ってもらうことにした。こんな立派な角どうしたんだと疑わしげに見られたが、黙秘しておいた。あれは魔獣じゃないらしいし話しても得にならない。
問題はもう一体をどうするかという話だ。
まだ正規の所属ではないからと我々は事務所を辞して、宿を求めた。何をするにしてもまず拠点は大事だ。
宿探しに関してはメザーガの紹介があったのですぐに解決した。
《踊る宝石箱亭》という行きつけの酒場がくっついた宿だそうで、訪ねてみると早くつけを払うよう伝えてくれと頼まれてしまった。大丈夫か冒険屋事務所。
冒険屋の行きつけというだけで不安ではあったのだが、幸いメザーガのセンスは確かなようで、鍵を渡された二人部屋は、やや狭く感じるがきちんとした寝台が二つあり、火精晶とやらの灯りもおいてあった。ただ、盗難に関しては自己責任と告げられたので、気を付けておこう。
財布と貴重品、それに武器だけをもって買い物に出かけるリリオについて私も出かける。
そろそろ私も《隠蓑》で隠れていたいのだけれど、リリオに寂しいからと言われて断念した。一応私にも人の心はある。疲れたら放り捨てる程度の軽いものだが。
リリオの後ろについて歩いていく街並みは、やはり盛況だった。日もまだ高く正午を少し過ぎたくらいで、人々は最も活発な頃だろう。
荷物をたくさん積んだ馬車も道を行きかい、喧騒が絶えない。
私の知っている街というものはこういうものではなかった。
私の知っている街というものは、みなどこかへ急いでいた。俯き、或いは小さな端末を覗き込みながら、そそくさと乗り物へ、建物へ、どこかへと急いでいた。
私の知っている街というものはつまり、駅と、会社と、生活必需品を買いに行く二十四時間営業のコンビニエンスストアだった。
真昼の日差しは、私にとって異世界の明るさだった。
人込みは気持ちの悪くなりそうなほど目まぐるしく、しかしそのどれもが全くそれぞれの都合でそれぞれの人生を生きていた。かつて見知っていた街並みが整然と整えられた変りばえのしない本棚だというのならば、ヴォーストの街並みは床にまで本を積み上げた乱雑な古本屋だった。痛むとわかっていながらそうでもしないと本を詰め込めない、そんな物語の海だった。
目が回りそうな私は、はぐれないようにと、そしてまた倒れないようにとリリオの肩に手を置いた。そうするとリリオがそっと手を重ねてくれた。そのささやかな気遣いが私を勇気づけ、そしてまたふわふわと惑いそうな私の足取りを、古びたアンカーのようにしっかりとつなぎとめてくれた。
リリオはバザールのような市場でいくつかの店舗を巡って、時に交渉し、時に諦めながら、堅麺麭や乾燥野菜などの保存食を仕入れ、また何瓶かの酒を買い求めた。聞けば、水精晶もいつもいつでも頼れるとは限らず、保存のきく酒を持っておくのは大事だという。
私は重いものだけと思って酒を受け取り、インベントリに放り込んだ。全部持ってやってもよかったし、なんなら生鮮物を買い込んでやってもよかった。しかしそれはリリオの物語ではない。
騒々しい市場を少し離れて、いくらか上等な店構えの店が並ぶ通りに出た。
看板を出している店もあれば、一見お断りのようにひっそりとした店もあった。
リリオが戸を叩いたのは一件の静かな店だった。
掲げられた看板には、鉱石のようなものが描かれている。
ごめんくださいと立ち入った店からは、不思議な香りがした。きしきしと硬質な、石の匂いだった。
なんの店かと小さく尋ねれば、精霊晶の店だという。それは水精晶や火精晶といった結晶のことであるらしかった。
火精晶のランタンで照らされた店内は、圧倒されるほどたくさんの精霊晶で埋まっていた。
壁はすべて棚になっていて、そこにはほとんど整理など考えていないのではと思わせるほど雑多に、しかし奇妙な配置の妙で美しさすら覚えさせるように、多種多様な輝きが陳列されていた。
リリオがカウンターにあった呼び鈴を鳴らすと、奥から顔を出したのはひび割れた岩のように顔中をしわで覆われた年寄りだった。こうなるともう男なのか女なのかすらわからない。
「メザーガの紹介できました」
「なんだ、坊主の娘っ子かい」
「親戚です」
「つけでも払いに来たか」
「ここでもですか……」
リリオは呆れながらも、小物入れから革袋と小さな箱を取り出した。
「そろそろ擦り減ってきたので、交換をお願いしたいんですが」
「水精晶と火精晶か」
なるほど、それはあの不思議なほど水の湧き出る水筒と、火をつけるために使った道具のようだった。
「石の好みはあるかね」
「水精晶は、雪解けかせせらぎがあれば。火精晶は長持ち重視で」
「雪解けは今年はちょっと仕入れが少ないな。せせらぎなら銅貨で済むよ」
「どうせ小粒でしょう?」
「安物買いをしないのはいいことだ。そうさね、同じ質なら値段はそんなにかわりゃしない」
「じゃあ雪解けで」
「よし来た。火精晶は火山出のいいのが入ってるがね」
「山火事起こそうってわけじゃないんですから」
「だから売れねえんだよなあ。種火用だろ、熾火の奴でいいかな」
「じゃあそれで」
「擦り減ったのはどうするね」
「買取お願いできます?」
「ふーむむ……水精晶は、まあそうさね、これくらいだ。でも火精晶はこりゃ擦り減りすぎたな」
「屑にもなりません?」
「粉に挽きゃあなあ……でも二束三文だね。燃料にした方がいいよ」
「じゃあ水精晶だけ買取で」
「よしきた、じゃあ合わせてこんなもんで」
「もう一声」
「年寄りに鳴かせるない」
「年寄りならつけのことくらいは忘れても」
「馬鹿言うねえこちとら数は忘れねえんだ」
「まだまだお若い」
「うまいこと言わせやがって、じゃあこんなもんだ」
「いい買い物させてもらいました」
「メザーガにはきっちり伝えといておくれよ」
「ええ、ええ、よしなに」
何やら私にはよくわからない会話だったが、いい買い物だったようだ。いまの私には何しろ相場どころか硬貨の換算すらおぼつかない。棚の表示を見ながら、どれが水精晶、どれが火精晶と単語を覚えるくらいが関の山だ。
「ウルウも水精晶くらいは持っておきますか?」
買い物を済ませたリリオに聞かれたが、さてどうしようか。ファンタジー用品は気になると言えば気になるし、この世界の基準で言えば潔癖症な私は割と水を必要とする。持っていて損はなかろう。
「どんなのがあるんです?」
「おたくは初めてかい」
「ええ」
「そうさねえ、今言った雪解けなんかはピンと冷たい。せせらぎは味が柔らかいけど、ま、ばらつきもあるな。海の石なんてのは塩っ辛いばかりで安いけど飲めやしない。硬水軟水も区別があるが、ま、冒険屋は大して気にもしやがらねえ」
「冷たい水があるなら、温かいお湯の石もあるんですか?」
「温泉で採れる奴はそうさね。うちでもちょっとは扱ってる」
なるほど。水精晶というのは水のある場所で結晶化する。そしてその結晶が生み出す水は、生まれた場所の水の性質や味に準ずるわけだ。
「お前さんに好みの水があるんなら、ちょいと時間を貰えば石にできるがね」
「精霊晶って作れるんですか?」
「水精晶は割と楽だあな」
「楽じゃないですよ。この人が専門家だからですよ」
「私はプロの仕事は尊敬することにしている」
「嬉しいこと言ってくれるじゃないか。お望みの水があるかね」
言われて、私は試しにインベントリから一本の瓶を取り出した。
「では、これで」
「ほう……こいつはいい瓶だ。歪みもねえ。くもりもねえ。気泡もねえ。表面の装飾も、こりゃあ、切れ込みで模様入れてんのか、胆が据わってやがる。職人技だ。中身は……なんだいこりゃ?」
「なんです?」
「水だよ」
「水ったってお前さん、こりゃまた随分妙な水だねえ。こんなに色気のない水は、アタシも初めてだ」
「蒸留水ですよ」
「ははあん、なるほどこいつが。錬金術師どもが使うのは知ってたが、アタシのとこに持ち込んだのはお前さんが初めてだ」
蒸留水というものの知識はあるようだ。専門外の分野についても知識があるというのは、職人として信頼できる要素の一つだ。研究熱心な職人は腕が錆びづらい。
「しかしこんなのでいいのかい。味気ないだろう」
「綺麗な水が欲しいんですよ」
「そりゃ綺麗だろうがね」
「いくらになります」
「変わった注文だからねえ、なにしろ。少し色付けてもらわねえと」
「できませんか」
「あんだって?」
「なにしろ雪解けやらせせらぎやらと違って、何の癖もない水ですからねえ、蒸留水というものは。だから比較的簡単なんじゃないかと素人考えで思ったんですがね」
「素人考えだねえ」
「そうでしょうねえ。まあ面白みのない水だ。私も無理してほしいわけじゃあないんで」
「面白くないとは言わねえさ」
「面白いですか」
「白いか白くねえかでいやあ、まあ白いさね」
「そりゃあ良かった。ところでこの瓶なんですがねえ、綺麗は綺麗だが何しろ割れ物だから、運ぶのに難儀していましてね。どこかで手放そうと思っているんだが、安いものでもなし、物のわかるひとに差し上げたいところでしてね」
「嫌な奴だねえ。おたく嫌な奴だねえ」
「今ならもう一本あるんですがね」
「わーったわーった。いくらか負けてやるよ」
「リリオ」
「はいはい、じゃあ私の分と合わせてお勘定ってことで」
「嫌な奴らだねえ、まったく。老い先短い年寄りをいじめてくれちまって」
「なあに、死ぬまで生きますよ」
「そりゃそうだ」
蒸留水を二本預け、私たちは店を出た。
しゃべりすぎて、どうにも疲れた。
用語解説
・精霊晶
水精晶や火精晶など、精霊の宿った結晶の販売を専門とする店。大きな街には必ずある。その性質上精霊の扱いにたけた魔術師が経営している。
・錬金術師
原始的な科学者であり、同時に魔術を可視化・数値化して扱うことを学ぶ人たち。
メザーガの無茶ぶりにそれもう見たとばかりの塩対応をするウルウ。
残る試練は後一体。ここにきて妙な展開の速さであった。
冒険屋になりたいというリリオについて冒険屋事務所とやらに顔を出してみたが、どうもすんなり冒険屋になれるというものではないらしい。というかいろいろ聞き捨てならないことを聞いたような気もする。
気もするけれど、言及すると面倒くさいので聞かなかったことにする。
世の中気にしたところで面倒ごとにしかならないということが多すぎる。会社でもそうだった。どう考えてもその方が効率化するのにマシンパワーに頼ると途端に努力が足りないとか誠意がどうのとかでマンパワーに頼ろうとするんだよ。じゃあ給料寄越せよ。
ああ、いや、そんなダークサイドとはお別れしたんだった。
深く考えるな、私よ。
ともあれ、だ。
入所試験として乙種魔獣討伐二体分とやらを課されたわけだけれど、幸い、チュートリアルイベントじみた戦闘で獲得したドロップアイテムもとい死体が役に立った。いやあ、すっかり忘れていた。
インベントリに突っ込んだものはどうも腐ったりはしないようなので助かったが、もしこれがまともに時間経過するシステムだったら、何しろ初夏の陽気だ、今頃インベントリを開ける度にやばい匂いがしていただろう。
この死体はメザーガが売ってくれるということだったので、ついでにリリオが採取してきた角猪の角も一緒に売ってもらうことにした。こんな立派な角どうしたんだと疑わしげに見られたが、黙秘しておいた。あれは魔獣じゃないらしいし話しても得にならない。
問題はもう一体をどうするかという話だ。
まだ正規の所属ではないからと我々は事務所を辞して、宿を求めた。何をするにしてもまず拠点は大事だ。
宿探しに関してはメザーガの紹介があったのですぐに解決した。
《踊る宝石箱亭》という行きつけの酒場がくっついた宿だそうで、訪ねてみると早くつけを払うよう伝えてくれと頼まれてしまった。大丈夫か冒険屋事務所。
冒険屋の行きつけというだけで不安ではあったのだが、幸いメザーガのセンスは確かなようで、鍵を渡された二人部屋は、やや狭く感じるがきちんとした寝台が二つあり、火精晶とやらの灯りもおいてあった。ただ、盗難に関しては自己責任と告げられたので、気を付けておこう。
財布と貴重品、それに武器だけをもって買い物に出かけるリリオについて私も出かける。
そろそろ私も《隠蓑》で隠れていたいのだけれど、リリオに寂しいからと言われて断念した。一応私にも人の心はある。疲れたら放り捨てる程度の軽いものだが。
リリオの後ろについて歩いていく街並みは、やはり盛況だった。日もまだ高く正午を少し過ぎたくらいで、人々は最も活発な頃だろう。
荷物をたくさん積んだ馬車も道を行きかい、喧騒が絶えない。
私の知っている街というものはこういうものではなかった。
私の知っている街というものは、みなどこかへ急いでいた。俯き、或いは小さな端末を覗き込みながら、そそくさと乗り物へ、建物へ、どこかへと急いでいた。
私の知っている街というものはつまり、駅と、会社と、生活必需品を買いに行く二十四時間営業のコンビニエンスストアだった。
真昼の日差しは、私にとって異世界の明るさだった。
人込みは気持ちの悪くなりそうなほど目まぐるしく、しかしそのどれもが全くそれぞれの都合でそれぞれの人生を生きていた。かつて見知っていた街並みが整然と整えられた変りばえのしない本棚だというのならば、ヴォーストの街並みは床にまで本を積み上げた乱雑な古本屋だった。痛むとわかっていながらそうでもしないと本を詰め込めない、そんな物語の海だった。
目が回りそうな私は、はぐれないようにと、そしてまた倒れないようにとリリオの肩に手を置いた。そうするとリリオがそっと手を重ねてくれた。そのささやかな気遣いが私を勇気づけ、そしてまたふわふわと惑いそうな私の足取りを、古びたアンカーのようにしっかりとつなぎとめてくれた。
リリオはバザールのような市場でいくつかの店舗を巡って、時に交渉し、時に諦めながら、堅麺麭や乾燥野菜などの保存食を仕入れ、また何瓶かの酒を買い求めた。聞けば、水精晶もいつもいつでも頼れるとは限らず、保存のきく酒を持っておくのは大事だという。
私は重いものだけと思って酒を受け取り、インベントリに放り込んだ。全部持ってやってもよかったし、なんなら生鮮物を買い込んでやってもよかった。しかしそれはリリオの物語ではない。
騒々しい市場を少し離れて、いくらか上等な店構えの店が並ぶ通りに出た。
看板を出している店もあれば、一見お断りのようにひっそりとした店もあった。
リリオが戸を叩いたのは一件の静かな店だった。
掲げられた看板には、鉱石のようなものが描かれている。
ごめんくださいと立ち入った店からは、不思議な香りがした。きしきしと硬質な、石の匂いだった。
なんの店かと小さく尋ねれば、精霊晶の店だという。それは水精晶や火精晶といった結晶のことであるらしかった。
火精晶のランタンで照らされた店内は、圧倒されるほどたくさんの精霊晶で埋まっていた。
壁はすべて棚になっていて、そこにはほとんど整理など考えていないのではと思わせるほど雑多に、しかし奇妙な配置の妙で美しさすら覚えさせるように、多種多様な輝きが陳列されていた。
リリオがカウンターにあった呼び鈴を鳴らすと、奥から顔を出したのはひび割れた岩のように顔中をしわで覆われた年寄りだった。こうなるともう男なのか女なのかすらわからない。
「メザーガの紹介できました」
「なんだ、坊主の娘っ子かい」
「親戚です」
「つけでも払いに来たか」
「ここでもですか……」
リリオは呆れながらも、小物入れから革袋と小さな箱を取り出した。
「そろそろ擦り減ってきたので、交換をお願いしたいんですが」
「水精晶と火精晶か」
なるほど、それはあの不思議なほど水の湧き出る水筒と、火をつけるために使った道具のようだった。
「石の好みはあるかね」
「水精晶は、雪解けかせせらぎがあれば。火精晶は長持ち重視で」
「雪解けは今年はちょっと仕入れが少ないな。せせらぎなら銅貨で済むよ」
「どうせ小粒でしょう?」
「安物買いをしないのはいいことだ。そうさね、同じ質なら値段はそんなにかわりゃしない」
「じゃあ雪解けで」
「よし来た。火精晶は火山出のいいのが入ってるがね」
「山火事起こそうってわけじゃないんですから」
「だから売れねえんだよなあ。種火用だろ、熾火の奴でいいかな」
「じゃあそれで」
「擦り減ったのはどうするね」
「買取お願いできます?」
「ふーむむ……水精晶は、まあそうさね、これくらいだ。でも火精晶はこりゃ擦り減りすぎたな」
「屑にもなりません?」
「粉に挽きゃあなあ……でも二束三文だね。燃料にした方がいいよ」
「じゃあ水精晶だけ買取で」
「よしきた、じゃあ合わせてこんなもんで」
「もう一声」
「年寄りに鳴かせるない」
「年寄りならつけのことくらいは忘れても」
「馬鹿言うねえこちとら数は忘れねえんだ」
「まだまだお若い」
「うまいこと言わせやがって、じゃあこんなもんだ」
「いい買い物させてもらいました」
「メザーガにはきっちり伝えといておくれよ」
「ええ、ええ、よしなに」
何やら私にはよくわからない会話だったが、いい買い物だったようだ。いまの私には何しろ相場どころか硬貨の換算すらおぼつかない。棚の表示を見ながら、どれが水精晶、どれが火精晶と単語を覚えるくらいが関の山だ。
「ウルウも水精晶くらいは持っておきますか?」
買い物を済ませたリリオに聞かれたが、さてどうしようか。ファンタジー用品は気になると言えば気になるし、この世界の基準で言えば潔癖症な私は割と水を必要とする。持っていて損はなかろう。
「どんなのがあるんです?」
「おたくは初めてかい」
「ええ」
「そうさねえ、今言った雪解けなんかはピンと冷たい。せせらぎは味が柔らかいけど、ま、ばらつきもあるな。海の石なんてのは塩っ辛いばかりで安いけど飲めやしない。硬水軟水も区別があるが、ま、冒険屋は大して気にもしやがらねえ」
「冷たい水があるなら、温かいお湯の石もあるんですか?」
「温泉で採れる奴はそうさね。うちでもちょっとは扱ってる」
なるほど。水精晶というのは水のある場所で結晶化する。そしてその結晶が生み出す水は、生まれた場所の水の性質や味に準ずるわけだ。
「お前さんに好みの水があるんなら、ちょいと時間を貰えば石にできるがね」
「精霊晶って作れるんですか?」
「水精晶は割と楽だあな」
「楽じゃないですよ。この人が専門家だからですよ」
「私はプロの仕事は尊敬することにしている」
「嬉しいこと言ってくれるじゃないか。お望みの水があるかね」
言われて、私は試しにインベントリから一本の瓶を取り出した。
「では、これで」
「ほう……こいつはいい瓶だ。歪みもねえ。くもりもねえ。気泡もねえ。表面の装飾も、こりゃあ、切れ込みで模様入れてんのか、胆が据わってやがる。職人技だ。中身は……なんだいこりゃ?」
「なんです?」
「水だよ」
「水ったってお前さん、こりゃまた随分妙な水だねえ。こんなに色気のない水は、アタシも初めてだ」
「蒸留水ですよ」
「ははあん、なるほどこいつが。錬金術師どもが使うのは知ってたが、アタシのとこに持ち込んだのはお前さんが初めてだ」
蒸留水というものの知識はあるようだ。専門外の分野についても知識があるというのは、職人として信頼できる要素の一つだ。研究熱心な職人は腕が錆びづらい。
「しかしこんなのでいいのかい。味気ないだろう」
「綺麗な水が欲しいんですよ」
「そりゃ綺麗だろうがね」
「いくらになります」
「変わった注文だからねえ、なにしろ。少し色付けてもらわねえと」
「できませんか」
「あんだって?」
「なにしろ雪解けやらせせらぎやらと違って、何の癖もない水ですからねえ、蒸留水というものは。だから比較的簡単なんじゃないかと素人考えで思ったんですがね」
「素人考えだねえ」
「そうでしょうねえ。まあ面白みのない水だ。私も無理してほしいわけじゃあないんで」
「面白くないとは言わねえさ」
「面白いですか」
「白いか白くねえかでいやあ、まあ白いさね」
「そりゃあ良かった。ところでこの瓶なんですがねえ、綺麗は綺麗だが何しろ割れ物だから、運ぶのに難儀していましてね。どこかで手放そうと思っているんだが、安いものでもなし、物のわかるひとに差し上げたいところでしてね」
「嫌な奴だねえ。おたく嫌な奴だねえ」
「今ならもう一本あるんですがね」
「わーったわーった。いくらか負けてやるよ」
「リリオ」
「はいはい、じゃあ私の分と合わせてお勘定ってことで」
「嫌な奴らだねえ、まったく。老い先短い年寄りをいじめてくれちまって」
「なあに、死ぬまで生きますよ」
「そりゃそうだ」
蒸留水を二本預け、私たちは店を出た。
しゃべりすぎて、どうにも疲れた。
用語解説
・精霊晶
水精晶や火精晶など、精霊の宿った結晶の販売を専門とする店。大きな街には必ずある。その性質上精霊の扱いにたけた魔術師が経営している。
・錬金術師
原始的な科学者であり、同時に魔術を可視化・数値化して扱うことを学ぶ人たち。
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