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第一章 冒険屋

第十四話 冒険屋 メザーガ・ブランクハーラ

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前回のあらすじ
街の見学をする前から人酔いし始めたウルウ。
これから冒険屋とやらの事務所に行って知らない人と顔を合わせなくてはいけないことにさっそく胃が痛み始めるのだった。









 今朝は目が覚めた時から嫌な予感がしていた。

 いやに寝汗をかいていたし、枕からは加齢臭がしていた。ついでに抜け毛も。
 寝台から立ち上がる身体はあちこちきしんで、立ち上がる時にはよっこらせと掛け声がいる。

 四十がらみとなりゃあ、まあ仕方ないところもある。
 何しろ冒険屋ってえのは体を使う商売だ。若いうちから無理をし続けりゃあ、年食ってくればあちこちも出てくる。

 もちろんまだまだ現役だという自負はあるが、それでも自分の足で稼ぐって年でもないっていう自覚はある。冒険屋を続けることと、若い頃と同じことをするってのは一緒じゃあない。若い頃には若い頃なりの、年食った今には今なりのやり方がある。

 まあ、いささか負け惜しみ臭いがね。

 とにかく、嫌な予感だ。

 朝飯にしようと思って厨房に降り、堅麺麭ビスクヴィートィを取り出したが、肝心の牛乳の配達がまだ来ていなかった。参った。
 俺の朝はいつも同じ。最寄りの雑貨屋で買い貯めた堅麺麭ビスクヴィートィと配達の牛乳を鍋でといた山盛りの堅麺麭粥グリアージョ。それに箱で買った林檎ポーモを一つ。
 仲間からもそんな不味いもんで喜ぶなんておかしいと常々言われているが、別に俺もうまいうまいと思っているわけじゃあない。ただ、こいつでないと、どうにも調子が出ない。旅してた頃から変わりない。

 部屋に戻って顔を洗い、ひげをそり、剃刀で頬を浅く切る。研いだばっかりだったんだが、手元が狂ったかね。鏡もそろそろ、研ぎに出さんと行かんか。それとも帝都で流行りだとかいう、薄鏡を買うべきかね。いや、馬鹿な。そんなものを買う金なんざありはしない。

 結局、頬に軟膏を塗り、駆け出しのクナーボが執務室に出勤してきてから、ようやく牛乳が届いた。

 案の定クナーボの奴は、そんなんじゃ元気が出ませんよとかなんとか言って、鍋を奪い取り、鼻歌交じりに俺の朝飯を作りはじめる。

 干し林檎を入れた、甘めの堅麺麭粥グリアージョ。食べやすい大きさに小奇麗に切り分けた林檎ポーモ。それに薄く切った燻製肉ラルドに卵を落として焼いたオーヴォ・クン・ラルド。

 参った。

 何がまずいと言って、悔しいほどうまいのがまずい。俺が調子を出しやすい堅麺麭粥グリアージョに、ちょいと手を加えて、うまいこと仕上げちまう。胃袋、掴まれてんな。使ってる道具も、調味料も、変わりはしないはずなんだが。

 洗い物もあるんでさっさと食べちゃってくださいねと出された皿をもそもそと片付けている間も、どうにも尻のあたりがそわそわと落ち着かなかった。

 朝飯を食い終わり、食堂から執務室に戻って依頼の手紙を仕分けているうちに、他の連中も出勤してくる。岩のように武骨な巨漢のウールソ。今日も飾り羽の手入れに余念のない伊達男のパフィスト。いつの間にかいていつの間にかくつろいでいるガルディスト。ナージャはどうせ昼過ぎまで起きてこん。それに……それに、おい、そいつは誰だ?

 一番最後にやってきたのは、飛脚クリエーロの男だった。初夏とはいえまだ涼しい頃に、太腿もあらわに薄着でやってきて、それでいて今の今まで走りとおしだったってえのに息の乱れも見せない気風のいい土蜘蛛ロンガクルルロだった。

「お届けもんでっせ。メザーガさんちうのは?」
「俺だ」
「お手紙でっせ」
「悪いな。とっといてくれ」

 手紙を受け取り銅貨を握らせれば、毎度、と颯爽とかけ出ていく。慌ただしさを感じさせない、するりと滑らかな走りだ。足高コンノケンってのはどいつも格好がいい。ただ落ち着いて座ってるのが得意じゃないから、観賞用には向かないがな。

 さて、嫌な予感を膨らませながら手紙の表書きを見れば、なんてこった、予感は的中だ。
 仕分け済みの依頼表の上に無造作に置いて、椅子に掛けっぱなしだった上着を羽織り、匿ってくれそうな店を思い浮かべる。だが折りの悪いことに、どこもがたまっている。

「どうしたんです?」
「どうもしない。どうもしないが、ちょっと都合が悪いんで出かけてくる」
「なんだなんだ……おいおい、お嬢ちゃんからじゃねえか」
「ははあ、さてはまた口約束で面倒ごとを抱え込んだと見える」
「我らが所長殿は調子に乗りやすいですからなあ」
「やかましい!」

 こういう時に限って俺の靴ひもは解けているし、肌着のぼたんはずれてるし、上着の袖はなかなか通らねえし、事務所は片付いていなくて出入りがしづらい。何いつものことだって? そりゃあいつのいつもだ。少なくとも今日はこうであっちゃあいけなかったんだ。くそったれめ。

 落ち着け。

 俺はゆっくり呼吸をしながら上着を椅子に掛け直し、靴ひもを結び直し、ぼたんを直し、床に置きっぱなしの小物を箱にしまい込み、なんか気になり始めたんで箒を手に取って床を掃き、そうなると放っておけないんで机の上を整理し、放置していた書類の仕分けをし、どの依頼をいつ片付けるか表に組み直し、組合費の滞納を謝罪する手紙を書き上げ、暇してる冒険屋どもを依頼に走らせ、クナーボの淹れた豆茶カーフォを飲んでようやく一息ついたころに、正午の鐘が鳴った。

「おう、もう昼か」
「お昼ご飯どうしましょうねえ」
「昼……もう昼だと……?」
「そうですよ。最近滞納多いですから、ちょっと節約ご飯にしないとですねえ」
「馬鹿野郎もう昼じゃねえか!」
「ええ? だから昼ですって」
「こうしちゃおれん! 俺は逃げるぞ!」
「ああ、ついに逃げるって認めるんですね」
「そういうあれじゃねえ! つまりこれは、なんだ、明日への前進だ!」
「またわけわかんないことを」

 とにかく、俺は改めて上着を羽織り、片付いた事務所から飛び出そうとして、そして、そして扉に付けた小さな鐘が鳴った。なったと同時に安普請の薄い扉が壁に叩きつけられるような勢いで開かれ、輝かんばかりの笑顔が覗き込んだ。

「お久しぶりですおじさん! 冒険屋になりに来ました!」

 向こう三件両隣まで聞こえそうな大声で、遠縁の親戚が襲来したのだった。

 どうして俺はこの執務室に裏口を取り付けなかったのか。そりゃまあ、改築費用がかかるからしばらく保留しようってことだった。もともと集合住宅を居抜きした二階建ての手狭なとこだ。一等安かったから買い取ったが、それで初期費用は殆ど吹っ飛んだ。どうしようもなかった。

 だが窓くらいは大きなものをつけるべきだった。そうしたら逃げ出せたのに。

 だがいまさらそんなことを考えても仕方がない。

 俺は深くため息を吐いて諦め、どっかりと椅子に腰を下ろした。

「まさか本気で俺の事務所に来やがるとはな」
「冒険屋になるなら応援してくれるとおっしゃったじゃあないですか」
「そりゃ言ったがね」

 言ったが、そりゃあくまで社交辞令だ。

 どこの冒険屋が、貴族子女に成人の儀代わりに冒険屋になりたいなんて言われて二つ返事で頷くと思う。
 成人の儀の護衛なんて依頼は掃いて捨てるほどある。拍付けやら度胸試しやらの為に冒険屋の真似事もないわけじゃあない。

 だが、なんてのはそうそういない。

 俺を見りゃあわかる通り、冒険屋なんてのはやくざな商売だ。
 たとえ当主になる当てが実質皆無な次男坊三男坊だって、度胸試しはともかく本当に冒険屋になるかって言われたらそりゃあ最後の手段だろう。
 小さな村の一つや二つ貰って郷士として代官やれりゃ十分だろうし、それがだめだったら元手にいくらかもらって商人でもやりゃあいい。
 なんなら当主の補佐なんて仕事もないわけじゃない。

 そりゃあ、夢はないだろう。退屈な仕事かもしれねえ。

 だが、喜んで冒険屋やるかっていやあ、そいつは馬鹿の発想だろう。

 ところがこいつは、俺の従兄妹の娘のこいつは、馬鹿だ。馬鹿の極みだ。
 なにしろ喜んで冒険屋になりたいって宣言してる大馬鹿者だ。
 それもただの馬鹿じゃあねえ。
 夢やら希望やら浪漫やら、そういうものを詰め込んだ物語に憧れを馳せて、しかして冒険屋っていうやくざな仕事の悲しくなるほどくそったれな現実もよくよく俺から聞き知った上で、その上で、だ、なおかつ冒険屋をやりたいなんてぬかし続けられる極めつけの馬鹿だ。

 俺も冒険屋なんざやっている馬鹿だが、それでもいいとこのお嬢さんを冒険屋なんざにしてやるほど大馬鹿じゃあない。

 こいつの親父さんからも手紙は来ている。そちらで対応してほしいと。
 だがそいつはあくまでもあしらえというだけの話で、すでに成人したこいつを、親父さんも俺も強制することはできねえ。

 俺はそもそも部外者で、親父さんも親父さんで何しろ武辺の集まり辺境領の人間だから、自分の力でどうにかできるってんなら止めることはできねえ。辺境領では力こそが正しさだ。

 親父さんが止めらんねえなら俺が止めなきゃならねえが、冒険屋ってのはやるやらねえは本人の自由だ。資格なんざない。俺が止めようが誰が止めようが、そうしたらそうしたでこいつは勝手に冒険屋になるだろう。そしてどっかでおっぬ。

 そうなったら、俺にゃあ責任なんざねえ、とは言えねえし、何より後味が悪すぎる。

「仕方ねえ。仕方ねえなあくそったれめ」
「じゃあ!」

 きらきら光る眼をしやがって。
 冒険屋に夢を見る奴はみんなそんな目だ。そしてしまいにゃ、くすんだ眼をして銅貨集めに必死になって、酒場で日がな一日飲んだくれるようになる。

 そうなる前に、諦めさせるのが大人の仕事だ。

「冒険屋になるってからにゃあ、それなりの腕を見せてもらわにゃあならねえ。お前だけじゃねえ。そっちの連れもだ」
「私か」
「関係ねえって顔すんなよ。手紙にゃちゃんと書いてある。こいつと、そのお目付け、二人の面倒見てやれってな」
「……へえ」
「……えへへえ」

 さあて、腕を見るとはいえ、どうしたもんか。
 ちみっこいしているとはいえ、こいつも辺境出だ。辺境の連中はどいつもこいつも気が触れていやがる。これでもなまじっかの冒険屋どもより腕っぷしはいいだろう。
 となると半端な相手じゃ諦めさせるにゃ物足りねえ。

「よし。じゃあ乙種害獣……いや、魔獣の駆除が入所試験だ。腕っぷし見せてもらおうか」
「うぇあ、乙種ですか!?」

 目を白黒させるリリオと違って、ひょろ長い嬢ちゃんは驚いた様子も見せねえ。見た感じどうにも生気に薄いが、こいつも辺境の出なら油断はならねえな。
 付け足しとくか。

「二人分で二匹だ」
「倍ドンですかぁ!?」

 うるせえ奴だな。

 そしてもう一人は……相変わらず動じやがらねえ。
 さてさて、こいつで諦めてくれると助かるんだがね。









用語解説

・メザーガ・ブランクハーラ
 人間族。リリオの母親の従兄妹にあたる。四十がらみの冒険屋。
 ヴォーストの街で冒険屋事務所を経営している。

・クナーボ
 人間族。メザーガ冒険屋事務所に所属する駆け出しの冒険屋。

燻製肉ラルド
 いわゆるベーコン。特に何と指定しない場合は豚の肉を用いたものを指す。

・オーヴォ・クン・ラルド
 いわゆるベーコン・エッグ。

・ウールソ
 獣人族。メザーガの冒険やパーティの一員で事務所に所属する冒険屋。
 槌を武器とする武僧。

・パフィスト
 天狗ウルカ。飾り羽も鮮やかな伊達男だが、腕は一流の弓遣い。事務所に所属する冒険屋。

・ガルディスト
 土蜘蛛ロンガクルルロの野伏。パーティのムードメーカーであり、罠や仕掛けに通じる職人。また目利きも利く。

・ナージャ
 メザーガ冒険屋事務所の居候。

豆茶カーフォ
 南方で採られる木の実の種を焙煎し、粉に挽いて湯に溶いて濾した飲料。焙煎や抽出の仕方などで味や香りが変わり、こだわるものはうるさい。
 北方では栽培できず、また輸入品もあまり出回らずそれなりに高価。
 メザーガは故郷のつてで安く仕入れているようだ。

・正午の鐘
 大きな街ともなると機械仕掛けの時計が置かれていることもあるが、人々はもっぱら街の中心にある鐘楼が鳴らす鐘の音で時刻を知る。街は大抵この鐘の音の聞こえる範囲をその領域としている。

・乙種害獣
 甲・乙・丙・丁と四段階に分けた内、上から二つ目の危険度の害獣のこと。
 普通の冒険屋がソロで挑んでぎりぎり勝ちをもぎ取れる限度がこのあたり。普通はパーティで挑む。

・乙種魔獣
 危険度分類のうち、特に魔獣を強調しているのは、魔術を使う魔獣の方が一般的に手ごわいから。同じ危険度でも魔獣の方が気が抜けない。

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