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第十章 アクロバティック・ハート

第四話 祭り飯

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前回のあらすじ

祭りに集う様々な隣人種。
そして引っ立てられる酔っ払い。
祭りとは賑やかで騒がしいものだ。





 人込みにもまれ、店みせを冷かしていくと、日も高くなって腹も減ってきた。
 こういう時、一等に空腹を主張するのは、燃費の悪い未来ではなく、ほとんど食わないはずの紙月である。

「腹減ってきたな」
「そうですなあ。なんか適当に買ってきやすから、席を取っておいてもらえますか」
「おう、頼んだ」

 祭りに慣れたムスコロとハキロが買い出しに出かけ、紙月と未来はあちこちに設置された椅子とテーブルを確保した。立ち食いもさほど忌避されることはないが、それでも飲食するためのテーブルが多く設置されていることは、文化圏の違いを思わせた。

「こうして腰を落ち着けてみると、本当にすごい人だな」
「それにみんな仮面をかぶってるもんねえ」

 そう言う未来は、仮面が重いのか、邪魔くさいのか、外してしまっている。
 紙月も、この人込みだし、普段とは格好も違うからと、恐る恐る仮面を外してみた。
 結果としては、拍子抜けするほど誰も紙月のことなど気にはしなかったし、なんだか思いあがっていたなと、かえって恥ずかしくなる程だった。

 待っている間、暇になるかもしれないと思ったが、実際のところは周囲を見回しているだけで退屈知らずで済んだ。
 なにしろ、それこそ一人ずつみんな違う仮面をかぶっているのではないかというくらいバリエーションに富んだ仮面の数々は見ているだけでも面白かったし、その中にもしかしたら死者が混じっているかもしれないと考えながら眺めてみると、それだけで愉快なものだった。

 どこからともなく聞こえてくる名も知らぬ楽器の音色は、耳慣れないながらにどこか原始的な部分で楽しみというものを刺激したし、漂ってくる嗅ぎなれない香りは非日常というものに心を漂わせてくれた。

「なあ、みら」
「あ! 未来じゃないか!」

 そのなんとも言えない不思議な空気に関して紙月がぼんやりと口を開きかけたところで、非常にいいタイミングで割って入ったのは、年若い声だった。
 晴れ着らしい上等な服に身を包んだのは、

「……誰?」

 仮面のせいで誰かわからなかった。

「ああ、そうか、ごめんごめん。僕だよ」
「ボクダヨさんね」
「意地悪言わないでくれよ、反省してる」
「だといいんだけど」

 空気も読めず子供らしくやってきたのは、以前冒険を共にした少年冒険屋、クリストフェロことクリスだった。
 正直なところ未来はこの子供と遭遇するたびにあの面倒極まりなかった冒険を思い出して仕方がないのだが、何しろ大して大きくもない町中で、行動圏が被っているのである。なにかとクリスと、そして子供たちとはちょくちょく顔を合わせ、その度にお守りをしているのである。

 ゴルドノたち年少組はまだいい。素直に未来に憧れを持ってくれるし、年相応の生意気さはそう言うものだと慣れてしまえばあしらえるし、言えば、まあ、大体のところは大まかにわかってくれる。

 しかしクリスは難しかった。
 というのも、十四歳という年上の少年の心理は年少組と比べていささか複雑で、そして素直さと同時に自分勝手に解釈する小賢しさというものも併せ持ち、はっきり言えば、はなはだ面倒くさい。
 反省していると口では言うし、あの時の反省は本物だっただろうが、それを取り返そうとする気持ちは元気なままで、未来に会う度に挽回のチャンスを得ようとあれこれ張り切るのである。頑張りは認めるが、これがまた鬱陶しい。
 おまけにあれをきっかけに未来に疑似的な師弟関係のようなものでも見出したのか、馬鹿犬がしっぽを振ってまとわりついてくるような具合である。

「未来もお祭りに来てたんだね。会えてよかったよ!」
「ああ、うん、そう」 
「未来、お友達か?」
「あー…………」
「未来、もしかしてそちらの方は、も、森の魔女……?」
「ちが」
「おお、俺のことを知ってるのか」
「勿論です! あなたのこと! 憧れて! ああ! 本当に! 森の魔」
「目立ちたくないんだ。わかるね?」

 紙月が森の魔女と知った途端に叫び出しそうになったクリスの口を、未来の小さなががっしりと塞いだ。小さい分きつくめり込んだ口元は相当いたそうであるが、未来の知ったことではない。

 幸いにも祭りの喧騒に掻き消えてそこまで目立ちはしなかったようだが、これで悪目立ちでもしたならば未来のあまり丈夫ではない堪忍袋の緒はどうなっていたことやら知れない。

「あ、あふぁ、顎が外れるかと思った」
「ああ、うん、まあ、そんなに憧れてもらえてうれしいよ」
「わーお、本当に、森の魔女、なんですねっ、わーお、わーおっ」
「あー、個性的なお友達だな」
「あー…………まあ、うん、それでいいや、もう」

 クリスはしばらく自分の口元を押さえて悶えた後、急に腸捻転でも起こしたような顔で――おそらく本人的には最高のキメ顔で――、紙月に向き直った。

「僕、《レーヂョー冒険屋事務所》のクリストフェロと言います。クリスとお呼びください」
「ああ、そうか、よろしく、クリス」
「よろしくされちゃった……っ……ごほん、僕、本当にあなたに憧れてるんです。
「あー、ありがとう?」
「それでですね、よければなんですけど、荷物持ちでもいいんです、森の魔女のパーティに入れてもらえませんか?」

 困惑しっぱなしの紙月も、これには困惑の品切れが来た。
 いったい何を言っているのだろうこの少年は、と頭痛がするほどだった。
 しかし考えてみれば、名前が売れるということは、それに憧れるものも出れば、その名にあやかりたいというものが出るのもおかしい話ではなかった。

「えーとね。そもそも事務所が違うし……」
「あなたのためなら事務所辞めてきます!」
「おいおいおい……それに、あー、荷物持ちも必要ないし……」
「靴磨きでも肩もみでも、どんな雑用でもします! させてください!」
「えー……」

 熱意に押されてドン引きもといのけぞりかけた紙月であったが、助けを求めて視線をやった先で、珍しくむっつりと黙り込んだ相方の姿を見つけて、なんとか立ち直った。

「よし、落ち着いて、クリス。クリストフェロ」
「はいっ」
「駄目だ」
「えっ」
「憧れてくれてるところ悪いが、俺の相棒は後にも先にもこいつだけだ」

 スパッと鋭利な刃物で切り裂かれたように、クリスは沈んだ。

「そ、それは……」
「俺はこいつとじゃないと安心して冒険できない。悪いな」
「ぐへぇ」

 どかっと重厚な鈍器で殴られたように、クリスはへこんだ。
 しかしそれでも立ち上がるだけの根性はあった。

「くっ……鍛えなおしてきます!」

 涙をこらえて走り去る背中を追うようなことはしなかった。
 紙月は青春だなあ、と。
 未来はようやく行ったか、と。
 見送るにとどめるのだった。

「あー……なんか、ごめんね、紙月」
「いや、うん、いいよ、別に。なんかちょっと、嬉しかった」
「え?」
「嫌だったんだろ、俺が他の誰かと組むの。それがちょっと、嬉しかった」

 それはどういうことなのだろうかと尋ねる前に、ムスコロとハキロが両手にたっぷりと荷物を持って帰ってきた。

「おお、お帰り」
「へえ、戻りやした」

 二人がまず寄越したのは、木のカップに注がれた甘くて香ばしい香りの飲み物である。

温葡萄酒ヴァルマ・ヴィーノだ。未来には、酒精を飛ばしたのを持ってきた」
「おお、ホットワインだ」
「少し変わった香りがするけど、美味しいねえ」

 温葡萄酒ヴァルマ・ヴィーノと言うのは要するに、香草や砂糖、シロップなどと一緒に温めた葡萄酒ヴィーノのことだった。甘さの中にピリリと香草が利いていて、いかにも温まりそうな味わいである。

「腹にたまりそうなもんも買ってきてありやす」

 どっさりと積まれた袋には、見慣れたの串もあれば、クレープのようなものに包まれたものもたくさんあった。

「これは?」
「姐さん方はあんまり口にしたことがねえでしょうが、蕎麦粉ファゴピロってぇ色の黒い粉で作った薄円焼きクレスポですな。小麦よりこっちの方が下町じゃあ出回りやす」
「中身もいろいろ買ってきたぞ。こっちは火腿シンコに目玉焼き。乾酪フロマージョのもある。おすすめは腸詰コルバーソだな」
「揚げ芋に、馬鈴薯餅テラポーモクーコもありやすぜ」
「甘いのも買ってきた。果醤マルメラド巻いたのに砂糖漬けコンフィタージョ乗っけた奴、林檎飴カンディタ・ポーモもあったぞ」 
「小食な姉さんには飲み物も買ってきやした。林檎酒ポムヴィーノが出頃でしたぜ」

 二人で競うように買ってきたらしく、四人分とはとても思えない量が積み重なるのを見て、紙月と未来は顔を見合わせ、そして噴き出した。

「よしよし、じゃあ頂こうじゃあないか」
「ほとんど僕が食べるんでしょ、知ってる」
「まあまあ、祭りの日に言いっこなしで」
「さあさ、楽しもうじゃないか!」

乾杯トストン!」





用語解説

温葡萄酒ヴァルマ・ヴィーノ
 葡萄酒ヴィーノを香草や砂糖と温めたもの。
 いわゆるホットワイン、グリューワイン。

蕎麦粉ファゴピロ
 黒っぽい実をつけるタデ科の穀物、その粉。いわゆるソバ粉。
 寒冷地や乾燥地に強く、北部、西部でよく育てられる。

薄円焼きクレスポ
 蕎麦粉ファゴピロや小麦粉を水で溶き、薄く広げて焼いたもの、
 クレープ。甘いものをまくこともあるが、塩気のあるものをまいた軽食としてのものが多い。

火腿シンコ
  豚や猪の腿肉を塩漬けにした加工品。
 西部では大嘴鶏の腿肉を使用したものがメジャーなようだ。

馬鈴薯餅テラポーモクーコ
 摩り下ろした馬鈴薯テルポーモの生地をフライパンで焼き上げたもの。
 クーコ、つまりケーキと呼ばれるが、基本的に塩味のもの。

果醤マルメラド
 果物に砂糖や蜜を加えて加熱濃縮したもの。ジャム。

砂糖漬けコンフィタージョ
 主に果物を砂糖につけたもの。果醤マルメラドのうち、果物の形を残しているものも言う。

林檎飴カンディタ・ポーモ
 丸のままのリンゴに肉桂シナーモなどで風味をつけた飴をまとわせたもの。
 リンゴ飴。

肉桂シナーモ
 ニッケイ属の樹皮からとれる香辛料。独特の甘みと香り、そしてかすかな辛味がある。
 シナモン。

林檎酒ポムヴィーノ(pom-vino)
 林檎ポーモと呼ばれる果物から作られた酒。発泡性のものが一般的。
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