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第九章 ワン・ストーミー・ナイト

第四話 写本

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前回のあらすじ

飯レポ……飯レポ?





 ほとんど強制イベントのような昼食を終わらせて、冒険屋たちはみなもそもそと内職に戻っていった。
 紙月もまた精霊晶フェオクリステロいじりに戻り、しかし彫刻にすっかり挫折してしまった未来は困った。

 何事も継続して初めて上達するということはわかっているのだが、集中力というものはそんなに長続きするものではないのだ。未来の彫刻に対する集中力はすっかり品切れしてしまったと言っていい。
 これがもう少し彫刻に慣れてくると、この形は飽きたから違う形にしよう、などという風に集中力を操作できるようになってくるのだが、残念ながら未来にはまだその境地は程遠かった。

 手元で木切れをころころと転がして溜息をつく未来に気付いたムスコロは、少しの間ふぅむと考えて、それからいったん席を外した。
 戻ってきた頃には、何冊かの本を抱えている。

「兄さん」
「なに?」
「彫り物に飽きたなら、今度は写本はどうです」

 フムン。
 未来はムスコロの持ってきた本と紙束を受け取った。
 そう言えば事務所に来たばかりの頃、暇を持て余しては写本をしていたものだ。
 最近はちょっとさぼっていたから、丁度良いかもしれない。

「確か前も、写本をしてなすったでしょう」
「そうだね。最近、さぼってた」
「写本の内職ってだけでなく、字の練習ってのは大事ですぜ」
「冒険屋にも?」
「勿論」

 ムスコロが言うには、上手な字の練習というものはしておいてまず損がないという。
 達者な字を書くようになると、こいつは教養があるなとまず目で見てわかる。字の練習に時間が取れたということであるし、読み書きをすれば理解力も深まるし、単純に知識も増える。

 そうすると商人たちからはまず一目置かれる。学のない依頼人でも、そのくらいは察する。
 荒事が多い冒険屋稼業と言えども、気が利くものと気が利かないものではどちらが優遇されているかと言えば、決まっている。教養があると見なされれば、この気が利くものの方に分類される。

 そうすれば仕事が増えるし、仕事の内容自体も難しくて依頼料の高いものになってくる。

 地味なことのように思えるが、そうしたところからも冒険屋の実力というものは磨かれていくのである。

「そっか。ありがとう、ムスコロさん」
「いえいえ」

 彫り物に戻るムスコロを見送って、未来は受け取った本の表紙を見た。
 ムスコロも最初の頃のように、子供向けの易しい物ばかりを見繕ってはこなかった。むしろ大人向けか、大人でもちょっと難しいように思われる本である。
 これは安易に未来を大人扱いしているのではなく、いままで読んできた本から、このくらいは読めるだろうと判断したのである。
 それにもの知らずな所のある未来たちに必要とも思ったのだろう。

 まず未来は一冊目を手に取って、ゆっくりと読み始めた。いきなり写本に移ることはない。
 中身がわかっていなければ写す手もつっかえつっかえになるし、そうなると筆跡はゆがみ、全体ががたがたとする。

 まず読んで、理解する。それが大事だ。

 一冊目は図鑑のようなものだった。図鑑と言っても絵図の類はほとんどないから、動物誌や博物誌と言った方がいいかもしれない。

 前書きを読み進めていくに、これはどうも帝国内で確認できる魔獣について記したもののようだった。
 魔獣というものは、その生態として魔法を扱うことのできる動植物の総称である。動物だけでなく植物も含まれていて、特別に植物の魔獣を語るときは魔木や魔草などと呼ぶ。

 よく冒険屋の仕事として魔獣や害獣の討伐や駆除というものがあるが、これもごっちゃになった概念である。

 害獣と言うのは読んで字のごとく人の生活に害をなす動植物の総称で、害をなすならば魔獣も害獣の一部ではある。逆に、魔獣であっても、害をなさないならば、害獣ではない。

 魔獣という区分の中にも害獣とそうでないものがあり、害獣という区分の中にも魔獣とそうでないものがあるのである。

 ただ、一般的な区別として、害獣と魔獣であれば魔獣の方が危険なものとして扱われる。甲種だの乙種だのという危険度の区別においても、乙種の魔獣という場合と、乙種の害獣という場合では、前者の方が全然危険であるとされる。

 こういったごちゃごちゃに入り混じった呼び方は、人々が自然に呼んでいるうちに入り組んでしまったもので、統一しようにも、難しいところがある。

 この本では、魔法を使う動植物という区分で魔獣を扱い、害獣であるかどうかは区別していないようだった。

 例えば北部などに棲むという熊木菟ウルソストリゴという魔獣の説明があった。
 これは主に四つ足、時に二足で立ち上がる熊のような体躯をした羽獣で、つまり未来たちの言い方をすれば熊のニッチに適応したフクロウだった。
 体長は雄で二メートル少し。三メートルもざらであるという。体重は餌次第ではあるが、三百キログラムから、時には五百キログラム以上のものもいるという。

 この巨体に似合わず、熊木菟ウルソストリゴは森の暗殺者とも呼ばれる。
 それというのも、この魔獣は風精と非常に親和性が高く、おおよそ円状に周囲の空気に干渉し、伝わる音を遮断してしまうのである。そして音の消えた中でひっそりと接近し、気づかれる前に攻撃を仕掛けてくるのだという。
 この異能は特に冬の雪山で恐ろしいほど冴え渡り、もともと音が吸われがちな雪山でじわりじわりとこの領域に侵入すると、標的は気付くこともなくいつのまにか刈り取られてしまうのだという。

 そしてこの無音の結界にうまく気付けても、この魔獣は遠距離からの攻撃手段を持ち合わせており、油断できない。
 標的が結界に気付いて警戒すると、熊木菟ウルソストリゴは即座に結界に回していた魔力を手元に引き戻し、風精を刃のように固めて飛ばしてくるのである。
 これは個体の栄養状態や魔力の強さにもよるが、まるで鋸の歯のついた鉄球で殴りつけられでもしたように、重武装の冒険屋でもずたずたに引き裂かれてしまうという。

 これをうまくかわしても、なにしろ熊の仲間であるから身体能力も高い。走りは人よりも早く、特に山道を登るときに力強く、木登りも得意であるため山の中では逃げ場がないという。
 丈夫な羽毛はなかなかな矢や剣を通さず、太い腕は細い木の幹などへし折ってしまうほどで、よく死者が出るのだとか。

 未来などは読んでいてどんな化物だと思ったものだが、これでも危険度としては乙種の魔獣であるというから、甲種である幼体の地竜と言うのも大概化物だったわけである。もちろん、甲種とか乙種と言うのは環境や相性にもよるので、あの地竜の幼体より熊木菟ウルソストリゴの方が簡単な相手であるとは限らないのだが。

 また、どれほど危険な動物であるのかという説明だけでなく、その解剖学的な解説や、生態などの調査結果も記されていた。
 いったいどうやって調べたのか未来には見当もつかないが、冬眠中に卵を産むことや、春になるころにその卵が孵ること、熊木菟ウルソストリゴの雛がふわふわで、「およそこの世のものとは思われぬほどの愛らしさ(原文ママ)」であることなどが事細かに記されていた。

「……なかなか読ませるね」

 一冊目でこれだけ面白いのならほかの本はどうだろうかと未来は手を伸ばした。





用語解説

・魔獣
 動植物の中でも特に精霊と親和性の高いもの、魔術を扱うものを指す。
 魔木、魔草なども広義には含む。

・害獣
 動植物の中でも人の生活に害をもたらすものを指す。
 草木なども広義には含む。

熊木菟ウルソストリゴ(urso-strigo)
 羽獣の魔獣。風の魔力に高い親和性を持つ。大気に干渉して周囲の音を殺し、巨体に見合わぬ静けさで行動する森の殺し屋。風の刃を飛ばす遠距離攻撃の他、大気の鎧をまとうなど非常に強力。肉は特殊な処理をしなければ、不味い。

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