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第七章 ガーディアン
最終話 ガーディアン
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前回のあらすじ
地下水道での疲れを風呂で洗い流す二人。
何気に異界転生譚は風呂回が多い。
じっくりと風呂に浸かってすっかり温まり、帝都の石鹸などを物色した二人は、湯上りでほかほかとした体で夜に沈みつつある帝都を歩いていた。
あちらこちらで、電気ではない明かりを宿す街灯が灯りはじめ、東の空は紫色に、西の空は群青に染まりつつあった。
見上げれば夜空には、かつての世界と同じような月と、そして見知らぬ星座が並んでいた。
「なんだか、不思議だなあ」
「なにが?」
「こう、さ。町並みは全然違うんだけど、星空は同じようなもんなんだなって」
「ああ、確かにねえ」
二人並んで見上げた空は、かつての世界の空よりも、ずっと多くの星々がちりばめられているように思えた。秋口になって冷たく乾燥し始めた空は、はるかかなたの星の光を、常よりも豊かに地上に降り注がせているようだった。
「紙月はさ」
「なんだ?」
「うん。えっとね」
未来は少しの間、言葉を選ぶように考えながら何歩か歩き、それから思い立ったように振り向いた。
「紙月はさ、やっぱり、元の世界が恋しかったりする?」
問いかけに、紙月もまた少し考えた。
「ちょっと……難しいかもな」
「難しい?」
「ああ」
見上げる星々は、その輝きは、かつての世界とは遠い。
遠いけれど、でも、やはりそれはかつての世界と同じ輝きだった。
はるか遠くの、届かない光だった。
「未練がないと言えば、嘘になる」
確かに、あの世界に紙月の居場所はなかった。
いつもどこか息苦しくて、生き苦しかった。
何かになりたくて足掻いて、何にもなれずにあえいでいた。
本当に心から友と呼べる友はいなかったように思う。
本当に心から信頼できる人はいなかったように思う。
それでも彼らは確かに紙月の人生を形作る一部だった。
でもいまは顔を思い出すことも苦労するように感じられた。
見知らぬ人たちを写真の中から探すような心地だった。
どこか遠く、遠くの出来事のようでさえあった。
母や姉たちのことは、今でも時折思い返す。
勝手に死んでしまって申し訳ないとか、それでも強い人たちだから乗り越えて行けるだろうとか。
でもそれはどこか霞がかったようにも感じられた。
分厚い真綿を通しているように感じられた。
どこか遠く、遠くの出来事のようでさえあった。
確かに愛していた。
母を愛していた。
姉たちを愛していた。
しかしそれ以上に、安堵している自分もいた。
もういいのだと、ほっとしている自分もいた。
「嫌いだったわけじゃないんだ。会えるものならもう一度会いたいとも思う。でももう会うことはないんだと思うと、どうしてだか心が安らぐのも感じるんだ。時々無性に寂しくなるのに、時々無性に満たされる」
それは奇妙な感覚だった。
嫌だと叫ぶほど辛かったわけじゃない。でも逃げ出せてほっとしている自分がいる。
愛していると確かに感じていた。でも解放されたんだとそう思っている自分もいる。
「憎んでいたわけじゃない。嫌っていたわけじゃない。
寂しくないわけじゃない。悲しくないわけじゃない。
でも、どうしてだろうな。今はすごく、呼吸が楽だよ」
ごめんな、わけわかんないよな。
そうつぶやく紙月の手を、未来はただそっと包んだ。
「紙月の事情はわからない。でも、僕は紙月に救われてるよ」
ぎゅうと手を握って、未来はこの背の高い臆病な人を見上げた。
「何度でも、何度だって言うよ。僕は紙月に救われている」
紙月にはわからなかった。見上げてくるこの小さな相棒の、その熱量がわからなかった。
ただひたむきな視線に、気圧されるような心地さえした。
「紙月は間違ってないよ。すこし、難しい問題なんだ、でも、間違ってなんかいないよ」
愛していても、疎ましい時だってある。
信じていなくても、側にいて欲しい時はある。
どんな気持ちも、それ一色ということはなくて、時には驚くほど相反するような感情が、当たり前のような顔をして隣り合わせになっている時だってある。
未来もそうだった。未来も、そうだった。
父を愛していた。でも疎んでいた。
愛されることが嬉しかった。でも同時に怖くもあった。
いまもそうだ。いまだってそうだ。
感情はいつだって理路整然と並んでいてはくれやしない。
思う通りに行かなくって、考える通りにも行かなくって。
それでも、思うことだけは、止められないから。
「ねえ、紙月」
きゅっと手を握って。
「君のことを、護ってあげたい」
とん、と歩き出して。
「それから」
浮かぶのは、苦笑い。
「それから」
言葉にはできないたくさんを、噛み締めるような。
「……うん、もう少し大人になったら、そのときは伝えるよ」
するりと手を放して、小走りに駆けていくその背中に、紙月は不思議と動悸が高鳴るのだった。
用語解説
・もう少し大人になったら
子供の少しは、存外に早いものだ。
地下水道での疲れを風呂で洗い流す二人。
何気に異界転生譚は風呂回が多い。
じっくりと風呂に浸かってすっかり温まり、帝都の石鹸などを物色した二人は、湯上りでほかほかとした体で夜に沈みつつある帝都を歩いていた。
あちらこちらで、電気ではない明かりを宿す街灯が灯りはじめ、東の空は紫色に、西の空は群青に染まりつつあった。
見上げれば夜空には、かつての世界と同じような月と、そして見知らぬ星座が並んでいた。
「なんだか、不思議だなあ」
「なにが?」
「こう、さ。町並みは全然違うんだけど、星空は同じようなもんなんだなって」
「ああ、確かにねえ」
二人並んで見上げた空は、かつての世界の空よりも、ずっと多くの星々がちりばめられているように思えた。秋口になって冷たく乾燥し始めた空は、はるかかなたの星の光を、常よりも豊かに地上に降り注がせているようだった。
「紙月はさ」
「なんだ?」
「うん。えっとね」
未来は少しの間、言葉を選ぶように考えながら何歩か歩き、それから思い立ったように振り向いた。
「紙月はさ、やっぱり、元の世界が恋しかったりする?」
問いかけに、紙月もまた少し考えた。
「ちょっと……難しいかもな」
「難しい?」
「ああ」
見上げる星々は、その輝きは、かつての世界とは遠い。
遠いけれど、でも、やはりそれはかつての世界と同じ輝きだった。
はるか遠くの、届かない光だった。
「未練がないと言えば、嘘になる」
確かに、あの世界に紙月の居場所はなかった。
いつもどこか息苦しくて、生き苦しかった。
何かになりたくて足掻いて、何にもなれずにあえいでいた。
本当に心から友と呼べる友はいなかったように思う。
本当に心から信頼できる人はいなかったように思う。
それでも彼らは確かに紙月の人生を形作る一部だった。
でもいまは顔を思い出すことも苦労するように感じられた。
見知らぬ人たちを写真の中から探すような心地だった。
どこか遠く、遠くの出来事のようでさえあった。
母や姉たちのことは、今でも時折思い返す。
勝手に死んでしまって申し訳ないとか、それでも強い人たちだから乗り越えて行けるだろうとか。
でもそれはどこか霞がかったようにも感じられた。
分厚い真綿を通しているように感じられた。
どこか遠く、遠くの出来事のようでさえあった。
確かに愛していた。
母を愛していた。
姉たちを愛していた。
しかしそれ以上に、安堵している自分もいた。
もういいのだと、ほっとしている自分もいた。
「嫌いだったわけじゃないんだ。会えるものならもう一度会いたいとも思う。でももう会うことはないんだと思うと、どうしてだか心が安らぐのも感じるんだ。時々無性に寂しくなるのに、時々無性に満たされる」
それは奇妙な感覚だった。
嫌だと叫ぶほど辛かったわけじゃない。でも逃げ出せてほっとしている自分がいる。
愛していると確かに感じていた。でも解放されたんだとそう思っている自分もいる。
「憎んでいたわけじゃない。嫌っていたわけじゃない。
寂しくないわけじゃない。悲しくないわけじゃない。
でも、どうしてだろうな。今はすごく、呼吸が楽だよ」
ごめんな、わけわかんないよな。
そうつぶやく紙月の手を、未来はただそっと包んだ。
「紙月の事情はわからない。でも、僕は紙月に救われてるよ」
ぎゅうと手を握って、未来はこの背の高い臆病な人を見上げた。
「何度でも、何度だって言うよ。僕は紙月に救われている」
紙月にはわからなかった。見上げてくるこの小さな相棒の、その熱量がわからなかった。
ただひたむきな視線に、気圧されるような心地さえした。
「紙月は間違ってないよ。すこし、難しい問題なんだ、でも、間違ってなんかいないよ」
愛していても、疎ましい時だってある。
信じていなくても、側にいて欲しい時はある。
どんな気持ちも、それ一色ということはなくて、時には驚くほど相反するような感情が、当たり前のような顔をして隣り合わせになっている時だってある。
未来もそうだった。未来も、そうだった。
父を愛していた。でも疎んでいた。
愛されることが嬉しかった。でも同時に怖くもあった。
いまもそうだ。いまだってそうだ。
感情はいつだって理路整然と並んでいてはくれやしない。
思う通りに行かなくって、考える通りにも行かなくって。
それでも、思うことだけは、止められないから。
「ねえ、紙月」
きゅっと手を握って。
「君のことを、護ってあげたい」
とん、と歩き出して。
「それから」
浮かぶのは、苦笑い。
「それから」
言葉にはできないたくさんを、噛み締めるような。
「……うん、もう少し大人になったら、そのときは伝えるよ」
するりと手を放して、小走りに駆けていくその背中に、紙月は不思議と動悸が高鳴るのだった。
用語解説
・もう少し大人になったら
子供の少しは、存外に早いものだ。
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