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クリスの受難
66 無事帰還
しおりを挟むカーソンとクリスはトレヴァという人間の街を離れ、いつも人間達と争う草原を越え、谷の上空へと辿り着く。
2人は谷の大地へと舞い降り、何とか無事に帰還した。
帰れないかも知れないという緊張感から解放された2人は、これでやっと元通りの生活に戻れると思う。
お互い死なずに無事帰って来れたと喜びながら、2人は両手を広げながら抱きつこうとした。
「クリスっ!」
「カーソンっ!」
「…………う」
「…………あ」
「あ、あの……その……えっと……」
「う、うん……えっと……い、いいの……かな?」
両手を広げながら相手に抱きつこうとした瞬間、2人は自分の心に不思議な感情が芽生えている事に気付く。
両手を広げたままお互いを見つめ合う2人。
カーソンは胸のドキドキを思い出し、クリスの愛らしい瞳を見つめながら、恥ずかしくなった。
クリスもまた、カーソンの凛々しい瞳を見つめるとドキドキし、本当に抱き付いて良いものかと、身体が固まる。
2人は抱き合うのを躊躇い、その場から一歩も踏み出せなくなってしまう。
胸の鼓動は高鳴りを増し、繋いでいる手はどんどん汗ばんでゆく。
何だか恥ずかしくなり、繋いだ手を離そうと思う2人。
と同時に、この手はもう離したくないという不思議な感情に邪魔され、この状況から進む事も戻る事も出来なくなってしまった。
お互いの瞳から目を逸らすことも出来ず、まるで石像のようになってしまった2人の頭の中に、突然イザベラとローラが話しかけてくる。
(そろそろ谷に着いた?)
(クリス、ティナ、お帰りなさい)
(姿は確認出来ないけど、風の目で飛ばしたシルフが慌ててるから、戻って来てるわね?)
(今、谷のどの辺りですか?)
(あ、イザベラとローラ?)
(へっ、陛下っ!?)
(今どこ?)
(近衛達はずっと、あなた達を心配なさっていますわよ?)
(今、谷の端っこに着いたぞ)
(あたし達、無事に帰って来る事が出来ました!)
(良かった! 本当に……)
(お姉様があなた達を見失われてしまった時は、もう駄目かと思ってしまいましたわよ?)
(え? イザベラ、風の目で見えなくなったのか?)
(あ……ずっとあたし達の事、見守って下されていたのですか?)
(ええ。でも、流石にあれだけ離れられちゃ、いくらシルフでも追いかけられないわ)
(シルフの捜索範囲外に出てしまわれましたの)
(シルフの見えないトコまで、島動いたのか?)
(あたし達が脱出した時、島はトレヴァという人間の街の上空でした)
イザベラとローラが魔力で話しかけ、2人は会話に応対した。
イザベラとローラは会話を続ける。
(最後に見たのは、あなた達が落とし穴に落ちたところだったのよ)
(お姉様からお話を聞き、もう半分諦めかけてしまいましたわ)
(ルドルフから無事に帰ったと報告がきて、ほっとしていたところよ?)
(あの若造も、あなた達を心配なさっていたのには驚きましたわ)
(あなた達に謝っておいてくれだって)
(馬鹿息子がしでかしたこのお詫びに、近々谷の殿方衆を帰してくれると約束して下さいましたわ)
(あ、クリスの父さん達帰してくれるのか?)
(わぁっ! 良かった!)
(まさかルドルフも知らなかったとはね)
(愚かな息子ですわね)
(俺、あいつ嫌い。クリスいじめたから、殺してやろうと思った)
(あたしもぶん殴ってやろうかと思いました)
(本当にもう、島ってグダグダね)
(統率が全くとれていませんわね)
(クリスの父さん達、元気だったぞ?)
(谷のみんなに全員無事だと、報告して欲しいと言われて参りました)
(そうなの? ああっ、良かった!)
(もしひとりでも亡くなられていたら、タダでは済ませませんでしたわ!)
カーソンとクリスから谷の男衆の無事を報告されたイザベラとローラは、安堵しながら答えた。
イザベラとローラはカーソンの声が変わっている事に気付き、話を続ける。
(ところでティナ? 何か声が変だけど、どうしたの?)
(あなたの声、野太くなっていませんか?)
(あ。俺、今カーソンだぞ?)
(……えっ!?)
(お、お姉様の魔力が消失してしまわれたのですかっ!?)
(うん。落とし穴の中、魔力消えた)
(……何と……島にはそんな所があるのね?)
(カーソン……殿方……)
(俺、今ちんちんあるぞ)
(こらっ! 両陛下にそんな破廉恥な事言うなっ!)
(? 破廉恥って、何だ?)
(……あらっ? カーソン、あなたローラの魔力も消えているのよね?)
(言葉が通じているのですか?)
(うん。俺、もう言葉覚えてる。字の書き方も覚えてるし、数字の計算も出来るぞ?)
(そうか、あれから5年だものね。もう自分のモノにしててもおかしく無いわね)
(本当にあなたは、とても賢い子ですわね?)
(えへへ……)
イザベラとローラの魔力が消失した今も、カーソンの知識は失われずに自分の力として習得済みのようであった。
イザベラとローラはカーソンが男に戻っていると知り、姿が見えない理由を察して話しかけてくる。
(男に戻っているという事は……そうか、その姿が見えないのは)
(もしや……セイレーンの力ですか?)
(うん。落とし穴の中に、セイレーン居た)
(落とし穴の中に……セイレーンが居たの?)
(あなたが新しく契約をなさったのですね?)
(うん。セイレーン、死体から出れなくて困ってた)
(……そうか……それでか)
(島が拒んだ理由……やっと分かりましたわ)
(俺、男に戻ったからセイレーン契約してくれて、落とし穴から出られた)
(本当に偶然が重なりました。出た先にはお父様達が居ましたし)
(そう……良かった……)
(偶然……良かったですわね……)
(? イザベラ、ローラ、どうした?)
(いかがなされました? 陛下?)
カーソンとクリスは、突然声のトーンが下がったイザベラとローラを不思議に思う。
暫し沈黙の後、イザベラとローラは重い口を開いた。
(……セイレーンは風の上級精霊。複数の者と契約なんてしないわ)
(つまり……前の契約者が亡くなられたので、あなたと契約なさったのですね)
(うん。俺、男だったからセイレーン、契約してくれた)
(女は嫌いだから、絶対に契約しないと言っていました)
(……望みは……絶たれたか)
(……ええ、お姉様)
(? 何か2人とも変だぞ?)
(両陛下とセイレーン、何か繋がりがあるのですか?)
(……うん、まあね)
(深く繋がりが……ありました)
(セイレーン、谷に居たって言ってたもんな)
(谷に居たハズのセイレーンが、何故あんな所に居たのでしょうか?)
尚も気落ちしているイザベラとローラ。
カーソンとクリスは何故こんなに2人が落ち込んでいるのかと不思議に思う。
そして、イザベラとローラは2人が予想すら出来なかった事実を話す。
(その死体……死んだ前の契約者ってね……)
(私達の…………父上ですわ)
(えっ!?)
(えっ……えぇーっ!?)
カーソンとクリスは呆然とした。
カーソンとクリスは顔を見合わせ、イザベラとローラの発言を反芻しながら話す。
「あの死体って……」
「イザベラとローラの、父さんだったのか!?」
「セイレーンが入ってたから……そうみたいだね」
「えっと……イザベラとローラは女王だから、その父さんは何て言うんだ?」
「父親だから王様……かな?」
「王様か。何で谷の王様が、あんな所に居たんだ?」
「あたしが知るワケ無いでしょ」
「俺、イザベラとローラに聞いてみる」
「いや、それは止めといたほうがいいと思うよ?」
「? 何でだ?」
「あんたさ、声の感じでお2人が気落ちなさってるって分かんないの?」
「ううん。声聞いて、悲しそうだなって思った」
「そう思ったんなら、それ聞いちゃダメだよ?」
「聞いちゃダメなのか? 何でだ?」
「んー……。んじゃさ、こう考えてみてよ」
「? うん」
カーソンはクリスに聞いてはいけないと諭される。
クリスはつい今しがた島で受けた出来事を例えにして、カーソンに話す。
「あんたが助けに来た時にはさ、もう既にあたし殺されてた後で、あんたひとりで生きて谷に帰ったとするよ?」
「……うん」
「イザベラ様とローラ様にさ、何でクリス死んでたの? ……って聞かれたらさ、あんた答えられる?」
「う……凄く悲しくて、話したくない……と思う」
「ねっ? そういう事聞こうと思ってたワケよ、あんた」
「……そっか。聞きたくても、聞いちゃダメな事もあるのか」
「そそ。こういうのはね、すぐに聞くものじゃないんだよ? 向こうから話してくれるまで、もしくは時間を置いてから聞くものなんだよ?」
「分かった。俺、これからは気になっても、聞かないようにする」
「いや。それはそれとしてね、ちゃんと聞かなきゃなんない事もあるんだから。一概にそう決めないでよ」
「ううん、いい。俺、聞かない。聞いちゃダメな事聞いて、いつの間にか嫌われたくない」
カーソンはクリスに、自分から何でも聞く事はもうしないと言った。
クリスは何故カーソンが、ここまで卑屈になるのか理解出来ずに聞き返す。
「何であんたさ、そんなに誰かから嫌われるの怖いの?」
「俺、他の人が何考えてるのか分かんない。俺が変な事聞いて、その人が俺の事嫌うのやだ」
「いや、だから……それは何で?」
「だって俺……化け物」
「違うってば。あんたは化け物なんかじゃ無いってば」
「ううん。俺、化け物。俺、自分の事……分かってる」
「他の人よりもちょっと……どころじゃなく強いけど、あんたはとってもいい子だよ?」
「……俺、みんなからずっとそう思われたい。だから俺、変な事しないようにする」
「あんたもっとさ、自分に自信持ちなさいよ?」
「うん、沢山頑張る。頑張るからクリス、俺の事……捨てないで?」
「捨てないってば」
「ありがとうクリス。俺、クリス大好き」
「……ふふっ、ありがと」
クリスはカーソンにもっと自信を持てと励ましたつもりが、いつの間にかカーソンから答えをはぐらかされている事に気付かない。
自分の事が大好きだと言われてしまえば仕方のない事ではあるが、クリスはカーソンが自分にだけは心を開いてくれていると思い込んでいる。
カーソンはいつもこうして無意識に自分の心の壁を守り続け、好きで好きで堪らないクリスにでさえ、心の壁から内側に踏み込まれるのを怖れ、嫌がっていた。
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