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クリスの受難
44 それぞれの想い
しおりを挟むクリスは家へと帰り、グレイスに報告する。
「お母様! あたし、島へお妃様候補として召される事になったの! 凄いでしょ!」
「は!? 何だって!? 島に? なんでそんな事に……」
「大丈夫よお母様! ほら、島にはお父様だって居るんだし」
「あんた、ティナちゃんどうすんだよ?」
「近衛のみんながね、面倒見てくれるって言ってくれたよ?」
「あんたはそれでいいのかい?」
「? 別にいいよ?」
「だって……カーソンちゃんが男に戻った時、あんた婿に貰えなくなっちまうんだよ?」
「……うん。でもさ、その代わりソーマ皇子のお妃様になれるかも知れないんだよ?」
「島の馬鹿皇子が、そんなまともな神経してる男だとでも思ってんのかい?」
「うん。谷からお妃様の候補を、って言ってるんだもん。きっと素敵な皇子様だと思うよ?」
「はぁ……。あたしゃあんたがもっとしっかりとした女になってると思ってたよ」
「何でよ? お妃様になれるかも知れないんだよ? 次期皇帝のお嫁さんだよ?」
「この馬鹿娘っ! まだなれるって決まっていやしないのに、そんな事考えてんじゃ無いよ!」
「そんな怒んないでよっ! あたしもう168歳なんだよっ! 早くお嫁さんになりたいのっ!」
「……あんた、そんなにお嫁さんになりたいのかい?」
「うん。女しか居ない今の谷でお嫁さんになるなんて夢のまた夢。いつ男に戻るか、そもそも戻れるかどうかも分かんないあいつよりさ……皇子様に呼ばれたらさ……そりゃ夢……見ちゃうよ……」
「……ごめん、そうだね。あんたの気持ちは分かったよ。だから泣くんじゃないよ」
「……うん」
「それじゃ、見初められる為にきっちりおめかししないといけないね?」
「うん」
「あんたロクにお化粧した事無いだろ? あたしがやったげるよ」
「ありがとう、お母様」
「セルゲイをイチコロにしたあたしの腕前、見せたげるよ」
「あたし……綺麗になれるかな?」
「そりゃなれるさ! あたしの娘なんだ、素材は極上だよ?」
「どうせなら……お妃様になりたい」
「出発は明日の朝かい?」
「うん」
「じゃあ、明日早く起きてお化粧しようか?」
「お願い」
「よし、じゃあこれからお風呂沸かしたげるから、あんたは部屋の整理しときな」
「うん、分かった」
「お風呂入ったら、身体の隅々まできっちり磨くんだよ?」
「うん」
「着るものはどうする?」
「ローラ様が、花嫁衣装準備して下さるみたい」
「そりゃ良かった! あたしの花嫁衣装、もう古臭いからね」
「うんと綺麗になるね」
「頑張ってお妃様の座、掴み取りなよ?」
「うん、頑張る」
クリスは階段を上り、自分の部屋へと入っていった。
グレイスは、愛娘がこんなにも結婚願望を抱いていたとは知らず、感慨深げに風呂場へと向かった。
自分の部屋へと入ったクリスは、もそもそと身辺整理を始める。
そして、何故か動きに身が入らない自分自身へ自問自答を始めた。
「……どうしたの? お嫁さんになれるかも知れないんだよ?
何で……こんなに気が重くなってんの?
今からこんなじゃ……お嫁さんになれないよ?
頑張ろうよ? ねっ?
…………。
ティナ、ちょっと手伝っ……居ないんだった。
いけないいけない、あたしもひとりでやんなきゃね。
こんなんじゃ、ティナの事言えないわ。
ねえティナ……って、だから居ないんだってば。
そっか。もう5年も、あいつと一緒に暮らしてたんだなぁ。
なんかもうあいつ……あたしの一部になってたのかも。
寂しい……いや、寂しくない。
寂しくない……寂しくなんて……ない。
ティナ…………ティナ…………。
やだ。あいつと離ればなれに……なりたく……ない。
嫌だよ……あいつと……別れたくない……。
あたし……何で……こんな事してるんだろ……。
行きたくない……島に行きたくないよぉ……」
完全に気力を失ったクリスはベッドの上で俯せになり、メソメソと泣き出した。
兵舎ではティナが送迎の儀礼の型を一生懸命覚えていた。
「……これでいいか?」
「うん、完璧」
「さすがティナ、物覚え早いね」
「ナタリーは覚えるまで相当時間かかったのに」
「うっせ!」
「じゃあティナ、明日クリスが来たらみんなでこれやるよ」
「うん、分かった」
ティナは小一時間程で、谷に代々伝わる歓送の儀礼を完璧に修得した。
傍で腕を組みながら見ていたソニアは、予定よりもかなり早く覚えたティナに感心しながら話す。
「ティナの飲み込みの早さは凄いな。私ですらその型を覚えるまで、かなり時間をかけたぞ?」
「そうなのか?」
「ああ。夕方までに修得させるつもりだったのだが、大分時間が空いた」
「じゃあ、剣術の訓練するか?」
「いや、この空いた時間は有効に使おう」
「何に使うんだ?」
「これから全員で仕事を分担する。各自、私の指示に従え」
「はい、隊長」
「レイナとナタリーは、調理場で夕食の下準備をしろ」
「はい!」
「コロナとエリは風呂の湯沸かし、チェイニーは風呂場の掃除だ」
「はい!」
「ティナ、お前は私と一緒に、明日の歓送の儀礼で着用する装備の手入れをする」
「うん、分かった」
「よし。では各自解散し、持ち場につけ」
「はい!」
近衛達は各自分散し、受け持った場所へと移動した。
調理場に来たレイナとナタリーは、それぞれ冷却温度の違う氷室に入りながら話す。
「じゃあ私はお野菜洗って切るから、ナタリーはお肉お願いね」
「あいよ」
「何作る?」
「そこの大鍋で肉野菜鍋なんてどう? 沢山作れるから大食いのティナにも安心」
「あ、それいいね。そうしよう」
「パン生地捏ねるのはどっちか先に終わったほうから始めようか」
「了解」
「……ホントはさ、もうひとりこっちでパン生地捏ねて欲しかったんだけどね」
「コロナとエリはお風呂専属だもん。隊長もティナと装備の手入れだし」
「……チェイニーが来ても迷惑だね」
「うん。あいつがパン生地捏ねると真っ黒にするからね」
「かっこつけながら捏ねて失敗して、パン生地床にびったんびったん落っことさなきゃいいのに」
「ジャガイモの皮剥かせたら、凄くぶ厚く切るし」
「肉切らせたら、てんでばらばらな大きさになるし」
「煮物作らせれば、何故か焦がして焼き物にするし」
「パン焼かせれば、黒焦げにするし」
「あいつには、料理全然向いてないよね」
「風呂の掃除があいつに向いてるよ」
「でもさ、あいつがお風呂場に行けば……またやると思うよ?」
「いいんじゃない? 直撃受けるのはあの3人だし」
「それもそうか。私達はアレの被害受けないもんね」
「気の毒だけど、コロナとエリには犠牲になって貰おう」
「そうだね」
レイナとナタリーは、何やら意味深な事を言いながら作業に取りかかった。
ソニアとティナは、装備保管庫で明日着用する近衛の正装鎧一式を念入りに磨いていた。
「ティナ、そっちはどうだ?」
「ふたつめの鎧、始めたぞ」
「なかなか早いな」
「早くても、ちゃんとやってるぞ?」
「お前に任せたのだ。チェイニーと違って、そこは心配していない」
「? チェイニー、駄目なのか?」
「ああ。何故かあいつに任せると、余計汚くするのだよ」
「綺麗にするのに、汚くなるのか?」
「いくら教えてやっても、そういう事をまともに出来ない、よく分からん奴なのだ」
「ふーん……」
「ティナ、そこの棚から香油の入った箱探して、持ってきてくれ」
「うん、分かった」
「すまんな」
「えっと……これか?」
「? ……うっ……い、いや……これじゃない」
「あれ? 何だこれ?」
「……詮索するな」
「キノコみたいな形した、変な棒だな?」
「あまり見るな」
「名前書いてあって、5本ある」
「あいつらも女なのだ。嗜みとして持っていても、別におかしくない」
「でも、ソニアとクリスの無いぞ?」
「それは……そんな張型など、私もクリスもいらんからな」
「すんすん……なんか変な匂いする」
「嗅ぐんじゃない。元に戻せ」
「うん、分かった」
「あいつらにはコレを見付けた事、黙っててやれよ?」
「? よく分かんないけど、俺言わない」
ティナが持ってきた箱の中には、見付けられては非常に恥ずかしい代物が入っていた。
チェイニー・コロナ・エリの3人は、風呂場で湯沸かしと掃除をしていた。
「コロナ、そろそろいいよ」
「ほいよ」
「えっさ、ほいさっと」
「エリの『降雨』、相変わらず正確ね」
「結構集中しないと、浴槽からはみ出しちゃう」
「少しぐらいいいんじゃない? チェイニーがめんどくさがってるよ?」
「水汲むのだりぃ……」
「だって、わたしら全員濡れちゃうじゃないの」
「いいじゃん、どうせ汗かくんだし」
「濡れた服着たまんまなんてやだよ」
「みんな裸でやりゃいいじゃん?」
「えー、なんかやだ」
「うー、めんどくせえ。私も出すわ」
「えっ、ちょっ、やめて!」
「あらよっとぉ!」
「うわーっ!?」
水の精霊魔法『降雨』で雨雲を作り、浴槽の大きさに合わせて水を貯めているエリ。
頃合いを見計らって風呂釜の薪に火を点けた後、風の精霊魔法『竜巻』で火の勢いを制御しているコロナ。
浴槽から木桶で掃除用の水を汲むのが面倒になり、自分も光と水を複合させた精霊魔法『雷雨』を使って風呂場全体に雨を降らせたチェイニー。
3人はずぶ濡れになり、着ていた服を脱いで素っ裸になった。
コロナとエリは、チェイニーに文句を言い始める。
「折角点けた火ぃ消えたらどうすんのよ」
「あんたの『竜巻』で火ぃ煽ってれば消えないじゃん」
「薪濡らしちゃったら、燃えにくくなるでしょうが」
「何でわたしが浴槽の大きさに合わせて、雨降らせてたと思ってんのよ」
「いいじゃん? 私の『雷雨』も使えばすぐ貯まるし、床掃除も捗るもん」
「だってあんた雷雨、ちゃんとまともに制御出来てないでしょ」
「光と水複合させてるからさ、難しいんだってば」
「だったらやめてよ。……うわっ!? ほら、ゴロゴロ鳴り出したよ!」
「大丈夫大丈夫! 雷は落とさないから!」
「あんたいっつもそう言っといて、落とさなかった事一度も無いじゃないのよ!」
「ホント大丈夫だってば! 今度こそ落とさないから!」
「あああやばい! 光り出したよ!?」
「やめてチェイニー! 早く消してっ!」
「んー、ちょっと待って。ここの……汚れが……落ちないのよ」
「そんなの後にしろっ!」
「あああピリピリしてきたっ! 落ちるっ! 雷落ちちゃうっ!」
「もうちょい……よしっ! 落ちたっ!」
ビカッ
ドーン
風呂場の中で閃光がほとばしり、続けて轟音が兵舎内に響き渡る。
ほぼ同時に、風呂場から3人の叫び声が聞こえる。
「ひぎゃぁぁぁーっ!」
「ふげぇぇぇぇーっ!」
「ほげぇぇぇぇーっ!」
調理場で3人の悲鳴を聞いたレイナとナタリーは話す。
「あ、落ちた」
「やっぱりね」
「お気の毒さま」
「あー良かった、私達調理当番で」
「あいつの雷、威力だけは凄いもんね」
「直撃喰らえば、暫く身動き取れなくなるもんね」
「あいつは剣術より、雷雨極めたほうが戦力になると思うよ?」
「同感。さ、お肉終わったよ」
「お野菜も終わり。パン生地捏ねるの始めようか?」
「あいよ」
レイナとナタリーは風呂場の状況を充分理解し、放っておいた。
装備保管庫ではソニアとティナが話す。
「うわっ!? なんだ今の!?」
「ああ、心配ない。稀によくある事だ」
「え、だって今……ドーンってなったぞ?」
「チェイニーが風呂場で、雷を落としたんだよ」
「雷って……ビリビリ痺れるやつか?」
「ん? ティナは雷を知ってるのか?」
「うん。チェイニーが訓練で負けそうになると、よくビリビリ使う」
「……何だと?」
「剣ぶつけてもビリビリしない。でも、身体ぶつかると凄くビリビリする」
「……あの馬鹿者、卑怯な手を使いおって!」
「身体ぶつからないと、ビリビリしない。大丈夫」
「そういう問題じゃないんだ。お前はちゃんと剣術だけで戦っているのに、あいつだけ精霊魔法を使うのは卑怯な事なんだよ」
「? ソニアも翼使って、剣速くしてた」
「いや、私のは精霊魔法では無く……お前の中では一緒か」
「コロナとエリも、よくやってるぞ?」
「なん……だと?」
「コロナと身体ぶつかると凄い風がくるし、エリに影踏まれると動けなくなる」
「……あいつらめ、そこまでしてティナに勝ちたいのか」
「身体ぶつからなくて、影も踏ませないと大丈夫だぞ?」
「ティナ、あいつらの心配などするな。今のはあいつらに落とされた天罰だ」
「? 天罰って何だ?」
「卑怯な事をしていたあの3人を神様が怒って、懲らしめたのさ」
「卑怯な事すると、神様怒るのか?」
「その通りだ。お前は卑怯な事などするんじゃないぞ?」
「うん。俺、神様に怒られたくない。卑怯な事、絶対しない」
ソニアはあの3人が、今までティナへそんな事をしていたとはつゆ知らず、初めて知って呆れ返った。
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