3×歳(アラフォー)、奔放。

まる

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本編

無為。

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「もおおお!ずっと、ずーっと待ってたのにいい。何で今になって来るのさああ。あ、ユキヒちゃんおひさしぃ」

靄がかった岸の向こう、ひょいと飛び越えた先に愛らしくも賑やかな童顔があった。駆け寄り伸ばす腕は阻まれて、仕方なくそのまま長身の腹にしがみついた。高い所から苦笑が見下ろしていた。

「ユキヒちゃんまだ戻らないの?その顔はそうだよね?可愛いボクの事も忘れ去るだなんて酷いんだからあ」
「うう、すまぬ可愛いお兄さん…」
「ふふん、いーのいーの!元気そうで良かったあ。あれ?でも勝永と一緒って事は戻ってるの?んん?どっち?」
「ふふ。記憶は戻らずとも、これから改めてという事です」
「ふぬう、つまりイケメン大正義って事だね!もお勝永は狡い、羨ましいい」

緑の地面を踏みしめて望月は甲高くも笑った。ひとりで賑やかな人だなあ、と雪妃も苦笑を浮かべてしまう。
幼さを残す丸っこい容貌は、白服ながらも軍人らしく見えなかった。

元帥が少将と帰還した数日後の昼下がり。散歩がてらに潜伏の様子を窺いに来た所だった。
敵対する二大勢力の間にはまだ緊張感も感じ取れず、これなら仲良くもできそうなのにと雪妃はふと思ってしまう。ピリピリするのは、頭同士だけなのかもしれないとも。
情報交換をするふたりの言葉を聞き流して、雪妃は豊かな自然広がる峡谷を眺めた。僅かに届くが瘴気も薄く、新鮮な空気が肺を満たす。
馴染めば大陸の重たい空気の方が良いと智恩も言っていたが、確かに纏わり付くような淀みがないと少し、物足りなくもあった。

「万全の態勢で攻め入るのを容赦なく潰すのがおもしろいんだと、趣味の悪い事を紫庵さんも言ってましたね」
「うへえ、余裕綽々だねえ。お医者のオジサンもさ、大陸の情報を流してるみたいだよお。もう任せてボク、帰ってもいいのかなあ」
「確かに、双方へ有力なものを横流ししているようですね。厄介なお人です」
「ねーっ。共倒れを狙ってるんじゃないよねえ?ボクもさあ、落ち着くならどっちでも良いんだけどねえ。楽しく遊んで暮らせるなら、何でもいいやあ」

厳めしい顔がここにあれば激怒されそうな言葉を、躊躇いもなく漏らす。守ノ内は苦笑を返して、そうですかねと呟いた。

「どうせ大陸には入れないしい。勝永のお手伝いって言われたけど、要らないんでしょお?」
「ええ。のんびり時期を見て戻りますよ」
「おっけー!祐に言っても怒るだけだし、後藤さんにお願いしとこうかなあ。夢登様のお見送りもパーッとしなきゃだもんねえ」

ただでさえ拝めるのも稀少だった美貌の少将を惜しむ。ファンも多い美形の軍人のひとりだった。
大量にコレクションしているその生写真を大事に一枚ずつ眺めて、早く整理したいなあと、望月はソワソワとしていた。

「そんじゃボク、返事あり次第戻っちゃうからねえ。ユキヒちゃんも早く戻るんだよ、スイーツ巡りもまだなんだしい」
「およ、スイーツ巡りですと?」
「うんうん。中枢のね、巡ろうねって約束してたの。エスコートはボクに任せといてよ」
「おお、甘美な響きよ。めっちゃ行きたい。約束してたなら隙を見て行きますとも」
「行こ行こ!待ってるからねえ」

手を握りしめぶんぶんと振られる。小柄な姿は満面の笑みを浮かべていた。
では、と少佐の隊の双子に会釈をして守ノ内は雪妃の手を掬い取った。対岸では護衛の獣人もヤキモキして立ち尽くしているようだった。

「何か色々と気を付けてよ。勝永だし平気だろうけどさあ、まだ見送りたくはないからねえ」
「ええ。しぶといので大丈夫ですよ」
「うんうん。ボクには乱暴しないでと、大陸の偉い人によろしく伝えておいてねっ!」

敬礼する双子に雪妃もぺこりと頭を下げる。中枢もかわいこちゃんが多いのかなと、スイーツの件も相まってとても後ろ髪を引かれた。

「さて、この後はどうしましょうか」

来た時と同じように岸を一足飛びに越える。印者のような空間移動がなくても、便利な脚があるものだと雪妃は感心してしまった。

「やる事もないし、本当に暇を持て余すんだよねえ」
「そうですね。のんびりするのも良いんですが」
「暇な時間は、大陸を練り歩いて祝福を撒けとのお達しだけどね。何もないというに」
「ふふ。では街の方まで散歩に出ますか。それとも、部屋でひたすらくっついてますか」
「ええ…?お兄さんキリがないし、お外よお外」

渋い顔で雪妃は砂地を踏みしめる。
祝福をと求められても、曖昧な愛想笑いを浮かべるしかなかった。
気持ちの問題だから、と紫庵もにこりとするばかりだった。せめてそれらしい不思議パワーでもあればと、切実に思った。

荒涼とした大陸には日に日に冷たさを増す風が吹く。黒いヴェールが流れ、横では空色の髪が揺れた。
本来は白服であるはずの男も、智恩たちが着ていたような黒尽くめの姿で微笑む。
授けられた力と当面の資金を持たされて、あの若者たちはどこでどう暮らしているのだろうか。

「チーちゃんたちを探すツアーでも良いかもね。大陸は広いし」

側に、と低く呟いた男が浮かんで雪妃は転がる石を蹴った。
食堂での決別の後、見送りも出来ずに皆出て行ってしまった。あの時智慧は何と言おうとしていたのか。

「あの人たちです?紫庵さんを狙ってるならそのうち、嫌でも顔を合わせますよ」
「む、それもそうか。次は紫庵さまのお胸を刺すのかしら」
「ええ。効くと良いんですが。面白がってますし、どちらとも取れませんね」

腰元に下げられた黒い宝剣を眺める。
念の為持ち歩くようにと言われ身につけているが、美しくも禍々しいそれは、あまり気持ちの良いものではなかった。

「お嬢さんが紫庵さんを討つ切り札となってるんですね。それが橘の聖女とは、皮肉なものです」
「ううむ…これで意味なかったら非難されちゃうね」
「良いんです。その時は構わず斬りましょう」

さらりと言ってのける男は頼もしいというか不穏だというか。にこやかな笑みを浮かべる守ノ内はやはり物騒だと雪妃は顔を顰める。
最早皆の共通の敵となった紫庵。不敵な男はそれすらも望んで悪事を重ねてきたように思われて、不憫にも感じる。

(わたしくらいは味方に、とか思ってしまうけどなあ)

自業自得だという話を夜にしたが、皆に疎まれるんだよねと笑う紫庵は楽しげでもあり、少し寂しげにも見えた。
人間よりも獣や獣人と接する事が多く、それもまた大陸へと気持ちを偏らせる原因でもあった。健気で律儀な彼らは、害をなす悪者には到底思えなかった。

「大陸に染まるとは、そういう事なんですかね」

道中、獣の気配を感知すると体が勝手に両断しに向かってしまう。それを毎度止められ守ノ内も次第に斬れなくなっていた。

先の大戦で猛威を振るった獣たち。
光の君が全て斬れと告げるので斬ってきた。そこに私情はない。
戦なのだから犠牲も出るし、その中に身内が居たからといって、憎む気持ちも湧かなかった。幼心にも、そういうものだと諦観していたのかもしれない。

拾われ育ててもらった恩がある。
故に中枢に身を置くこの男も、保護された先が大陸であったら、大陸の兵として刀を握っていたはずだった。
雪妃の境遇を思えば、雪妃だからというのもあるが、無理強いしてまで中枢に戻す必要はないと思う。
自分が大陸に身を置いて、側で守りつつ命があれば主君に従う。それが最良だと守ノ内は気楽にも構えていた。

最寄りの大きな街を過ぎて、石造りの建物の密集する賑やかな中へと入っていった。

「これは聖女殿」

武装した獣人が槍を掲げてみせる。
滑らかな鱗を更に甲冑が守っていた。蜥蜴の顔で表情は分かりにくいが、その声色は朗らかに響く。

「これはタテちゃん。こっちに配属になったの?」
「うむ。鈴の奴と共にな」
「ほほう。みんな着々と配置についてるんだねえ」

蜥蜴顔は縦壁、飛蝗のような昆虫顔は鈴音と紹介されていた。紫庵が穴だと呼ぶ暗がりから続々と、獣人たちは排出されていっていた。
大陸の人々は彼らを獣人様だと敬意を示す。中枢の脅威から守ってくれる善良な兵として、恐れられる事もなく当然のように生活に溶け込んでいた。

「守ノ内殿と散歩か。中枢も近く攻め入ると聞く。気を付けられよ」
「うむうむ。ありがとう、ひとりで彷徨かないようにするよ」

ひらひらと手を振り別れて、苦笑を浮かべる守ノ内を雪妃は怪訝と見上げた。

「皆とすっかり仲良しですね」
「そりゃあ仲悪いよりはね。みんな良い人だし」

黒尽くめのふたりへと視線が集まった。祝福をと頭を下げる人々へと硬い微笑が向けられる。有名人だと聞かされた守ノ内へもまた、憧憬の目が向けられていた。
中枢の中佐が何故、という懐疑の色はもう見られなくなっていた。大陸に降誕した聖女を護衛するひとりの兵という認識で、守ノ内もまた定着しつつあった。

瘴気に、獣人に守られた大陸の人々の様子は平穏そのものである。
手を振り駆け抜けていく子供たちの明るい声に笑みを返して、雪妃はのんびりと通りを歩いて行った。

「あんな王さまの下だけど、どこもみんな幸せそうだよね」
「ええ。攫われさえしなければ、安定した生活のある国のようです」
「うむ…人攫いか、どうにかならないのかなあ」
「代替食料への移行も進めているようですが、紫庵さんの向かう先はさっぱり読めないです」
「お願いなら何でもと言い切りおったし、何とかしてもらおう」

持っていって、と店先から次々に渡される果物やら野菜やらのおすわけで、手がいっぱいの守ノ内へと笑いも溢れた。
自分には何の力もないけれど、この幸せそうな皆の生活は守りたいと思う。見せかけでも聖女であればその手助けが出来るというのなら、やりきるしかない。

「紫庵さんを落ち着かせる為に、こっちに落とされたとかなのかな。雪妃ちゃん救世主だね」
「ふふ。救世主とは言い得て妙ですね、私の為に来たんだとも言えますよ」
「うはは、わたしが居ないとくたばっちゃうんだもんね」
「そうですよ。私をこんな体にしたのはお嬢さんなんです。しかと愛してくださいよ」

手のいっぱいの荷も、周りの目も構わず守ノ内は口付けてくる。雪妃は戸惑いつつも、にこやかな顔をじとりとして見上げた。すっかりペースに飲まれてしまっていた。
しかし、呑気な顔を見ているとどうでも良くなってしまう。誰かの幸せそうな様子に触れる時、自分もまた満ち足りるものであった。

(何がそんなにお気に召したのか知らないけど、まあいいや)

雪妃はぺしんと守ノ内の腕を叩く。
倍近く生きてきているだろう、自分の方が大人なのだ。窘められる所は窘めて、それでも有難く現状を受け入れていけたらいいなと思う。

「お嬢さん、ホットチョコレートですって。寄っていきますか」
「なぬ。行かいでかあ」

喫茶店の前の看板を流し見た守ノ内の言葉に、雪妃は嬉々として頷いた。冷えた身に温かい甘さはきっと沁み渡るだろう。
外で待つと言う護衛ふたりも引っ張り入れる。獣は寒さに弱いと聞いているので、中の方が良いに決まっていた。

戦も近い事など忘れ、ゆったりとした日々が過ぎていった。
このまま平穏に。
誰もが願う思いを雪妃もまた違えず抱えて、湯気をあげる幸せの塊のようなとろみを手中に収めた。




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