3×歳(アラフォー)、奔放。

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本編

始動。

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西の地は豊かな自然を多く残し広がる。
荒涼とした大陸で独立した国家を築く堅固な強国を挟んだ向こう側にある為、聖ウェルデント教会を介し微々たる情報を得るしかなかった。
各地の聖のつく教会は中枢—世界の中心と呼ばれる最も発展した小さな島国が設置した監視及び抑圧を目的とする建物でもあった。

聖ウェルデントの司教ギュスは柔和な顔の下に豊かに蓄えた白髭を震わせ通信を終えた。付き人の壮年の神官ふたりも控えた後ろで顔を蒼白とさせていた。

「光の君もお人が悪い。今になって動きだすとは」

先代の司教から引き継ぎこの地に来て15年。不便な田舎暮らしにも慣れ人々の信頼も得、秘密裏に私服を肥やす事もできた。前任の司教のように表沙汰にして首を斬られるような真似はしない。
後は任期を終えるまで崇拝されながらこの地で過ごし、故郷へと帰り余生を豪奢に送るだけだった、はずなのに。

「今季の献花はいかがされますか。やはり中止とし逃れますか」
「いや…かえって怪しまれよう。献花は催す。が、女王陛下へのものだけは慎重に運ばねばならぬ」
「畏まりました」

恭しくも下がるふたりを見遣ってギュスは赤紫色の祭服を揺らし立ち上がった。
何とか穏便に、監視の目を潜り抜けなければならない。そうしないと待ち受けるのは冷たい牢獄か、死だ。
中枢の王の冷酷無比な様はその顔を思い出すだけで背が震えてしまう程によくよく知り得ている。
三階からの窓の下に臨む薔薇園では濃紺色のヴェールを纏ったシスターたちが楽しそうに笑い合っていた。清らかで穢れを知らない無垢な若い娘たち。
今年も見事に蕾をつけた薔薇のように彼女たちもまた、これから咲き誇っていく花なのだ。少し黄みを帯びた双眸を細めてギュスは空を仰いだ。
長閑な田舎には不釣り合いにも轟く轟音は中枢からの軍用機のもたらす音だった。陽の光を反射し煌めくような白を一瞥して重たい足を動かした。


***


(この世界にも飛行機が飛んでるんだ)

見知った旅客機とはまるで違う形だったが、眩しく仰いだ先を駆け抜けた白い機体の数々を雪妃は目で追った。
洗濯機もコンロもテレビも掃除機もない教会で、この世界は色々とまだ古い時代なのかなと漫然と受け止めていただけにどこか心躍るものがあった。
ここがど田舎なだけで世界は発展している。
大自然に囲まれ心身共に癒されはするが、やはり何かと不便だったので期待も膨らんだ。井戸から汲まなくても捻れば出てきてくれる水道が、スイッチを押せば点く明かりが恋しかった。

「余所見をしない。聞いていますか?シスター雪妃」

にこりともしない顔で淡々と述べるように話すシスター長はいつも忙しなく胸元の十字架を弄る。
豊満な体を修道服に押し込めた妙齢の長にどこか親近感を覚えていたものの、すぐカッとなる辺りはパート先のベテラン主婦のひとりとそっくりだった。やれ動きが遅いだの声が小さいだの、まるで良い的とされていた飲食店での日々を思い出してつい辟易としてしまう。客と世間話を始めると柳眉を釣り上げて怒鳴り込んでくるような、中々激情的な同世代の中年女性だった、気がする。
この半年間、表向きは淑やかに過ごす中で随分と記憶が曖昧になってきていた。
もう好き勝手に過ごす家族だから自分が居なくても大丈夫なのだろうと思い込む事にして、なるべく思い出さないようにしていたのもあるが少し、胸は痛む。後ろめたさなのか何なのかは分からないが、全てを投げ出して若い身で自由を謳歌する自分は酷く醜く惨めなものに感じてしまっていた。
それもまた、朝目覚めて覗く丸鏡に映る愛らしい姿に見事に吹き飛んでしまうのではあるが。

「良いのです。あれはね、中枢の軍用機ですのよ。視察にでもいらしているのかしら」
「中枢?軍の視察…?」
「ええ。このような田舎にまでお目をかけてくださって。シスター雪妃、白いお召し物を見たら丁重にご挨拶をなさい。彼らが世界の意思なのですから」

もうひとりの年長のシスターはにこやかに頬に手を当てた。ピリピリするシスター長よりも年配の小柄な姿は悠然と祈りの姿勢をとって雪妃に微笑みかけた。
どこぞの貴族の出だったか何だったか、肩書こそここでは持たないものの、ダリア様と敬意を持って皆から呼ばれる物腰柔らかな年配のシスターは、お小言を受ける雪妃を見かけてはよく仲裁に入ってくれた。聖母さまというのはこんな人なのではないかと雪妃は密かにも敬愛を抱いていたものだった。

「ダリア様。粗相があっては大変です、厳しく当たらなければ彼女の為にもなりませんわ」
「寛容さも必要ですのよ、シスターモナ。まだ若い娘にそう強く当たらないで、あなたもこれくらいの頃はそれはもう」
「…ダリア様。昔の話ですわ。シスター雪妃、もういいからお務めにお戻りになって」

顔にサッと朱が走りシスター長は弄る十字架の手を握りしめた。昔話を持ち出されると大抵お小言もこれまでとなる。
にこやかなダリアに促されて雪妃は共に部屋を後にした。

「いつも、ありがとうございます」
「良いのよ。あなたも目立つからつい、モナも気に留めてしまうのかしらね」

緩やかな午睡の光差し込む廊下を楚々と進むダリアに合わせて並び、くすりと笑う柔和な顔を窺い見た。

「あの子も若い頃は少し、やんちゃでね。あなたを見ていると思い出してしまうの」
「へええ、意外ですね」
「あれでも心配しているのよ?だからあなたももう少し慎ましくね。あまり自由のない生活でストレスもあるかもしれないけれど、破壊癖は治したほうがよろしいわ」
「ストレス…それもあるのかな。でもちょっとここの道具は脆すぎません?色々と新調しても良い頃合いだと思うんですが」
「大切に扱う事もわたくしたちのお務めのひとつなのよ。あなたが壊した分新調しているのだから、これ以上は司教様にもお願いはできないわね」
「うう…そうか、気を付けます」
「うふふ。備品は良いけど彫刻までは壊さないでね。あれはわたくしでも庇いたてできませんのよ」
「左衛門たち?流石にあれは大切に扱ってます、わたしの心の拠り所なんです」

左衛門?と目を瞬かせるダリアに苦笑して雪妃は首を横に振った。

「神さまの像でしたかね。あんなのが外の世界には居るのかなあと」
「まあ。憧れるのは結構だけれど、雪妃。貞淑をお忘れにならないでね。教会に居る限りはそれを表に出してはいけませんよ」
「そうでした。内緒にしておきます」
「あなたはアルフォンス様に拾われ来たのでしたわね。清く貞淑であれ。殿方の事を想うのは、見初められ外に連れ出されてからになさいな」

どこか物憂げに微笑んだダリアを雪妃はぼんやりと見遣った。
参拝に来る貴族に目をかけられ連れ出されるシスターも稀にある。それを聞いて玉の輿だと発起したものだったが、笑みを浮かべるダリアの綺麗な顔に俄かに不穏なものを感じずにはいられなかった。

「連れ出されると、良い暮らしが待ってるんじゃないんです?」
「どうかしらね。少なくともわたくしはこちらの女の園の方が幸せだと思うけれど」
「そうなんだ。ダリア様は家柄が良い出なんですよね、それよりもこっちなんだ」

不思議そうに眺められてダリアはただ静かに微笑みを浮かべた。華やかなだけでない貴族の世界は足を踏み入れた者にしか分からない。
廊下の突き当たりで足を止めて、振り返った雪妃にダリアは聖母の佇まいでシワを刻んだ目元を細めた。

「もうすぐ献花の時期ね。雪妃は初めての祭典かしら」
「庭の薔薇を捧げるってやつですよね。お城の方に行けるって聞いて楽しみにしてます」
「ええ。今年も何本摘まれていくのか。あなたも、くれぐれもお気を付けて」

祈り、階段を上がっていくダリアを首を傾げて見送った。
上階は若いシスターたちは立ち入り禁止となっているのでそれ以上引き止める事ができなかった。
埃ひとつない古びた手すりは手に馴染むが、体重をかけると簡単に崩れてしまいそうである。雪妃は手を離して教室と呼ばれるシスターたちの学びの部屋へと足を向けた。
今はそこに詰めて針子の仕事をする時間だった。ミシンもないので全て手縫いで、綻んだ自分の数枚の修道服を直したり、僅かな金銭で参拝者向けに販売する為の刺繍を縫ったりしていた。勿論シスターたちの手元には小銭すら握らされていない。身の回りのものは全て支給された古びたものばかりだった。

(献花かあ。気を付けるって、粗相がないようにって事かな)

静かな廊下を行きながら、噂にだけ聞いた祭典の事を思う。
薔薇が咲きだす春に、この西の国の女王が好む真紅を籠に詰めて献上するのだという。その時ばかりは教会から城下町を抜けて城の中庭へ。一種の花祭りかなと他に娯楽もないので心待ちにしていた。
教室に着き、閉められた木枠の扉をそっと横に滑らせて席へと滑り込んだ。同僚たちの目が手元の布から問題児へとちらと向けられ、教壇の脇に座る少し歳上のシスターがこほんと咳払いをした。

「早かったね、ダリア様が来てくれてた?」
「うん。お陰さまで腹痛持ち出さなくて済んだよ」

声を潜めて隣の席から相部屋の同僚が囁いた。淑やかな中でも比較的砕けた言動で接してくれる一番親しくしているシスターだった。
ひとつ上の17歳のジェラはさらりとした栗毛の快活な少女だ。器用にも花模様の刺繍を3つも縫った日に焼けた手を止めた。

「ねえ、中枢の軍が来てるんだってよ。献花の視察なんだって」
「軍人さんがお祭りに来るんだね。そんな有名なの?」
「まあそれなりにね、でも来るなんて珍しいんだよ。ただ花を捧げるだけなのに大仰じゃない?」
「ね。粗相に気を付けてだって。何かあるのかな」
「雪妃はほら、うっかり軍の中に飛び込んで軍用機に乗り込んだりしないか心配されてるんじゃないの」
「ええ…?流石にそれは叱られるどころじゃないよね」
「逮捕されちゃうね。確実に」

くっくと笑ってジェラは監督官のシスターをちらりと見た後で更に声を潜めた。

「でもさ、中枢の軍人。カッコいい人多いんだって。高官なら給料も良いし、雪妃も慎ましくしときなよ。玉の輿候補だよ」
「え、そうなんだ。でも軍人さんでしょ、わたしはもっと気楽で緩い貴族の坊ちゃん狙いなんだけどなあ」
「そう?貴族のチャラいのが多く抱える中のひとりになるよりはマシじゃない?」
「良い暮らしだけ保証してくれればあとは放っておかれても楽で良いよ。でも、いっぱいいると女の確執も酷いのかなあ」
「そうそう。ここはお淑やかな園だから平和だけど、そっちは絶対苦労するって」
「むむ…そっか、それはやだなあ」

立ち上がる監督官に慌てて布へと視線を落として、雪妃は針に糸を通した。
取れたボタンをつけるくらいで縫い物なんて縁遠かったが、やってみると中々楽しい作業だった。
ジェラ程器用ではないが花模様の刺繍へと取り掛かり、お喋りを咎めるようなシスターの視線を誤魔化した。

「あと雪妃、夕方の当番だからね。こないだ代わってあげたでしょ?水やり忘れないでね」
「あ、そうなんだ。了解」

すっかり忘れて屋根へと上っていた所をモナに見つかりお叱りを受けたあの日、代わりにジェラがこなしておいてくれたのだ。大雑把そうに見えてきめ細やかな気遣いをしてくれ、雪妃は幾度も助けられていた。

「ありがとねジェラ。アル先生の所からまた、おやつをくすねてくるね」
「マジ?持つべきものは相部屋の友だね、待ってる」

目を輝かせるジェラと熱い握手を交わして、雪妃は続々と窓の外を滑空する白の機体を横目に満面の笑みを浮かべた。






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