使徒(メッター)、奔走。

まる

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出勤。

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翌朝、時間通りに喫茶店前へと立っていた。あの面接官はまだ来ない。
五分十分と過ぎていくと不安になってしまう。やはり怪しげな男に不明すぎる職である。
昨日と同じ紺のスーツの裾を手持ち無沙汰にいじった。少し前に声をかけてきた美麗な男が、落ちてきた植木鉢に悲痛な声を上げて立ち去ったばかりだった。

「帰るか…でも何かあったかもだし」

ちらと公衆電話を見る。
募集から連絡をした先へは、何故か今繋がらなかった。怪しすぎるけれど、トラブルにはもう慣れきっていたのでのんびりと待つ。幸か不幸か、用事なんて特になかった。

「ユキチャン、お待たせデス」

ふらりと現れた声が高い所から降ってきた。胡散臭い顔をやたらと抱いてしまう安堵と共に見上げた。

「待たせてしまったデスカネ、急に車が破裂したデス」
「そ、それはどうも…何かすみません」
「イエ、派手に吹き飛んで笑ったデスヨ。行くデスネ」

縞のスーツの下、妙に派手なシャツの襟が焦げていた。雪妃は曖昧に笑んで頭を下げる。

「丁度買い替えの時期だったデス。破裂でもしないと新しいの、もらえないデス」
「ええ…?」
「ンフフ。新車で初出勤、めでたいデスネ」

カラカラと笑って、面接官の男は停めていた黒塗りの車を指し示した。車には詳しくないが、確かにピカピカの眩しい新車である。

「すぐ廃車では叱られてしまうデスネ。せめて辿り着くまでは、破裂させないで欲しいデス」
「た、多分大丈夫。わたしも乗ってるし」
「成る程、それなら安心デスネ」

シートベルトを締めると緩やかに発進する。流れていくまだ見慣れない景色が、どんどん寂れていった。

「まだ地名もあやふやなんですが、場所ってどこなんですか?」
「ンン、冥府デスヨ。知っているデスカ」
「めいふ…?さあ、この辺でしたっけ」
「地下になるデス。呪いも届かなくなるデスカネ」
「え…?」

不意に落下する車が軋んだ。
悲鳴も呑み込んで、雪妃は助手席の取手を掴んだ。ジェットコースターの如く、下へ下へと落ちていく。
この町には地下があるのか、と胃の不快感と共に呻き声がもれた。窓の外は暗く、何も見えなかった。

「少々空気も悪いデスガ、そのうち慣れるデスネ」
「は、はあ。頑張ります」
「しばらくは頼もしい先輩がつくデス。気負わず楽しくやるデスヨ」

落下から平坦な道へと車は走る。
今度は舗装のない荒れた地面のようだった。揺れに取手が手放せなかった。
暗いとはこういうことか、と雪妃は窓の外を見る。とにかく暗闇が広がっていた。

「地下の町だなんて初めてです。何もないけど、ここにお店が…?」
「ヤマサマの宮と、メッターの詰所しかないデスネ。あとは牢獄デスヨ」
「はえ?ろうごく?」
「牢獄デス。詳しくはついてから話すデスネ」
「いえ、はい、そうですか」

混乱しつつも止まらない車の揺れに身を任せた。もしかしなくても、あまりにも軽率な就職だったのかもしれない。
楽しそうに面接官が笑っている。
やたらと巨大な門の前で停車した。
あんぐりと見上げる雪妃の横で、アルフォンスと名刺にあった面接官の男は、気楽にも固まる背を叩いた。

「ようこそ冥府へ、ユキチャン。ここが地獄の入口デスネ」

死者の国、冥府。
初めての社会人としての一歩が、ここから始まることとなった。


***


「ヤマサマ、お待ちかねの新入社員デス」

ユキチャンデス、と呑気にもアルフォンスが紹介する。雪妃は開いた口をそのままに、長い階段の向こうに座すヤマサマとやらを見上げた。

「ひどい美少女だ…ヤマサマ?上司の方ですか?」
「ヤマサマデス。閻魔天のヤマサマデスネ」
「そ、そっか。初めまして、雪妃と申します」

書類の山に埋もれた閻魔天は、ふむと頷き卓上に視線を落とす。

「ココの最高責任者になるデスカネ。あまりお会いする機会もないデス。死んだらまた会えるデスネ」
「あの、何ですって?」
「ンフフ。まだ先の話デスネ。ではヤマサマ、研修から始めておくデスヨ」
「うむ。任せる」

威厳ある麗しの姿は短くそう告げて、忙しくも筆を走らせていた。
あまり会えないのかと、それだけは残念にも思えた。イケメンのダメ男には辟易としていたが、美少女は大好物である。

「何だか大変そうだったけど、あちらのお手伝いじゃないんですね」
「毎日多くを裁くデスネ。ヤマサマでないとできないお仕事デス」
「ははあ…」
「ヤマサマには、妹サンも書記官ふたりもついてるデス、あちらは気にしないでいいデスヨ」
「はい。じゃあわたしの仕事って、何ですかね」
「エエ。ヤマサマの元へ、交渉して連れ戻すデスネ」

ポツポツと篝火の置かれる長い廊下を、靴音を響かせて進む。
交渉か、と雪妃は猫背を眺めながらついていく。接客でも営業でもなさそうだった。

「あのう、牢獄だとか地獄だとか、専門用語的なアレですかね。ちっとも勉強してきてなくって、大丈夫ですか?」
「大丈夫デスネ、現場で覚えていくデス」
「ははあ、頑張るです」

ニカリと振り返るアルフォンスに不安ばかり募った。あんな美少女の下で働けるのであれば言うこともないが、聞こえてくる言葉はやや物騒だった。
借金の取り立てでもさせられるのであれば、考え直さなければならない。できれば平穏な仕事が望ましかった。

「ちなみに、ほぼ住み込みになるデスガ、ご両親は快く送り出してくれたデスカ」
「一応、何かあればすぐ帰れと。わたしももう成人してますし、そこは何とか」
「ホホウ。そう無理なことはないデスネ、身の安全は保証するデスヨ」
「交渉ですよね、どんな人たちとするんですか?」
「エット、迷える哀れな子羊サンたちデス。ユキチャンは言葉巧みに言いくるめればいいデス」
「え、言いくるめる?大丈夫なんですかね」
「優しさに飢えてるミナサンデスネ。ユキチャンなら何とかなるデスヨ。多分」
「多分、そっか。多分…」

隣接する高い建物へと、不安なままで足を踏み入れる。
明るいシャンデリアが眩しかった。
吹き抜けの高い天井を見上げて、どうにも説明不足な面接官の後をひたすらに追った。

「あのう、ちょっと研修で、不向きであれば辞退もいけますよね?」
「オヤ、心配デスカネ。平気デスヨ、向いているデス。きっと」
「はあ、きっと。成る程」
「防護服一式と、武器は準備してあるデス。慣れてきたら好きなモノを使うといいデスネ」
「お、おっと。何だか不穏な」
「頼もしい先輩方デスヨ。研修で流れを覚えて、ゆくゆくは独り立ちデスネ。楽しみデス」
「とっても帰りたくなってきました」
「ンフフ。まずはやってみるデス」

二階の一室の前でアルフォンスは足を止める。ベッドとソファが置かれた、こじんまりとした部屋だった。

「ユキチャンのお部屋デス。管理は自身でするデスネ」
「ありがとう、ございます」
「ワタシ、この上の部屋デス。何かあったら訪ねてくるデス。大体出ているデスガ」
「はい、分かりました」
「着替えたら下へ。先輩たちの所へ行くデスネ」

ハンガーに吊るされた制服らしき防護服。雪妃は言われるがままに袖を通して鏡を覗いた。金糸の線が走るネクタイが何だかそれらしく見えた。

「防護服?に、武器って…」

膝丈のスカートに厚い生地のタイツ。ブーツもごつりと分厚い革だった。
ううむと唸るが、アルフォンスの言うようにとりあえずやってみるしかない。念願の社会人なのだ。
武器らしきものはなかったので、そのまま上着を羽織って部屋を出た。あったとしてもとても手には取れなかっただろうが。

「こっちデス、ピッタリデスネ」

手を挙げるアルフォンスに愛想笑いを向けて階段を駆け下りた。確かにあつらえたかのようにしっくりと馴染む制服だった。

「サテ、疑問はやっていく中で少しずつ解消していくデスヨ。実際にやるのが一番デスネ」
「は、はい。よろしくお願いします」
「リラックスデスネ。ミナサン、イイ人ばかりデス」

含み笑いをもらすアルフォンスを訝しみ追う。きちんと務まるのか謎すぎた。
一階に作戦室があるという。
外の暗さとは対照的な、どこも明るい部屋だった。

「ミナサン、見習いメッターのユキチャンデス。仲良くやるデス」
「ど、どうも。よろしくお願いします」

ぺこりと頭を下げて、同じ制服の面々を緊張して眺めた。
三人の、同年代くらいだろうか。人手不足とは聞いていたが、少ないなとふと思う。

「初めまして。フオン六位です」

にこやかに笑んだ優しそうな美少女に、雪妃の緊張も緩んだ。日焼けした肌に深い色の瞳がとても好ましい。握手を求める柔らかな手に、隣の快活そうな美少女も重ねて微笑んだ。

「ジェラ五位よ。よろしくね」
「よろしくです。その、それは役職とか?」
「ああ、位ね。見習いが終わったらあんたは多分、九位よ」
「ははあ、九人?なんだ」
「そもそも人がいないのもあるけど、続かないのよね。根性見せて頑張ってよ」
「が、頑張りまする」

栗色の手触りのよさそうな髪をしていた。美少女ふたりと働けるとは、と雪妃のやる気も上がる。
もうひとりの短髪の男は、端末を片手に何やら話し込んでいる。

「あっちはパキラ三位よ。うちの隊長」
「ふむふむ。隊長か」
「古株らしいから、何でも聞いて。まだこっちも分からない事多いのよ」
「よく分からないまま入社してきましたものね。何となく続けてきていますけれど」
「まあね。給料はいいし、慣れればやりがいはあるわよ。雪妃、あんたの武器は?」
「へ?武器ね、武器。何だろう」

パタパタと思わずポケットを探る。
ジェラはじとりとアルフォンスを見上げた。相変わらず説明不足なままの採用のようであった。

「そりゃ、詳しく話してからだと来ないんだろうけどさあ。大丈夫なの?アルフォンス先生」
「ンフフ。ゴメンデス、その通りデス」
「もう、まあ仕方ないわよね。ここに来る前は?何やってたの?」
「え、えっと。特には」
「ふうん?フオンも素人でここまで来てるし、何とかなるわ。銃にしとく?」
「じゅ、銃か。使ったことないけど」
「引くだけよ。狙って撃つだけ。現場に行く前に少し練習しておく?」
「お任せするデス。ワタシ、ヤマサマの所に行くデスヨ」
「はいはい。車のお詫びでしょ?大破するって凄いわ」
「トホホ…減給されないと嬉しいデスネ」
「あ、何かすみません…破裂したってやつだ」
「イエ、過ぎたことデスネ。ユキチャン、しっかりやるデスヨ」

ポンと頭を叩いてアルフォンスは気怠げに行ってしまった。少しの罪悪感と共に、雪妃は亜麻色の髪に触れる。どうにも懐かしさすら感じる、胡散臭い上司だった。

「本当に来たんだな、新人。パキラ三位だ」
「雪妃です。よろしくお願いします」

通話を終えた隊長とやらが来る。涼しげな髪色の生真面目そうな男だった。

「来たからには素質はあるんだろ、今日は四人で行くか」
「武器もまだみたいよ。いきなりで平気?」
「さあな。無理そうなら帰せばいい。使えないのはいらねえしな」

小柄な隊長にじろと見られて、雪妃はぐっと言葉を詰まらせた。持ち前の負けん気が首をもたげてくる。
悔しいので足手まといにだけはなりたくないと、怯む気持ちを押さえ込んだ。

「どうせ詳細も聞けずだろ。今日は見学してろ。余計な真似はするなよ」
「…はい。見てます」
「よし。六位がついてやってて。西に出る」
「了解」

足早に作戦室を出るパキラに従った。
安全第一にね、と微笑むフオンの腰には不釣り合いな銃らしきものがある。雪妃は緊張したままで頷いた。
初出勤は最初からハードなものとなりそうだった。












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