恋はえてして

蜜鳥

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not you but ...

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せわしない日々の中、いつの間にか秋の展示会シーズンに突入していた。営業は輪番で、東京を中心に関西、中部、九州と駆け回っていた。
準備で忙しかった広報は、実際の開催にはあまり関与することはない。だから、今回の出張は異例のことだった。

新幹線からメトロへの乗り換えの時点で分かっていたが、大阪は暑い。関東生まれ育ち東京の大学に通っていた天羽にとって、ここに来るのは学生の時のゼミ旅行以来二回目だった。
あの時もそういえば暑かった。季節はもう秋なのに、会場までのペデストリアンデッキを歩くだけでめまいを起こしそうだ。天羽は思わず顔をしかめていた。

「広報チームもたまには泊まりがけの出張行ってみたいでしょ?」という社長の気まぐれで、三日間ある展示会に顔を出すことになった。半分は展示会準備で忙しかった広報チームへの、息抜きを兼ねた福利のつもりなのだろう、と吉本と二人で結論づけた。「昭和の発想よね、まあいいんだけどさ」と言いながらも吉本は楽しそうに遊びに行く場所を探していた。
ブース確認のためには初日から行く方がよかったけれど、あいにく仕事の都合がつかず前半は吉本、後半は天羽になった。もっとも最終日は金曜なので、『後泊して遊べる最終日の方がいいじゃん、前半だと金曜に有休取らなきゃいけない!』と文句を言われたが、天羽として打ち上げのある最終日より前半の方がよかった。

ものづくり系の展示会最終日は忙しいけれどあっという間に終わる。
昼過ぎをピークに、夕方にはパタリと人出が減る。そもそも閉会予定時刻の一時間前から真剣に商談を始める客なんていない。
天羽が前の会社で働いていた時に参加した展示会は、終了間際にサンプル狙いの冷やかし客が来て、対応が煩わしかった。ここでは対照的に、本当に興味がある客しかこない分、営業の説明や聞き取りが絶対に必要だった。
天羽は、営業が手一杯のとつなぎとして接客をしたり、片付けや買い出しをして補佐していた。それだけでもあっという間に時間が経ってしまう。

熊谷はブースの奥で一日の引き合いをまとめているようだった。真剣な顔でスマホとメモを交互に確認する様子を伺いながら、天羽は腰に手を当ててぐっと伸ばした。
デスクワークになれているから、長距離移動の後の立ち仕事はさすがに疲れる。ぼんやりと周りを見ていると、通路を歩きながら展示会のスタッフが声を掛けてきた。

「最後終わったらゴミは通路に出しておいて下さい。まとめて回収しますんでよろしくおねがいします」
「あ、了解です。ありがとうございます」

そろそろ撤収準備か。他のアテンド要員に伝えようと振り返ると、ちょうど熊谷がやってきた。
こうやって一日社外で働いている姿を見ると、営業のリーダーというのも納得できる。周りへの気配りや、判断が早くて的確なのだ。

「お疲れ様です、脚大丈夫ですか」
「まあ、なんとか。立ちっぱなしは大変ですね。熊谷さんたち三日間でしょ」

天羽の言葉に熊谷は眉を上げて笑顔を見せた。

「うろうろしているとそう大変でもないですよ。天羽さん、他のブースをまだ見てなければ今のうちに見てきたらどうですか。撤収終わるまでにここに戻ってもらえれば問題ないし」

多分熊谷は気を遣ってくれているのだろう。やはり広報はお客様扱い、というか戦力外なんだな、と思いつつその申し出は天羽にとってありがたかった。
その言葉に甘えて、天羽はフロアマップを片手に歩き出した。

すでに片付けを終えて後は業者任せになっているブース、半分店じまいをしていておしゃべりをしているブースもある。デザインや動線のとり方を見ながら回ろうと思っていたが、小さなところが多くあまり参考にならなかった。それでも、ほぼ一日同じ場所にいた天羽にとって、他社の様子を見るのは楽しかった。

一通り回ってからホール外に出た。誰もいない場所で脚を伸ばして座れることがありがたい。ぼーっとしながらガラス壁を眺めていると、すぐ横に人が座った。
空いている場所はたくさんあるのにと思いつつも、隣からやたら視線を感じる。知り合いだろうか? 警戒しつつ伺った天羽は、そこにいる相手の顔を見て息を飲んだ。熊谷とよく似た顔の男が婉然と微笑んだ。長い脚を横柄に開いて座る、自信に満ちた様子は昔のままだった。

「こんにちは、一人ですか。どちらの会社からいらっしゃったんですか?」
「慶太……」
「久しぶり。相変わらずだな、比呂」
「なんでここに……」

センサー業界の人間しかこない大阪の展示会で会うなんて予想もしていなかった。しかも一日だけ参加した展示会でこんなことが起こるなんて。

「別ホールで展示会中。あ、俺今大阪の会社でチーフデザイナーやってんの。あの時すでによその会社に声かけてもらってたんだ、引き抜きってやつ。部屋追い出されて会社にも通えないからさ、いっそ転職って思って、本社がある大阪に引っ越したんだよ。お前がセンサーメーカーに転職したって噂聞いてたから、足を伸ばしてみたら。まさか本当に会うとはな、運命じゃない?」

慶太は大げさな動きでベンチの背もたれに腕を乗せた。手が天羽の肩の近くに来て触れそうになった。
誰に見られているか分からないから変なことは言えない。単なる知り合いとしてうまくあしらうべきだとは天羽にも分かっていた。でも、粘度の高い感情が胸の中に渦巻いてうまくコントロールできる自信がなかった。
唇を噛みしめ、落ち着きなく袖口を弄る天羽を、慶太は横から覗き込んできた。

「警戒すんなよ、久しぶりに会えて嬉しかったから声かけたの。お前の部屋出る時バタバタして話せなかっただろ、色々謝りたいこともあるし。この後飯でもどう?」

嘘だ。話すことなんて、あの時も今もない。だいたい、何も言わずに出て行ったのは慶太の方だ。相変わらずの取ってつけたような言い訳。謝る気があるならもっと前に連絡をくれればいいのに。
指先が襟足に触れた。はっと顔を上げると、満足そうな表情でこちらを見ている。悔しさで顔が赤くなった。

「出張で来てるんだ、この後打ち上げがある......」

もう顔も見たくない。なのにどうしてこんな言葉しか言えないのだろう。流されてしまわないよう目を逸らしたけれど、慶太は回り込んで天羽に顔を近づけた。期待しては裏切られ続けてきた笑顔が目の前にある。この状況を楽しんでいるかのように、細められた大きな瞳。
残ってないはずの気持ちがくすぶって、記憶の断片が蘇ってくる。

「あっそ、打ち上げがなかったらいいってことか。じゃあ明日の昼は? 俺んち泊まりに来いよ、飯とかどうでもいいから朝まで楽しくやろうぜ」

カッと頬が熱くなるのが分かる。ベンチから立ち上がり精一杯虚勢を張って男を見下ろした。

「いい加減にしろよ! これ以上つきまとわないでくれ!」

近くにいた人が振り返って興味津々という顔でこっちを見ているが、そんなことに構っていられなかった。
こんなところで誘われるほど物欲しそうな顔をしてるのか。そんなに飢えて見えるのか。悔しいのと悲しいので唇がわなないた。

「さよなら」

それ以上言葉がでなかった。早く立ち去ろうと踵を返したら、手首を掴まれた。

「離せよ......」

腕を引っ張りながら睨みつけても、相手は全く動じなかった。力を込めて振りほどこうとした時、警戒するような響きを含んだ声が届いた。

「天羽さん! こんなところにいた。そろそろ荷物持って撤収しますよ」

熊谷が大股でぐんぐん近づいてくる。手を掴んでいた慶太もそれに気付いて立ち上がった。
遠くからでも二人の間の緊張感に気付いていたのか、熊谷は硬い表情で天羽を見た。さっき怒鳴った声も聞かれていたのかもしれない。

「天羽さんのお知り合いですか?」
「いえ、今会ったばかりの方です」

慶太に口を開かせないよう、天羽は慌てて言い放った。その言葉に慶太が声を立てて笑い出した。
異様な雰囲気のなか、熊谷からはいつもの飄々とした雰囲気は消え、威圧的ですらあった。攻撃的な空気を隠そうともしていない。しかしそんなものに動じるような慶太ではない。それは天羽が一番よく分かっていた。

「こんにちは、古橋慶太と言います。同じ会社の方ですか? 飯に誘っただけで何もしてないですよ」

軽く顎を上げて相手の反応を試すようにねめつけるのはいつもの彼の癖だった。嫌だ、早くこの場から立ち去りたい。

「それはもうお断りしました」

何も知らない熊谷には言い訳がましく聞こえないかと、胃がぎゅっと締め上げられるような気分になる。そんな天羽の気持ちを見透かしたように、慶太は笑顔で二人を交互に眺めている。

「ふーん、随分若く見えるけど比呂の上司? 怖い顔しちゃって、保護者気取りか」
「は? そういうあなたはどちら様ですか?」

気色ばむ熊谷の肩を撫でながら慶太は名刺を天羽の手に強引にねじ込んだ。「比呂また連絡ちょうだい」と言い放ち、そのまま歩き出した。天羽がホッとしたのもつかの間、振り返りざまに熊谷を舐めるように見て、くすっと笑った。

「保護者くん、俺と似てるね」
「慶太!」

余計な一言を残した相手を睨みつけ、熊谷の表情を伺うと、今の言葉を咀嚼するように黙りこくっていた。

「熊谷さん......撤収ですよね、油売っててすいません。早く行かないとみんな待ってますよね?」
「ああ、はい......」

歩きだした熊谷は天羽の手にある名刺を摘んで自分の方に傾けた。「フルハシ、ケイタ」声を出さずに読み上げる。

「お互いに呼び捨てにするって、やっぱり知り合いじゃないですか。俺、邪魔しましたか?」

社会人としてここは『大丈夫です』以外の答えはないと二人とも分かっていた。それでも、天羽は念を押すように一言付け足さずにはいられなかった。

「二度と会いたくなかった相手なので、大丈夫です」
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