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第2章.父と子と“処分したはずのモノ”

76.『馬』が向こうからやってきた

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 ☆

 ラボラット村の見張り塔で、マリアがオバケに怯え、レオが彼女の胸の感触を楽しんでいた夜も浅い時間。

 リンガー・ロウブロー子爵は、イントリの居城執務室で報告を受け……額に青筋を浮かべ、戦慄わなないた。
 そして……。
 ――ドンッ!
 右の拳を執務机に打ちつけて叫ぶ。

「『不発の模様』だとっ?!」

 この時間には、すでにラボラット村での計略が頓挫とんざした事が伝わっていた。
 リンガーに報告を上げたのは、総髪に馬蹄髭の側近・サーベン。
 サーベンもまた、苦い顔である。

「どういうことだっ! 」
「それが……鳥と視界を共有できる“鳥使い”に、鷹をラボラット村に派遣させて上空から“開花”を確認させていたのですが……」

 つい先刻、その鳥使いからの報告が届いた。『不発の模様』、と。

「なぜ不発なのだ!? 理由は? そこは今、どうなっているのだ?!」
「か、開花――我々が仕込んだリビングデッドが裏門を破ったのは“視た”そうですが、門外の……丘を下らず、いつまでも森に到達しなかったと……」
「なんだその曖昧な内容はっ? 丘を下らなかった理由は?! 第一、『模様』とはなんだ、模様とは!!」

 リンガーは椅子を跳ね退け立ち上がり、口角泡を飛ばしてサーベンを睨みつける。

 鳥使いは任意の一羽との【視界共有】スキルを持つが、ロウブロー家が抱える鳥使いはスキルレベルが〈2〉。
 そのレベルだと、鳥を通して視る光景は、解像度が低い。鳥使いも現地付近にいるのであればまだしも、領都から一日半の距離を、上空から精細に視ることはできなかった。

「鳥使いが申すには、裏門が破られた――まさしく企てが開花するその時、朧気ながら付近に不審な動く影が視えたと……」
「動く影? リビングデッドではなく、か?」
「……人かと」
「――チッ」

 周到に準備したはずだ。
 門を封鎖し、村の住人を含め生者はいないはずだ。

 計略は成るものと確信したゆえ、手の者に現認させずとも良いと判断してしまった……。
 リビングデッドがオクタンス領に侵入し、騒ぎになったところを踏み込んで解決すれば良いと高を括っていた……。

(誰が? 私がか? いや、今はそれに囚われている場合ではない。判断を下すにはもっと正確な情報が――)

 リンガーが思考を巡らせているところに、扉の外に控える護衛からの信号灯――防音環境下でも外から中に働きかけられる器具が灯った。緊急を報せる赤色で。
 サーベンも気付いたようで、リンガーが目で促すと扉を開きに向かう。

「領境の警備隊より報告です! 街道のオクタンス側遠方に敵性部隊が宿営を始めた模様です!」

 室内に一歩踏み入った伝令が、跪きつつ報告した内容に、リンガーもサーベンも奥歯を噛んだ。
 凍りつく場の空気に耐えるように俯き続ける伝令に、彼を迎え入れたサーベンが努めて冷静に訊く。

「どこ……オクタンスの部隊に決まっているか……。規模は?」
「はっ、二部隊だと」
「二百か……」

 他に報告の無いことを確認し、伝令を下がらせたサーベンはリンガーの元に歩みを進める。
 そのリンガーは後ろにずれた椅子に腰を下ろし、腕組みをして目を閉じていた。そのまま――。

「どう見る?」
「はい……まず、こちらに踏み入ってくるかと……」
「情報が漏れていたというのか?」
「それであれば、“開花”自体が阻止されていたはずです」

 サーベンの冷静な返答にリンガーも首肯するが、ふと昨日の出来事を思い出して、目を見開く。

「オクタンス領の、何処ぞのギルドマスターかっ?!」
「もしくは、他にいたか……」
「くっ! ともかくこっちが優先か。迎え撃つぞ、サーベン。イントリの騎士・兵士を朝までに全て招集しろ! リビングデッド討伐用の兵役共も回せ」
「ははっ! ……して、ラボラット村はいかが致しましょう」
「そっちには、獣人共を向かわせろ、今すぐだ。高い金を払って置いているのだ、仕事をしてもらう」
「は」

 リンガーからの二つの指示を受けて扉に向かうサーベンの背に、更に声が飛ぶ。

「傭兵共には、ラボラット方面からこちらに向かう者は、商人だろうが近隣の民であろうが全て始末する許可を出す」

 そして――。
「傭兵だけではないぞ。あの隷獣の娘も何かの役に立つかもしれん、行かせろ」
「かしこまりました」

 ☆

 ……朝が来ちまった。つっても、衝撃の『走って』発言から一時間ちょいしか経ってないけど。

『走ったところで、二百対四~五百以上の戦いだ。やられちまうんじゃねえか?』

 そう食って掛かった俺に、おっさんは平然と返してきた。

『おいおい、何も“明日衝突が起こる”としても、それに間に合う必要は無えんだ』
『は? なんでだよ。元から数的に不利なんだろ? 間に合わねえとヤベエだろっ?!』
『まあ、倍の兵力差があるから、エトムント様は攻めきれねえだろうが……』
『だ、だったら』
『――絶対にやられはしねえ。絶対だ』

 おっさんが言うには――。

 俺らが褒賞を受けに行った時に見た、エトムント様の【鉄壁〈3〉】っていう防御系レアスキル。
 それは、一定威力の攻撃から自分の身体だけを護るだけじゃなく、効果は低くなる――許容威力は下がるけど、任意の集団の防御力を上げることもできるそうだ。
 守りに徹すれば容易くやられはしないってことらしい。

 ――っつうことで、俺とマリア、あと言い出しっぺのベルナールの三人は、空が白み始めただけの日の出前に見張り塔から下りている。

「ほう。証拠の保全だけじゃなく、埋葬用の穴まで掘ってくれてたか。よくやったな、レオ、マリア」
「当たり前だろっ、門が壊れてんのに魔物のうろつく外に放っとく訳にはいかねえよ。……外には、あの母子もいたしよ」

 夜中には暗くて見えなかった穴と、近くに並べていた遺体に気付いたベルナールが感心してきた。
 状況が状況だから、俺らが埋葬してやる時間が無えけど……ここまでしておけば、弔いもしやすいだろ。

 瓦礫の山を乗り越えて裏門の外に出れば、山の奥から頭を覗かせ始めた日の光が、倒れた鉄格子を鈍く光らせていた。

「よし、出発だ!」

 朝日を受けたベルナールは、背に大剣、腰に水袋だけの身軽な格好で気合を掛けると、「今日の夜までには着きてえな」と呟く。
 マリアも杖と背負い鞄と水袋、俺も剣と水袋だけ。
 長距離を走るっつんで、他の荷物は置いて――捨てていけって言われたからな。
 ……まあ、壊れた小盾以外はもったいねえから、こっそり体内収納に仕舞ったけど。あとで俺とマリアの水袋も入れとこう。剣も。

 しかし、井戸水を補充できないのは痛かった。
 死体の沈んでた水は、貴重な浄化魔道具を使わなきゃ飲み水に使えねえってことだからな。
 とにかく、途中の集落で水を貰うまでは大事に飲まねえと……。あわよくば馬……ウシでもいいから借りてえ。


 ラボラット村を出て、イントリへの街道を走り続けて半日、太陽が一番高くなった頃。
 追い風に乗って走っていると――。

「――っ! おっさん、マリア、止まれ!!」 
「むっ!?」
「どうしたの?」

 おっさんもマリアも、足を止めて前を睨む俺をいぶかったけど、何故かはすぐに分かったみたいだ。
 ベルナールなんかは、ニヤリと悪人ヅラになってポツリ。

「『馬』が向こうからやってきたぜ」
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