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第25話 ⑤アデリーナの誤算
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アデリーナの領地脱出計画決行当日。
時刻は夕暮れ時。
ワズ達は畑仕事を早めに切り上げて、牛車を用意して待っていた。
(牛でも、いないよりはマシね)
アデリーナが、荷物を事前に少しずつ持ち出して隠しておいた場所に向かう。
「おい! こんなに持っていくのか?」
「そうよ?」
荷物は着替えの詰まった中型のトランク数個。自分の物と母親から盗んだトランクだ。麻袋も数個。
それに宝石や大事な物を詰めた小型トランク。
(売る為のドレスは麻袋に入れてある。トランクは……王都に着いてから着替えたりお化粧したりする必要もあるし、これくらい当然よね)
「俺達が乗れねえじゃねぇか。荷物を減らせないのか?」
「無理よ! これを隠れて運び出すのだって大変だったのよ? 全部持って行くわ!」
ワズは顔を曇らせたが、仕方がないと納得。
この時、ワズ達はわずかな荷物しか持って来ていなかったが、アデリーナは何ら疑問に思わなかった。
事前の打ち合わせで、王都には「どうせ一日では着けないから、どこかで一泊する必要があるわ」という事で、出発は夕刻になった。
どうせ泊まるならば、アデリーナが王都からこちらに来る時に泊まった隣領の宿場町に泊まることにすれば、ワズ達もアデリーナも夕方まで普通に過ごして怪しまれずに抜け出せると考えたのだ。
宿場町には日が暮れてから到着する事になるが、翌日には王都に辿りつけるのだから文句は無い。
荷台にアデリーナと大荷物を載せ、藁を並べて編んだ物で隠して、牛車は動き出した。
アデリーナ達が宿場町に着いたのは、夜遅く。人々が夕食や団欒を終えるような時間だった。
「もう! どうしてこんなに遅い時間になるのよ!」
「仕方ないだろ? 荷物が多かったんだから」
「荷台はガタガタ揺れるし、こんなに遅く着くし……やってられないわ!」
「文句ばっかり言うなって。ここで牛を売って、明日の朝に乗合馬車で出発すれば、明日中には王都だぞ?」
「わ、分かってるわよ!」
アデリーナは荷台に乗ったまま不平をもらすが、明日以降は以前の生活に近づけるのよと自分に言い聞かせて、渋々納得した。
「ところで……どの宿に泊まるの? ワズが手配してくれたのでしょう?」
ワズが「ああ、ここで待ってろ」と言い残し、牛車と仲間を残してどこかに向かう。
残ったワズの仲間三人は、緩くだが牛車を取り囲むように立っていた。
暗くなった通りの奥から、ワズが誰かを連れて戻ってくる。
「遅えんだよ。いつまでかかってんだ」
「すみません……荷物が多かったもので」
微かに聞こえた会話で、ワズはその誰かに謝っていた。
「ひと晩泊るんだったな? ついて来い」
ワズよりも年上でガラの悪そうな男が、アデリーナの元に来て不躾に言う。
アデリーナは嫌な予感に襲われた。
「い、要らないわ!」
「ああ?」
「宿に泊まります」
アデリーナが気丈に振る舞う。
「なに言っていやがる。泊めてやるって言ってんだろ!」
だが、男は強引に彼女の腕をきつく掴み、荷台から降ろそうとする。
「――っつ! 痛いじゃないの! 離しなさいよ」
「うるせぇな! いいから黙って降りろ」
ワズもその仲間も、彼女を助けようともしない。
アデリーナはそれを見て、男に抵抗しつつ語気を強める。
「ワズ! 見ていないで何とかなさいよっ!」
ワズはそれでも動かない。
アデリーナは今にも荷台から引き降ろされようとしている。
「ワズッ!」
「……当てにならねえ大金より、確実にもらえる金だ」
「はぁっ?」
「王都に行っても、確実に金をもらえるとは限らねえ。だったら、ここで旦那に売った方がマシだ」
「だとよ? ワズ君の希望に添おうじゃないか? あきらめろ!」
アデリーナから血の気が引いていく。
「それに……お前は上物そうだしな」
「ああ、違いない」
この先の事を考えると、アデリーナは恐ろしさの余り全身に鳥肌が立った。
(そ、そんなぁ……。ワズが確実に言う事を聞くように、私のくちびるまで許したのに……。嫌よ。いやっ! いやいや)
「嫌ぁー! やめてー!」
「あっ! てめえ、こらぁ」
力の限り叫ぶアデリーナを、男がもう片方の手で口を塞ぎにかかる。
「いやいやいや! いやぁー!」
喚く彼女に男が業を煮やし、「お前らも手伝え!」とワズ達に指示した。
ワズが荷台に飛び乗り、アデリーナの両脇を抱えようとする。
男も荷台に乗りこんで来た。
そして、ワズの仲間の手も伸びてくる。
(ここで捕まったら、もう何もかも終わり……)
アデリーナは、力を振り絞って抵抗する。
「いやー! 助けてー! 誰かっ! 助けてー!」
掴まれないように身体を捻ったり、手足を必死にバタつかせるうちに、彼女の服の袖は肩先から破れていた。
アデリーナの抵抗の甲斐あって、家々の窓が開かれ、少しずつ灯りも漏れてきた。
「なんだ?」
「うるさいぞ!」
「あっ! おい! 大丈夫か? 姉ちゃん」
「なんだ? どうした!」
「どこどこ?」
「あそこだ!」
騒ぎが大きくなり、通りに出てくる人も増えてきた。
アデリーナも少し光明が見えたのか、身体の力が抜ける。
「チッ!」
男が舌打ちをすると、アデリーナの腕を片手で握ったままもう片方の手でスカートの裾を握り、力任せに彼女を荷台から振り落とした。
「きゃー!」
「逃げるぞ! 荷物だけでも頂く! 早く出せ」
「は、はい!」
男が先頭を走り、ワズが牛の尻を叩いてせっつき、仲間が荷台を押して逃げていく。
アデリーナは荷台から振り落とされた衝撃で、地面に転がり動けないでいた。
近所の奥さん連中が飛び出てきて、アデリーナを介抱していると、町の夜警団がやってきた。
彼女は奥さん方に付き添われて夜警団の詰め所に行き、事情を聞かれる。
本当の事を話すと、屋敷に送り返されて酷い罰があると考えたアデリーナは、詳しい事はぼかして普通の娘として答える。
(あの男を捕まえる為には、ワズの事を言えば早いのかもしれないけど……。ワズの家の人から屋敷に報告されても、同じように私が困るわ)
アデリーナのあまり辻褄の合わない曖昧な説明にも、夜警団の聴取担当者は深くは聞かずにいる。
「あのなー、お嬢さん」
「はい」
担当者はポリポリと頭を掻きながら、対面に座るアデリーナに申し訳なさそうに言う。
「たとえ犯人が特定できても……な?」
「はい」
「俺達は捕まえられないかもしれない」
「どっ! どうして?」
「この町で、女性を捕まえてどうこうしようって……そんな悪さをするのは、“領主様の落とし子”しか考えられないんだ……」
「領主の? 落とし子?」
アデリーナは頭が真っ白になった。
(そんな……。それじゃ、誰も何も言えないじゃない! やられて終わりなの? 私が! 冗談じゃないわ。何もかも盗られて……)
「せ、せめて荷物――小さいトランクだけでも取り返せませんか?」
宝石や化粧品の入ったトランクだけでも戻して欲しいというアデリーナの希望も、担当者の首が横に振れた事で潰えた。
ワズや“落とし子”に襲われていた時でさえ、涙を流さなかったアデリーナだが、この時ばかりは悔しくて悔しくて泣いた。むせび泣いた。
アデリーナは詰め所で泣きはらして朝を迎えた。
詰め所を出たアデリーナは、破れた服や乗合馬車に乗る為のお金を得ようと、身に着けていた唯一の宝石――指輪を売る。
彼女の姿を見た商人が、憐れんで色をつけてくれたが、それはアデリーナの希望額には遠く及ばないものだった。
家令のブラーバの用意した服よりも劣る服に着替え、王都行きの乗合馬車に乗るアデリーナ。
彼女は終始うつむき、拳は強く握られていて、他の客が容易に話しかけられるような雰囲気ではなかった。
(どうして私がこんな目に遭わないといけないの?)
(どうして私が領主の落とし子に、泣き寝入りなんてしないといけないの?)
どうして、どうして、どうして。彼女の頭の中を駆け巡る。
(そもそも、あんな田舎に謹慎させられなければ、こんな事にはならなかったのよ)
(どうして私が謹慎させられるの? 私が私の思う様にして何が悪いって言うの?)
(エミリアが邪魔で……エミリアがいなくなればいい、消えてしまえばいい。そう思って何が悪いの?)
(そうよ! あの時――あのパーティーでアイツがいなくなったけど、消えてはいないわ)
(アイツが消えていないから、いま私がこんな目に遭っているのだわ)
(なんなの? エミリア! いなくなっても私の目障りになるの?)
(エミリア……許せない! アイツは絶対に許せない! エミリア、エミリア、エミリア――――)
(許せない許せない許せない! 許せない! ――許さない許さない! 許さない!)
「……許さない!」
時刻は夕暮れ時。
ワズ達は畑仕事を早めに切り上げて、牛車を用意して待っていた。
(牛でも、いないよりはマシね)
アデリーナが、荷物を事前に少しずつ持ち出して隠しておいた場所に向かう。
「おい! こんなに持っていくのか?」
「そうよ?」
荷物は着替えの詰まった中型のトランク数個。自分の物と母親から盗んだトランクだ。麻袋も数個。
それに宝石や大事な物を詰めた小型トランク。
(売る為のドレスは麻袋に入れてある。トランクは……王都に着いてから着替えたりお化粧したりする必要もあるし、これくらい当然よね)
「俺達が乗れねえじゃねぇか。荷物を減らせないのか?」
「無理よ! これを隠れて運び出すのだって大変だったのよ? 全部持って行くわ!」
ワズは顔を曇らせたが、仕方がないと納得。
この時、ワズ達はわずかな荷物しか持って来ていなかったが、アデリーナは何ら疑問に思わなかった。
事前の打ち合わせで、王都には「どうせ一日では着けないから、どこかで一泊する必要があるわ」という事で、出発は夕刻になった。
どうせ泊まるならば、アデリーナが王都からこちらに来る時に泊まった隣領の宿場町に泊まることにすれば、ワズ達もアデリーナも夕方まで普通に過ごして怪しまれずに抜け出せると考えたのだ。
宿場町には日が暮れてから到着する事になるが、翌日には王都に辿りつけるのだから文句は無い。
荷台にアデリーナと大荷物を載せ、藁を並べて編んだ物で隠して、牛車は動き出した。
アデリーナ達が宿場町に着いたのは、夜遅く。人々が夕食や団欒を終えるような時間だった。
「もう! どうしてこんなに遅い時間になるのよ!」
「仕方ないだろ? 荷物が多かったんだから」
「荷台はガタガタ揺れるし、こんなに遅く着くし……やってられないわ!」
「文句ばっかり言うなって。ここで牛を売って、明日の朝に乗合馬車で出発すれば、明日中には王都だぞ?」
「わ、分かってるわよ!」
アデリーナは荷台に乗ったまま不平をもらすが、明日以降は以前の生活に近づけるのよと自分に言い聞かせて、渋々納得した。
「ところで……どの宿に泊まるの? ワズが手配してくれたのでしょう?」
ワズが「ああ、ここで待ってろ」と言い残し、牛車と仲間を残してどこかに向かう。
残ったワズの仲間三人は、緩くだが牛車を取り囲むように立っていた。
暗くなった通りの奥から、ワズが誰かを連れて戻ってくる。
「遅えんだよ。いつまでかかってんだ」
「すみません……荷物が多かったもので」
微かに聞こえた会話で、ワズはその誰かに謝っていた。
「ひと晩泊るんだったな? ついて来い」
ワズよりも年上でガラの悪そうな男が、アデリーナの元に来て不躾に言う。
アデリーナは嫌な予感に襲われた。
「い、要らないわ!」
「ああ?」
「宿に泊まります」
アデリーナが気丈に振る舞う。
「なに言っていやがる。泊めてやるって言ってんだろ!」
だが、男は強引に彼女の腕をきつく掴み、荷台から降ろそうとする。
「――っつ! 痛いじゃないの! 離しなさいよ」
「うるせぇな! いいから黙って降りろ」
ワズもその仲間も、彼女を助けようともしない。
アデリーナはそれを見て、男に抵抗しつつ語気を強める。
「ワズ! 見ていないで何とかなさいよっ!」
ワズはそれでも動かない。
アデリーナは今にも荷台から引き降ろされようとしている。
「ワズッ!」
「……当てにならねえ大金より、確実にもらえる金だ」
「はぁっ?」
「王都に行っても、確実に金をもらえるとは限らねえ。だったら、ここで旦那に売った方がマシだ」
「だとよ? ワズ君の希望に添おうじゃないか? あきらめろ!」
アデリーナから血の気が引いていく。
「それに……お前は上物そうだしな」
「ああ、違いない」
この先の事を考えると、アデリーナは恐ろしさの余り全身に鳥肌が立った。
(そ、そんなぁ……。ワズが確実に言う事を聞くように、私のくちびるまで許したのに……。嫌よ。いやっ! いやいや)
「嫌ぁー! やめてー!」
「あっ! てめえ、こらぁ」
力の限り叫ぶアデリーナを、男がもう片方の手で口を塞ぎにかかる。
「いやいやいや! いやぁー!」
喚く彼女に男が業を煮やし、「お前らも手伝え!」とワズ達に指示した。
ワズが荷台に飛び乗り、アデリーナの両脇を抱えようとする。
男も荷台に乗りこんで来た。
そして、ワズの仲間の手も伸びてくる。
(ここで捕まったら、もう何もかも終わり……)
アデリーナは、力を振り絞って抵抗する。
「いやー! 助けてー! 誰かっ! 助けてー!」
掴まれないように身体を捻ったり、手足を必死にバタつかせるうちに、彼女の服の袖は肩先から破れていた。
アデリーナの抵抗の甲斐あって、家々の窓が開かれ、少しずつ灯りも漏れてきた。
「なんだ?」
「うるさいぞ!」
「あっ! おい! 大丈夫か? 姉ちゃん」
「なんだ? どうした!」
「どこどこ?」
「あそこだ!」
騒ぎが大きくなり、通りに出てくる人も増えてきた。
アデリーナも少し光明が見えたのか、身体の力が抜ける。
「チッ!」
男が舌打ちをすると、アデリーナの腕を片手で握ったままもう片方の手でスカートの裾を握り、力任せに彼女を荷台から振り落とした。
「きゃー!」
「逃げるぞ! 荷物だけでも頂く! 早く出せ」
「は、はい!」
男が先頭を走り、ワズが牛の尻を叩いてせっつき、仲間が荷台を押して逃げていく。
アデリーナは荷台から振り落とされた衝撃で、地面に転がり動けないでいた。
近所の奥さん連中が飛び出てきて、アデリーナを介抱していると、町の夜警団がやってきた。
彼女は奥さん方に付き添われて夜警団の詰め所に行き、事情を聞かれる。
本当の事を話すと、屋敷に送り返されて酷い罰があると考えたアデリーナは、詳しい事はぼかして普通の娘として答える。
(あの男を捕まえる為には、ワズの事を言えば早いのかもしれないけど……。ワズの家の人から屋敷に報告されても、同じように私が困るわ)
アデリーナのあまり辻褄の合わない曖昧な説明にも、夜警団の聴取担当者は深くは聞かずにいる。
「あのなー、お嬢さん」
「はい」
担当者はポリポリと頭を掻きながら、対面に座るアデリーナに申し訳なさそうに言う。
「たとえ犯人が特定できても……な?」
「はい」
「俺達は捕まえられないかもしれない」
「どっ! どうして?」
「この町で、女性を捕まえてどうこうしようって……そんな悪さをするのは、“領主様の落とし子”しか考えられないんだ……」
「領主の? 落とし子?」
アデリーナは頭が真っ白になった。
(そんな……。それじゃ、誰も何も言えないじゃない! やられて終わりなの? 私が! 冗談じゃないわ。何もかも盗られて……)
「せ、せめて荷物――小さいトランクだけでも取り返せませんか?」
宝石や化粧品の入ったトランクだけでも戻して欲しいというアデリーナの希望も、担当者の首が横に振れた事で潰えた。
ワズや“落とし子”に襲われていた時でさえ、涙を流さなかったアデリーナだが、この時ばかりは悔しくて悔しくて泣いた。むせび泣いた。
アデリーナは詰め所で泣きはらして朝を迎えた。
詰め所を出たアデリーナは、破れた服や乗合馬車に乗る為のお金を得ようと、身に着けていた唯一の宝石――指輪を売る。
彼女の姿を見た商人が、憐れんで色をつけてくれたが、それはアデリーナの希望額には遠く及ばないものだった。
家令のブラーバの用意した服よりも劣る服に着替え、王都行きの乗合馬車に乗るアデリーナ。
彼女は終始うつむき、拳は強く握られていて、他の客が容易に話しかけられるような雰囲気ではなかった。
(どうして私がこんな目に遭わないといけないの?)
(どうして私が領主の落とし子に、泣き寝入りなんてしないといけないの?)
どうして、どうして、どうして。彼女の頭の中を駆け巡る。
(そもそも、あんな田舎に謹慎させられなければ、こんな事にはならなかったのよ)
(どうして私が謹慎させられるの? 私が私の思う様にして何が悪いって言うの?)
(エミリアが邪魔で……エミリアがいなくなればいい、消えてしまえばいい。そう思って何が悪いの?)
(そうよ! あの時――あのパーティーでアイツがいなくなったけど、消えてはいないわ)
(アイツが消えていないから、いま私がこんな目に遭っているのだわ)
(なんなの? エミリア! いなくなっても私の目障りになるの?)
(エミリア……許せない! アイツは絶対に許せない! エミリア、エミリア、エミリア――――)
(許せない許せない許せない! 許せない! ――許さない許さない! 許さない!)
「……許さない!」
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