腕着け時計のご令嬢~あの人を救うために……時間よ巻き戻れ~

柳生潤兵衛

文字の大きさ
上 下
9 / 30

第9話 ②母親と妹、凋落

しおりを挟む
「エミリアも私の可愛い孫だっ!!」
「そ、そんな……」

 グランツの鬼気迫る表情と怒声に、マリアンが気圧けおされていると、応接室の扉が開かれた。

「どうしたの? 大きな声が響いて来ましたわよ?」

 アデリーナがちょうど帰宅したところだった。
 彼女は応接室にグランツの姿を見つけると、能天気に声をかける。

「あら、お爺様。ごきげんよう。お爺様がいらっしゃるなんて珍しいですわね?」

 そして、ふと思い出したように言葉を続けた。

「あっ! ちょうど良かったですわ! あのエミリアが着けていた時計、あるでしょ?」
「時計?」

 アデリーナのあまりの能天気ぶりに、一瞬怒りを忘れる。

「そう、エミリアの時計。あれ、私にも頂戴? アイツは自分で作ったなんて言っていたけれど、嘘よね?」
「いや、アレは――」

 グランツが否定しようとするが、アデリーナはお構いなしに続ける。

「アイツにだけあげるなんてズルイわ~。ねぇ、私にも作ってよ? エミリアのなんかよりも、もっともっと良い物を!」
「ま、待て! マリアンもだが、アデリーナ! お前も、エミリアがいなくなったというのに何とも思わないのか?」
「えっ? どうして?」
「どうしてって……」

 アデリーナの自分勝手な言動に、グランツが戸惑う。

「アイツなんか追い出されて清々するわ」
「エミリアに嫌がらせされていたって?」
「え? ええ。アイツは学院に通っているくせに、毎日のようにわざわざ王立学園まで来て酷い事をするのよ?」
「酷い事?」

「そう! 最初は私の悪口をご学友に吹き込む程度だったかしら? それがエスカレートしていって汚い言葉で罵ってきたり、張り紙をされていた事もあったかしら? そして、ゴミや泥水を掃き散らされたりもしましたわね。あげくに汚らしい平民のクソガキをけしかけて襲われそうにもなった事があるわ」

 アデリーナは、エミリアにされたとされる事をつらつらとそらんじた。
 マリアンもそれにいちいち「まぁ!」だの「酷い!」だのと相槌を打っていく。
 グランツは、そんな2人に呆れつつも話を続ける。

「毎日のように?」
「ええ! 毎日ですわ。いくら私がアイツの婚約者だったヤミル様と親しくしているからって、酷いですわ。あんなヤツ、ヤミル様から婚約破棄されて当然よっ!」
「婚約破棄まで……」
「でも、ご心配頂かなくて大丈夫よ? 私が代わりにヤミル様の婚約者になったのですもの。レロヘス家は安泰よ」

(他家まで巻き込むとは……なんと恥知らずな事を!)

「お前の言いたい事はそれだけか? アデリーナ」
「えっ? ええ。ですから、私に時計を――」
「うるさいっ! よくもそのような嘘をつらつらと並べて、身内を陥れることができたものだ」

 アデリーナはグランツの剣幕に圧されるが、なんとかこの場を言い逃れようともがく。

「う、嘘だなんて。お爺様、私にはご学友という証人も……」
「何が証人だっ! エミリアは、毎日私の工房に通って暗くなるまで一緒におったわっ! お前が嘘をついていることぐらい最初から分かっていたんだ」

「いっ! 嫌がらせをした後にお爺様のところへ行ったのですわ」
「そんな事は無い! エミリアが一人で工房まで来るのは危ないから、ウチの職人が迎えに行っておった! 学院から工房に直接来ておるわ!」
「そ、それは平民でしょう? そうだ! エミリアにそそのかされたのですわ! 平民ですもの騙されたのね。こちらは貴族の証人ですよ? どちらが信用されるか一目瞭然ですわ」

(親が親なら子も子か……。こいつらには何を言っても無駄かもしれん)

 アデリーナは小さい頃から母親べったりで、グランツには寄り付きもしなかった。
 成長してからは母親の思想を引き継ぎ、平民から叙爵したグランツを単なる成金と見做し、金蔓かねづるとしか考えていない。

「はぁ」

 グランツがため息をついてその場を立ち去ろうとする。
 そのグランツの姿に、マリアンは慌てて声をかけた。

「待ちなさいよっ!」
「お母様?」
「話はまだ終わってないわよ? リンクスの収入と領地からの税収だけでは、私達の生活はできないのよ? いいの?」

 マリアンがグランツに食って掛かる。

「良いも何も、それはお前達の身から出た錆だ。私は関知しない」
「なっ! 私は、平民のリンクスと結婚してあげたのよ?」

「結婚してあげた?」
「そ、そうよ? 父親が一代貴族で、自分は平民になるしかなかったリンクスと結婚してあげて、貴族にしてあげたのは私よっ?」

 マリアンは何の曇りもない瞳でそう言ってのける。
 事実、前レロヘス子爵は、甘やかして育てた一人娘に余計な心配はさせまいと、財政的な苦境に陥っている事も話していなかったし、マリアンの機嫌を損ねないような言い回しで縁談を進めていた。

「お前……御両親から何も聞かされていないのか?」
「な、何をよ? それに、私にもアデリーナにも『お前』だなんて、失礼でなくて?」

「はぁぁ」

 また黙って立ち去ろうとするグランツに、アデリーナの「お爺様! 時計!」と言う声が邪魔をした。

「あの時計は、エミリアが自分で作った世界でたった一つと言ってもいい時計だ。正真正銘エミリアのモノだ!」

 その後もマリアンやアデリーナが声をかけ追いかけるが、グランツは今度こそレロヘス家から立ち去った。


 夜になって、レロヘス家では学園から帰ったクリスと、王城から戻ったリンクスも加わって話し合いがなされた。
 そこにはグランツ・オロロージオからの、事の経緯と“正式な”援助停止の書面も届けられていた。

「あなたっ! こんな事になって、どうするのよ! あなたの父親のせいで……アデリーナが可哀そうじゃない!」

 マリアンがリンクスにわめく。

「どうするも何も……。どうしても私でなければならない仕事があったので、出仕して仕事を片付けて帰ってみれば……。どうしてこんな事になっているんだ?」

 リンクスは、本当であれば大事な愛娘の事なので何をおいてもエミリアを探したかったし、実際昨日は多くの人員を動員して探させていた。
 しかし、エミリアはそれをも上回る早さで王都を離れていたので、見つけられないでいた。

 今日もリンクス自ら先頭に立って捜索に当たりたかったが、職務上どうしても外せない用件があり、城に出仕し急いで済ませて戻ってみれば事態は悪化。
 そして、使用人に任せていた捜索にも手応えは無し。

「どうしてもこうしても、あなたの父親――あの平民上がりが、エミリアなんかの肩を持つからに決まっているでしょっ!」
「平民上がりだって? 君はどうしてそんな言い方ができるんだ」

「だってそうでしょう? ちょっと時計作りが上手だったからって、国王様から爵位を頂いただけなのに、格上貴族で生まれながらの貴族である私に無礼な振る舞いをするのよ? 身の程をわきまえなさいっていうのよ!」

 マリアンは甘やかされて育ち、世間の事にはうといままだ。時計作りがどれほどの経験を要する緻密な作業であるか、また、グランツの成した功績の偉大さ等も『平民のする事』と、甘く見ていた。

 リンクスについても、グランツの叙爵後に王立学園に中途で通い始め、猛烈な努力の末に優秀な成績を修め、城勤めでも宰相の補佐官に就くなど出世頭であることなどまるで解っていない。「城勤めなどと言う程度の低い仕事なんかして……」と、貴族社会からも外れた思考から、リンクスをも見下してさえいる。

「そんな奴の息子だから、あなたもいつまでも城でこき使われるのよっ!」
「お言葉ですが、母上。父上は王城で立派な仕事をなさっているのです。そのような言い方はあんまりです!」
「クリス……」

 クリスは、自分でも王立学園に通い勉学に励んでいるので、父親の学生時代の努力や現在の地位に才覚のみで上り詰める事の偉大さを解かっていた。
 マリアンは、クリスのリンクス擁護に勢いを削がれたが、それでも続ける。

「で、ですから! このままではアデリーナが可哀そうです! あなたがどうにかして来なさいよ! 場合によってはグランツを殺してでも――」

 バチーンッ!

 これまでの結婚生活で、いかなる我儘や理不尽な要求にも冷静になって対応してきたリンクスであったが、このマリアンの発言は、彼女が言い終わるまでも無く平手打ちで制した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】傷跡に咲く薔薇の令嬢は、辺境伯の優しい手に救われる。

朝日みらい
恋愛
セリーヌ・アルヴィスは完璧な貴婦人として社交界で輝いていたが、ある晩、馬車で帰宅途中に盗賊に襲われ、顔に深い傷を負う。 傷が癒えた後、婚約者アルトゥールに再会するも、彼は彼女の外見の変化を理由に婚約を破棄する。 家族も彼女を冷遇し、かつての華やかな生活は一転し、孤独と疎外感に包まれる。 最終的に、家族に決められた新たな婚約相手は、社交界で「醜い」と噂されるラウル・ヴァレールだった―――。

踏み台令嬢はへこたれない

IchikoMiyagi
恋愛
「婚約破棄してくれ!」  公爵令嬢のメルティアーラは婚約者からの何度目かの申し出を受けていたーー。  春、学院に入学しいつしかついたあだ名は踏み台令嬢。……幸せを運んでいますのに、その名付けはあんまりでは……。  そう思いつつも学院生活を満喫していたら、噂を聞きつけた第三王子がチラチラこっちを見ている。しかもうっかり婚約者になってしまったわ……?!?  これは無自覚に他人の踏み台になって引っ張り上げる主人公が、たまにしょげては踏ん張りながらやっぱり周りを幸せにしたりやっと自分も幸せになったりするかもしれない物語。 「わたくし、甘い砂を吐くのには慣れておりますの」  ーー踏み台令嬢は今日も誰かを幸せにする。  なろうでも投稿しています。

愛しき夫は、男装の姫君と恋仲らしい。

星空 金平糖
恋愛
シエラは、政略結婚で夫婦となった公爵──グレイのことを深く愛していた。 グレイは優しく、とても親しみやすい人柄でその甘いルックスから、結婚してからも数多の女性達と浮名を流していた。 それでもシエラは、グレイが囁いてくれる「私が愛しているのは、あなただけだよ」その言葉を信じ、彼と夫婦であれることに幸福を感じていた。 しかし。ある日。 シエラは、グレイが美貌の少年と親密な様子で、王宮の庭を散策している場面を目撃してしまう。当初はどこかの令息に王宮案内をしているだけだと考えていたシエラだったが、実はその少年が王女─ディアナであると判明する。 聞くところによるとディアナとグレイは昔から想い会っていた。 ディアナはグレイが結婚してからも、健気に男装までしてグレイに会いに来ては逢瀬を重ねているという。 ──……私は、ただの邪魔者だったの? 衝撃を受けるシエラは「これ以上、グレイとはいられない」と絶望する……。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす

まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。  彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。  しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。  彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。  他掌編七作品収録。 ※無断転載を禁止します。 ※朗読動画の無断配信も禁止します 「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」  某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。 【収録作品】 ①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」 ②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」 ③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」 ④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」 ⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」 ⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」 ⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」 ⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」

【完結】いいえ。チートなのは旦那様です

仲村 嘉高
恋愛
伯爵家の嫡男の婚約者だったが、相手の不貞により婚約破棄になった伯爵令嬢のタイテーニア。 自分家は貧乏伯爵家で、婚約者の伯爵家に助けられていた……と、思ったら実は騙されていたらしい! ひょんな事から出会った公爵家の嫡男と、あれよあれよと言う間に結婚し、今までの搾取された物を取り返す!! という事が、本人の知らない所で色々進んでいくお話(笑) ※HOT最高◎位!ありがとうございます!(何位だったか曖昧でw)

【完結】白い結婚はあなたへの導き

白雨 音
恋愛
妹ルイーズに縁談が来たが、それは妹の望みでは無かった。 彼女は姉アリスの婚約者、フィリップと想い合っていると告白する。 何も知らずにいたアリスは酷くショックを受ける。 先方が承諾した事で、アリスの気持ちは置き去りに、婚約者を入れ換えられる事になってしまった。 悲しみに沈むアリスに、夫となる伯爵は告げた、「これは白い結婚だ」と。 運命は回り始めた、アリスが辿り着く先とは… ◇異世界:短編16話《完結しました》

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

処理中です...