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第3話 ルノワと私の腕着け時計
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ルノワはエミリアの膝の上、軽く指を組んでいるエミリアの手の内側に丸まって眠りについている。
ルノワは、エミリアの幼い頃からのお友達だ。
エミリアは、小さい時に父・リンクスに連れられてグランツの時計工房に行った時、グランツから「エミリアは手先が器用だね」と褒められたのが嬉しくて、事ある毎にグランツの工房へ行きたがったそうだ。
「貴族が矢鱈とそのような場所に行くものではありません!」
根っからの貴族であるマリアンは、いつもそう言って不機嫌になったが、エミリアはグランツ達の時計作りを見ているのがとても楽しかったようだ。
エミリアが見様見真似で時計作りをしていると、グランツが驚いてまた褒めてもらえたので、余計に時計作りにのめり込んでいった。
「エミリアにしか作れない時計を作ってみないかい?」
エミリアの手先の器用さや、生来の集中力、そして何より幼いエミリアの小さな手を見たグランツからそう言われて作り始めたのが、今エミリアが身に着けている腕着け時計だ。
エミリアは、ずっといい顔をしないマリアンを尻目に、足繁くグランツの工房に通い詰める。
グランツ達の作る時計よりも小さな、女性が身に着けておかしくない大きさの時計の完成が近付いた頃だった。
その頃から、エミリアの夢の中に黒猫が出てくるようになり、エミリアはその子にルノワと名付けた。
「ルノワはどこから来たの?」
「ないしょっ」
「ルノワはどうして尻尾が五本もあるの?」
「な~いしょ。でも僕はエミリアのことが大好きだよ!」
イエローの目でイタズラっぽくウィンクするルノワはとても可愛かった。
時計が完成する頃には、起きていてもルノワがエミリアの前に現れるようになる。
クリスやリンクスに話しても、全然見えていないようだった。エミリアにはルノワの黒い毛の感触も温もりも感じられたのだが……
みんなに「エミリアはおかしくなった」と思われたくなかったので、いつしか誰にも言わなくなった。
ルノワとは、夢の中では言葉でお話できたが、現実ではできなくなっていてエミリアは残念に思っていた。
だが、エミリアが心の中で話しかけると、ルノワは鳴き声で返事をしてくれた。今ではルノワの機嫌も手に取るように分かる。
当時のルノワは今より大きかった。おとなの猫くらいの大きさだったのが、今は子猫がちょっと大きくなったくらいの大きさだ。
尻尾の数も減っている。
エミリアは今日を含めて三回、婚約破棄の場面を迎えている。
初めての婚約破棄の時、ヤミルからの婚約破棄とアデリーナとの婚約発表の後のマリアンの言葉。
「エミリア! あなたのアデリーナに対する執拗な嫌がらせの数々、私達は決して許すことはできない! 放課後にわざわざ学園に出向いてまで何をしているのです! 恥ずかしい!」
今日は、ここで初めて内容が変わった。あの時は……
「アデリーナのお友達からも、ヤミル様からも証言は取れているのです! お前がとても表には出せないような仕打ちをしていた事のねえ!」
そう言うと、レロヘス家の騎士達がエミリアを捕らえて、外に引きずって行き、エミリアの身体に剣を突き立てた。
エミリアが、剣の刺さった場所が熱くなり、全身に激痛が走って気が遠くなった瞬間……
(エミリア! りゅうずをそのまま手前に回して!)
エミリアにとって、聞き覚えのあるルノワの声が聞こえた。ルノワが、倒れているエミリアの目の前に現れて必死に訴えかけてきたのだ。
エミリアの腕着け時計は、ゼンマイを巻くのは懐中時計と同じで、時計裏面の鍵穴で行うが、時刻合わせはりゅうずで行う方式を取っている。
りゅうずは、カチッと音がするまで一段引っ張り、くるくる回すと時刻の調整ができる部分。
(引っ張ってない状態で回しても何も起こらないはず……)
エミリアは、朦朧とする意識の中で、そんな事を考えていた。
(いいから! そのまま手前に回してー!)
ルノワの叫びを受けて、エミリアは言われた通りにりゅうずを回し……気がついたら月日が巻き戻っていた。婚約破棄の記憶も、死ぬ寸前までいったという記憶も持ったまま……
今なら分かる。一回目は本当に意識がなくなる寸前だったので、りゅうずを少しだけ回したから二か月程の巻き戻りだったと。
焦ったのは二回目、またルノワが現れて回すように言われた時に、エミリアは慌てていっぱい回し過ぎて子供の頃に戻ってしまったのだ。
腕には時計が無いし、ルノワもいない。
エミリアは絶望しかけたが、気を取り直して人生をやり直した。
そこから抜け出せた今なら、無理やりにでも違う人生を送ればよかったと考えられるエミリアだが、その時は同じ人生を選択してしまった……
三回目は――――
ヒヒィッ! ヒヒーン! ガタンッ!!
ここまで順調だったのに、急に馬がいななき馬車が横に逸れて止まった。
「きゃ~!」
「おい! ウチの息子が転がったじゃないか!」
「イテテテ、何がどうなっている?」
車内に、乗客の悲鳴や御者を怒鳴る声が響いた。
エミリアは隣のふくよかな女性にぶつかったので何ともなかったが、客のほとんどがベンチから放り出されていた。エミリアのトランクを入れた麻袋も前に飛び出してしまっている。
自分の無事と、荷物の場所を確認できて安堵したエミリアだったが、ルノワの姿が見えない。
(――ルノワは!? ……何処に行ったの?)
「と! 盗賊だー! 逃げてくだ――ギャー!」
乗合馬車の御者が盗賊を報せる声と、悲鳴が聞こえてきた。
「馬車は壊れてねえだろうな?」
「へい! 無事でさア」
「よ~しテメエら! 荷物を置いて降りろ!」
盗賊が外から大声で指図してくる。
(どうしよう! ルノワもどこにいるの!?)
「とろとろしてねえで早く降りろってんだ!」
ダンダンッ! ダーンッ!
「きゃー!」「怖い怖いっ!」
盗賊の1人が客車を叩いて回って、女性が恐がってしまっていた。
「お、降りよう! 命あっての物種だよ」
年配の女性の声に、みんなは荷物を諦めて支え合って馬車から降りる。
(ここは? 森を切り開いた所ね)
エミリアは冷静に現在地を確認した。
馬車から下りたエミリア達は、一か所に集められて手持ちの金品を差し出すように言われた。
盗賊は六人。大きい人から小さい人、数人は太っているけど、がっしりしている。それに、全員刃物を持っている。
(……どうしよう! 時計を取られたら……ルノワもいないし)
エミリアが月日を巻き戻るには、二つの条件が揃わないとダメみたいだと、これまでの経験上わかっていた。
一つは、エミリアが腕着け時計を身に着けている事。持っているだけではダメだった。
もう一つは、ルノワがいて『りゅうずを回して』と言った時。ルノワがただいる時に恐る恐る回したが、巻き戻らなかったのだ。
エミリアには理由は良く分かっていないが、この2つの条件が揃わないと、月日は巻き戻らない。
「ギャァアー!」
金品を出し渋った客が斬られてしまった!
それを見た他の客達が、次々に盗賊の持つ麻袋に金品を入れて行く。
(……どうしよう! 時計は取られたくない!)
「嬢ちゃんのその手首のはなんだ?」
金品を入れる麻袋を持って回っている盗賊が、エミリアの腕のモノに気づいて聞いてきた。
この盗賊の腰には剣も下がっている。
「こ、これは……ただのリボンです」
「ふ~ん? 上物そうだな? 入れろ」
(え~! どうしよう……心臓がバクバクしてきました。ルノワ! どこ?)
「おっ? リボンも上物そうだが、お前も上物だなぁ」
腕着け時計を外したくないエミリアが逡巡していると、盗賊の目がエミリアの姿をなめ回し、どんどんいやらしくなっていく。
「ちょっと二人で奥に行こうか」
「お頭も好きですねぇ~? オレらにもおこぼれはありやすか?」
エミリアを連れ出そうとしていた男が、この盗賊集団の頭のようだ。
「ここを抜かりなくこなしゃ、使わせてやるよ」
「へい! お任せを!」
そう言うと、盗賊がエミリアを森の奥に連れて行こうと腕を引っ張る。男の方からは、長く水浴びしていない臭さが漂ってくる。
エミリアが振り解こうにも、男――それも盗賊の力には敵わずに、引き摺られるように連れていかれる。
(もうダメー! ルノワ!)
「お前達、何をやっている!」
ルノワは、エミリアの幼い頃からのお友達だ。
エミリアは、小さい時に父・リンクスに連れられてグランツの時計工房に行った時、グランツから「エミリアは手先が器用だね」と褒められたのが嬉しくて、事ある毎にグランツの工房へ行きたがったそうだ。
「貴族が矢鱈とそのような場所に行くものではありません!」
根っからの貴族であるマリアンは、いつもそう言って不機嫌になったが、エミリアはグランツ達の時計作りを見ているのがとても楽しかったようだ。
エミリアが見様見真似で時計作りをしていると、グランツが驚いてまた褒めてもらえたので、余計に時計作りにのめり込んでいった。
「エミリアにしか作れない時計を作ってみないかい?」
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エミリアは、ずっといい顔をしないマリアンを尻目に、足繁くグランツの工房に通い詰める。
グランツ達の作る時計よりも小さな、女性が身に着けておかしくない大きさの時計の完成が近付いた頃だった。
その頃から、エミリアの夢の中に黒猫が出てくるようになり、エミリアはその子にルノワと名付けた。
「ルノワはどこから来たの?」
「ないしょっ」
「ルノワはどうして尻尾が五本もあるの?」
「な~いしょ。でも僕はエミリアのことが大好きだよ!」
イエローの目でイタズラっぽくウィンクするルノワはとても可愛かった。
時計が完成する頃には、起きていてもルノワがエミリアの前に現れるようになる。
クリスやリンクスに話しても、全然見えていないようだった。エミリアにはルノワの黒い毛の感触も温もりも感じられたのだが……
みんなに「エミリアはおかしくなった」と思われたくなかったので、いつしか誰にも言わなくなった。
ルノワとは、夢の中では言葉でお話できたが、現実ではできなくなっていてエミリアは残念に思っていた。
だが、エミリアが心の中で話しかけると、ルノワは鳴き声で返事をしてくれた。今ではルノワの機嫌も手に取るように分かる。
当時のルノワは今より大きかった。おとなの猫くらいの大きさだったのが、今は子猫がちょっと大きくなったくらいの大きさだ。
尻尾の数も減っている。
エミリアは今日を含めて三回、婚約破棄の場面を迎えている。
初めての婚約破棄の時、ヤミルからの婚約破棄とアデリーナとの婚約発表の後のマリアンの言葉。
「エミリア! あなたのアデリーナに対する執拗な嫌がらせの数々、私達は決して許すことはできない! 放課後にわざわざ学園に出向いてまで何をしているのです! 恥ずかしい!」
今日は、ここで初めて内容が変わった。あの時は……
「アデリーナのお友達からも、ヤミル様からも証言は取れているのです! お前がとても表には出せないような仕打ちをしていた事のねえ!」
そう言うと、レロヘス家の騎士達がエミリアを捕らえて、外に引きずって行き、エミリアの身体に剣を突き立てた。
エミリアが、剣の刺さった場所が熱くなり、全身に激痛が走って気が遠くなった瞬間……
(エミリア! りゅうずをそのまま手前に回して!)
エミリアにとって、聞き覚えのあるルノワの声が聞こえた。ルノワが、倒れているエミリアの目の前に現れて必死に訴えかけてきたのだ。
エミリアの腕着け時計は、ゼンマイを巻くのは懐中時計と同じで、時計裏面の鍵穴で行うが、時刻合わせはりゅうずで行う方式を取っている。
りゅうずは、カチッと音がするまで一段引っ張り、くるくる回すと時刻の調整ができる部分。
(引っ張ってない状態で回しても何も起こらないはず……)
エミリアは、朦朧とする意識の中で、そんな事を考えていた。
(いいから! そのまま手前に回してー!)
ルノワの叫びを受けて、エミリアは言われた通りにりゅうずを回し……気がついたら月日が巻き戻っていた。婚約破棄の記憶も、死ぬ寸前までいったという記憶も持ったまま……
今なら分かる。一回目は本当に意識がなくなる寸前だったので、りゅうずを少しだけ回したから二か月程の巻き戻りだったと。
焦ったのは二回目、またルノワが現れて回すように言われた時に、エミリアは慌てていっぱい回し過ぎて子供の頃に戻ってしまったのだ。
腕には時計が無いし、ルノワもいない。
エミリアは絶望しかけたが、気を取り直して人生をやり直した。
そこから抜け出せた今なら、無理やりにでも違う人生を送ればよかったと考えられるエミリアだが、その時は同じ人生を選択してしまった……
三回目は――――
ヒヒィッ! ヒヒーン! ガタンッ!!
ここまで順調だったのに、急に馬がいななき馬車が横に逸れて止まった。
「きゃ~!」
「おい! ウチの息子が転がったじゃないか!」
「イテテテ、何がどうなっている?」
車内に、乗客の悲鳴や御者を怒鳴る声が響いた。
エミリアは隣のふくよかな女性にぶつかったので何ともなかったが、客のほとんどがベンチから放り出されていた。エミリアのトランクを入れた麻袋も前に飛び出してしまっている。
自分の無事と、荷物の場所を確認できて安堵したエミリアだったが、ルノワの姿が見えない。
(――ルノワは!? ……何処に行ったの?)
「と! 盗賊だー! 逃げてくだ――ギャー!」
乗合馬車の御者が盗賊を報せる声と、悲鳴が聞こえてきた。
「馬車は壊れてねえだろうな?」
「へい! 無事でさア」
「よ~しテメエら! 荷物を置いて降りろ!」
盗賊が外から大声で指図してくる。
(どうしよう! ルノワもどこにいるの!?)
「とろとろしてねえで早く降りろってんだ!」
ダンダンッ! ダーンッ!
「きゃー!」「怖い怖いっ!」
盗賊の1人が客車を叩いて回って、女性が恐がってしまっていた。
「お、降りよう! 命あっての物種だよ」
年配の女性の声に、みんなは荷物を諦めて支え合って馬車から降りる。
(ここは? 森を切り開いた所ね)
エミリアは冷静に現在地を確認した。
馬車から下りたエミリア達は、一か所に集められて手持ちの金品を差し出すように言われた。
盗賊は六人。大きい人から小さい人、数人は太っているけど、がっしりしている。それに、全員刃物を持っている。
(……どうしよう! 時計を取られたら……ルノワもいないし)
エミリアが月日を巻き戻るには、二つの条件が揃わないとダメみたいだと、これまでの経験上わかっていた。
一つは、エミリアが腕着け時計を身に着けている事。持っているだけではダメだった。
もう一つは、ルノワがいて『りゅうずを回して』と言った時。ルノワがただいる時に恐る恐る回したが、巻き戻らなかったのだ。
エミリアには理由は良く分かっていないが、この2つの条件が揃わないと、月日は巻き戻らない。
「ギャァアー!」
金品を出し渋った客が斬られてしまった!
それを見た他の客達が、次々に盗賊の持つ麻袋に金品を入れて行く。
(……どうしよう! 時計は取られたくない!)
「嬢ちゃんのその手首のはなんだ?」
金品を入れる麻袋を持って回っている盗賊が、エミリアの腕のモノに気づいて聞いてきた。
この盗賊の腰には剣も下がっている。
「こ、これは……ただのリボンです」
「ふ~ん? 上物そうだな? 入れろ」
(え~! どうしよう……心臓がバクバクしてきました。ルノワ! どこ?)
「おっ? リボンも上物そうだが、お前も上物だなぁ」
腕着け時計を外したくないエミリアが逡巡していると、盗賊の目がエミリアの姿をなめ回し、どんどんいやらしくなっていく。
「ちょっと二人で奥に行こうか」
「お頭も好きですねぇ~? オレらにもおこぼれはありやすか?」
エミリアを連れ出そうとしていた男が、この盗賊集団の頭のようだ。
「ここを抜かりなくこなしゃ、使わせてやるよ」
「へい! お任せを!」
そう言うと、盗賊がエミリアを森の奥に連れて行こうと腕を引っ張る。男の方からは、長く水浴びしていない臭さが漂ってくる。
エミリアが振り解こうにも、男――それも盗賊の力には敵わずに、引き摺られるように連れていかれる。
(もうダメー! ルノワ!)
「お前達、何をやっている!」
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