『魔法使いと植物図鑑― The Mage and Magic arts Tree book ―』

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第1章 Departure for the Fantastic World

第59話 魔法の終わり(1)

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 夜更けを少し過ぎた暗闇。深夜というには遅すぎて、早朝と呼ぶにはいささか早い――午前三時半を回ったイースト・エンドの狭い路地は、普段なら警官に公園を追い出された浮浪者がさ迷い歩いているくらいだ。人気はなく、腐った木と石で作られた家々に反射する。

 しかし今日は違った。その理由は、密集した欠陥住宅の向こうから見える煙と光と喧騒のせいだ。理由はわかっている。というより、こうなってしまった原因はわたしとハルにあるのだから解って当然の話だ。

 あの先にあるのは、地面が崩れ底抜けになった工場。まだ見なくてもわかるのは、そのちょうど真下にある施設こそ、わたしたちが相手取った裏組織、ラビットハウスの競売所だからだ。

 作戦を聞いた時点で、こうなることは知っていた。きっとああなってしまっては、たとえ警察上層部とのパイプがあったとしても隠し切れないだろう。廃業は免れないはずだ。罪悪感はない。やっていたことがことなだけに、何の哀れみも申し訳なさも感じない。
 そしていま、わたしの隣には小柄で黒髪の相棒はいない。

 ――リーナは帰ってて。ここからは俺たちの仕事だから――

 そう言って、ハルがあの倉庫に残ったからだ。
 大丈夫なのだろうか……黙って歩いているとそんな事ばかり考えてしまう。

 わたしとハルがやったことは、完全にハルにとって規則違反のはずだ。それはあの時助けてくれたアイラさんも言っていた。気にするなとハルには言外に匂わされたけれど、やっぱり巻き込んでしまった側として責任を感じてしまう。

 そんなことを考えているうちに、気が付くとすれ違う人の数が明らかに増えてきた。すれ違うのは、制服に身をまとった警察官。風の音さえうるさく感じてしまうほどの静寂も、今は影も形もない。
 何かが燃える音、崩れる音、人の怒号――道を進むたびにそれらは大きくなっていく。流れる空気も、普段の湿っぽくて臭いソレに加えてほこりっぽい。

「……うわぁ」

 角を曲がった先の光景を見て、思わずそう呟いた。
 少し前に見た錆びだらけの工場は、跡形もなく消えていた、正確には地面に飲み込まれていた。

 工場があったはずの場所にはぽっかりと大穴が空き、その穴につい数時間前まで工場《だったもの》が、狭そうに身を押し付けあっている。無事だった地面に立つ建物まで崩れているのは、安全対策を怠ってきたツケだろうか。素人目のわたしにも、この工場がたどる道は廃業しかないことくらい簡単に分かった。

「やっぱり、やりすぎだったかな……」

 ふと、この工場で働いている人たちの生活を想像してしまった。いくら直接手を下したのではないとしても、彼らの生活基盤を間接的に奪ってしまったことに罪悪感を覚えた。できれば、この場所に新しい工場が立ってくれればいいのだけれど……。

 と、そんなことを考えていた時、
 後ろから、高いラッパ音が威嚇するように夜を突き抜けてきた。

 振り返る。懐中電灯とは明らかに一線を画す光度の物体が二つ。低いうなり声を上げながら近づいて来る。二つの光は馬車の何倍もの速さで大きくなり、大きめの車体がまとっていた闇の黒を振り払い、その赤いボディーをさらす。

 ロールス・ロイス社製造、大型高級乗用自動車「40/50HP型」――通称〝シルヴァーゴースト〟。ゴーストと呼ぶにふさわしい、八日巻の時計よりも静粛であると評されるエンジン音をいななかせる、円柱と箱をくっつけたような車体。後ろに箱状の客席を取り付けた、Shooting-Brakeと呼ばれるモデルだ。

 あまり使いこまれていない最新のもの。そしてその車体には、家々の貴族が持つ家紋が描かれている。

 あの家紋と車には、見覚えがある。

 その中に乗っている人間が誰なのか思い至ったのと、車体がわたしの目の前で止まったのはほとんど同時だった。
 バン! と、乱暴に客席の扉が中から開けられる。

「やはりいたか」

 中にいたのは、わたしの予想した通りの人物だった。

「ひとまず乗れ。話はそれからだ」

「はい。失礼いたします」

 その声に従い、周りから人が集まってくるよりも前に車の中へと乗り込む。乗り込んだと同時に彼は扉を閉め、彼の「出せ」という言葉と共にすぐさま車は発進した。

 後方についた窓から透けて見える工場の残骸。しかしそれは猛スピードによって瞬く間に小さくなっていき、崩れかけの家々の向こうに消えた。

「…………はぁ~~……」

 それからしばらくし、大きなため息の音が聞こえる。ため息の主はもちろん、わたしの目の前に座る上司だ。

「色々と、やらかしてくれたな」

 疲れたように、直属の上司――ウォーレン・ホリングワース大佐は口を開いた。

「武器の無断持ち出しに工場の爆破、そしてラビットハウスの拠点壊滅と関係者の逮捕……いろいろ起こりすぎて頭が狂いそうだ。知っていることを全部話せ。なぜここにいるのか、なぜ武器を持ち出したのか、なぜ俺に報告の一つもなかったのか、全てだ」

「はい」

 返事をし、考えをまとめるふりをして少し黙る。そして背負っていた小銃を思い出し横に立てかけた後、説明を始める。

「この場所に来たのはつい先ほどです。とある人物から、この地下に行方不明になった子供たちが出品されている可能性があるという情報を寄せられたので。小銃を持ち出したのは、情報に信ぴょう性があり、事態は一刻を争うと判断したためです。大佐への報告を怠ったのも同様の理由です。ですので、中で何があったのかはわたしにも……」

「たとえ情報に信ぴょう性があったとしても、一人で潜入するなど無計画すぎる。侵入経路、脱出経路、敵の数、内部の構造、子供のいる位置、計画成功率……以上のことを考えていたとはとても思えん。まるで新兵以下の判断能力だぞ。落第だ。貴様には士官としての心構えや基礎知識すら備わっていない。独断行動、武器の無断使用も合わせれば降格処分ものだ、とても擁護はできない」

「……申し訳ありません。処分なら、謹んでお受けいたします」

「はぁ、まあいい。処分は後だ。もうひとつ訊く。貴様の情報提供者とは、黒髪の少年ではなかったか? 歳はおそらく、十代前半。少しばかり東洋の血が混ざっているような顔ぶれだ」

「! はい……どうしてそれを」

「簡単なことだ。俺の屋敷にも来た」

 そう言って、大佐は軍服の胸ポケットから一枚の小さな紙きれを取り出した。それを右手の人差し指と中指で挟み、こちらへと突き出す。その紙を受け取り、開いて中の文字を読む。
 書かれていたのは、

「これは……住所、ですね。かなり海岸側の」

「ご丁寧に時間指定までしていた。部下を向かわせたら、その場所に子供たちの入った檻があった。例の子供もだ。栄養失調になってはいたが、全員命に別状はないらしい」

「しかしどうして……そんなところに」

「俺が知るか。俺よりも貴様の方が詳しいのではないか?」

 そう言って言葉を切り、大佐は真っ直ぐわたしの目を見つめてきた。

「正直に答えろ。あの少年はいったい何者だ。なぜ一緒に行動している」

「…………」

 疑いと不信感のこもった目。何かを探っているような、そんな気がする。
 今のわたしは、大佐にとって部下ではなくこの事件に関与した容疑者として見られているのかもしれない。だとすれば、嘘をつくのは悪手だ。ハルのことを知っている以上、彼から何か情報を得ているはず……。

 ほんの数秒の間に、わたしは脳を生まれてから最速で回転させた。どこまで話していいものか――目の前の上司は、いったいどこまで知っているのか。ハルはどこまで話したのか……。

 言葉を選びながら、わたしは口を開く。

「操作の途中、ワイト島で遭遇しました。彼は魔術師を追っているらしく、子供たちはその生贄にさらわれた可能性があると、そう聞きました。それで、わたしから捜査に協力してもらうよう要請しました」

「魔術師とは、あのどもか?」

「はい。そう考えて差し支えないはずです」

「あの少年自体が魔術師という可能性は考えなかったのか?」

「それはないと思います。彼には、魔術師が刻む刺青はありませんでしたから」

「なぜ別行動をとった」

「下見のつもりでした。その間に、彼は別の場所に用があると言っていました」

「怪しすぎる。なぜあれの言葉を信じた。あの少年が信用に足りると判断した理由は?」

「勘です。最悪の場合でも、被害をこうむるのはわたし一人ですので賭けてみる価値はあったと、そう考えました。今では、軽率な行動だったと猛省しています」

「………………そうか」

 額に親指の腹を当て、少しうつむき、大佐は一言だけそう言葉を返した。
 表情は分からない。うつむいた人間の表情を読み取るには、この車内は暗すぎる。わかったのは、大佐が呟いた一言がやけに重苦しいものだったということだけだ。

 大丈夫。嘘は言っていない。
 ごまかしはしたし、付け足すべき言葉を省きもした。だけど嘘は言っていない。わたしが話したことをそのまま受け止めるなら、ハルという少年が謎に包まれた存在だとわかるだけ。わたしに訊いたところで何も分からない――そう判断するはずだ。

「…………」

「……………………」

 長い、長い、沈黙ののち。

「最後にひとつだけ、突拍子のないことを訊かせてくれ。ついでだ、気楽に構えていい」

 大佐はそう口を開く。




「魔法使いがいる――そう言われたら、君は信じるか?」




 出た言葉は、字面通り突拍子もない質問だった。訊く対象が、
 ドクンと、心臓が一度だけ大きく跳ねた。

 ――……まさか。大佐は……。

 どこまで知っているのだろうか。というよりも、ハルは話したのだろうか。
 大佐にも、自身が魔法使いだということを話したのだろうか。いやしかし、わたしを助けたことすら特例なんだと言外に匂わせていた。だとしたら、わたしよりもはるかに力が強く、国の内部に近い大佐にそんなことを話すだろうか。それに、言ったとしたらどうしてわたしに伝えてくれなかったのだろうか。

 もしかして、自力でハルの正体にたどり着いたのだろうか。

 知りたい。はっきりさせたい。
 目の前の彼がこちら側なのかどうなのか。たった一言訊けばいいだけだ「あなた《も》、ハルの正体を知っているのですか?」と。

 だけど、それはわたしにできないことだ。
 わたし自身が、ハルとそう契約しているんだから。

 はっきりとはさせられない。どんなに匂わされたって、どんなに確証に近くたって、それはわたしの口からは確かめられない。

「信じます」

 だから、

「たとえ笑われたとしても、もしわたしが直接見たのであれば、何があっても信じると思います」

 今のわたしにできるのは、ここまでだ。
 もし、ウォーレン大佐が何も知らないのであれば、今の言葉はわたしの単なる想像と願望に過ぎない。でも何かを知っているのであれば、わたしも同じく知っているのだと気づいてもらえる。
 きっとこれは契約ギリギリの行為だ。でも、大佐が訊くことができたのなら、わたしにもできるはず――そいう考えた危うい賭けだった。

「…………そうか。分かった」

 伝わったのか、伝わらなかったのか。

「家の前まで送ろう。番地を教えてくれ」

 その言葉を最後に、大佐はそれ以上何も発しなかった。

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