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第1章 Departure for the Fantastic World
第55話 禁忌の契約印(4)
しおりを挟むどうやら、自分はとことん甘い男らしい――吹き飛ばされたハルの姿を見て、シリウス・ガードナーは無責任にそう思った。明確に敵と認識した今になっても、息子同然に扱ってきた親友の息子である彼を、どうしても殺しきることができなかった。
殺すことはできた。簡単なことだ。宙を舞っている間に、大火力の炎であぶってしまえばそこまでだった。しかしガードナーの杖はハルに狙いをつけるばかりで、魔法を行使しようとはしなかった。
どさりと、鈍い音を立ててハルが積まれた砂袋の上に落下した。音からしても受け身をとれなかったはずだ。胸が激しく上下しているから死んではいないだろうが、あれではすぐさま反撃することなんてできない。
「…………」
杖を構えたまま、ガードナーは歩を進める。足を止めたのは、倒れこんだハルから三歩ほど離れたところだった。
「はぁ……っ、はぁ……はぁ……」
荒い息をつくハルの姿は、ひどいものだった。
額は切れて血が目を塗りつぶし、頬から流れ落ちている。口も切っているのか、咳き込むたびに血が口から吐き出される。戦闘服もボロボロで、武器のルガーは装填不良の状態で止まっている。頼みの綱だったカタナは、今ではガードナーの足元だ。瞳も元に戻っている。おそらく今は、薬の副作用で全身が粉々になるような痛みに襲われているだろう。
勝ちだ。もうハルには、どう頑張ってもこの状況はひっくりかえせない。
「く……そ……」
それでも、目の前の相手は目を開け、こちらをにらみつける。
「……よくここまで戦ったよ。魔法が使えない相手に、ここまで手間取るとは思わなかった」
それを別れの挨拶とし、オドを練り上げる。体内で練られたオドに杖が反応し小刻みに揺れる。あとは思い描くだけで、杖からは魔法が飛び出す。
その瞬間、脳内で様々な光景が浮かび上がった。
――見てくれ、シリウス! 俺の子だ! ――
――歩くのが早いな。この子はいい子に育つんじゃないのか? ――
――おじさん! みてみて、タネがめをだしたの――
――ねぇ、父さんの誕生日に、何を送ればいいかな? ――
――ガードナーさん。俺、魔法士試験を受けたいんだ――
浮かんだのは、彼との思い出。
親友の息子であるハルが生まれてから、今日までの思い出。将来確実に大きくなると確信した、息子同然の少年の過去。次の時代を背負って立つ、未来ある少年の成長記録。
ああ。
やはり、わたしは。
「……………………わたしは、どうしようもなく甘いらしい」
噛み殺さんとする眼光で睨みつける少年を前に、大きなため息をついた。
練り上げていたオドが、行使する魔法の決定によって変質していく。それに干渉され、マナも本来の形とは違うものへと変わっていく。理が組み替えられ、望んでいた事象が発現する。
選んだのは、行動不能を目的とした魔法――Callsfank。殺傷ではなく、相手の意識を刈り取り数時間昏倒させる魔法。
「殺しはしない。少しの間、眠っていてくれ」
杖の先をハルの心臓に合わせる。いくら自身が戦闘職ではなく、鈍っているとはいえ、さすがにこれを外すほどガードナーは下手でもない。加減が必要な魔法だからといっても、てこずるようなことはない。
だから、杖がぶれたのは別の理由だ。
目の前の傷だらけな少年が、右手を拳銃の形にしてまっすぐ伸ばしていた。
「…………どういうつもりだい?」
「――――ヘヘ、へ」
ガードナーの問いかけに、かすれた声でハルが笑った。
口角が持ち上がる。それはあきらめたときに笑みではなく、まだ戦いを続けている者の目。好機を見つけた時の笑み。
口を開く。
「そ、れを、待ってた」
「なに?」
「――――バン」
かすれた声で、発砲の真似事。
刹那。
ガードナーの構えた杖――その真ん中から先が消えた。
一瞬遅れて轟き鼓膜を突いたのは、ッダァ――ンッッ! という身体を揺さぶる重く圧縮され高く抜ける発砲音。痺れるような腕の痛みを知覚したのは、その直後だ。
ああ、撃たれたのか――その音が聞こえ漸く思考がそこに至る。
同時に、いまこの状況がどれだけ危険なのかということも認識した。
「――くっ!?」
ゾワリと鳥肌が立つ。その場から大きく飛び退く。
コンマ数秒の差で、ついさっきまでガードナーのいた場所が弾けた。
ッダァ――ンッッ! ッダァ――ンッッ! ッダァ――ンッッ! ッダァ――ンッッ!
一回、二回、三回、四回。わずか四秒半ほどの間に、床が削られ破片が左空中へと吹き飛ぶ。右か! そう思いガードナーは懐に忍ばせていた予備の杖を引き抜きながら身体を右へと回転させる。
はるか先――天井付近の暗闇からガードナーを狙っていたのは、鈍く黒く光る武骨な鉄の塊だった。銃口をガードナーに向け、白い月光を煤けた狂気の色に染めている。銃身《バレル》のほとんどを覆う、木製のハンドガード。あの独特の形は、ガードナーもよく見るものだった。
イギリス軍正式採用小銃〝ショート・マガジン リー・エンフィールドMk.Ⅲ〟早撃ちのしやすいコックオン・クロージング方式に、十発装填が可能で脱着式のダブルカラムマガジンを採用する珍しいボルトアクション・ライフル。
そしてそれと一体化するように、整った顔に収まっているガラスのような青い瞳が、獲物を狩る眼でこちらを見つめていた。
彼女には覚えがある。
月光を反射するひと房の金糸のような髪。少しだけ幼さが残るその少女は、ガードナーがつい数時間前にハルと共に拘束した少女、リーナ・オルブライト。
――リーナ……そうか、そういうことか。
ガードナーの中で、すべてがつながった。
なぜ勝てないとわかりながらも、ハルが無謀ともいえる戦い方をしたのか。この場にハルしかいなかったこと。気づいていないふりをしていればよかったのに、わざわざガードナーの弱点をこれ見よがしに口にしたこと。
もとから、ハルは自分で倒すつもりなどなかったのだ。倒せるなんて本人も考えていなかった、だからこそ囮に徹した。この状況を創り出すために、最大の障壁である杖を破壊し、パワーバランスをひっくり返すために。
――まずい!
再び鳥肌が立った。
リー・エンフィールドの装弾数は十発。ほかの国が採用する小銃の五発の倍だ。ついさっきの発砲を入れても残りはまだ五発ある、つまり再装填する必要がない。
早く障壁を張らなくては。今の状態は、兎撃ちの兎と何ら変わらない。
「――くっ、Jectelute!!」
懐から杖を引き抜く。身体が振り向くよりも早く左から右へと横一文字に振りぬき、守りの障壁を展開する。視線すら向けられない。そんな余裕はなかった。
握っている杖は、普段から使っていたガードナー専用の杖。にも拘らず、魔法を行使するという短いプロセスの一挙手一投足に、ガードナーにはまるで水の中を走るような違和感が付きまとった。使いにくい。まさか無詠唱すらできないとは――それは当たり前のことのはずなのだが、皮肉にも、こんな時になってようやくユニコーンの杖と他の杖との性能差を実感した。
体感では永遠に思えるほどの時間を経て、ようやく魔法が発動する。空気が圧縮され、理が改変され、空気はたしかな硬度を持った別の物質へと変換される。
特有の薄い黄色い膜がはっきりと現れ、ガードナーとリーナの間に確固とした拒絶の壁を築く。
間に合った――そう確信したガードナーの視線がリーナと交錯する。
そして、再び困惑した。
彼女が、一発も撃たなかったから。
なぜ? 刹那の間にその問いがガードナーの脳裏を駆ける。間に合わなかったのならまだわかる。外れるというのも理解できる。だが『撃たなかった』は理解できなかった。この一瞬のためにハルは身を削ったはずなのだ。それなのにどうして、千載一遇のチャンスドブに捨てるようなことを行うのか……。
しかしその三秒後、ガードナーはその答えを半強制的に理解させられた。
だんっ、と思いっきり地面を踏み込んだ音。
それが入ってきたのは、ガードナーの左耳から。つまり音がしたのは、さっきまでガードナーが向いていた方向。
ハルが倒れているはずの方向。
「っらぁぁぁぁぁああッ!!」
まず知覚したのは、首が外れたのかと思うほどのアゴへの衝撃。下から上に、頭が打ち上げられた。とたんに視界が揺さぶられ、思考能力の大半が停止する。
続いて状況判断すらできなくなった視界に飛び込んできたのは、再び折られた二本目の杖の残骸。降り抜かれた黒色のカタナ。深い青色の服。黒い髪。鬼気迫る表情。
迫る拳。
「がぁぁどなぁぁぁああ!!」
――力ずくで止めるため。あと、一発ぶん殴る――
そう言い放ったハルの宣言通り、
渾身の右ストレートを顔面に喰らい、ガードナーは宙を舞う。
硬い石の地面に叩きつけられ、ついに意識を手放した。
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