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第1章 Departure for the Fantastic World

第49話 ネズミ一匹(5)

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「忠告はしたぞ。『離れろ』と》

 男の口から出た忠告の言葉。人の出せる音よりさらに低く、地面を地の底を揺さぶる人ならざるモノの声が、部下たちの足を凍り付かせた。

 ドクン——男の体が、内側から弾け飛んだ。
 ドクン——弾けた体の内からは、まるで風船でも膨らませるかのように際限なく肉が膨れ上がる。むき出しになった皮膚が裂け、千切れ、パラパラと零れ落ちる。まるで、脱皮をするかのように。

 はがれた皮膚の内側に揃うは、鋼鉄の硬度を誇る赤黒い鱗。

 手足を突き破り現れたのは、狩人のみが持つ命を刈り取る鋭い爪。

 背中から広がった二対の皮膚は、コウモリを感じさせる巨大な翼。

 腰あたりの皮膚を突き破り、とげのある尾が飛び出し鞭のようにしなる。

 ミシミシと音を立て、顔が骨格を変える。それは例えるならトカゲ。

 仮面を破り幹出しになった瞳は、吸い込まれるくらい凶暴なエメラルド色。

「まさかあいつはっ!」

 そうだ、ガードナーはこのドラゴンを知っている。
 当然だ。なぜなら、このドラゴンを出し抜くことこそがこの計画で最重要視されていたのだから。

 エルフよりも、魔法使いたちよりも厄介な森の番人。この計画の中で最も大きな懸念事項。
 霧の支配者、ミラージュ・ドラゴン。

「はーイ、こっちこっチ!」

 一緒にいたもう一人の女が、勢いよくフードと仮面を脱ぎ捨てる。現れたのは真っ赤な髪と尖った耳。いつの間にか台車を動かし、ユニコーンと子供が入った檻ふたつを鎖で括り付けていた。

「準備オーケー、やっちゃっテ!」

《死ぬなよ。エルフ》

 瞬間、
 天井が轟音を立てて爆ぜた。

 無視できない大きさのがれきが降り注ぎ、擬態していたドラゴンを止めんとしていた職員たちの何人かが動かなくなる。

 一瞬だけ遅れて肌を撫でたのは、焼け付くほど強烈な熱波。ドラゴンが吐いたブレスだと理解したのは数秒遅れてだ。

 悲鳴が上がる。恐怖が充満する。だがそれら全てが、ドラゴンの放つ強力な怒気にかき消される。
 潮が引くように、大きく空いた天蓋の穴から流れ込むのは、数メートル先が見えなくなるほどの濃い霧。ミラージュ・ドラゴンがまとう魔法の霧だ。まるで滝のように垂直に流れ込み、真下にいたドラゴンとエルフの少女が濃霧に飲み込まれる。

 その直後、人を吹き飛ばすような旋風に混ざり届く羽ばたきの音と金属同士がぶつかる音。輪郭すらもぼやけた濃霧の奥で、巨体が檻を吊り下げながら浮上していくのがかろうじてわかった。

 姿が消える寸前、霧の向こうから浴びせられたのは身震いするほどの怒気。

《ガードナー。我が庭を荒したお前の目論見、無事にいくとは思うなよ!》

 そしてそれは、ガードナー個人に向けたものだった。

 ほんの一分足らず。
 それだけで、この場は地獄絵図に変わった。

「…………………」

 誰も反応できなかった。
 誰も、動くことができなかった。
 一呼吸遅れ――、

 会場が、阿鼻叫喚に包まれた。

「わああああああ!」「まずい! 警官が来る!」「ここの警備はどうなっているのだっ」「いけないわ! 夫に見つかって」「出口はどこだ!」「俺たちの金は!?」

 聞くに堪えない絶叫と悲鳴が響く。今まで自らがしていたことがまるで問題ないことだったかのように、騒ぐ人間たちの言葉が見事なほど自身を被害者としていた。

 その修羅場のような世界から切り離されたかのように、ガードナーは立ち尽くす。

 もう、子供たちなどどうでもよかった。ガードナーの頭は、すぐさまこの後に起こりうる最悪の事態を仮定し仮説を弾き飛ばした。

 しかし、それに理性で待ったをかける。
 この場での最悪の事態とは一体なんだ、そう自問自答する。

 これを合図に、魔法士たちがなだれ込んでくること。

 違う。

 この計画にとって最悪の状況とは……。

 ――お前の目論見、無事にいくとは思うなよ! ――

 つい先ほど、確かにあのドラゴンはそう言い放った。
 だがしかし、あのドラゴンがしたことはユニコーンと子供の奪取だけだった。確かに計画には大きな痛手だ。だが、なりふり構わない方法を使えばまだ計画は遂行可能だ。

 それなのに、あのドラゴンはガードナー自身を殺すことをしなかった。子供をさらう以上のことをしなかった。まるで、自分以外の何物かが別に動いているかのように。

 ――まさか。……まさか!

 気が付いてしまう。というよりも、気づかないほどガードナーは愚かではなかった。
 走り出す。目の前に立ちふさがる客どもを両手で蹴散らし、かき分けながら《ある扉》に向かって進み続ける。

 もう、子供もオークションもどうでもよかった。
 この会場がどうなろうと、知ったことではなかった。

「はぁ……はぁ……ふっ」

 人の海を抜け、ガードナーが目当ての扉にたどり着く。目の前にあるのは、厳重に施錠された搬入口のひとつ。ごく限られた者にしか通ることが許されない、地上の倉庫へと伸びる直通連絡路。
 杖を振り抜く。杖から飛び出た衝撃波が、扉に当たり扉そのものを吹き飛ばす。

 明かりのない真っ暗な暗闇に向かって。ガードナーは走り出した。

 ◇◆

 神というものがこの世界にいるとすれば、そいつはとんでもなく性格が悪いのだろう――今この瞬間ほど、ガードナーは神という存在を信じることも、恨んだこともなかった。

 手を貸してほしい時に限って何もせず、それどころか当人にとって最も苦痛となる事を試練と称し押し付ける。かと思えば、最悪の状況になるよう嫌というほどおぜん立てをする。生きとし生けるものに試練という名の苦痛を与え、それによって苦しむ様をはるか高みから見物する。

 今、この時のように。

「やはり、君だったか」

 地上に作られた、ラビットハウス管轄の倉庫のひとつ。その倉庫の真ん中に立ちふさがる人物を見て、ガードナーはそう吐き捨てた。

 警備をしていたはずの者たちはいなかった。がらんどうの倉庫にあるのは、床に描かれていた儀式用の魔法円。ガードナー。そして、その魔法円の前でたたずむ黒髪の少年。

 来るかもしれないとは思っていながら、だけど殺せなかった少年。同時に、この場所に一番来てほしくはなかった人物。この計画に気が付いてほしくはなかった人物。

 ハル・エイダンフォード。

 拘束し、幽閉したはずの少年が、ガードナーの顔をにらみつけていた。

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