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第1章 Departure for the Fantastic World
第24話 Ancient Lost beasts(2)
しおりを挟む《ヒュゥゥゥ――――ィッ!》
透き通る笛の音のような鳴き声が、空気をビリビリとどこまでも揺さぶった。
もう一度、身体が持ち上がる感覚。一瞬だけ体重が倍になったような負荷が身体にかかる。だけどそれもほんの一呼吸の間だった。とっさにつむってしまっていた目を開けると、ちょうどヒューイが穴から抜け出し、陽光が直接わたしへと照り付けた。
ぐんぐんと高度が上がる。すごい勢いで風が前から後ろに流れている。とんでもない速さで進んでいるんだということくらいは視界の隅に入る木々の様子ですぐに分かった。それなのに、わたしたちを乗せて飛ぶヒューイの体は全くと言っていいほど揺れない。骨と筋肉が動いていることだけが触れている足から直接伝わる。
穴の外はどこまでも続く森だった。雲の近くまで登ったヒューイの背中からは、地平線の上に乗っかる山脈が見える。ぐるりと森を囲むみたいに円を描いてどの方向にも山があった。不思議な場所だ。いったいここはイギリスのどこなんだろう。
「少しくらいは気分も晴れターっ?」
風切り音に混ざって、アルマがわたしにそう言ったのが聞こえた。
「? それって、どういう」
「見ててすぐわかったヨ。結構思いつめたような顔してたかラ」
「……そっか。お見通しだったんだ」
「まあね、あたしだってダテに人を見ては無いかラ。その人の中身くらいはすぐ分かるヨ」
ニカッと、ゴーグルをつけたアルマが笑う。
思いつめていたという内容は分かる……というより一つしかない。さっき薬屋で会ったサラさんのことだ。体が動かなくなっていくという、わたしにはどうしようもできない病気。
命のリミットが確かにあって、それ以上生きることはできないというあんまりにも理不尽で悲しい運命が、わたしの心の中でぐるぐると渦を巻いていたのだ。考えないようにしていたのに、やっぱり心のどこかで考えてしまっていたらしい。他人のはずのアルマですら読み取れるということはきっとそういうことなのだ。
「実は、」
このまま心の奥底にしまっていても良いことは何も無いような気がする。そう思って、わたしは悪間に話すことにした。彼女の病気のこと、幼い娘がいること、生きられるリミットのこと。
わたしにはどうすることもできないんだろうか。こっちの世界の医学でもどうにもできないんだろうか。残された二人は、特にミシェルは大丈夫なんだろうか。ミシェルよりも残していく彼女の方が辛いかもしれないのに、どうしてあんなに朗らかに笑えるんだろう。それに、あの人がわたしに託したかったことは一体何なのだろう……。
こんな話方をするのは久しぶりだった。いつもは結論から話してその後に理由を説明するものだから、こんなに要領の無い話方をするのは本当に何年ぶりなのだろう。思いついたことから話して、その事々にわたしの主観と感想が混ざっていて、話し方としてはゼロ点落第レベルのもの。
アルマは、黙って前を向きながらも時折頷いてくれた。一度も口をはさむことなく、こんな拙いわたしの話を真剣に聞いてくれた。
「なるほどねぇ、不治の病カ」
アルマが口を開いたのは、わたしが話し終えてしばらくたってからだった。
「どうすればいいのか分からなくて」
「やっぱり、リーナはやさしいヨ。あたしが思ってた通りだダ」
「そんなことない。わたしは結構冷たい方だと思うけど」
「そんなはずなイ。自分のことしか考えないなら、初対面の人のこと考えて悩んだりなんかしなヨ。リーナみたいな女の子、あたしは好きだナ」
否定したというわたしを、そう言ってアルマが否定し返した。そして、その話のことだけド、と言葉を続ける。
「ハッキリ言っておくけど、不治の病が完治することはまずなイ。少なくとも今の魔法の力じゃ無理ダ。だから、どうしたら治るかなんてことは考えない方がいいヨ。どうせ何もできないんだから考えるだけ無駄だシ。だったら、どうやったら〝治せるか〟じゃなくテ、どうやったら〝喜んで〟もらえるかってことを考える方が良いとあたしは思ウ」
「喜んで、もらう……」
「あたしたちエルフは人間と価値観が違うから、もしかしたらあたしの言ってることは的外れかもしれなイ。だけど、あたしだったらそうしてくれた方が嬉しいナ。だって、思いっきり笑ってる間はそのことを考えないで済むかラ」
振り返ったゴーグル越しでも、わたしに向ける目がさっきと同じ柔らかいものだと分かった。その表情を見ると、やっぱりわたしよりもずっと年上に見えてしまう。
思い返せば、会ってから今まで、一度だって負の感情を見たことが無い。ハルと絡んでいる時だって英語で話していた。別にハルの世界の言葉でもよかったはずだ。それでもこっちの言葉を使っていたのは、きっとわたしのことを気にかけてくれていたからなんだと思う。二人の掛け合いでわたしがアルマに敵意を抱かないようにしてくれていたのかもしれない。いや、きっとそうだ。
抱き着いている腰はこんなに細くて、身体はとても華奢なのに、中身はわたしよりもずっと成熟している。
「わたしダメだなぁ、やっぱりまだまだだ。アルマちゃんの方がお姉さんみたい」
わたしがしっかりしなくちゃとか、そんな気持ちはもうわたしの中にはなかった。わたしの中ではもうアルマがわたしの上にいたから。守ってあげる年下じゃなくて、こうなりたい理想になりつつあった。
「そんなことないヨ。あたしが見てきた中じゃ、リーナはとびっきり大人だゼ? こんな出来た娘なら、妹としていつでも歓迎ダ。それに、その直感は当たらずも遠からズ」
「?」
少しだけ頬を赤くしながら、アルマがイタズラっ子のような笑みを浮かべる。わたしはわたしで、言葉の真意が分からなくて戸惑う。
「あたし、おねーさんの三倍は長生きだぜ♪」
…………。
……、
…………………。
………………………?
「え……?」
聞き違いだろうか。
語尾が頭の中で木霊する。
「ハハハハハっ、エルフだって言ったロ? やっぱり知らなかったんだナー」
アルマが腹を抱えてわたしを指さしていた。
衝撃の新事実。
聞き違いでも勘違いでもなかった。本当にその通りの意味だった。
確かに、エルフは人間よりもかなり長寿で美しいと言われているけれど、それは時間の流れか違うからとかそういう理由だとずっと思っていた。だからこれは予想外だった。本気で週百年生きる種族だったとは。
ということはつまり、わたしはわたしの親以上の歳の人を子供のように扱っていたということになる。そう言えばハルも笑いをこらえているような表情をしていた。というより、あんまり話しかけてこなかったのはボロを出さないためだったのだろうか。そうすると、ふたりしてわたしをからかっていたことになって、わたしはひとり踊らされていたということに……。
――~~~~~っ‼
身体の温度が一気に上がる。顔が真っ赤になったのが自分でも解った。
妖精にからかわれるという言葉の意味を痛感した。
「じゃあ、アルマ……〝さん〟?」
「やめてくれよ、いまさらそんな呼びかたされてもくすぐったいシ。それに、君にはアルマって呼ばれる方が好きダ」
「でも――、」
「いいノ。こっちじゃ年上を敬うより役職で敬うんダ。それに、あたしはリーナとは友達でいたいから、出来るだけ対等に接してほしいナ。――おっと、そんなことより下見てどーゾ」
「? ……あっ」
強引に話を切り替えて、アルマが下を指さす。言われるがままに下を覗き込む。いつの間にかわたしたちは、森の中に丸く広がる草原の上を飛んでいた。
そして草原には、わたしが見たことのない生き物たちがいた。
沼地みたいになっている場所では、ビーバーのような姿をした巨大なネズミが群れている。湖には魚とカエルの混ざった生き物が飛び跳ねている。もしかしてあれはウォーター・リーパーだろうか。だとすると、水辺にいる馬はケルピーと特徴が似ている。
湿地帯を抜けると、白い馬が数頭草原を駆けていた。頭には角が付いていて、白い毛はここから見ても分かるくらい白銀に輝いている。あの幻獣はわたしも知っている。小さい頃に読んだ絵本の中で出てきてからずっといつか会いたいと思っていた生き物だ。
「ユニコーンっ」
「大正解。あの子たちは走るのが大好きだから、ここを使って運動させてるんダ。そんでもって周りで走ってるのがケンタウロス。あの子たちの番を手伝ってくれてル」
アルマの言う通り、周りでは褐色の馬がユニコーンたちを囲っている。馬の胴体からは人間の上半身が生えていて槍を持っているのがわたしの視力で見ることができた。
槍と言っても、使うつもりはないようだ。ユニコーンの方も彼らに気を使っているみたいで、彼らより向こうには行こうとしない。時々小さなユニコーンが森の中に行きかけて別のユニコーンに止められている。親子みたいだ。しばらく走り回ったら、満足したのか止まって草を食べ始めた。
「下で木がたくさん動いているだロ? あいつらがグリーン・マンっていって、この森で他の場所に入ろうとする子たちを押し返してル。そんで、いま見えてる五頭は後ろからタルト、ムース、スフレ、エクレア、ババロア……あれ? シフォンがいない。また脱走したのかナ」
「ふふ、お菓子の名前ばっかり」
「あー……ハハハ」
わたしがそう言うと、アルマは気まずそうに乾いた笑いを上げる。
……もしかして。
ジト目を向ける。
「あ、あたしだって本意じゃないヨ!」
あっさりと、華奢で年上な友人は白状した。
「仕方なかったんダ! あたしの名前は全部却下されるかラ」
「ちなみに、なんて付けようとしたの?」
「スーパーブラックサンダー」
「そりゃ却下されるわよ」
というよりも、どうして白馬なのに〝ブラック〟にしようと思ったんだろう。それにお菓子の名前が品切れになったらどうするつもりなのか……今度はお酒の名前とか? 流石にそれはないと思いたい。
草原を抜け、再びわたしたちは森の上を飛ぶ。その間にも、アルマとわたしは色んなことを話して、色んなことを知った。
魔法の世界にあるチェスのこと、こっちの世界でトランプにあたるカードゲームのこと。アルマの家族や妖精の国について。わたしからは、最近食べたお菓子や本の内容。特に、わたしはファンタジー系の話を多く読むからそれが正しいのか訊いてみた(たいていがデタラメらしい。だけど、地底旅行は全部が嘘というわけでもないとのこと)。
どれくらい話し込んだだろう。
《ピルルルゥ……》
不意に、少し後ろから怯えたような鳴き声が風を裂いて聞こえる。カヌレの鳴き声だ。初めて会った時の鳴き方と違って、声が少し震えている。振り返ってみると、いつの間にかわたしたちにぶつかりそうなくらい近くを飛んでいた。
乗っているハルが首辺りを撫でながら落ち着かせている。だけどそれでは安心できないみたいで、しきりに母のヒューイに向かって鳴いている。ヒューイもカヌレの方に首を向けて、落ち着かせるように鳴く。いったいどうしたんだろう。
「竜谷に近づいてるからだヨ。あの尖った山が竜谷、そこから向こうがドラゴンたちの縄張りなんダ。ヒューイ、もうちょっと高く飛んでー、そうそれくらイ」
アルマの言葉に、ヒューイが待ってましたとばかりに高く鳴く。そのまま一気に高度を上げて、雲に届くくらいで上昇を止める。
カヌレはほっとしたような目をしている。竜谷から距離を取れて安心したみたいだ。首を曲げてわたしたちの方を向いたヒューイは、少しだけ不満そうだ。もしかして、速く上がりたかったけどアルマの命令を待っていたんだろうか。
ごめん、ごめんと、アルマが首を撫でた。ぐもった声を喉の奥で鳴らして、ヒューイは前を向き直す。多分、まだ根に持っている。
「……帰ったらカヌレに特大の肉を上げなきゃナ」
ポツリと、そうアルマが独り言ちた。
森を抜け、荒涼とした山が下に広がった。草木は一本もない。さっきと全く違う環境だ。さっきまで青々と生命に満ちていた大地は、全てが奪いつくされたような風化地帯に変わった。
ところどころに、黒い鱗に覆われた生き物が見える。ヒューイよりはだいぶ小さい。だけど、トカゲのような顔に並んだ鋭い牙、握った岩を砕く爪、鋼鉄のように鈍く光る体は完全に捕食者のそれ。大きさなんか関係ないと、彼らが無言でわたしに咆えつけてくる。
あの夜の光景がフラッシュバックする。
もしかしたら、あのドラゴンもここに……。いや、だけどあのドラゴンは森の中にいたはずだ。だとしたらここにはいない可能性も高い。わたしたちが向かう場所とは別の場所にいるはずだ。
無性に寒気がした。いつの間にか鳥肌が立っている。やっぱり、いくらあこがれた幻獣だったといっても、食べられかけて好きでいられるというわけではないらしい。
もう一度下を見る。数頭のドラゴンがわたしたちに気づいたみたいで、真っ赤な目でこっちを凝視している。
「これくらいだったら大丈夫そうだナ」
すこしだけ安心したように、アルマが息をついた。同時に、わたしが抱き着いている身体が弛緩する。身体が強ばるくらい緊張していたのか。
「さっき高度を上げただロ? 大抵のドラゴンは気性が荒いから降りると襲って来るんだヨ。まあ、話が分からないって程じゃないから上を飛ぶってことは了承してくれたんだけど……明確にどこまでって基準がないから、特にワイバーンの縄張りは毎回肝を冷やすんダ。ドラゴンは八割方凶暴だからほとんどが中世の時代に討伐されたんだけど、一応話ができる部類で同意した奴らがここに住んでル」
「じゃあ、今から会いに行くのも――、」
「そそ、ドラゴン。だけど大丈夫、今から会う奴はその中でも特におとなしいかラ。ミラージュ・ドラゴンって呼ばれてて、姿を隠していたから全く人間には見つからなかった珍しい種なんダ。まあ、昨日は珍しく暴れて手が付けられなかったんだけド……」
おかげで徹夜なんだヨー、っとアルマが嘆く。確かに改めて見てみると、アルマの顔色は少しだけ悪い。それに、目の下に何か塗ってあるような跡がある。クマを隠しているんだろうか。
「見えたヨ。あそこがミラージュ・ドラゴンの縄張りダ」
そう言って、アルマはヒューイが飛ぶ先を指さした。
いつの間にか、わたしたちは荒涼とした渓谷を抜け、再び森の上を飛んでいた。アルマが指さす先には、ひときわ大きな樹が生える森があった。普通の木の二、三倍はありそうな高さだ。さしずめ巨大樹と言ったところだろうか。
だけど、それよりも気になることが一つ。
「…………」
ゾクっと、身体が跳ねる。
巨大な木々が生える森には、濃い霧がかかっていた。
「ドラゴンっていっても、みんながあんな荒れた土地に住むってわけでもなんダ。森に棲むドラゴンだっているんだヨ」
アルマがそう言っているが、わたしにはそれどころじゃない。
――あの時と同じだ。
霧、森……なぜだろう、昨日の夜を思い出す。思い返せば、あの森も似たようなにおいがしていた。匂いというより、マナの質と言った方が近いかもしれない。覚醒したわたしには、あの森が初めて行く場所にはどうしても思えなかった。
ざわざわと、胸の奥がざわめく。わたしの中で何かが警鐘を鳴らしている。もう一度同じことが起こるぞと、そう言われているみたいだ。
もしかして、今から会うドラゴンは。
あの森にあった霧は、もしかしたらこの場所の霧が……。
《ヒュゥゥ――――イ》
ヒューイが一度高らかに鳴き、カヌレも真似をするように鳴いた。それで我に返る。
いや、まさかそんなことはない。
――気のせい……だよね。
高度を下げていくヒューイの上で、わたしは微かな不安を否定した。
◇◆
だけど、悪い予感はなぜだか当たる。
青い鱗、槍のような尾、爛々と光るエメラルド色の目。
《匂うぞ。あの場にいた人間の匂いだ》
森に入って、目的地にいたのは、
横たわっていたのは、あの夜のドラゴンだった。
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