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第1章 Departure for the Fantastic World

第16話 妖精の国(3)

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 カツカツという靴音が、狭い空間に反響する。周りに明かりらしいものはなく、あるのはハルが持っている緑黄色のランプだけだ(中では火ではなく発光する石が入っている。ハルによると、これは輝煌石というらしい)。

 歩いているのは、どこまでも続く地下道。高さは私の身長の一・五倍くらいで、じめじめとした空気が閉鎖感を増幅させる。ランプの光が届かない通路の先は真っ暗闇で、その向こう側では何かがうごめいているようにすら感じる。

 草も苔も生えていない。ネズミさえいない無機質で不気味な石の通路。昨日までの私なら、ここはそうとしか見えていなかっただろう。だけど、今は違う。私の目には、生き物以外の何かがちゃんと見えている。

 まず、そこかしこに居るのが朝も見たドウパーマン。三、四人でひと固まりになって、石の陰から私たちのことを覗いている。私たちが通るときはしっかり隠れるあたり、もしかしたら怖がりなのだろうか。

 それ以外には、半透明の生物たちが見え隠れしている。ところどころにある壁の割れ目では、ミミズにトカゲの足をくっつけたようなものが出て入ってを繰り返しているし、上には羽の生えた風船みたいなものが張り付いている。縮んで膨らんでを繰り替えしているから、呼吸しているんだろうなということは解る。

 ここには、魔法寄りの生物しか棲んでいない。そもそもここはどこなんだろう。私の思考は、いまから数十分前にさかのぼる。

 付いてきて——そう言われて連れてこられたのは、港町ニューポートだった。
 ハイストリートを歩き、ハルが立ち止まったのは一軒の店。かなり老舗みたいで、看板は日光で劣化していてあまり読めなかった。中は薄暗くて、何に使うのか解らないガラクタがたくさん棚に並んでいる。この店は多分、アンティークスショップなんだと思う。

 奥から出てきたのは、この店の雰囲気とは真逆な若い少年だった。見た目だけで言えば、私とどっこいどっこい。茶髪で背が高く、キラキラとした瞳が印象的だった。ハルが彼とひと言ふた言はなすと、彼は私とハルを店の奥へと案内してくれた。

 そこにあったのは、地下に通じるはしご。そこが見えないほど深いはしごを下ること数十メートル。一本の地下道に出た。それがここだ。

 その後、降りた場所から歩くこと数十分。
 以上、現在に至る。

「この道って、いつできたの? 相当古いみたいだけど」

 ずっと静かな雰囲気に耐えきれなくて、ハルにそのことを尋ねてみた。
この地下道は不思議だ。いったい何の目的で作られたものなのかが解らない。なのに、異常なほど先まで続いている。場所と場所をつないでいるなら、一体どこを目指して伸びているんだろうか。もうだいぶ歩いているから、直線距離にすると町の外に出てしまっているような気がする。

「んー、俺も詳しくは知らないけど、通路自体は結構前からあったって聞いてる。ここまで伸びたのは……多分、ジョージ王戦争のときかな」

「そんなに前から!?」

「びっくりだろ? これで気づかれてないんだから、妖精ってすげーよな」

「じゃあ、さっきの人も……」

「あれは違う。あのひとは人間だよ。リーナ同じような人だって思えばいいよ」

 私と同じ人、というのは協力者という意味だ。

 ハルたち魔法使いにいくら隠す技術があったとしても、そもそもの話この世界の人間ではないのだから十分に馴染みきるのは不可能だ。どこかでボロが出てしまう。それを防ぐためにあらかじめ私たちの中から何人かに協力を仰いでいるらしい。

 頼むのは、当然私と同じ妖精が視える人たちだ。彼らの中には、小さいころから迫害を受けてきたという人たちも多い。妖精が視える人たちにとっては、ハルたち魔法使いの方が親しみが湧くのだという。確かにそうかもしれない。ずっと自分にしか見えなかったものを共有できる仲間が現れたら……私もだって協力的になってしまう。

 他にも、こっちの世界で先天的に妖精が視える〝魔術師〟という人たちとも連携を取っているらしいが。その辺りについては詳しくは教えてくれなかった。ハルの方にもいろいろあるみたいだ。

 だけど代わりに、そのお詫びと言ってそのほかのことは色々と教えてくれた。

 私が見えるようになった妖精は、実は私たち人間と同じように国によって統治されているらしい。火のサラマンダー・風のシルフ・水のアンダイン・土のノームの四大一族で構成されていて、人間に見つからないように生活しているんだとか。それぞれにも役割があって、彼らが密接に連携することで妖精の国は回っている。

 そしてそれを統治する長が、妖精王オベロンだ。

「いま向かってる妖精の国って、その〝妖精の国〟?」

「お察しの通り。オベロンが治める妖精たちの国のこと。この通路だって、ノッカーっていう小人の妖精が掘ったんだぜ?」

「へぇ、そうなんだ」

 雑談という名の講義は、とても有意義なものだった。

 私が気のせいだと思っていたものが、実は風の妖精たちの仕業だったり。妖精でも生物寄りの妖精たちは目を凝らせば常人にも燃えることだってあるということや、マナが充満している場所は世界でも限られていて、力場という特殊な空間を作っているということ。マナの影響は鉱物や植物など多岐にわたって、マナをため込むことで効果が変わるものが多いということ。

 いままで見えていなかった世界の話は、とても引き込まれたし、何より楽しそうに話すハルを見ているのが微笑ましかった。何というか、教会のちびっ子たちが遊んでいる時の表情になんとなく似ていた。多分、横で話す本人にそれを言うと不貞腐れるから言わないけれど(童顔であることはハルも気にしているらしい)。

 そんなこんなで、十分くらい話していただろうか。
 唐突に、

「……ここかな」

 通路の真ん中で、ハルは立ち止まった。

「ここ?」

「そう。ちょっと、目つぶってもらえる? ここからは流石に見せられないし。ほいっ、これ付けて」

 手渡されたのは、真っ黒に染められた布だ。巻き付けると、目の部分を覆えるくらいの幅がある。言われた通りに巻き付けて、頭の後ろで縛る。
 縛り終わると、私の両肩にハルが手を置いた。

「それじゃ、じっとしてて」

「っ。…………うん」

 いつになく真剣な声でそう忠告して、ハルは口を閉ざした。さっきまでとの違いに、無意識に身体が強ばってしまう。

 真っ黒な布をつけて視界がふさがれているからだろうか。聴覚が嫌に過敏になっているような気がする。自分の心音、地下道を通る微かな風、物陰から私たちを覗く彼らの足音まで聞こえる。

 数秒だったのか、数十秒後だったのか、

「よし。もういいよ」

 大きく息を吐き、後ろに立っているハルがそう言った。さっきとうって変わって、気の抜けた声だ。どうやらハルが布を外してくれているみたいで、後ろに頭が引っ張られる。

 布が外れる。
 光あふれる豪奢な廊下に、私たちは立っていた。

「……! え? あれ!?」

 まったく意味が解らなかった。状況が呑み込めなかった。
 ついさっきまで、確かに地下道の中を歩いていたはずだ。目をつぶっている間に誘導されたと考えても、それ以前に私は一歩も動いていなかったはず……。

「企業秘密ってことで」

 私の疑問はお見通しだったようだ。ハルは口の前で右人差し指を立てて、クツクツと笑いながらそう言った。

「さあ、行こう。こっち」

 唖然とする私なんてお構いなしに、ハルは廊下を歩き出した。

 私たちが歩く廊下は、例えるなら高級ホテルのようだった。時代を感じる木の色と、赤褐色の明かりがきれいに調和している。床に敷かれているカーペットは柔らかくて、足音を程よく殺してくれる。

 と、向こう側から人影が現れた。ロングコートを羽織り、深く帽子をかぶっている長身の人物。そのせいで、顔も性別も解らない。でも、すれ違う瞬間にチラリとみると、コートの下から長いしっぽを引きずっていた。その後ろを、ここ数時間ですっかり見慣れた半透明の生き物たちが追随している。よく見ると、肩にもくっついていた。

 ——そっか、ここが。

「ここが妖精の国なの?」

「正確にはその一歩手前。今向かっているのが入国ゲートに当たる場所。もうすぐだからそろそろパスポート出しといて」

「ええ」

 言われるがまま、ここへ来る前に貰った赤い手帳をポケットから取り出す。

 この手帳は、私のような覚醒者が使うものらしい。ハルの話によれば、私のように何らかの理由で魔法に関わった人物には、保護の目的でこの手帳が渡されるらしい。こっちの世界出身で妖精が視える人材は貴重らしく、妖精や魔法を人間の世界から隠すために必要不可欠らしい。

 もちろん、こうして外部から人間を連れてくることは妖精の国にとってもリスキーなことだ。でも、人間の世界では異端だと迫害される恐れがある人たちがいるなら、保護してできるだけ協力してもらえるようにしているんだとか。

 そんなことを思い返していると、前に入り口が見えてきた。扉は開いていて、その先の部屋にはカウンターのようなものが据え付けられているのが見える。そこに立っているのは、天井に頭が付きそうなほど大きく真っ黒な影。ちょうど、朝見たドウパーマンを大きくしたような見た目だ。

 ——不気味。

 入り口で立ち止まる。

「もう一度訊いとくけど、武器とか持ってきてないよね? 銃とか、軍の手帳とか」

「言われた通り置いてきたわ」

「じゃあ心配ない」

 そう言って、ハルは私の後ろに回った。

「さ。先に入って。俺は後から行く」

「え? 私から?」

 ぐいっと、背中を押されとっさに前へと踏み出す。一歩、足が部屋の中に入った。
すると、

《………………。》

今まで興味なさげに別の方向を向いていた黒い影が、くるりと首だけ・・をこっちに捻ねじった。

「…………」

《…………。》

 無言のまま、互いに見つめ合う。向こうには鼻も口も耳もなくて、人間だったら目があるはずの場所に光る丸い何かがはめ込まれている。何とか笑顔を作っては見るけれど、反応は全くない。はっきり言って、不気味だ。

 帰りたい。

 顔が引きつる。だけど、いつまでもこうしているわけには行かない。そうだ思い出せ、イーストエンドでの暮らしを。治安が悪いあの場所の雰囲気を。雰囲気だけなら、ここよりよっぽどひどかった。

 ——よし、行こう。

 意を決して歩を進める。部屋は狭いので、たった数歩でカウンターまでたどり着く。
 カウンター越しに、影と対峙した。

 と、

《—————見ナい顔ダ》

 何人もの人間が同時に喋ったような、そんな独特の声だった。

「今日が初めてです。ハル・エイダンフォード二級魔法士の紹介で来ました」

 笑ってしまうほど、声が強ばっている。

《パスを》

 右手で持っていたパスを渡す。いきなり、影の腕が伸び、パスポートを握る手ごと包み込んだ。

「————っ!?」

 冷たくてぬるりとした感触。冷えたタコが絡みついているみたいだ。否応なしに鳥肌が立つ。だけど抵抗したらもっと大変になるような気がするから必死に耐える。

 ぬらりと、腕が影の方へと縮んでいく。気が付くと手にはパスポートが無く、いつの間にか触手のような腕に絡み取られていた。器用にページを開き、影がパスポートに目を通(しているように見える)す。その後いくつかのページを確認し、ぱたんとパスポートを閉じた。

 また腕が伸びてくる。しかし、今度は腕に絡みつくようなことはなく目の前で止められる。差し出されるパスポート。私が受け取ると、腕は影の本体の中に消えていった。

《六バン通路ハ工事中。向コウ側へは〝リフト〟ヲ使うよウに》

「え、ええ。忠告ありがとう」

《右ノ通路をまっスグ》

 伸びる触手が指す通路に、明かりがともった。

 
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