『魔法使いと植物図鑑― The Mage and Magic arts Tree book ―』

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第1章 Departure for the Fantastic World

第14話 妖精の国(1)

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 朝はあまり好きじゃない。起きなければいけないから。

 元々、寝起きが良い方じゃないというのも関係しているのだとは思う。でもそれ以上に、この適度に暖かで狭い空間が好きなのだ。体温と同じくらいの羽毛布団に、優しく身体を押し返してくれるマットレス。その中で丸まって、温もりに浸る。恥ずかしい言い方をすれば、お母さんに抱かれているような気分になる。

 少しも動きたくないと瞼はわがままを言い、裏側のゴロゴロとした不快感で目を開けることを阻止しようとしている。それどころか、もう少し休んでいようぜと言わんばかりに、私の意識をまどろみの奥へ引きずり込もうとする。気を抜くとそのまま落ちてしまいそうだ。

 だけど、いつまでもそうしているわけにもいかない。なぜなら私にはやることがあるからだ。
 一度頭まで潜り込み、そこで深く息を吸う。えいや! という心の中での掛け声に合わせて、ふっ、と短く力んで勢いそのまま上半身を起こす。

 身体は思った以上にだるかった。身体中の筋肉が弛緩してしまったような感覚が少し気持ち悪い。まるで、何日も眠ってしまっていたみたいだ。昔経験した栄養失調の時の感覚にも似ている。身体が鉛のように重い。そんな感覚だ。

「んん……っ。ふぅ……」

 寝起き独特の倦怠感を飛ばすための伸び。無意識にかすれた声がもれた。

 ——……だるい。

 それでも、倦怠感はあまり消えなかった。熱はないようだし、昨日の疲れがたまってしまったんだろうか。

「いま、何時……」

 目をこすって、がさつく不快感を飛ばす。昨日のあの後、ハルと町に出る約束をした。だから疲れが残っているとはいっても寝坊はできない。年下のハルに、初日からみっともない姿を見せるわけにもいかない。時間は確か……九時だったはずだ。

 とは言っても、私が起きなければ八時半にはヴァネッサが起こしに来てくれるはずだ。来ていないということはそういうことなのだから、急ぐ必要もないか……。

 それでも、いつもの癖で枕元に置いてある懐中時計を探る。指先に触れた冷たく細長いものをつまんで引っ張り上げる。銀色の懐中時計が朝日を反射している。チカッと瞬いた反射光が目を刺す。

 竜頭を押してハンターケースを開く。
 長針は「十二」の少し先を、短針は「九」を指している。

 時刻は、午前九時だった。

 …………。
 ……。
 …………………?
 …………………………っ!?

「うそ! 九時!?」

 つまるところ、私は初日から寝坊をしでかしてしまったようだ。
 一気に意識が覚醒する。さっきまで心地いい毛布で包まれ温かかった背中が、一気に冷たくなった。
慌てて布団を跳ねのけて起き上がる。

 すると、ベッド横の棚には水差しとグラス、グラスに挟まった紙きれがセットで置かれていた。
 見覚えのないものだ。グラスを持ち上げて、下の紙を抜いて開く。

『寝かせてあげてほしいとのことでしたので、そのままにさせていただきました。エイダンフォード様はお部屋にいらっしゃいますので、準備ができたらお申し付けくださいませ』

「…………」

 ヴァネッサとハルは、私を起こすことよりも寝かすことを優先したようだ。

「はぁ、ま、いっか」

 職務放棄、命令無視、に当たるのかもしれないけれど、これは私の健康を気遣ってくれた結果なんだろう。ヴァネッサにとって私の客人になるハルにも言われれば断れないだろうし、それに私はそんなことで怒れるほど偉くなったつもりもない。とりあえず、ハルの好意に甘えたということにしよう。

 指向をひと段落させ、周りに意識を向ける。
 すると、

 ——……あれ?

 その異変には、すぐ気が付いた。

 ぐるりと部屋を見渡す。だけどぱっと見、大きく変わったところはない。家具の配置も、私物の位置も変わったところはない。変わったのは、新しい服が置かれていることくらいだ。

 ベッドから降りて靴を履き、もう一度部屋中をぐるっと見渡してみる。何度も、何度もい兵がないか見回す。それでも、やっぱり昨日と変わったところは見つからない。と言いうことは、変わっているのは私が気が付いたコレだけなのか。

 家具や部屋の模様なんて、そんな解りやすくて形のあるものなんかじゃなくて、でもいったん気が付いてしまうと、何で今まで気が付かなかったんだろうと思うくらいはっきりとした変化。どうしてこうなっているのか私にも解らない。

「この部屋、こんなに明るかったっけ?」

 ひと言で言うと、部屋中がキラキラと瞬いていた。
いろんな色のガラス片が、霧みたいに細かくなって舞っているような風景だ。それぞれの色が自分を主張するわけでもなく、でも確かに目には映っている。白一色だった陽光に、色が付いたといった方が適切だろうか。

 何が光っているのかは分からない。だけど、ほこりや虫とはまた別の何か。それだけは確かだ。
 急に好奇心がわき、おもむろに窓の方へと歩み寄る。もしかしたら、部屋の中だけじゃなくて外も同じように見えるのだろうか——そんな淡い期待を抱いて窓ガラス越しに外を見る。だけど、ガラス越しではよく見えない。窓の留め具に手を伸ばす。

 と、

「…………?」

 ピタリと、窓鍵に伸ばしていた手を止める。なぜなら、そこには小さな先客がいたからだ。

《—————っ、——。————っ!》

 そこに居たのは、〝影〟だった。
 もっとも、「影」と例えたのはそれ以外にどういっていいのか思いつかなかったからだ。

 人間の影をかたどったような容姿で、大きさは中指ほど。色はもちろん真っ黒で、その体には厚みというものが無かった。影だから当然といっていいのか、目も口も鼻もない。

 ちょうど、紙を小人サイズにカットしインクで染め上げたような風貌。だけど不思議なことに、その身体を透かして向こう側の窓を見ることもできる。不気味なのか可愛いのか、何とも形容のしがたい光景だ。そんな訳の分からない先客が窓の鍵部分に張り付き、必死に鍵を外そうとしているのだから触ろうにも触れない。

「…………えぇ……?」

 あとから思い返してみたのだが、このときこんな謎生物を前にしてここまで冷静でいられたのは、多分、向こうがこっちの存在に気が付いていなかったからだ。そうでなかったら、この時点で悲鳴を上げていたと思う。

《—————。……!》

 唐突に、謎生物がこっちの存在に気が付いた。ピタリと向こうも動きを止め、無い目でこっちを見つめる。やがて、何かを閃いたようなリアクションを取り、鍵から手を離した。

 そしてびしりと〝きをつけ〟の姿勢をし、右手をぴっと可愛らしく上げて——、

《——Hi!》

「—————っ!?」
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