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第1章 Departure for the Fantastic World
第12話 Welcome to Fantastic World !!(1)
しおりを挟む屋敷についてすぐ、少年をわたしの部屋に通した。不審な顔で少年を探るアネットたちを部屋から追い出し、扉を閉めて密室にする。
「ふうぅぅ——……」
扉を閉めて一段落。いきなりどっと倦怠感が襲ってきて、思わず大きなため息が出た。
だって今は午前三時半。ここを出たのが二時半くらいだったから、馬車で森まで行って、密猟者たちと対峙して、ドラゴンに殺されかけて、空中散歩をして、これ全てをたった一時間ちょっとの間に経験したことになるのだ。何度、死ぬと思ったことか……今ここにいるのだって信じられない。疲れて当然だ。
「だいぶお疲れみたいだ。休んだら?」
この一時間ですっかり聞き慣れた声が後ろからかけられた。
椅子に座って紅茶を飲んでいるのは、わたしを助けてくれた黒髪の少年だ。馬車の中で名乗った名前はハル・エイダンフォード。歳は十五らしい。幼く見えるのは顔つきからだったみたいだ。
それと今気が付いたことだけど、左腕全体に包帯のようなものを巻いている。だけど血で濡れている様子もないし、テーピングの一種だろうか。
「あれだけのことがあれば流石にね。でも、君を放り出しておくわけにも行かないでしょ?」
「それもそうだ」
ケタケタと、少年は無邪気に笑う。その表情はどことなく懐かしくて、教会で一緒に暮らしていたちびっ子たちを思い出す。初対面のはずなのに、どことなく親近感が湧く雰囲気をまとっている。
「一応もう一度自己紹介しておくわ。わたしはリーナ・オルブライト。一応お飾りだけど、陸軍の少尉。君のことは、ハル君って呼んでいいの?」
「うん。エイダンフォードは姓だから。それと、〝君〟もいらない」
「分かったわ。じゃあわたしもリーナでお願い。今みたいに敬語も使わないで」
「りょーかい」
呼び方の確認をしたところで、ハルと向かい合うようにテーブルを挟んで座る。これから話を始めるのだということはハルにも伝わったようで、ハルもティーカップから手を離す。
「まずは、改めてお礼を言わせて。さっきはありがとう。あの場所から逃がしてくれて」
「別にいいよ。これ拾ってくれたお礼みたいなものだし」
そう言って、ハルがわたしの持っていたペンダントをポケットから出す。さっきとは違い、ペンダントから青い光は出ていなかった。
「あ、気になってたけど。それって結局なにを指していたの?」
「こいつだよ。この鍵」
ハルが出したのは、一本の鍵だ。銀色のスケルトンキーで、持ち手の部分にわたしが付けていたペンダントと同じ色の石がはまっている。かなり小さい鍵で、手で握ればわたしの手でもすっぽり隠せてしまうほどだ。
「ペンダントはこいつが無くなった時にその方向を指すためのものなんだけど、まさかそっちを無くすとは思わなくて」
話によれば、光は鍵についている石に向かって指していたらしい。なるほど通りで、同じ石がはまっているはずだ。
「オルダーショットの骨董店にあったみたいよ」
「うぇー、そんなところにあったのか。じゃあスられたんだなぁ……失敗した」
あははは、失敗失敗と、気まずそうにハルが笑った。
森の中でのペンダントの扱いと言い、いまの鍵の扱いと言い、ハルは物の扱いが少し雑なようだ。そんなだから色々と無くすんだと思う……口には出さないけど。
「ついでに色々訊かせてもらっても?」
「いいよ。俺も話さなくちゃいけないことがあるから。そっちからどうぞ」
一瞬だけ、宙を見る。正直、訊きたいことは山ほどある。どれから聞くのが一番いいのか、どれから訊いたらハルは警戒心を抱かないのか。それを考える。何といってもハルは重要参考人だ。あそこで起きたこと全てを知っているキーパーソンだ。いくら年下とはいっても、いやでも慎重になってしまう。
小さく息を吸う。少し溜めてから吐き出して、「じゃあ、まずはわたしから」と覚悟を決めて切り出す。
「正直訊きたいことだらけだけど、まずはキミについて教えて。さっきのことといい、キミはいったい何者なの? 普通の人なんて冗談は無し」
「魔法使い」
「…………」
「この世界とは別の世界から来た、正真正銘・本物の魔法使い—————ちょっ!? 冗談なんかじゃないって! さっき空飛んでたじゃん!!」
よっぽどすごい目をしていたんだろうか。ハルが本気で背もたれに体重を掛けて、わたしから遠ざかった。ガタリとターブルが揺れた。紅茶の雫が少しだけ跳ぶ。
「……はぁ、分かってるわ」
ため息をつきながら押さえた眉間は、自分が思っていた以上に硬かった。それをほぐして、努めて穏やかな表情を心がける。
「あんな経験しちゃったんだもの、そう名乗られても否定できないわよ。未だに信じられないけど」
だって、否定のしようが無いのだから。
たった一時間の間に起こった怒涛の展開。霧の中で密猟者に出会って、ドラゴンに殺されかけて、空を飛んで……これ全てが夢じゃないのだ。夢と言えたらどれだけ楽だったか。だけど生憎、わたしはそこまで楽天的でもない。
これはすべて、紛れもない現実世界で起こったことだ。そうするならば、この騒動の中心にもなるこの少年は魔法使いくらいでないと説明が着かない。わたしの知識の中には、巨大なドラゴンも、空飛ぶ箒なんかもない。自分でも何を言っているのか正直訳が分からないけれど、それ以外の可能性を考えるとおかしくなってしまいそうだ。
どうせ真実は分からないんだから、そう考えることが精神衛生上いちばん楽だ。丸く収まる。
だからわたしは、考えることを止めた。
と、そのとき。
「……先に見せた方がいいか」
ポツリと呟かれた独り言が耳に入った。反射で訊き返す。
「どういうこと?」
「え? ああ。どうしたらすんなり信じてくれるかなって話。イマイチ信じてないでしょ」
「信じられるわけないじゃない。魔法使いなんて」
「ですよねー」
「先に見せるって……もしかしてあれ以外にまだ何か隠してるの?」
「うん、まあ一応。隠してるっていうか、隠してた場所〝そのもの〟っていうか……」
「?」
歯切れが悪そうにハルがそう言う。ハルにも上手く説明できないようで、口にした言葉を否定したり訂正したりと中々説明が進まない。出てきた情報を整理すると、鍵で開くものの中にあって、大きくて、四方八方に伸びているらしい。意味不明だ。
当然だけど、当事者にも上手く説明できないものがわたしに解るはずもない。頭の中では箱から手足が伸びたような生き物がぴょんぴょんと踊っている。
十秒ほどだろうか。うんうん唸っていたハルがあきらめた様子で立ち上がった。
「まあいいや、とりあえず見てよ。クローゼット借りていい?」
「え、本当に何するつもり? 大丈夫なの?」
「別に危ないことじゃないよ。着いてきて」
そう前置きして、ハルはクローゼットの前に歩いて行く。わたしの服が入っているクローゼットの前に立ち、鍵穴に右人差し指を押し付けながら何かをしている。
だけど、このクローゼットの中には何もないはずだ。だってこれは、何の細工もないただの鍵付きクローゼットで、他と違うところと言えばとんでもなく高価だということくらい。中に入っているモノにも不自然なものは見当たらなかったし、一体何をしたいのだろうか……。
「よし、いけるな」
取り出したのは、さっき見せてくれた鍵だ。銀色のスケルトンキー。それを入るはずがない鍵穴に差し込んで半時計側に——、
カチリ。
刺さるはずのない鍵穴から、シリンダーの回る音が聞こえた。
「え?」
あるはずのないことが、目の前で平然と起こった。
シリンダーが回ったということは、鍵が外れたということ。つまり対応しているはずのないキーで扉が開いてしまったということだ。確かにこのクローゼットは年代物だ。だけど、流石にスケルトンキーで開くほどヤワな構造はしていない。
平然と見せられたあり得ない展開に困惑するわたし。だけどそんなことお構いなく、ハルがクローゼットの取っ手を握って勢いよく開く。
「—————っ!?」
今度は、完全に言葉を失った。
だって扉の向こうにあったのは、見慣れた狭い空間じゃなかったからだ。狭くて暗くて、防虫剤と古着の臭いがこもった空間じゃなかった。木に染みついたシミだってないし、ニスがはがれた場所も見当たらない。それどころか、つい一時間前に見たクローゼットですらなかった。
扉の向こうは、知らない部屋の中だった。
この部屋の一・五倍くらいの木でできたブラウン色の空間。正面では、壁に埋め込まれた大きな本棚が口いっぱいに本を咥え込んでいる。どの壁にも扉がふたつずつあって、それぞれが別のところにつながっているようだ。
真ん中に大きなテーブルとソファーがあって、右の壁では暖炉が赤々と燃えている。燃えている炎の色は普通とは違い緑色で、投げ込まれている燃料は薪ではなくて黒い大きな何かの塊だ。緑色の炎と赤色の炎が混ざった不思議な燃え方をしている。
その前に陣取るようにして丸まっているのは、真っ黒な猫。よっぽど心地がいいんだろうか、しっぽをゆっくりと振っている。揺れるしっぽはカギ尻尾だ。猫がわたしたちに気が付いた。エメラルドのような深い緑色の瞳を細め、なーう、と鳴いて部屋の奥へと消えていった。
「…………」
訳が分からなかった。
空を飛んだのはまだわかる。何かトリックがあって空中を滑空していたのだと言われれば、なんとか納得することもできた。霧だってそうだ。わたしが知らない自然現象があると言われればそうかと思うし、ドラゴンだって新種の生物なんだと言われれば納得できないこともない。
だけど、これは無理だ。別の場所を繋ぐ技術なんか〝この世界〟に存在しないということをいやほど理解しているから。そんな技術があれば、イギリス軍の中で実用化されていないはずがない。
こんなことが許されるのは、作り話の中だけだ。魔法があって、不思議なことが起こる世界の中だけだ。
ここまで来たら、嫌でも受け入れざるを得ない。
ハルは魔法使いで、別の世界から来た人なんだということを。
「これって……」
「言ったろ? 別の世界から来た魔法使いだって」
ニカッと、いたずらが成功した子供のようにハルは笑った。
「この鍵は、俺たちが使ってるここと扉を繋げるんだ。失くしたらヤバいからって追跡用のペンダント作ったんだけど、そっち失くすとは思ってなかった」
そう言って、何のためらいもなく部屋の中へと足を踏み入れた。トンという靴音が立つ。それは、この部屋がわたしの幻覚ではなく実際そこにあるものなんだと言いうことの証明。流れ出てくる暖かな空気も、そこが現実の空間なんだと主張している。
先に入ったハルが、クローゼットの外にいるわたしの方へ振り返る。
「とりあえず中に——、」
ガチャリ、
ハルの言葉を遮るように、奥の扉が開いた。
「あ、おかえりなさい」
少し弾んだ錫の鳴るような声の主が、開いた扉の向こうから顔を出した。
明るいオレンジ色の髪をした、十歳くらいの女の子だ。着ているものは男物で、切って合わせてあるのかサイズはだぼだぼ。だけど、肌も髪も離れたここから分かるくらいつやつやで、健康状態が悪いというわけではなさそうだ。たぶん、動きやすさ重視でハルの古着か何かを使っているんだと思う。
何より、ハルに向けている表情は満面の笑みだ。それだけで、彼女の置かれている状況がひどいものじゃないと確信できた。それよりも気になったのは、彼女の頭についているものだ。
耳だ。動物の耳 (多分キツネ)が彼女の頭の上でぴこぴこと動いていた。
——わぁ、ファンタジー……。
驚きはしなかった。わたしの神経が思いのほか図太かったのか、いまのいままでで感覚が完全に狂ってしまったのか……多分後者だと思う。浮かんだのは何の取り留めもない呑気な感想だった。
とここで、少女がハルの後ろに誰かいるということに気が付いたみたいだ。
「おそうじ終わりま、し……」
途端に言葉は勢いを失くして尻すぼみに。とうとう最後まで言うことなく少女は口を閉じた。
わたしと目が合う。
笑顔が固まる。
秒で目を逸らされた。
「あ、そうだった」と呟いて、ハルがわたしに手を向け口を開く。
「こちらはリーナ・オルブライトさん。ちょっと訳あって招待した。そんで、あの子がソフィ。ここに住んでて掃除なんかをやってくれてる」
そしてわたしにも、彼女の名前を紹介してくれた。
依然としてソフィと紹介された少女は動かない。さっきまでの笑顔は完全に消えてしまって、しどろもどろになりながら床に視線を落としている。何とか顔を上げようとはしているみたいだけど、わたしの姿を見るとすぐに床に戻してしまう。
何というか、完全にわたしが邪魔をしてしまったような感じだ。罪悪感がすごい。
——とりあえず、笑顔、笑顔。
距離があるけれど、しゃがんで彼女の身長に合わせてみる。
「こんにちは」
「!!」
ビクンっと、肩が跳ねる。
「ソフィちゃんって呼んでいい? わたしのことはリーナって呼んでくれたら嬉しいな」
「え、あ、あの…………」
みるみるうちに、顔が真っ赤になっていった。
ぱくぱくと口を開けたり閉じたり、両手の指を絡めて手のひらを合わせたり開いたり。定まらない視線の先。床とわたしたちの方を交互に移動する。キツネが警戒するように、頭の耳はピンと立っている。
あいさつは逆効果だったみたいだ……。
——あー、焦らせちゃった。
すぐに分かった。
そう確信した数秒後。
「や、薬品の余りをみてきます!」
くるりと踵を返し、壁に立てかけていた箒そのままドアの向こうに引っ込んでいった。奥で何か音が聞こえる。と思った矢先にもう一度ドアが開き、腕だけが伸びて箒を回収していった。
それでもしっかりとわたしにもお辞儀をしていた。絶対にいい子だ。
「ごめん。あいつ人見知りなんだよ、許してやって」
「ううん、全然気にしてないわよ」
ハルが安堵のため息をもらす。気持ちを入れ替えるためなのか、大きく深呼吸をした。
「……入ってよ。中の方が話しやすいし」
そして、すっかり忘れていたさっき言いかけた言葉を続けた。
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