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第1章 Departure for the Fantastic World

第10話 魔法の夜間飛行(1)

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 ドラゴン——太古から悪や嫉妬、疫病の象徴とされてきた怪物の一匹。地中で自身の財宝を守り、それが盗まれると火を吹いて国中を焼き尽くすという伝承がある怪物だ。

 トカゲのような鱗にワニのような頭部、背中にはコウモリのような翼が生えていて、尾の先端は槍のように鋭く何か液体が滴っている。呼吸をするたびに背中のトゲが持ち上がり、緑色の目はわたしたち侵入者をにらみつけている。

 呼吸を忘れていた。緑の瞳に吸い込まれ、何も考えることができない。どうしてだろう、こんな状況なのに怖いという感情は湧いてこなかった。なぜだろう。あまりに驚きすぎてわたしの頭が壊れたんだろうか。それでもただ一つ、はっきりと自覚できることはあった。

 ああ、死んだ。
 1+1=2のように、その答えが瞬間的にはじき出された。

《この身の誇りにかけて、もう貴様らを許すことも見逃すこともできん》

 隠す気などさらさらない、純粋な憎悪だけで紡がれたその言葉は、再考の慈悲などないということと、これから辿る末路を嫌というほど突きつけてきた。

 思えば、あれだけ忠告はしてくれていたんだ。彼は彼なりに慈悲は持っていたのだろう。もっと早くに気が付いていれば、もしかしたらこんなことにはなっていなかったのかもしれない。

 だけどもう遅い。
 もうどうしようもない。

「あ……ああ……」

 ドラゴンへと釘付けになった視界の隅に、その場でへたり込む密猟者たちがいた。今頃になってようやく、自分たちが一体何に喧嘩を売ってしまったのかを理解したようだった。口元から泡を吹き、目玉が転がり落ちるほど目を見開いている。だけど彼らのことを笑うことはできない。だってわたしも、同じようなものなのだから。

 ドラゴンが前足を振り上げる。
 なるほど、あれで踏みつぶす気なのか……ぼうっと、そんなことを考えていた。距離的にあの密猟者たちが先だろう。わたしはその後だ。

 だけど、それを利用して逃げようとも思わなかった。逃げきれる気がしなかったから。死の直前で代わりに考えていたのは「どうしてこんなに冷静なんだろう」という、そんなくだらないことだ。

 大きく振り上げられた前足が、ピタリと空中で止められる。密猟者たち三人を、五本の爪が逃がすまいと狙いを絞っている。

《我らの平穏を侵した罪……その身で償え!》

 咆哮が上がる。
 ビリビリと電気のように鼓膜を揺さぶる。
 振り上げた前足の指が大きく開かれる。
 振り下ろす。

 刹那、



 ピイィィ———————ッ!!



 森中を、甲高い笛の音が駆けた。

 途端、

 ボンッ、と鈍い音。
 気が付くと、わたしの視界は逆転していた。

「っ!?」

 宙に投げ出された——そのことに気が付いたのは、背中から樹に叩きつけられた時だった。

「うえっ! えっほ、えほ……っ」

 どんっという重い衝撃が背中から内臓に広がり、鈍い痛みがじわじわと肺を締め付ける。反射で咳が出た。息は吐けるけど吸えない。周りの景色が灰色に見える。

 それでも、頭の中は「今この状況はどういうことなのか」ということでいっぱいだ。反射的に転がってきた方向に視線を向ける。

 地面が盛り上がっていた。
 地下で風船でも膨らんでいるかのように、ドラゴンの足元が数メートルくらい持ち上がっている。ドラゴンの足元を頂点にして、地面が大きく隆起していた。

 直後だった。地面の下から触手が飛び出した。

《ぬぅ……!?》

 それは意志を持っているかのようにドラゴンへと伸びていき、そのままあの巨体に絡みつきすさまじい音と一緒にドラゴンを地面に縫い付ける。拘束された巨体から、苦し気なうめき声が漏れた。

 しかしそれの動きが止まることはない。やがてドラゴンを覆いつくすように伸びた触手は月に向かって伸び始める。すると、触手の表面から細い何かが突き出し広がり始める。その形はどこかで見たことがあって……。

 ——そっか、木の根っこだ。
 揺れる視界の中、だいぶ遅れて理解する。

 あれは木の根っこだ。何の木かは知らないが、地面の下を這ってここまで来たんだ。
 いつの間にか、根は密猟者たちも拘束していた。呆然とし硬直する彼らの身体を這い、縄より強靭に締め上げている。少し遠くまで転がったのが功を奏したのか、わたしの身体に根は絡みついてきてはいなかった。

《なぜだ。なぜ邪魔をする!》

 恨めしそうにドラゴンが咆えた。同時に、ドラゴンの背後から人影が飛び出してきた。
 その数は十ほど。半分は鎖を持ち、ドラゴンを縛り上げる。もう半分はドラゴンを縛る彼らと目配せしたのち、密猟者たちの手、足、首に枷をはめ込み拘束した。

 たった十数秒。
 それだけで、謎の集団は完全にこの場を支配してしまった。

 ……降参しよう。
 いつの間にか、わたしはそんなことを考えていた。

 フードをかぶっていてその顔は見えない。だけどこんな訳の分からないことができるのなら、彼らもあのドラゴンと似たような存在なんだろう。

 そんな人たちから逃げられるはずない。きっと今逃げても、すぐに拘束されてしまうのがオチだ。そして密猟者たちの仲間入り。それだけは避けないと、奴らと仲間だって誤解を解かないと……。
 情けなく震える足に鞭を打ち、樹に摑まって立ち上がる。握ったままのウェブリーから弾丸を抜き、両手を上にあげて彼らの前へ……、

「——っ!?」

 ぐいっと、シャツの首根っこが後ろから引っ張られた。
 いきなりのことで足を踏ん張れずに後ろへ倒れ込む。尻もちをつくと今度は肩を押され、手を置いていた樹に押さえつけられた。ちょうど、後ろ首を掴まれて顔を木に押し付けられているような状態だ。

「動くな」

 そうわたしに命じた声は、思っていたよりも幼い少年の声だった。声変りをしていないのか途中なのか、どっちとも取れてしまうような高めの声質だ。それに気が付くと、わたしの肩を後ろから押さえつけている手だって少し小さいように感じる。

「お前の仲間は全員捕まえた。抵抗するなら――」

「わたしは仲間じゃない……っ。あいつらを追いかけてきただけ!」

 押さえつけられた肺から無理やり声を出して、とっさに否定する。
 すると、

「………………」

 少年が戸惑ったのがはっきりと解った。どうしたものかと逡巡するような気配が後ろから漂っているような気がするし、わたしを押さえつけている力も少し弱まった。

「大丈夫、抵抗しないから。とりあえずそっち向くね」

 多分、今ならこの少年一人を組み伏せるくらいできそうな気がする。逃げ出すこともできると思う。
だけど、それでは捕まったあいつらの仲間だと言ってしまうようなものだ。いまわたしがすべきことはそれじゃない。この少年に、わたしが敵じゃないと理解させて味方になってもらうことだ。

 首を押さえる力が抜ける。それを許可と受け取って、声の主の方向へと両手を上げながら向き直る。

 少年は、予想していたよりももっと幼く見えた。
 インクをこぼしたような黒い髪に、同じ色の大きめな瞳。身体つきはかなり華奢で、背丈も多分わたしよりすこし小さいくらい。異国の顔つきな気がするため正確には解らないけど、それでもだいぶ幼い方だ。見た目で言えば、多分十三歳くらい……だと思う。中等教育の二年目くらいだ。

「もう一度言うけど、わたしはあいつらの仲間じゃないわ」

「……証拠は?」

「証拠……、あっ、そうだ。わたしのペンダントがいきなり光って、それをたどってたら「ペンダント!?」

 説明を遮って、少年がそう叫んだ。そしてすぐに「やべっ」と我へと返った様子で口を抑えて、密猟者たちとドラゴンが拘束されている場所にチラリと目を向ける。向こうの状況に変化はない。少年の上げた声は気づかれてはいないようだ。

 ほっと、少年が息を吐く。何か思い当たる節があるのか、再びわたしへと向けられた瞳は心なしかさっきよりも柔らかいような気がした。

「それ、どんなだった?」

「え? ああ、えっと、いま首にかけてるのがそうだけど……」

「ちょっと失敬」

 そう言って、少年の右手がわたしの首元に伸びた。ペンダントの紐がつかまれ、そのままするすると引っ張られる。それが少しくすぐったくて、思わず首を縮める。
 ペンダントの部分が露わになった。

「……うそ」

 思わずそう言ってしまう。
 ペンダントの光は、少年を指していた。正確には、少年の腰あたりを。

 すると、

「はぁ~~~~~」

 長い溜息を吐き、少年が膝から崩れ落ちた。
 ぺたんとお尻を地面にくっつけ、光るペンダントを握りながら脱力する。肩からも手を離しているし、わたしは完全に置いてきぼりだ。

「……よかった」

 ポツリと、そう呟いたのがかろうじて聞こえた。

「大丈夫?」

「ああ、ありがとうっ。これ俺が失くしたやつだ!」

「そう、なんだ。どういたしまして」

 とりあえずそう言っておく。
 ペンダントを渡すと、少年は心底安堵した様子でそれをポケットへと突っ込む。その仕草はわたしから見るとかなり雑だ。

 多分だけど、そんな大切なものを無くすのはそんな管理だからだと思う。
 おっちょこちょいというか、大雑把というか無頓着というか……口には出さないけど。

「それで、信じてくれた?」

「もちろん……ていうより、ごめんな。こいつのせいで面倒なことに巻き込んじゃって」

「気にしてないよ。ここに来たのはわたしの意思だから」

 とりあえず信用してくれた。その事実だけでも、肩が少しだけ軽くなった。目の前のこの少年はとりあえずわたしの状況を信じてくれる味方になってくれた。

 だけど、やっぱり不安は残る。なぜならわたしは軍人で、少年たちはどう見ても表の組織ではないからだ。軍人であるというだけで少年たち側からすれば十分に脅威のはずだ。できるだけ穏便に、従順に、人畜無害な印象を与えないと……。

 と、考えていたのはこの後どうやって向こうの組織に、わたしを危険人物判定させないかということだった。もうこの時点で、逃げるという選択肢は完全に捨てていた。

 だから、

「————よし。それじゃ、」

 わたしの肩から手を外し、立ち上がって服に付いた汚れをパンパンと叩き落とす。



 少年が発した言葉を理解するのに、少しだけ時間がかかった。
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