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第1章 Departure for the Fantastic World

第9話 Evil acts have their retribution.(3)

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 」



「「「「—————っ」」」」

 ぞっとするほど冷たいしゃがれ声が、この場全員を凍り付かせた。

 怒声ではない、それほど大きな声でもなかった。付け加えれば、威圧するような言葉を使ってもいなかった。ただ単純に言葉通りの問いかけ――そのはずなのに、まるで得体の知れない怪物に目を付けられてしまったような……そんな錯覚を抱いた。

 不自然なほど抑揚が無い。言葉を発すれば自然に生まれるはずのイントネーションすらない。まるで人間の声ではないようだった。その事実が余計に鳥肌を立たせる。

 ギギギと、回す首は錆びたブリキ人形のようだ。
 視界が声の主を捉えた。

 いつの間にいたのだろう。ドミーが消えていった森の奥へと続く道、そこに立ちふさがるようにして男がひとり佇んでいた。だいぶ歳を召しているようだ。その腰は前へと曲がっていて、まとっているのは布切れといっても差し支えのないほどくたびれたローブだ。体の線は、細く弱々しい。風が吹けば勝手に倒れる……まるで柳の枝のようだ。

 爛々と緋色に光る眼さえなければ。

「何をしている、とわたしは訊いたのだが?」

 淡々と、ぼろきれをまとった老人は同じ質問を繰り返す。だけどわたしは、何も言うことができなかった。
 身体が冷たい。動悸が激しい。いつの間にか、銃口は地面を向いていた。もう一度構える余裕はない。いや、それは語弊だ。根っ子はもっと簡単だ。

 構えられないんじゃない。「構えたくない」と、身体が拒否してしまっているのだ。
 いま敵意を見せたら殺される——この細身の老人に対して本気でそう感じているから。

「……ジジイ。どうやってここに来た」

 沈黙を破ったのは、リーダーと呼ばれている男だった。努めて無表情に、こちらも平坦な声で老人に問いかける。馬鹿なのか相当の肝が据わっているのか——この状況でそんなことを考えてしまう。

 だけど、彼も何かを感じ取ってしまったんだろう。いつの間にか拳銃を取り出した後ろの部下に、右手で撃つなと警告している。ここから見ても呼吸が浅いのが解る。頬から、大粒の汗が流れ落ちたのが見えた。間違いない、彼は後者だ。今この時ばかりはあの男に尊敬の念すら抱いた。

 しかし、その乱暴な問いに答える声はなかった。
 老人が、チラリと視線を馬車へと向けた。荷馬車に積まれているのは、さっき捕えられ檻に入った小動物たち。

 それを見て何を感じ取ったのか、嘆くように天を仰ぎ、盛大にため息を吐いた。

「二人ほど人がいたはずだ。会わなねぇはずがねぇ。あいつらをどうした」

 苛立たしそうに続けられるその言葉にすら無反応に、

「…………臭い。欲望の臭いだ」

 吐き捨てるようにそう言葉を発した。
 それは、別に誰に向けたものでもないのだろう。言葉通りの意味しか持っておらず、わたしたちに返答なんか求めていない自己完結したものだった。

「答えろ」

「ここは我々の国だ。貴様ら人間とは不可侵の誓いを立てているはずだが」

「あ?」

 全くかみ合わない会話に男は思わずそう呟く。だけどすぐに、まるで逃げるように二、三歩後ろへと下がった。それは、老人が銃にまったく臆することなく一歩前へ歩みだしたからだ。

「貴様らは住処を荒すだけに飽き足らず、今度は我々をも狩るつもりか」

 一歩近寄る。二歩下がる。
 もう一歩踏み出す。男たちの背中が馬車にぶつかった。

「まったく、いつまでたっても愚かしい」

 老人はこちらのことなどお構いなしに言葉を続ける。抑揚のない言葉。意味の分からない言動。目だけが爛々と光っている。確かに思考力がある話し方、使っているのも同じ言語、にもかかわらず言っていることが一ミリも理解できない。そのアンバランスさが不気味さを掻き立てる。
 もう、語らなくてもこの場にいる者全員が理解していた。

 こいつは、普通じゃない。

「最後通告だ。それを置いてさっさと——、」



 パンッ!



 乾いた銃声が響いた。

「あっ」

 思わず声を上げた時にはすべてが手遅れ。
 ぐらりと、老人の身体が後ろに傾く。左肩から赤黒い血しぶきが吹き出す。弾丸の勢いによって二、三歩よろよろと後退し、そのまま仰向けに倒れ込む。

 動かなくなった。

「馬鹿野郎! ここで撃つなと言ったろ!」

「すいませんっ、つい」

 リーダーが初めて怒鳴り声を上げる。撃った本人も本当にとっさだったようで、しばらく自分が撃ったということに気が付いていなかった。

「クソッ、ずらかるぞ!」

 しかし腐っても族のリーダーなのか、すぐに我に返って馬車に乗りこみ、檻を固定する作業も放り出して逃げる準備を始める。
 だがそのとき、


「……ここまで」


 聞こえるはずのない、聞こえてはいけない声が、耳に届いた。

「ここまで愚かとは」

 それは、倒れた老人の声。撃たれた人間が開口一番に言うはずのない言葉。まるで何も起こってはいないのだと錯覚してしまうほど変わりなく滑らかに紡がれた。

 違ったのは、声が震えていること。だけどそれは痛みからじゃないということはすぐに解った。
 声が震えるという状況はいくつかある。ひとつは痛みに耐えるとき、ひとつは悲しい時、驚いた時、

 もうひとつは——言葉を失うほど怒り狂っているとき。

 体は倒れたまま。にもかかわらず、爛々と光る眼だけがこっちをにらみつけている。
 答え合わせなんか要らなかった。 

『やはり、ニンゲンは何も学ばん』

 ドクン——倒れ込む体が、突然風船のように膨らんだ。

『誓いを破るだけでなく、たかが数百年でこのわたしを倒せると思いあがるとは』

 ドクン——体はしぼむことはなく、あっという間に元の数倍へと膨れ上がる。来ていた衣服を吹き飛ばす。

《忠告はしたぞニンゲンよ》

 身にまとう布を裂き現れた肌は、赤黒い鱗に覆われている。
 手足は人間のものでなく、鋭い爪が地面に付き刺さる。
 背中から広がった二対の皮膚は、コウモリを感じさせる巨大な翼。
 腰あたりの皮膚を突き破り、とげのある尾が飛び出し鞭のようにしなる。

《己の力量を図ることができぬ劣等種よ》

 ミシミシと音を立て、顔が骨格を変える。それは例えるならトカゲ。
 爛々と燃える緋色の瞳は健在。

 ——ああ、そっか。

 今になって、あの眼に感じた違和感の正体にやっと気が付いた。単純な話だ。あれは、人が持っているはずのない目だったのだ。

 だってあの目は、捕食する獣が持つものだから。

《忘れたのなら、もう一度刻み込んでくれよう》

 いつしかそれは、見上げるほどの大きさだった。怒りに燃える眼で人間たちをにらみつけている。ああそうかと、自分たちが何をしてしまったのかをいまさらながらに理解した。意味不明だったさっきまでの言葉が全てつながった。

 思い違いをしていた。彼が人間だと固定概念を持っていたから理解できなかったんだ。彼は人間じゃない。その前提条件を入れさえすれば、応えは自ずと導き出せた。

 ここは、彼らの縄張りなのだ。人間の世界と隔離し、互いに不可侵を貫いていたのだ。しかし今日、わたしたち人間はその誓いを破った。そしてこの森の生き物を狩り、あろうことかこの地の主に喧嘩を売ってしまったのだ。

 ここは、人間の住む世界じゃない。
 アレは、人間が歯向かっていい存在ではない。
 そんな子供でも解る簡単なことを、わたしは今ようやく理解した。

 わたしたちが喧嘩を売ったのは——、

《わたしを……竜を敵に回すとどうなるかをッ》


 幻獣の長、〝ドラゴン〟だ。
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