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第1章 Departure for the Fantastic World

第8話 Evil acts have their retribution.(2)

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「これは、一体……」

 御者台(馬だけでいいといったのに、強引に馬車を用意されてしまった)から降りた使用人が、唖然とした様子でそう呟いた。それ以外に言葉を発しない。見ただけで動揺しているのが解った。

 なぜ? とは訊かなかった。だって目の前の〝これ〟は、この場所の地理に詳しくないわたしにも普通じゃ起こらないことだとすぐに解ったからだ。

 森の霧に、

 例えるなら、霧のトンネル……といったところだろか。森全体を霧が覆っていることは変わらない。だけどいま目の前には、ぽっかりとくり抜かれたような穴が森の奥に続いている。

 霧は、水分を含んだ空気が露点温度まで降下した時にできる。つまり雲と同じでつかむことも形を変えることもできない。だから、こんなにきれいな円状にくり抜くなんてことは不可能だ。しかもそのトンネルは風が吹いているにも関わらず、形を崩すことなくそのままの状態を保っている。

 異常だ。普通に考えたらあり得ないことだ。そして、ペンダントの光はこの奥を指している。
 なるほどつまり、このトンネルの奥に行け、ということだ。

「————よし」

 覚悟を決める。
 確かに、このトンネルは不気味だ。奥に行けば間違いなく何かが起こると確信できる。だけど、そうも言っていられない。第一、このトンネル自体がいつまで形を保っていられるか分からないのだ。それに、このペンダントの光だっていつまであるか分からない。朝になったら消えてしまうかもしれない。

 行くなら、今しかないのだ。

 腰に付けたホルスターを触る。かなり重い金属の塊は、士官用拳銃〝ウェブリー・リボルバー Mk.IV〟だ。大丈夫ちゃんとある。それに換えの非常用カートリッジも持ってきている。チャンバー内の六発と合わせて最大で十二発。これだけあれば何かあっても対処はできる。少なくとも、外傷では死なない。

「お嬢様、いけませんっ。危のうございます!」

「大丈夫。こう見えてもわたし、鼻が利くの。しばらくここで待ってて」

「お嬢様!」

 必死で止めようとする使用人を振り切り、霧のトンネルへと足を踏み入れた。


 ◇◆


 森の中は、見たことが無いほど静まり返っていた。

 虫の音は一切聞こえない。木々も、侵入者を嫌っているかのように生気を感じない。まるで、森全体がわたしという侵入者を拒絶せんとしているように感じて仕方がなかった。

 霧のトンネルは、ずっと森の奥へと続いている。中に入ってみて気が付いたことだが、木々がこのトンネルをアーチのように囲っている。まるで、元々この場所に生えていた木々がこのトンネルを作るために左右に動いたように錯覚する。それに、樹の種類も豊富で自然林のよう

 そんな不思議なトンネルは、分かれ道になることもなくまっすぐ一方向に伸びている。そして、左手の平にのっけたペンダントの光も、相変わらず道の向こうを示している。

 何かある——そう確信したのは、何気なく足元を見た時だった。

「轍……馬車が通った? それも新しい」

 伸びる道の真ん中――足元に視線を落とせば、そこには地面が細長く抉れたような跡が残っている。加えて、その内側に散らばる蹄の跡。数は馬一頭分。
 間違いない。これは、馬車がここを通ったということだ。

 地元の人間でも入れないような森に現れた霧のトンネル、狙ったようにそこを通った馬車の跡、その奥を指し続ける左手のペンダント……もうここまでくると怪しさしかない。

「————。」

 歩くこと数分、
 急に霧が晴れた。

 さっきまでの視界不良が嘘のように、霧がきれいさっぱり消えてしまう。まるで、たまったほこりがバケツの水で洗い流されたみたいだった。

 目に入ってきた景色は、さっきまでいた場所とは全く別物だった。

 さっきまで、わたしは暗い視界不良の森の中を歩いていた。霧がかかってはいたが確かに慣れ親しんだ木々に囲まれた空間だった。それがどういうことだろうか、いま目に映っているのは月光の指す開けた草原だ。

 明るすぎる。月光が指しているということもあるのだろうが、決してそれだけではない。足元に生える草の一本一本が、まるで蛍のように淡い光を放っているのだ。ガラスのように透き通った緑の草花が、月光を浴びて薄緑色に光っている。まるでガラス細工の花を地面に刺したような光景だ。その花弁からは、吸い取った光が蛍のように飛び立ち空へと昇っていく。

 ここが終点なのだと、ペンダントを見なくても理解してしまった。

「……きれい」

 思わずそう呟く。
 それはまるで、おとぎ話の世界に紛れ込んでしまったよう。ほんの一瞬だけど、確かに自分の目的を忘れて見入ってしまう。

 しかし、
 その雰囲気も、この場にそぐわない場違いな存在によって現実に引き戻された。

 ガラスの花たちを踏みにじって作られた轍。それは、すぐ目の前で終点を迎えていた。そこにあったのは一台の馬車。荷物が見えないように幌が張られ、中にはいくつかの檻。一頭だけで繋がれた黒い馬が、我が物顔で足元の草を食んでいる。

 見るからに怪しい。突然現れたトンネルに、この場所で繋がれている馬車。この二つの間に何の関係もないとはどうしても会燃えなかった。

 ペンダントに目を向ける。伸びる光は馬車の方を指している。さっきと違うのは、段々と小刻みに揺れ始めたということだろうか。

 ペンダントを服の内側にしまい、腰のホルスターからリボルバーを取り出す。そして、どうしたものかと考える。

 ――絶対、あの馬車には何かある。でも……御者がいない。いったいどこへ? 近づいてみるのも手だけど、もし馬が嘶いたら……。

 逡巡する。
 そのとき、

「いやぁ、大収穫だあ!」

「!?」

 突然聞こえた、間延びする男の声。
 とっさに近くの木々に身を隠す。半身になって身体を樹に押し付け、半分だけ顔を出して向こう側を覗く。聞こえたのは森の中から。ざくざくという足音と共に、話し声はどんどんと近づいてくる。続いて、ぼそぼそと話す男の声も聞こえてきた。

「あまり揺らすな。お前は肝心なところで失敗するだろう」

「大ぁーい丈夫だってぇ。自分の罠にかからなかったからってひがみすぎぃ」

「ひがんでねぇ。稼ぎ山分けだから注意してるんだろうが」

「はぁーいはい」

 現れたのは、二人組。間延びした話し方をする見た目二十代ほどと、眼鏡をかけた仏頂面の三十代ほどの男だ。どちらも両手で抱えるほどの檻を二つ重ねている。違うのは、間延びした方の檻には動物が入っていることだ。

 リスよりもふた回りくらい大きく、全身の毛が真っ白な小動物。背中に赤い線が入っていて、その部分をハリネズミのように逆立てて威嚇している。だけどかごを揺らすと、弱々しく倒れ込んだ。
 馬車にたどり着いた彼らは、荷台にそれを押し込み布で覆い隠した。

 こんな夜更けに、わざわざこんな場所で、こそこそと罠を張って猟をしている……十中八九、こんなことをやっている奴らがまともであるはずがない。恐らくあの動物たちは闇オークションにかけられる。ということは、目の前の奴らも闇オークションに関わっている可能性が高い。狩猟関係の法律はあまり詳しくないが、こんなことをしているのだから間違いなく密漁だろう。

 服の胸元を引っ張り、光が漏れないようペンダントを覗き見る。光線が指すのはあの馬車の方向。だとすると、あの馬車の中に何かがあるのか……いずれにせよ、捕まえてみる価値はあるかもしれない。

 ホルスターから、《ウェブリー・リボルバー Mk.IV》を引き抜く。弾丸はすでに装填済みだ。ダブルアクションであるため、少々固いが引き金を引くだけで弾が出る。おそらく、二人程度なら十分に制圧が可能なはず。

 ——でも、これ以上増えたら……。

 しかしそれを考えると、不用意に出ては行きにくい。
 もう二、三人増えても、制圧自体は可能だとは思う。だがそれは、不意打ちの先制攻撃をすること前提だ。銃で脅しながらの連行には不向きだし、何よりも、撃って制圧してしまうと森を出る前に何人か死人が出てしまう。もし彼らが無実だったときの可能性も踏まえると、それはあまりにリスキーだ。

「おぅ、ドミー、マイルズ。首尾はどうだ?」

 こういう時は、決まって悪い予感が的中する。
 案の定、もうひとりが森の中から姿を現す。その後ろに追加でもう二人。以上、占めて五人。

 出ていく機会を逃した。

「リーダーぁ、俺は二つともかかったよぉー。マイルズはハズレぇ」

「『さん』を付けろクソガキ。何でテメェはそう勘だけは良いんだ」

「そう怒ってやるな。いつものことじゃねぇか」

 新たに表れた三人の手に抱えられた檻にも、中にはまた別の小動物がかかっている。それらを荷馬車に乗せ、動かないようにロープで括り付けられている。中の動物たちはぐったりとして動かない。もしかしたら、クスリを盛られているのだろうか。

「しっかし、なんとも妙な生物だな」

 マイルズという男が気味悪そうに檻の中の小動物を眺める。

「一匹売れば俺たちが数年遊んで暮らせる額だそうだ。逃がすんじゃねぇぞ」

「時間まだあるしぃ、もうひとつ捕りに行ってもいーい? リーダーぁ」

「行ってこい」

「ひゃっほぉー!」

「……注文の品はちゃんと運んだんだろうな?」

「もちろん。数日内には角折って倉庫の中に入るはずです。暴れて大変でしたよ」

「ならいい」

 ニタニタと笑うドミーの代わりに、仏頂面でマイルズがそう答える。リーダーの許しが出ると同時に、ドミーという男は奇声を上げながら嬉々とした表情で森の奥へと戻っていく。

 一瞬だけ時が止まり、呆れたように残り全員がため息を吐く。リーダーが、荷馬車に乗っていた二人の内黒いコートを羽織っている方に「おい」と声をかけ、ドミーの走っていった方向を顎で指し示す。こくりと男が頷き、馬車から降りてドミーの跡を追いかけた。それを確認したのち、残りは作業を再開する。

 人数は、再び三人になった。

 ——……これなら何とか。

 多少乱暴ではあるが、十分制圧できる。

「————っ」

 リボルバーの撃鉄を引き上げる。
 カチリという固い音を立て、撃鉄は固定される。

 たったそれだけ。形が変わるとか、分かりやすく色を帯びるとかそう言ったことはない。撃鉄を引く――それだけで握った鋼鉄の塊は狂気をはらんだ殺人マシンへと変貌した。

 死角となる場所から飛び出し残った三人と対峙する。
 銃口はリーダーと呼ばれた男の方へ。

 向こうもこちらの存在に気が付く。だが遅い。

「全員動————、」







「「「「—————っ」」」」

 ぞっとするほど冷たいしゃがれ声が、この場の全員を凍り付かせた。
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