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第1章 Departure for the Fantastic World
第4話 左遷と友人からの贈り物(3)
しおりを挟む時は少しさかのぼり、リーナがウォーレンのいる部屋から退出して少ししたころ。場所はその部屋の中。
「……はぁー……、やっと行ったか」
足音が扉の向こうから聞こえなくなり、ウォーレンは大きく息をついた。ようやく出て行ってくれた、まず初めに浮かんだ感想はそれだった。
引き出しから紙巻たばこを取り出し、一本引き抜いて火をつける。葉巻ではない。五分程度という短時間で吸える紙巻の方がウォーレンにとって好みだった。しょっぱさと香ばしさが混ざったような味がざらざらと舌を撫でつけて肺に入ってゆく。
ふぅー……、と煙を吐き出す。紫色の靄がウォーレンの周りを漂いだし、シガレットの先から出ているものと混ざり合う。赤い色で煌々と燃えながら、十ミリシガレットの巻紙が灰になっていく。二、三度吹かすと、たまっていた疲れが煙と共に吐き出されていくような気分になる。
何の気なしに肩と首を回してみる。ゴキゴキ、パキキというあまりしてはいけない音で首が悲鳴を上げた。肩の力を抜く。それでも身体が強ばっているのが分かった。頭も重い。よっぽど疲れがたまっているようだ。
この症状は、彼女と――リーナ・オルブライト少尉と過ごすと特に顕著だ。おそらく、彼女のまとっている空気の所為だろう。壁があるというか、冷たいというか、仕事以外のことでは不必要にかかわってくることがなかった。貴族というだけで言い寄られることがあるウォーレンにとって、その対応は願ってもないことのはずだった。だが、あそこまで何もないと流石に調子が狂った。
機械を相手にしている、とでも言えばいいのだろうか。正しく接すれば期待通りの答えが返ってくるのだが、それ以上はない。食事に誘おうとも予定が入っていると断られ、仕事以外の話を振っても必要最小限のことしか話さない。しかもそれを懇切丁寧な態度で話されるものだから、その態度を無礼と言ってしまえば普段の自分は一発アウトだろう。とは言え、齢三十二になる男に言い寄られてもいい気はしないのかもしれないが。
ただただ話し方に冷気を帯びているというか、無機質だ。仕事以外のことはしない、スペック以上のことはできない、機械を人間にしたらこんな感じなのだろうというのが彼女だ。
だから、今回の移動の件も黙って了承するものと思っていた。しかしここに来て初の反抗。それも初期のころにウォーレン自身が言った台詞を盾に使ってだ。正直、いつ爆発するのか日ごろから心配になっていたのだ。彼女から漏れ出てくる感情に気が付いてしまうと、無下にもできなかった。ありがたいことに結局杞憂に終わったが。
それにしても、考えれば考えるほど彼女のことが解らなくなる。なぜ彼女がここにいるのか。彼女がウォーレンのところに配属されて(半ば押し付けられて)来てから暫くだが、どれだけ経っても理由が判らない。
リーナ・オルブライトという少女は、聞けば聞くほど不思議な経歴を持っている。
生まれは、スラム街と言ってもいいロンドンのイーストエンド。周りと何ら異なることもなく、彼女の家も決して裕福とは言えない家柄だったはずだ。父親はいないと聞いている。病弱な母が死んだあとは幼少期を孤児院で過ごしている。
そして何があったのか、十二で上流階級であるオルブライト家に養子として引き取られている。その後これまた何が起こったのか、十七で王立陸軍大学に入学。裏で何が起こったのかは知らないが一年弱でとりあえずは卒業(そもそも本当に籍があったのかは疑問だ)。そして一応少尉という階級に昇進して今に至る。
見れば見るほどに不思議な経歴で、未だになぜ軍に入ったのかが分からない。どうせなるなら警官の方がなりやすかったはずだ。最近、女性警官を入れてはどうかという話がされていると噂で聞く。
ましてリーナという少女は、ひいき見ずとも容姿端麗なのだ。整った顔立ち、金糸のように細く艶やかな長髪、澄んだガラス細工のような碧眼。婿相手には困らないような容姿だ、実働部隊として動かすよりも広報として使った方が良い。だとすれば、やはり女を受け付けていない軍よりも、警官になった方が待遇は良かったはずだ。
――本当に、なぜここに来たんだ……。
答える者はいない。その疑問をぶつけるのに最もふさわしい相手は、今しがた追い出した。残り三分の一になったシガレットを灰皿にこすりつけて火をもみ消し、二本目に火をつける。煙を吐きながら、何の気なしに上司とのやり取りの場面を思い出していた。
正直に言えば、この話が来た時ウォーレンは断ることができた。この人事を持ってきた上司は、制服組の中でも話の分かる者だった。自分には現場のことが解らないからと、白羽の矢が立ったリーナの直属の上司というだけで、ウォーレンに話を聞きに来たのだ。あのとき何か適当な理由を付けていれば、リーナから矛先を移すこともできた可能性は高い。
だが、ウォーレンはあえてそれをしなかった。それは、ウォーレンなりにもリーナという少女とその環境に思うところがあったからだ。
一向に相談してはこないが、彼女の置かれている環境は決して居心地の良いものではないはずだ。今はまだそのことをおくびにも出さないが、あのままではいつかきっと限界が来てしまうことは彼女以上に想像ができた。女であるというだけでも異物として見られる上に、軍の、それも制服組候補生同士の嫌がらせはなかなか応えるものだ。
今回の転属は、いい休みとなるだろう。申し訳ないが、彼女が向こうに着くころには子供は死んでいるだろう。この少女のことだ、やらなくてもいいほどのめり込みはするだろうが、それでも同僚からの嫌がらせからは解放される。だがそれだけでも、心の安寧を取り戻すことくらいはできるはずだ。期間は、ちょっとしたバカンス程度で戻すことを考えておく。
これは、単に厄介払いがしたかったためだろうか。それとも、軍に入る前からの知り合いであったリーナという少女に対しての情だろうか。
彼女の家が管理しているカントリーハウスがワイト島にあったことを思い出しながら、ウォーレンはしばらく煙に囲まれ自問自答していた。
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