異世界幻想曲《ファンタジア》

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第二章 世界樹と咎人

第2章ー7 握手はまた、その時に 2

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「あなた――軍に入る気はありませんか・・・・・・・・・・・・?」

 時が、一時停止した。

「…………はい?」

「引き抜きですよ。スカウトです」

 気が付くと、レグは何事もなかったのように椅子に座っていた。
 服の乱れはなし。あれほど無理な体勢を取ったにもかかわらず、戻るときの音さえもしなかった。

「え、えーっと。あの、どうして俺なのかイマイチ解らないんですけど……」

 イマイチどころじゃない。はっきり言って、全く理解不能だった。
 確かに俺は、この世界でもそこそこ強い部類に入っているという自覚はある。それは、俺だけではなくミレーナとルナからもお墨付きをもらっていることだ。だけど、レグが求める人材かと言われれば否と答えることしかできないはずだ。

 魔法が使えない。魔術が使えない。近接戦闘ができるといったところで、本職の騎士たちに勝るとは到底思えない。むしろ、なぜ雨宮に声をかけないのかが不思議なくらいだ。

 しかし、

「理由の一つは、あなたの能力です」

 レグが提示したものは、俺が真っ先に否定したものだった。

「予測でしかありませんが、あなたの戦闘法は自身のオドと大気中のマナを干渉させて切断力を上げる――っといったところでしょうか。それも、筋肉を強化したり魔法や魔術を剣にまとわせるのではない。本当に、純粋な攻撃特化の戦闘法です」

「――――」

「単純。それでいて、真似ができる人を私は知らない」

「ですが……どうしてそれだけで」

「『それだけ』だからですよ」

 俺の言葉を強引に遮り、レグが答えを提示した。

「魔法や魔術……ここでは魔法に統一しますが、あれは大気中のマナだけでなく瘴気の濃度も影響してきます。つまり、瘴気の濃度が高い場所では制御しきれない可能性がある。あなたもそれはご存知でしょう」

 ――逸れた。瘴気が濃すぎて制御が利かない――

 ミレーナの言葉が、脳裏によみがえった。

 レグが遠回しに何のことを言っているのか、すぐに理解できた。レグが言っているのは、二週間前の迷宮攻略戦のことだ。

 あのとき、ミレーナという最高レベルの魔法使いでさえ瘴気の濃度が濃すぎて魔法が暴発する可能性があったのだ。つまり、ミレーナ以下の魔術師では、高濃度の瘴気下では暴走する可能性が極めて高いということ。

「ですが、」と、レグは言葉を続ける。

「あなたのそれは、瘴気の影響を全く受けないものだ。そもそも、瘴気があろうとなかろうと関係ない機構をしているのです。つまり、あなたは自分が動ける環境であるならどこでだって戦える。あなたの相棒よりもよっぽど価値がある。これほど重宝する戦力はない」

「そう、なんでしょうか」

「自覚は無いようですが、そうなのですよ。それに、理由はもう一つあります」

 そう言って、レグは口に運んでいた紅茶のカップを置く。そして、まっすぐに俺を見つめた。

「これこそ私の勝手な推測ですが、おそらくあなたは少しばかり異常です」

 言葉の意味が、理解できなかった。
 なぜ? とかそういう次元ではなく、それが俺のことを指していることすら気が付くのに数秒の時間を要した。

「目的達成のために手段を問わない、といった部類ではないですが。あなたはあらゆる手段を考え、そして方法が見つかれば、決してあきらめることをしない。『自分のことなど気にせずに』です。それも狂気的なまでに」

 試してみましょうか――そう言って、レグは一冊の本を取り出した。
 かなり古い本だ。それに保存状態が良くないせいか、表紙はかすれて全く読めない。かろうじて解るのは、何かの魔法陣が描かれているということくらいだろうか。

「この本、何が書いてあるか知っていますか?」

 首を横に振る。もちろん、知るはずがない。

「これに書かれているのはですね、」


「召喚魔法陣です」


 ――⁉

 ガクンと、身体の動きが止まったところで我に返った。

 無意識に、俺はレグ大尉へと詰め寄っていた。手はまっすぐに伸びきっていて、指先の目指す先はもちろんレグの手の中にある資料。

 しかし、俺の手は届くことはなかった。俺がこうすることを見越していたようで、レグは本を持った右手を高く上げていたのだ。

「ほらやっぱり。目の色が変わった。あの時と同じ目だ・・・・・・・・

 嘘です、そう言われてやっと現実を見ることができた。そんなに都合よく事が運ぶはずがない、そのことにやっと気が付いた。

「だからですよ」

 その顔は、狂気そのものだった。

「どこでも戦えるというその特殊な力。そして、命を天秤にかけるという常人から外れた執念。だからこそ、私はあなたがほしい」

 まるで、絶食後目の前に大好物が現れた時の肉食獣そのものだった。
 三白眼だったはずの目は大きく開き、その中は爛々と光を湛えている。目の前の大尉には蛇という印象を抱いていたが、蛇が捕食する瞬間の顔とは、今この瞬間のこれをいうのだろう。

「もちろん、さっきの言葉はすべてが嘘というわけではありません。私についてくれば、あなたがその情報を手にできる可能性は飛躍的に高まるはずです。そのことは私が保証しましょう」

『闇の取引』という言葉は、まさに今この光景を表現するときのものなのだろう。

 対面する男の目は捕食者のそれで、俺を逃がさんとばかりに目をそらさない。そして、眼下にあるのは差し出された右手。それはもちろん握手を求めるもので、それをするということは当然彼の申し出を受けるということになる。

「どうです、私とともに来ませんか?」

 不思議と、彼は嘘を言ってはいないと確信できた。こんな見た目で、こんなに胡散臭い言動をしていても、その直感は決して揺らがなかった。

 確かに、大尉の言うことは正しいし、その通りになると納得できた。
 仮にも、国王直属の騎士団の一人なのだ。そう言った場所へ入る機会もあるのだろう。加えて、そういった情報が手に入る任務も行うことがあるのだろう。なぜなら、迷い人というのはどの国にとっても重要なサンプルであり戦力になるからだ。

 技術面でも、戦闘面でも、この世界の規格からは外れた者が多い、それが迷い人。たとえはずれを引いたところで、外交カードにするなり色々と利用価値があるに違いない。
 つまり、俺は彼にこう言われているのだ。

 国家の犬にならないか――と。
 望むものはできるだけ譲歩するし、要求もできるだけ飲む。だから、国家のために尽くしてくれと。

 だからこそ――、

「――せっかくですが、お断りします。受けたくないです」

 出した答えは『NO』だった。

「ほぅ、予想はついていますが、理由をうかがっても?」

「大尉に付いて行くということは、俺にもそう言った仕事があるかもしれないってことでいいんですよね?」

「そういった、とは?」

 国家のために動く、それも俺にできることは戦闘のみ。それも白兵戦。だとすれば、軍に入る以上避けて通れないものがあるはずだ。

「人を殺す仕事です」

 人殺しの任務。

「……そうですね。そう考えていいでしょう」

「だからお断りします」

 だからこそ、俺は受けることはできないし受けたくないのだ。

「確かに、元の世界に戻る手掛かりを得るためには手段を選んでいられないかもしれない。だけど、俺はそこまで決心できてないんですよ」

 ただ単純な話だ。俺には、人を殺す覚悟はない。

「あなたは、俺が諦めないって言いましたけど、そうはならないような気がするんです。もし仮に仲間の命がかかってしまったとして、それでやらざるを得なくなったとしても……多分俺は、……壊れると思います」

 彼らを殺して、未来の幸せを奪って、それを自分の為と割り切って生きていくことができない。その感覚がこびりついて、きっとどこかで壊れてしまう。その確信がある。

「人を、殺したくないんです」

 あの日からずっと、俺は夢でうなされている。俺に忘れるなとでも言うように、葵の泣きそうな顔が浮かんでくる。夜中に跳び起きるということが、今でもたまにある。

 もう五年以上たっても、あの夢になれることができない。

「この世界では弱みになるとしても、自分の命が危うくならない限りそういう手段はとりたくないんです。ただ単に怖いんです。俺が、俺じゃなくなる気がする」

 人をひとり不注意で失くした。それで、俺はどこかが壊れたような妙な感覚が消えなくなった。そんな奴が、もし、自分の意志で他人を殺めてしまったとしたら……。

 多分、俺ではない何か『別のモノ』になる。

「だから、すいません。その誘いは受けられません」

 この世界での人殺しを否定することはできないと思う。日本よりもはるかに命が軽い国なのだ。そうでもしなくては守れない命もあるし、その行為によって保たれている平和もある。

 臆病と呼びたいなら呼べばいい。
 腰抜けだと思われてもいい。

 それでも、

 人を殺すことが――――こわい。

「………そうですか。それなら仕方ないですね」

「え、あれ?」

 彼の反応は、予想していたよりもあまりにあっさりしたものだった。

「もっと食い下がる、と思いましたか?」

 思わず縦に振る。クククと、レグ大尉は笑う。

「あなたの考えはもっともです。それを否定することは私にはできない。それに、脅して従わせたところで、あなたがそう考えているうちは私が求める戦力としては使えない。ここであなたに嫌われるようなことにもなりたくはありませんからね」

 ここは私の奢りです――そう言って、レグが立ち上がる。話は終わりとばかりにコートを着直し、同じく立ち上がった俺と対面する。

「それでは、また会いましょう。あなたはあなたの道をお行きなさい。考えが変われば、いつでもお待ちしています」


 握手はまた、その時に――。
 彼の姿は、明るい繁華街の人ごみへと消えていった。

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