異世界幻想曲《ファンタジア》

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アルトレイラル(迷宮攻略篇)

オレの勝ちだ 5

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 熱い。

 体中が、バーナーで炙られているかのように痛い。前に試したときはこんなことはなかったのに、もしかしたら何か間違っていたのだろうか。

 ――……軽い。

 だが、身体は異常なほど軽い。足先にかかる体重は、とても全体重とは思えないほど軽く、柔らか。身体に当たっているはずの風は、まるで実体がないようにすり抜けていく。空気抵抗という概念がなくなってしまったかのようだ。

 身体を動かす感覚は、ゲームのアバターを動かしているときと変わらない。むしろ、こっちの方が融通が利くかもしれない。

 チラリと、取り換えた計測器を見る。そこにはめられている晶石は、先ほど取り換えたにも関わらずすでに濁り始めている。完全に染まりきるまで、持って五分といったところだろう。長期戦はできない。でもそれでいい。元よりするつもりなんかない。

《ガァァァァアアアッ‼》

 ヴィンセント・コボルバルドが咆えた。技後硬直から抜け出し、その視線はまっすぐ俺へと固定される。咆哮と共に背中へと巨腕が回っている。そこに刺さっているのは、かつてこいつを追い詰めた戦士たちの得物。それがひとつかみ抜き取られる。その右腕を、可動域限界まで引っ張っていき、

 真っすぐ見据えた俺に向かって、一気に投擲した。

 長剣が。斧が。盾が、槍が、弓の矢が、乱暴な軌道を描き暴力的な速度で飛来する。そのすべてを、灰色の世界で視認する。

 ――直撃しそうなのは四つ。

 抜き放った黒刀にオドを込める。世界樹がオドを吸い、走った後には青白い粒子の線が残る。

 地面をひときわ強く踏み込む。全身の骨が軋みを上げながら、身体が前へと打ち出される。斜め上から降ってくる錆びだらけの武器が、一気に肉薄する。そして、一気に身体をひねり刀を唸らせる。

 カタナスキル・四連撃・《突旋ツキツムジ》。直進を続けながら、飛んでくる狂気を弾き飛ばす。真正面から叩かない。側面を切りつけるような斬撃が、飛来物の起動をわずかにずらす。それは、たかが十数センチ。しかしそれだけで、俺の身体が進む道が出来上がる。ヤツの懐に入り込める。

 ――……来る!

 身体を限界まで倒し、転倒直前の体勢で疾走する。真横から、ものすごい勢いで左腕が迫る。そのときにはすでに、身体はその攻撃を捌きにかかっていた。死角からの攻撃――初見では絶対に対処不可能な攻撃を、身体は紙一重で切り抜ける。

 巨腕が服をかすめた。竜巻のような突風が巻き起こり、強烈な力で渦へと身体を引きずり込む。流れに逆らうことなく真後ろの発生源へと軽く跳躍。後ろを振り返らずに足を伸ばす。

 ダン! という強い衝撃が両足裏に伝わる。まるでそれを知っていたかのように、両足は前へと思いっきり跳躍する。突風を逆に利用し、勢いを増してそこから抜け出す。そのまま懐へと一気に入り込む。目の前で現れては消える大小さまざまな輝線。その中で腱に当たる部分を思いっきり切り裂く。

「――――⁉ 痛ッ‼」

 途端、腕に激痛が走る。しかしその直後、痛みは掻きむしりたくなるような感覚に取って代わられる。現実時間にして約二秒。それだけで、腕の不調はきれいさっぱり消える。

『火事場のばか力』ということわざを聞いたことがあるだろうか。簡単に言えば、脳は常に八割の力しか出せないようにリミッターをかけている。それが、緊急時には外され百パーセントの力が出せるのだ。

 そして、それはオドにも同じことが言える。俺たちの身体は、普段はオドの瞬間放出量を制限しているのだ。しかしこっちのリミッターは、死の直前になったときくらいにしか解除されない。この丸薬の効果はつまり、そのリミッターを意図的に解除する薬だ。ミレーナから学んだ錬成術。そこに位置する魔法薬学を用いて作った唯一の戦闘手段だ。

 ――速く、速く。もっと速く。もっと強く!

 通り過ぎて急反転。的の輝線に急加速。その位置で急制動、慣性を無理やり殺し次の目標を探す。それは、常人にはまず無理な軌道。サーカスの曲芸師はもちろん、最新鋭の小型ロボットでさえもまねできないほど極端な、弾むスーパーボールでも見ているような動き。

 斬って避けて、急停止の後急加速。重要な位置ばかりを狙った斬撃は、ヴィンセント・コボルバルドの身体に癒えぬ傷を負わせていく。攻撃の勢いが弱まり、わずかながらに速度が落ちる。その代償とでも言うように、俺に身体にも激痛が走りそれが癒えるというサイクルが繰り返される。

 ここまでで、何十秒経っただろうか。その思考が浮かんだ途端、背中に冷たい感覚が走る。〝残り時間〟その概念が頭をよぎる。

 この丸薬は、俺が唯一つかえる『白兵戦闘』の幅を大きく広げている。死角からの奇襲、攻撃からの離脱、相手を上回る高速移動。そして、異常なほどの回復能力。まだまだ思い通りに身体は動かない。だがリミッターを解除し、火事場のバカ力を任意に行使できるのだ。デメリットを差し引いてなお、それは大きなアドバンテージになる。

 だが当然、そんなものがノーリスクなわけがない。

 そもそも、こんなに便利な能力があるのなら常時使えるようになっているはずだ。それなのに、オドの放出量に制限がかかっていることからしてその理由がよく解る。簡単な話だ。ただ単純に、常時使えるようにすると危険、ということに他ならない。

 俺たちの身体は、生きているだけで自分の中にあるオドを喰らっている。それでもオドがなくならないのは、生成される量が消費量を大幅に上回っているからだ。もしそれが逆転し、完全にオドを使い切ってしまったら、身体に回すオドがなくなってしまったら……言うまでもなく、身体は活動を停止する。

 その限界が三分。それ以上動くと、本当にどうなるか分かったものじゃない。何としても時間内に、ヴィンセント・コボルバルドを決着をつけなくてはいけな――

「――――⁉ っと」

 ぞわりと、背筋に別の感覚が走る。刃先で背中をなでられたような、冷たくも熱い感覚。気が付けば、身体は勝手に右へと転がっていた。ヴィンセント・コボルバルドの頭部から距離をとる。そのまま何も考えず、一気に距離をとる。視界の隅で、巨大な顎が口腔内をあらわにしていた。

《オオオォォッツ‼》

 黒い炎が巨大な口から噴き出した。それはまるで大気に溶けるように、空間いっぱいに広がっていく。薄くはなっても、それは消えることなくこの場に滞留し続ける。否、これは炎じゃない。超高濃度に濃縮された瘴気だ。もし、あの煙に飲まれていたら……。

 バクバクと、心臓が爆発を繰り返す。耳の奥深くで、血管がうるさいくらいに裏から鼓膜を揺らしつける。やはり危険だ。これ以上何かされる前に動きを止めなければ。

 と、思った矢先。

 ひときわ強く、ヴィンセント・コボルバルドが雄叫びを上げた。それとほぼ同時に、地面からいびつなサークルが姿を現した。ついさっき見た行動、見た光景。記憶に突き当たるよりも前に、本能はその正体を感じていた。また、使うつもりなのだ。さっきは間一髪で犠牲者が出なかった悪魔の魔法陣を。

「ッ! クソ!」

 残り時間約二分。舌打ちしながら、サークル外へと走り出す。それを見逃すはずもなく、ヴィンセント・コボルバルドの目は俺をとらえ続けている。首筋に感じるチリチリとした感覚。記憶はないが覚えている。ヤツの動きが見ていなくてもなぜか解かる。

 そのとき、頭上を何かが走った。そのコンマ数秒後、腑抜けた破裂音が耳に届く。それと同時に、不自然なほどの突風が背中を叩きつけた。身体が一瞬持ち上がり、空を切った両足がもつれる。倒れる! そう思った直後、突風第二波によって身体は大きく前へと吹き飛ばされる。

 放物線を描く身体の真下で、大小さまざまな武器が地面へと突き刺さった。そこは、俺が走っていたはずの場所。ぶわっと、全身から汗が噴き出す。

 あのまま逃げていたら、俺は死んでいた。

 しかし今はそれすらもゆっくり考えていることはできなかった。近づく地面が目に入り、再度別のひやりとした感覚。受け身をとろうと身体を丸める。

 衝撃、続く横回転。ゴロゴロと派手に転がり、四回転五回転。それで強引に勢いを殺し、ぐらつく頭を押さえながら立ち上がる。

「すまないが。あれで限界だ」

 真横から、ミレーナの声がした。
 ヴィンセント・コボルバルドの巨体は、濃い色の煙幕に包まれていた。なるほど、攻撃が逸れていたのはあれで視界が遮られていたからか。それに、俺を吹き飛ばしたあの突風も、多分ミレーナが起こしたもの。

「いえ。充分です」

 攻撃魔法は座標がずれる。それを瞬時に判断し、続けて座標固定のいらない魔法を選択。魔法の制御が利かないこの状況にもかかわらずよくこれだけのことを。こんな状況ながらも、師匠の神業には頭が下がる。

 マスクのフィルター部分を交換する。たった数十秒――一分にも満たないこの間に、新品の晶石は黒く薄汚れてしまっていた。舌打ちしそうになるのをこらえる。身体のことを考えれば、もう悠長に攻撃なんかしてられない。

 ここが勝負だ。

「一気に仕掛けてみます。……ちょっと早いけど」

 その直後、光がサークルから迸った。


「――――⁉」

 それは俺たちを巻き込み、部屋中に広がっていく。さっきとは明らかに違う攻撃、それを理解したときにはもう遅かった。光が、俺たちを包み込んでいく。輪郭すら消し飛ばすほどの光量に、全員が身体を固めてしまう。
 刹那、

 鼓膜が破れそうなほどの悲鳴・・・・・・・・・・・・・が、ボス部屋に木霊した。
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