異世界幻想曲《ファンタジア》

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アルトレイラル(迷宮攻略篇)

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 ――翌日――

 準備は、驚くほどすぐに整った。というのも、ボスモンスター二体への同時攻略の限界回数が、持ち込んだ回復薬で二回。つまりるところ、これが失敗しても、もう一回くらいは挑戦できるという状態らしかった。

 もちろん、準備がこれほど早かったのには他の理由もあったのだろうが、俺が知るところではない……というより、知らなくてもいいことだ。あんなことがあった翌日に攻略が行える。その事実だけで十分だ。

「休まなくてもいいのか?」

「外傷は回復しているさ。それに、一度破壊した核は再生して徐々に大きくなっていく。大きくなるほど迷宮主が強くなるのは君も知っているだろう? 早く倒すに越したことはないのさ」

 ボスモンスターは、核によって動いている。核がエネルギー源であり、それを全体に送り出す第二の心臓だ。それが拡大すれば、使う技の攻撃力も上がる。それはすなわち、攻略が困難になるということを示す。

「それは解ってるけど……タフなんだな」

「当然さ。僕たちはそんなにやわじゃない」

 レオは朗らかに笑う。こんな状況なのに、本当に何でもないように笑う。それは、強さからくるんだろう。本当に、レオにとってはこの攻略自体は脅威ではないのかもしれない。

 だけど、俺までそうはいかない。

 いまも、気を抜いてしまえば足が震えてしまうくらいには怖い。死への恐怖もある。でもそれより、他人の命を預かっていることの方がはるかに怖い。俺の采配ミスひとつが、今度は本当に攻略隊全員の命と直結する。そのことが何よりも怖い。「これが失敗すれば、かなりの大打撃になる」その事実が頭から離れず、身体は強ばる。

 だけど、そんなことも言っていられない。
 俺が言い出したことなのだ。これしかないと、そう確信した一手なのだ。俺が怖がってどうする、俺がやらなくてどうする。こうでもしなきゃ、大切な人たちに火の粉が降りかかるというのに。

 通信機の動作を確認する。どうやら正常に作動しているようで、あちこちから聞こえるという意思表示が帰ってくる。俺が持っているのは、貴重な親機だ。これを使えば、攻略隊全員の通信機に一斉に声を届けることができる。

 準備はすでに整った。もう何もすることはない。
 あとは、俺自身の問題だけだ。

「…………これは、僕の持論だけどね」

 不意に、隣でベルトを締め直していたレオが呟いた。

「すべて自分で抱え込んでしまうと、人は案外脆いものだよ? できないことはないと思うけど、自分が弱いって自覚している人にはお勧めしないかな。頼る……っていうのとは違うかもしれないけど、寄りかかれる相手がいるときは寄りかかることをお勧めするよ。逆に、寄りかかってほしいって思う人もいるしね」

 誰、とは言わなかった。いつ、どこで、だれが、何を、どのように――5W1Hが全てそろっているとは言えない不完全で、傍から見れば意味不明なアドバイス。だけど、誰のことを言っているかなんてすぐに解った。

「昨日のアレ……聞こえてたんだな。もしかしなくても……」

 この場に、雨宮の姿はない。

 今朝、連絡隊が輸送隊と一緒に地上へと向かった。ポーションの調達やその他諸々の仕事を済ませるためだ。そしてその中に、雨宮も同行した。

 結局、最後まで何も言えなかった。何を言えばいいのかがそもそも解らず、気の利いた言葉は何も浮かばなかった。結局、「昨日はごめん」というのが、俺の発した言葉だった。

「うん」と、雨宮は頷いた。それから、俺と同じく「昨日はごめん」といった。俺たちが交わした会話は、ぎこちなくてもどかしい。自分で言うのもアレだが苛立ちすら覚えるほどだった。

「なんのことかな?」

「嘘つくなって」

「…………すまない」

 案外簡単に、レオは白状した。

「全部じゃないが。……聞くつもりはなかったんだ。本当はそのことも黙っていたかったんだけど…………」

「隠すの下手すぎるだろ」

「やっぱりそうなのかい? 同世代とあまり話す機会がなかったからかな。諭されることが多かったから」

 そう言って、申し訳なさそうに苦笑する。まいったな、という呟きが、微かに耳に届いた。

「気の利いたことはするものじゃないね」

「いや、そうでもない。……ありがとう」

 レオは、見た目通り優しい性格なんだと思う。弱きものを助け、導く。騎士道精神の塊が彼なのだろう。自己犠牲というか、おせっかいというか。他人が困っていたら見ていられなくて手を出してしまうタイプだ。

 そのおせっかいが、無性にうれしかった。寄りかかるということに、なぜか妙に納得してしまった。それは、俺が自分の性格を良く解っていたからなのかどうなのか……。

 他人に寄りかかったことなんて皆無だ。
 裏切られたらどうしよう、拒絶されたらどうしよう、そんなことが頭をよぎるのだ。すべての人がそんなことするわけじゃないとは解っている。事実、雨宮という数少ない相手もいる。だけど、どうしても考えてしまう。考えずにはいられない。

 多分それは、俺が怖がっているから。裏切られることとか、拒絶されることとか、それ自体が怖いんじゃないと思う。ネットゲームじゃ裏切りは常だし、それには特に何も感じなかった。多分俺は……、

 ひとりになるのが怖いんだ。

 手の中から離れて行ってしまうことが怖いのだ。ひとりになるときのあの苦しさが怖いのだ。そんなことはないと解っていても、頭と感情は別駆動。解っていてもそう感じずにはいられなかった。

 だから、踏み込まなかった。起承転結の『起』を起こさなかった。他人に興味を持たないように、理解しないように努めていたんだ。そのことが、いまになって解った。そして、それはいずれ俺をむしばんでいくとも遠回しに言われた。

 その結果が、昨日のアレだ。雨宮にも関係あることも話さずに、俺がひとりで抱え込んで決めた。多分それが、昨日のきっかけだと思う。レオの忠告に妙に納得したのは、多分、アレがあったからだ。

 ――帰ったら、もう一回謝らなきゃ。

 雨宮は、寄りかかってほしかったんだろうか――その正解は解らない。だから、もう一度話す必要があるんだと思う。今度はしっかり話して、しっかりぶつかって、仲直りしたい。雨宮のことだけじゃない。俺が思っていたことも解ってほしい。こう考えていたんだっていうことも、雨宮には知ってほしい。

 今のままじゃダメだから。もう、他人を拒絶している場合じゃないから。もしかしたら、取り返しのつかないことになってしまうかもしれないから。

 もしかしたら、俺が考えていることはすべて的外れで雨宮がまた怒るかもしれない。それでも、訳も分からず仲たがいしているよりましだと思う。もしそうなったら、申し訳ないけどルナには仲介に入ってもらおう。

 そのためにも、今日は何としてでも。

「それじゃあ、お互いに頑張ろう」

「そっちも死ぬなよ?」

 もちろんさ、というお決まりの言葉とともに――、

 迷宮攻略が幕を開けた。
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