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アルトレイラル(修行篇)
とある技師の話 3
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「樹?」
「……すみません。盗み聞きするような感じになって」
謝罪をしながら、樹近づいてくる。装備は完全に外しており、上はアンダーウェアだけというかなりラフな格好だ。「隣、いいですか?」という問いに、右の椅子を叩くことで答えとする。少し後ろめたいような顔をしながら、樹がその椅子に座る。マスターが水を出し、礼を言って樹が一口飲み込んだ。
「晴香ちゃんはどうした?」
「……寝、てるんじゃないですか? 物音もしませんでしたし」
「お前ぇも寝とけよ。大きくなれねぇぞ?」
「俺、四時間睡眠なんですよ」
「ジジイかよ!」
「……雨宮にも言われました、それ」
先ほどまでと別の話題を振ると、樹は少し戸惑う様子を見せたが、話に応じてくれた。その顔は、あからさまにほっと気が緩んだ顔つきだ。やっぱり、結果的にだが盗み聞きとなってしまったのが後ろめたかったらしい。
しばらく、当たり障りのない話題での会話を楽しむ。こうして話をしてみると、樹はどうやら人との距離を測るのが苦手なんだなというような印象を受けた。というよりも、距離の詰め方がよくわかっていないと言った方が正しいだろうか。
話しは盛り上がる。話題は別のものへと飛び、「さっき聞きましたよ」と呆れながら笑われることもあった。酒が入っているせいか、何をしゃべったのかを判断できない。だが、同じ話を聞かせ樹が笑うというその一連の行動さえも、無性に楽しかった。段々と距離の縮め方を理解したのか、樹の口調も良い意味で砕けたものになっていた。
そして話は、さっきの場面について向かっていく。
「それで? どっから聞いてたんだよ」
「……また、死体が見つかったってところくらいから」
だいぶ最初だ。そして樹の表情は暗い。だが考えてみれば、あの状況で出ていくのはかなり度胸がいるだろう。いままで話していた感覚からして、樹には難しいか。
「気が付いてたんだろ?」
「はい。後藤さん、全然その話題に触れなかったから」
「こりゃあ失敗したな。もしかしたら、晴香ちゃんも気が付いてたか?」
「解りませんが、なんとなく察してかなあ……って感じです」
「そうか」
こりゃまずったと思いながら、酒のお代わりを頼み、グラスへと注ぎ込む。ごまかすように、それを一気に口へと含み飲み込む。樹の視線が、手の付けられていない、トレーに乗ったグラスへと向けられているのに気が付いたのは、酒が空になった後だった。
「その酒は……死んだ人たちの?」
「……そういうことだ」
「そうですか」
それから、樹は何も言わなかった。そうかと思うと、ポケットに手を突っ込み、飴玉を二つ通りだす。そしてそれを、静かにトレーの上へと置いた。
「俺からのお供え物ってことで」
「うはは! そりゃあいい!」
そうだ、そういえば甘いものが大好きなヤツがこの中にもいたなぁと思い出す。こらえる気を端から放棄して大声で笑う。つられて樹も笑う。その笑みが、話を聞かれてしまったという思いをやわらげさせた。
「なあ、樹――」
◆◇ ◆◇ ◆◇
――多分あの時、俺はどうしようもなく酔ってたんだ。酒には強いが、さっき自分が言った言葉すら忘れて、訊く相手も選べないほどに。
◆◇ ◆◇ ◆◇
「――あいつらのこと、聴いてくれねえか?」
その言葉を発した時、まるでテレビでも見ている感覚だった。その言葉を発した自覚がすこぶる希薄で、それ故、最初は自分の言ったこと、そしてその言葉が樹に向けられていたものであるということに気が付くまで、少し時間がかかった。
先ほどの決意なんて全く無視した、唐突で身勝手な頼み。樹本人が責任を感じるかもしれないからと、後藤自身が封印した問いかけ。それを行ったことに、後藤は最後まで気が付かなかった。
沈黙が下りた。
氷が弾け、カラリとグラスが鳴く。二人しかいない店内で、その音がいやによく響いた。
なぜかそれが鼓膜を突き、跳ねるような刺激とともに鈍った視界を修正していく。
「………………?」
考える、思い出す、把握する。
あれ……?
俺は、いま一体何を言った?
「あっ……いや、悪ぃ。気にすんな」
動悸が激しい。顔が熱い。それは、取り返しのつかない事ぎりぎりの行為を行った時に感じるもの。自身がよくやらかしていたから解る。二度と直せない品物を、不注意で壊しそうになった時と同じ感覚だ。
「言うつもりじゃなかったことだ。あー、酔ってんな、俺。忘れてくれ」
――クソッ、なに言ってんだ俺はよ!
さっき決めたばかりじゃないか。樹たちに重荷は背負わせない。仲間の死に様は俺ひとりが解っていれば十分だと、そう納得したじゃないか。いまさら何を言うか。
樹は、まだ高校生だ。雰囲気的には落ち着いているが、それでも幼いことに変わりはない。そんな少年に、仲間とはいえ、あの時たまたま一緒になっただけの連中の死に様を伝えることに何の意味もないはずだ。
樹にとってのメリットなんか見つからない。聞いても罪悪感を感じさせるだけだ。それで気持ちよくなるのは、樹ではなく俺。それも、自分の役割を果たしたという単なる自己満足にすぎない。己のために子供を利用する。そんなこと、真っ当な大人がしていいはずがない。
まったく、なんて自分勝手なのだ。恥ずかしい。
「――――――」
樹は、何も言わなかった。罪悪感で、樹の方を見れない。樹の方からは、何の声もかからない。いま彼は、どんな表情を敷いているのだろう。
呆れているだろうか。戸惑っているだろうか。いや、樹はさっきの話を聞いていたのだ。それなら俺の決意も知っているはずだ。もしかしたら、軽蔑している可能性も捨てきれない。
ああ、自分が嫌になる。
すると、
「…………よっと」
樹の手が、うなだれた顔の上を横切った。顔を上げたとき視界に飛び込んできたのは、酒瓶を握る樹の手。
それを自分の方へと持って行き、空になっていたグラスに琥珀色の液体を注ぐ。そしてそれを手に取り、口の前へと持っていく。
「あっ、ちょ、お前!」
忠告するには、少し遅かった。
注がれた液体は、樹の身体へと消えていく。わずか三秒、それだけでグラス一杯の酒が姿を消した。飲み切ったと同時に、樹が激しくむせかえる。ようやく我に返り、樹の背中をさする。
「馬っ鹿お前。酒なんて飲み慣れないもん、いっきに飲み込むな!」
こっちの法律を順守すれば樹が飲酒することは可能なので、そこについてはとやかく言わない。だが、この飲み方はまずい。倒れないか冷や冷やしながら身体を押さえ、咳が治まるまで背中をさする。
大きく数度せき込んだ後、樹が顔を上げる。早くも酒が回ったのか、その顔は高揚しており、心なしか体温も上がっているような気がする。
グラスが強めに置かれ、ガツンと言う音を立てる。そのままグラスはスライドされ、仲間の分の酒が乗ったトレーと接触する。今度はやさしく、微かな音を立てる程度で。
それを持つ樹の顔は、笑っていた。そのことに、目を丸くする。どういうことだと、理解不能な行動に一瞬思考が停止する。だが――、
もう一度、グラスの位置を確認する。樹の表情、行動を思い出す。これは決して、意味のない行為じゃない。その思考回路に、先ほどの発言が加わる。
――ああ、そうか。
そういうことか。
「……ケッ、背伸びすんなっての」
笑みとともにこぼれたのは、そんな憎まれ口。もちろん、本気では言っていない。樹も理解したようで、ともに笑みを浮かべている。
さっきの行動に、俺の言葉。なるほど、ようやく理解した。つまりこれは、樹の格好つけたキザな返答なのだ。
――話せってことかよ。
こんな返しをするとは、まったく、ませたガキんちょだ。
「――――俺のダチもあそこにいてな?」
話題が、尽きることなどなかった。
後藤が喋り、樹が相槌を打ちながら笑う。呆れながら笑う。楽しそうに笑う。そこに、後ろ向きな感情は感じられなかった。
当たった宝くじが飲み会の席で紛失した。
好きなものは栗羊羹だった。
初めてここで知り合ったあいつは、強面のくせに待ち受け画面がアニメキャラ。
一つ一つに笑いが生まれる。実は俺もだと、意外な事実が発覚する。死者を惜しむのではなく、その話をしながら楽しかった記憶に浸る。それは、二人にとってひと際楽しい時間だった。
どれくらい経ったのだろうか。喋り疲れてふと窓を見れば、すでに道がはっきりと目視できるほど明るくなっている。時間にして朝の五時といったところか。ずいぶんと喋ったものだ。そう思った時、言い忘れていたもう一つのことを思い出す。それは、さっきとは別の意味で言いにくいものだ。
なぜなら、それは誰のためでもなく、完全な後藤の自己満足なのだから。
「……樹」
「どうしたんです? 改まって」
「ちょっと、付き合ってくれねえか?」
「……すみません。盗み聞きするような感じになって」
謝罪をしながら、樹近づいてくる。装備は完全に外しており、上はアンダーウェアだけというかなりラフな格好だ。「隣、いいですか?」という問いに、右の椅子を叩くことで答えとする。少し後ろめたいような顔をしながら、樹がその椅子に座る。マスターが水を出し、礼を言って樹が一口飲み込んだ。
「晴香ちゃんはどうした?」
「……寝、てるんじゃないですか? 物音もしませんでしたし」
「お前ぇも寝とけよ。大きくなれねぇぞ?」
「俺、四時間睡眠なんですよ」
「ジジイかよ!」
「……雨宮にも言われました、それ」
先ほどまでと別の話題を振ると、樹は少し戸惑う様子を見せたが、話に応じてくれた。その顔は、あからさまにほっと気が緩んだ顔つきだ。やっぱり、結果的にだが盗み聞きとなってしまったのが後ろめたかったらしい。
しばらく、当たり障りのない話題での会話を楽しむ。こうして話をしてみると、樹はどうやら人との距離を測るのが苦手なんだなというような印象を受けた。というよりも、距離の詰め方がよくわかっていないと言った方が正しいだろうか。
話しは盛り上がる。話題は別のものへと飛び、「さっき聞きましたよ」と呆れながら笑われることもあった。酒が入っているせいか、何をしゃべったのかを判断できない。だが、同じ話を聞かせ樹が笑うというその一連の行動さえも、無性に楽しかった。段々と距離の縮め方を理解したのか、樹の口調も良い意味で砕けたものになっていた。
そして話は、さっきの場面について向かっていく。
「それで? どっから聞いてたんだよ」
「……また、死体が見つかったってところくらいから」
だいぶ最初だ。そして樹の表情は暗い。だが考えてみれば、あの状況で出ていくのはかなり度胸がいるだろう。いままで話していた感覚からして、樹には難しいか。
「気が付いてたんだろ?」
「はい。後藤さん、全然その話題に触れなかったから」
「こりゃあ失敗したな。もしかしたら、晴香ちゃんも気が付いてたか?」
「解りませんが、なんとなく察してかなあ……って感じです」
「そうか」
こりゃまずったと思いながら、酒のお代わりを頼み、グラスへと注ぎ込む。ごまかすように、それを一気に口へと含み飲み込む。樹の視線が、手の付けられていない、トレーに乗ったグラスへと向けられているのに気が付いたのは、酒が空になった後だった。
「その酒は……死んだ人たちの?」
「……そういうことだ」
「そうですか」
それから、樹は何も言わなかった。そうかと思うと、ポケットに手を突っ込み、飴玉を二つ通りだす。そしてそれを、静かにトレーの上へと置いた。
「俺からのお供え物ってことで」
「うはは! そりゃあいい!」
そうだ、そういえば甘いものが大好きなヤツがこの中にもいたなぁと思い出す。こらえる気を端から放棄して大声で笑う。つられて樹も笑う。その笑みが、話を聞かれてしまったという思いをやわらげさせた。
「なあ、樹――」
◆◇ ◆◇ ◆◇
――多分あの時、俺はどうしようもなく酔ってたんだ。酒には強いが、さっき自分が言った言葉すら忘れて、訊く相手も選べないほどに。
◆◇ ◆◇ ◆◇
「――あいつらのこと、聴いてくれねえか?」
その言葉を発した時、まるでテレビでも見ている感覚だった。その言葉を発した自覚がすこぶる希薄で、それ故、最初は自分の言ったこと、そしてその言葉が樹に向けられていたものであるということに気が付くまで、少し時間がかかった。
先ほどの決意なんて全く無視した、唐突で身勝手な頼み。樹本人が責任を感じるかもしれないからと、後藤自身が封印した問いかけ。それを行ったことに、後藤は最後まで気が付かなかった。
沈黙が下りた。
氷が弾け、カラリとグラスが鳴く。二人しかいない店内で、その音がいやによく響いた。
なぜかそれが鼓膜を突き、跳ねるような刺激とともに鈍った視界を修正していく。
「………………?」
考える、思い出す、把握する。
あれ……?
俺は、いま一体何を言った?
「あっ……いや、悪ぃ。気にすんな」
動悸が激しい。顔が熱い。それは、取り返しのつかない事ぎりぎりの行為を行った時に感じるもの。自身がよくやらかしていたから解る。二度と直せない品物を、不注意で壊しそうになった時と同じ感覚だ。
「言うつもりじゃなかったことだ。あー、酔ってんな、俺。忘れてくれ」
――クソッ、なに言ってんだ俺はよ!
さっき決めたばかりじゃないか。樹たちに重荷は背負わせない。仲間の死に様は俺ひとりが解っていれば十分だと、そう納得したじゃないか。いまさら何を言うか。
樹は、まだ高校生だ。雰囲気的には落ち着いているが、それでも幼いことに変わりはない。そんな少年に、仲間とはいえ、あの時たまたま一緒になっただけの連中の死に様を伝えることに何の意味もないはずだ。
樹にとってのメリットなんか見つからない。聞いても罪悪感を感じさせるだけだ。それで気持ちよくなるのは、樹ではなく俺。それも、自分の役割を果たしたという単なる自己満足にすぎない。己のために子供を利用する。そんなこと、真っ当な大人がしていいはずがない。
まったく、なんて自分勝手なのだ。恥ずかしい。
「――――――」
樹は、何も言わなかった。罪悪感で、樹の方を見れない。樹の方からは、何の声もかからない。いま彼は、どんな表情を敷いているのだろう。
呆れているだろうか。戸惑っているだろうか。いや、樹はさっきの話を聞いていたのだ。それなら俺の決意も知っているはずだ。もしかしたら、軽蔑している可能性も捨てきれない。
ああ、自分が嫌になる。
すると、
「…………よっと」
樹の手が、うなだれた顔の上を横切った。顔を上げたとき視界に飛び込んできたのは、酒瓶を握る樹の手。
それを自分の方へと持って行き、空になっていたグラスに琥珀色の液体を注ぐ。そしてそれを手に取り、口の前へと持っていく。
「あっ、ちょ、お前!」
忠告するには、少し遅かった。
注がれた液体は、樹の身体へと消えていく。わずか三秒、それだけでグラス一杯の酒が姿を消した。飲み切ったと同時に、樹が激しくむせかえる。ようやく我に返り、樹の背中をさする。
「馬っ鹿お前。酒なんて飲み慣れないもん、いっきに飲み込むな!」
こっちの法律を順守すれば樹が飲酒することは可能なので、そこについてはとやかく言わない。だが、この飲み方はまずい。倒れないか冷や冷やしながら身体を押さえ、咳が治まるまで背中をさする。
大きく数度せき込んだ後、樹が顔を上げる。早くも酒が回ったのか、その顔は高揚しており、心なしか体温も上がっているような気がする。
グラスが強めに置かれ、ガツンと言う音を立てる。そのままグラスはスライドされ、仲間の分の酒が乗ったトレーと接触する。今度はやさしく、微かな音を立てる程度で。
それを持つ樹の顔は、笑っていた。そのことに、目を丸くする。どういうことだと、理解不能な行動に一瞬思考が停止する。だが――、
もう一度、グラスの位置を確認する。樹の表情、行動を思い出す。これは決して、意味のない行為じゃない。その思考回路に、先ほどの発言が加わる。
――ああ、そうか。
そういうことか。
「……ケッ、背伸びすんなっての」
笑みとともにこぼれたのは、そんな憎まれ口。もちろん、本気では言っていない。樹も理解したようで、ともに笑みを浮かべている。
さっきの行動に、俺の言葉。なるほど、ようやく理解した。つまりこれは、樹の格好つけたキザな返答なのだ。
――話せってことかよ。
こんな返しをするとは、まったく、ませたガキんちょだ。
「――――俺のダチもあそこにいてな?」
話題が、尽きることなどなかった。
後藤が喋り、樹が相槌を打ちながら笑う。呆れながら笑う。楽しそうに笑う。そこに、後ろ向きな感情は感じられなかった。
当たった宝くじが飲み会の席で紛失した。
好きなものは栗羊羹だった。
初めてここで知り合ったあいつは、強面のくせに待ち受け画面がアニメキャラ。
一つ一つに笑いが生まれる。実は俺もだと、意外な事実が発覚する。死者を惜しむのではなく、その話をしながら楽しかった記憶に浸る。それは、二人にとってひと際楽しい時間だった。
どれくらい経ったのだろうか。喋り疲れてふと窓を見れば、すでに道がはっきりと目視できるほど明るくなっている。時間にして朝の五時といったところか。ずいぶんと喋ったものだ。そう思った時、言い忘れていたもう一つのことを思い出す。それは、さっきとは別の意味で言いにくいものだ。
なぜなら、それは誰のためでもなく、完全な後藤の自己満足なのだから。
「……樹」
「どうしたんです? 改まって」
「ちょっと、付き合ってくれねえか?」
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