異世界幻想曲《ファンタジア》

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アルトレイラル(修行篇)

謎と挫折 2

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 思考が、今この場所に戻る。いくら考えても、晴香が魔術を使えない理由が見つからない。それどころか、自らの未熟さを痛感してしまう始末。
 神谷 樹は魔術が使えない。
 そのことは、ミレーナの話から知った。そして同時に、努力云々で解決できる類のものでもないことは証明されてしまった。
 リンゴが浮き上がるのも、水が一瞬で沸騰するのも、魔術があるからこそ可能となる。だとすれば、それを使えない樹にとって、ここは日本よりもの凄く危険な外国という場所でしかない。春香なら、その時点であきらめていただろう。だけど、樹は違った。
 そんな場所でも、戦う術を身に着けようとしている。訊けば、順調だという答えが本人からは返ってきた。そういうことにはプライドなんか無い樹のことだ、嘘をついているとはとてもじゃないが思えない。だとすれば、いま晴香が想像しているよりも、さらに先へと進んでいるのだろう。
 対して、自分はどうだろうか。
 せっかく持った才能を、樹が持ちたくても持てない能力を持っているにもかかわらず、この体たらくは何なのだろう。使えるはずの才能を使いこなせず、ただいたずらに時間だけを浪費している。
 こんな状態じゃ、樹の隣に立つどころか足手まといにしかならない。このままじゃダメなのに、いったい自分は何をしているのだろう。
 そのとき、ルナが呟きを上げた。

「ごめん。もしかしたら、私の教え方が悪いのかも」
「そんなことないって! ルナのおかげでここまで来れたんだし。そもそも、教え方が悪かったら、最初で終わってるから」

 いやいや、そんなことはないと、首を激しく左右に振って、晴香はルナの言葉を即座に否定する。その言葉に苦笑しながら、「でも……」とルナが言葉を続ける。

「ミレーナさんの時は、こうじゃなかったでしょ?」
「同じだったよ。ミレーナさんだった時も、全く使えなかった」
「だとしたら、本当になんでだろ……」

 んー、とルナがうなり、ごろんと寝っ転がる。ちなみに、なぜルナが晴香の修行を担当しているのか、その理由は簡単だ。
 ミレーナがここ数日不在だから。そして、ミレーナに樹もついて行っていたから。樹は、昨日ボロボロになって帰ってきた。樹を置いてすぐ、ミレーナはまたどこかに出かけて行ったのだ。

「ハルカは、何か心当たりある?」
「わたしもさっぱり解らない……」

 心当たりは? と訊かれても、そんなものは知らないとしか言えない。どこが悪いか解っていて直せないといった類ではないのだから。
 ふと、この立場が逆だったらと考えてしまう。
 もし、樹が春香と同じ立場だったらどうだっただろうかと。

 ――……どうせ、上手くやるんだろうなぁ。

 そのビジョンしか思い浮かばない。いままでの樹を、ゲーム世界のイツキを知ってしまっているから、失敗する光景が想像できない。もちろん、順調とは言わないだろうが、なんだかんだ言って成長していくのだろう……いまの晴香と違って。
 全く、成長できない自分が情けない。

「――ハルカが魔術を覚えたい理由ってさ、足手まといにならないため……だったよね?」
「うん。そうだけど」
「足手まといになりたくない。守られるだけじゃ嫌。対等な関係でいたい。今度は自分がイツキを支えたい……こんなところ?」
「う、うん」

 突然そんなことを訊かれ、戸惑いながらも晴香は頷く。頷いた後で、自分が言っていないことまで見透かされたことに気が付き、わずかに顔を赤くする。すると、ルナが起き上がる。その顔には意地悪い笑みが浮かんでいた。

「好きなんだ? イツキのこと」
「⁉」
「薄々……ていうかほとんど分かってたけど、どうなの?」
「それは……」

 流石に、それ以上言うことは理性が待ったをかける。ほとんど分かりきっていることだとしても、それを口に出すのにはまた別の勇気がいるのだ。崖から飛び降りたり、絶叫マシンに乗るのとは違う、それ以上の覚悟のようなものが。顔が熱くなる。体温が急激に上がっているのが肌で感じられる。
「笑わないから」というルナの言質を取り、たっぷり数秒後、晴香は真っ赤な顔を縦に振った。

「そっか。で、どこが好きなの?」
「なんでそんなこと訊くの⁉」
「強いて言うなら、イツキの方を理解するため」
「?」

 ルナの言った意味が良く解らず、晴香は首をかしげる。

「私、いまいちイツキのことが良く解らないんだ。信用できるし、いい奴っていうのは良く解るんだけど。もっと本質的なところ、なんて言うか……どこか人を避けてるように感じる。それに、踏み込む歩数を間違えたら、締め出されるような気がして――どうしたの?」

 言葉が出なかった。嫉妬とか、突拍子もないことだから唖然としているとか、そんな感情ではない。ただ単純に、その感覚を持っていたことに驚いたのだ。

「いや、ルナが気づいてたことに驚いちゃって」
「?」

 今度は、ルナが疑問符を浮かべた。

「それは当たり。神谷くんも言ってたから。『俺は、人を避けてる』って」

 神谷 樹は、人を避けている。そのことは、本人も認めている紛れもない事実だ。だが、一緒に行動するうちに、そんな一面は段々と成りを潜めていたのだ。いまでは、初対面の人と会話していてもそんな面は出さない。だからこそ、ルナがその一面を感じ取っていたことに驚いたのだ。

「わたしが最初に合った時は、いまよりもっと露骨だったよ? もっとこう、《話しかけんなオーラ》みたいなものをずっと出してたから、すごく印象悪かった」
「ええー……想像つかない」
「だいぶマシになってるでしょ?」
「うん」

 ルナが目を丸くしている。なぜかさっきの仕返しをしたみたいな感覚に陥り、少しだけすっきりとした。

「自分に害がある人には容赦なかったし、わざと嫌われるような方法を取ろうとするし、絶対に本心なんか見せなかったし」
「……よく、折れなかったね」

 思い出しただけでもげんなりする。いつしか話す口調は誰が聞いても不貞腐れたようにか聞こえなくなっており、ルナも苦笑していた。

「何でだろう。初めは好奇心だったんだけどね」
「好奇、心?」
「うん」

 いま思えば、よく初めの段階で折れなかったなと自分に感心する。しばらくすれば対応もそれなりにはなったが、よく考えてみれば初めの時点で見限っていてもおかしくはなかった。

「なんて言うか……他の愛想が悪い人とは違うような気がして」
「そこが気になったんだ?」
「簡単に言えばね」

 言い方を変えれば、気になってしまったのが運の尽き……ともいえるだろう。
 そこから、樹の印象が変わっていくのに対して時間はかからなかった。

「不真面目かと思ったら、頼まれた仕事はちゃんとするし。自分からは話さないけど、訊かれれば真面目に答えるし。言葉は全然乱暴じゃないし。気が付いたら、話すのもそんなに苦じゃなくなってた」

 半分は、樹もあきらめていたらしい。事あるごとに寄って来る雨宮 晴香という存在を排除する労力より、しぶしぶ付き合うことを優先したのだという。初めて居場所ができたと喜んでいたその時は、それを聞いて盛大に落ち込んだものだが……。

「それで、何でそんな行動してたかは分かったの?」
「あー、うん」
「どうしたの?」
「ごめん。これ以上は話せない」
「?」

 話過ぎたと、少し後悔する。まずったなと、心の中で反省する。これ以上は、どうしても話してはあげられないから。晴香の口から説明することは、絶対に許されないから。なにより、晴香自身の心が許さない。

「知ってるには知ってるんだけどね。実は、神谷くんから聞いたんじゃないから。神谷くんからは、まだ話してもらえてない」
「…………」

 卑怯な手段で知ってしまった、神谷 樹の過去。幼いころにあんなことがあれば、人を避けるのも理由を言われれば納得がいくような気がする。だが、樹からはその理由はおろか、何があったかも話してもらえていない。春香は、何があったかは知らないことになっているのだ。

「話してもらえてないことを、わたしからは話せない。ごめんね」

 樹が話してくれないなら、何も知らないはずの晴香が話していいはずがない。そんな形で、樹を裏切るようなことだけは絶対にしたくない。いや、知っていたとしても、晴香が話すことではないだろう。

「そっか。そういうことなら」

 晴香の表情で内容を察したのか、ルナはおとなしく引き下がった。「ありがとう」という晴香の礼を聞いたルナは再び寝っ転がり、空を見上げる。そのまましばらく、沈黙が下りる。
 どれくらい経っただろうか、

「ねえ、ハルカ」
「うん?」
「イツキのところに行ってみたら?」
「……はい?」

 突然、そんな突拍子もないことを言い出した。

「さっきから考えてたんだけどさ。ハルカが魔術を使えない理由って、心のどこかで魔術のことを信じられないからかもって」
「あ、そっちの話に戻るんだ」

 当然、と言ってルナは笑う。

「ほら、私やミレーナさんがどれだけ説明しても、所詮はこっちの世界の常識が元になってるじゃん。価値観とか、文明とか、そんなのはどれだけ頑張っても、無意識のうちにこっちの世界の常識で考えちゃうし。魔術も、命の危険もない。私たちの住む世界とは何もかも違うから、もしかしたらそのことがハルカに不信感を持たせてるのかも」
「つまり、完全にそれをなくすには神谷くんのところに行くしかないってこと?」
「そういうこと」

 ルナが大きく頷く。

「イツキも、魔術のことはミレーナさんと私から聞いて知ってるはずだし、聞いてみたらいいよ。同じ故郷の人間じゃないと気づかないこともあるかもだしさ」

 目から鱗だった。
 確かに、晴香からしてこの世界で理解できない事象はたくさんある。正直言って解らないことだらけだ。それに対する違和感こそが、修行の妨げになっているのではないか――なるほど確かに、そうとらえてみれば大いに納得がいく。それに考えてみれば、仮に聞いてみたところで、収穫ゼロの可能性はあってもマイナスになることはないのだ。相談しに行くことそのものには、何のデメリットもない。強いて言うなら、うまくいっていないことがイツキにばれてしまうということ。だが、このまま魔術が使えないことよりもはるかにましだ。
 だとすれば、取るべき行動はもう決まったようなもの。

「……分かった。神谷くんにも聞いてみる」
「頑張って。もし何か分かったら、私にも教えてよ」

 その笑顔は、同じ十六歳とは思えない不思議な雰囲気をまとっていた。
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