異世界幻想曲《ファンタジア》

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アルトレイラル(召喚篇)

魔法の世界 4

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 連れてこられたのは、俺の身長の三倍はあろうかという巨大な扉の前。継ぎ目がなく、木そのものを削り出して作ったという印象を受ける扉。シンプルな装飾がされたその前に、俺は立たされていた。

「ここは?」
「試練の間——とでも呼ぶのが正しいかな」

 そう言って、ミレーナは俺の真横に立つ。右腕を伸ばし、鍵のような構造の部品に触る。
 ガチリッ。
 と鋭い音が響き、扉の雰囲気が変わった。言葉で表現するには、いささか俺の語彙は少なすぎる。無理やり絞り出すならば、ただの扉だったはずのものが、強烈な悪意を放つ何かになった……とでも言えばいいのか。
 ミレーナが、扉を優しく押す。ギギギと、明らかに不自然な速度で扉が開く。その瞬間、俺は自分の感が当たっていたことを悟った。

「君には、ここを通ってもらう」

 闇があった。
 光も何もかもを吸い込み、一切のものを逃さない、色の怪物がいた。光だけではない、木造建築ならば聞こえてもおかしくない軋みさえも、ミレーナの声の反響すらも、不自然なほど存在しない。少し足を入れてみる。すると、ほんの十数センチしか入れていないはずなのに、靴の先がもともと存在しなかったかのように感覚を失う。足を戻す。途端に感覚が戻る。

「………………」

 ゾワリと、鳥肌が立った。

「合格条件は、何かが見えるまでだ」
「何かが?」
「そう、《何か》だ」

 ミレーナは、それ以上のことは言わなかった。そして、俺が訊いても絶対に教えてくれないだろうと、すぐにそう感じた。
 再び闇の方に向き直る。

「さあ、行ってこい」

 前足を出す。ごくりとつばを飲み込み。えいっと、一思いに靄の中へと飛び込む。
 五感が消えた。
 立っているのか、座っているのか、それすらも瞬時に解らなくなった。暗くはない、黒という色が存在しないのだ。それなのに、瞳は何も映さない。というより、目そのものがなくなってしまったような感覚にも感じる。
 上も下も解らない、落ちているのか上っているのかすらも解らない。足を踏み出した意識はあっても、その感覚がない。地面を踏んだ感覚もない。
 怖い。
 いま、どれくらい時間が経ったのだろう。
 数十秒? 十数分? 数十分? 一時間?
 どれくらい歩けばいいんだろう。どこまで歩けばいいのだろう。そもそも、歩いているのだろうか。
 怖い。
 この黒い靄は何なのだろう。理由は解らない、解らないが、得体のしれない何かがこちらを取り込もうとしているような気がして、身体が震える。言いようのない恐怖が全身を駆ける。冷や汗が、背中を伝う。
 怖い、怖い、怖い。
 この先には、何があるのだろう。いやもしかしたら、何にも無いのかもしれない。何も無いということが、これほど恐ろしく感じたことなど今までにない。本当に何もなかったなら、この向こうはどこまで続いているのだろう。途中で帰り道が解らなくなったら……本気で発狂しそうだ。
 怖い、怖い、怖い、怖い、怖い。
 いやだ、それだけは嫌だ。帰れないのだけは嫌だ、絶対に嫌だ。
 怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い————。

 ——神谷くん……。

「…………ッ」

 雨宮の声がした。我に返り、ガリッと唇をかむ。正気を失ってなるものか、犬歯を口内に突き刺す。血の味が口内に広がる。わずかばかり理性が戻る。
 そうだ、何を怖がっているのだ。
 怖いかどうかなんて知ったこっちゃない。これを合格できなければ、何も始まらないのだ。スタートラインにすら立てないのだ。怖気ずくという選択肢なんかない。
 怖くてもやれ、死ぬかもしれなくても動け、多分、これはそういう試練だ。
 あるいは、いっそのこと——。
 脳内に、ジャイアント・オークと鉢合わせしたあの時のことが、フラッシュバックした。もしかしたらと、脳内に浮かんだ可能性を思考する。何度やっても、確証は得られない。だが、賭けてみる価値は十分にある。
 目をつむる。身体の奥底に眠る何かを引きずり出すようなイメージで、身体に力を込める。できる、できると念じながら、さらに力を込めていく。
 目指すのは、あの時の感覚だ。
 身体の奥が熱くなって、焼けるようなあの感覚だ。
 思い出せ、思い出せ、思い出せ。
 蓋が閉まっているならこじ開けろ。身体が拒否しても構うものか。引きずり出せ、引きずれ出せ。セーフティーなんか引きちぎって。
 パチンッ!
 何かが、はじけたのが解った。

 …………ドクンッ

 身体の中で、何かが跳ねる。

 ……ドクンッ

 何かが外れたような感覚がし、そこから熱いモノが漏れ出る。そして自身を抑えていたものまでもを焦がし始める。

 ——ああ。これはやばい。

 なんとなく、悟った。
 これはあれだ、俺の力では御し切れないものだ。それに、もう塞げない。
 ナニカがどんどんあふれてくる。心臓が弾けんばかりに脈を打ち、身体が嫌に熱い。そうだ、この感覚だ。
 チリチリと、空気が焦げるのが解った。俺の身体だけでは抑えきれず、ナニカは体外にまで漏れ出し空気に干渉する。そのとき、
 バリリと、靄が破れる感覚があった。

 ——いける、これならいける。

 押さえていたものを完全に外す。身体が焼けるような熱を帯び、吐息が熱い。今にも、力が暴発しそうだ。だが、抑える必要などない。

「ふぅぅぅぅぅうううッ」

 身体をこれでもかと強ばらせる。不用意に漏れ出さぬよう、筋を、筋肉を、限界まで締め上げる。耐える、身体がはじけ飛ぶ限界まで。全ての力が、一斉に爆発するように。

 ——堪えろ、堪えろ、もう少しだけ堪えろ!

 完全になど抑え込めなくていい。暴発させればいい。そうすれば——、
 この靄は、消し飛ぶ!

「—————————」


 ————吹、っ、飛、べ。


 
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