異世界幻想曲《ファンタジア》

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アルトレイラル(召喚篇)

前章《少し先の未来》

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 あまたの生命が息づく森を、草をかき分けながら進む。傾斜や窪地もある生命の宝庫を、鳥・虫に警戒されながらひたすら進む。かなりの重労働だが、背中に背負っているものがないだけましだろう。森に入るのは今日で三日目。前回までは索敵と罠の設置が目的だったため、直接的な行動をとるのは今回が最初で最後だ。
 暗めの服に身を包み、足には自作のプロテクター。腰には黒刀と、回復薬を入れるポーチ。それから、ちょっとした小道具。
 持ち物は最小限に。なぜなら、これは戦闘なのだから。
 森が開け、崖のような切り立った場所に出る。幾つもの木と岩がまばらに存在し、足場を作っている。この場所もここ最近で幾度となく来た。すっかり見慣れたそれの手前で、足を止める。

『前方約八十メテル先、目標の巣、在り』

 耳に取り付けられた魔道具から、ミレーナの声が入る。それを聞き、返答用の部品をいじって回線をつなげる。

「……これ、本当に俺ひとりで大丈夫なんですか?」
『心配しないで。私も近くで様子見てるし、イツキはしとめようとしなくていいから。作戦通り、とどめはハルカに任せて。ハルカ、準備いい?』
『準備オッケー。いつでも大丈夫』

 そこに、ここまでサポートをしてくれているルナと、相棒の雨宮の声が入る。サポートと言っても、俺たちが負っているハンデのようなものを解消するだけの存在で、戦闘が始めれば手助けはしてくれない。緊急時には手を出すそうだが、実質的に雨宮と俺のみでの作戦となる。
 準備オッケー、その言葉を聞き、俺は両足に力を籠める。体内にある魔力を練り上げる。肉体を強化し、身体能力を常人以上に引き上げる。俺が使える、数少ない高速移動手段だ。
 そして、

 ―― 一、二の……三!

 一気に飛び出した。
 不自然なほど加速した身体が、地面の消滅とともに落下を始める。落ちる身体をひねり、重心を変え、一つ目の足場に足から着地する。ドンッという骨折必死の衝撃が身体を伝う。それに意を介さず、次の足場に跳ぶ。
 跳ぶ、駆ける、転がる、また跳び上がる。サーカスの曲芸士もあわやという身軽さで、味場を飛び移り下の森へと再び入っていく。木々を飛び移り、刀と打ち付けて跳び上がる。今度こそようやく、本物の地面へと着地する。少し上がった息を整えつつ、森の中を見渡す。
 雑木林の中に、赤く染められた布が巻き付けられている木が目に入る。つい先日、俺たちが巻き付けた目標への道を示す案内板だ。その布をたどり、森の中を進む。

 ――いた。

 寝っ転がる目標を見つけ、心の中で呟く。無論声には出さず、黙って通信具の部品をいじる。回路を接続し、通話モードに切り替える。ブツッという音とともに、向こうの音も聞こえてくる。

「見つけた。目標・飛竜 《亜種》」
『大きさは?』
「体長約十メートル。鱗が赤い、多分変質してます。あと、とげの形が変わってる」

 少し先に横たわるのは、竜種の中では軽竜に分類される竜種・《飛竜》。神話に出てくるようなドラゴンをそのまま小さくした感じで、分類の通り、身体が他の竜よりも軽いのが特徴だ。身体も少し小さめで、火などの魔法攻撃はしてこない。その代わり、飛ぶ速度、および飛行距離は他の竜種に比べて群を抜いている。空に上がられてしまったら、手を出すのは難しくなる。
 そして、目の前にいる飛竜は、それが何らかの理由で変異してしまったもの――亜種だ。

『完全に亜種だな。だとしたら駆除対象か……。いま何している?』
「寝ています。周囲に人工物なし」
『まだ被害は出ていないか。ちょうどいい、駆除する』

 通常の飛竜は、積極的に人を襲うことはない。それどころか、性格は温厚な例がほとんどで、なわばりに入らなければほぼ確実に襲われることはない。だが、亜種の場合は違う。凶暴性が増し、家畜を、人を、容赦なく襲う。圧倒的な暴力が、無差別に振るわれてしまう。
 だからこそ、亜種の討伐には報酬が課せられる。俺たちは、そのクエストを卒業試験に利用しているのだ。

『卒業試験だ。気を抜くなよ』
『「了解」』

 無線越しに、俺と雨宮の声が重なる。

『じゃあ、後はふたりでやるんだ。私からは異常。健闘を祈るよ』

 ブツリッという切断音とともに、ミレーナが回線から外れる。ルナも通話回路を切っており、話を聞くことしかできない。いま通信ができるのは、俺と雨宮だけだ。

「作戦通り、罠で地面に縫い付ける。合図をしたら叩き潰せ」
『了解』

 亜種の寝床は、この数日で調査済みだ。雨宮にも、位置は詳細に教えてある。そして、罠は昨日仕掛け終わった。雨宮用魔術誘導の魔法陣も一緒に。
 地面にしゃがみ込み、落ち葉が異様に積み上がった部分をかき分ける。二、三回掘ったところで、硬い金属板が顔を出す。俺が昨日仕掛けた罠の制御盤だ。腰のポーチから、小さめの袋を取り出す。その中に入っているのは、動力部分にはめ込むための魔石。黄色い鉱石をはめ込み、もうひとつ一センチ角の発熱石を隣の隙間に差し込む。そのふたつをもうひとセット。空気に触れると、発熱石が赤く発光しながら小さくなっていく。それを確認し、腕時計のタイマーを一分にセットする。
 発熱石は、時間とともに小さくなっていく。それに合わせて、挟まっている隙間も小さくなっていく。それが閉じきるまでに一分。閉じきった瞬間、魔法陣が発動する。
 ――残り五十秒。
 飛竜は、罠の真上で眠っている。竜種は魔粒子との親和性が高いため、魔術の類を使うとバレてしまう。だからこそ、わざわざ面倒な《からくり式》にしたのだ。発動の直前まで、魔力が一切必要ない《からくり式》に。
 ――残り四十秒。
 まだだ、まだだと、言い聞かせる。いま動かれたら、罠の位置からずれる。動くのは、発動ぎりぎりだ。
 ――残り三十秒。
 回復薬以外を、身体から外す。二キロ近くの重量が身体から外れ、わずかながらに制御がしやすくなる。
 ――残り二十秒。
 行動に移る。魔法陣の中に入り、飛竜の前へと進む。食物連鎖の頂点に君臨する故の余裕か、竜種は生き物が近寄っただけでは反応しない。反応するのは……、
 ――残り十五秒。
 ポケットから、革の袋を取り出す。縛り口を緩め、そのまま飛竜に投げつける。
 ばしゃりという音とともに、飛竜の鼻頭に赤黒い液体がまき散らされる。その瞬間、
 飛竜の鼻が動く、地の底から響くような唸りを上げて、目を開ける。なぜならそれは、大好物ラム・シープの血なのだから。
 ――残り十秒、九……
 飛竜の目が、俺の姿を捕捉する。その目が、捕食者のそれに変わる。
 ――八、七……
 威嚇するように、飛竜が凛々しい姿態を持ち上げる。凝り固まっていた関節が、パキパキと音を立てているのが聞こえる。口を開ける、粘度の高いだ液と鋭い牙が目に飛び込んでくる。
 ――六、五……
 翼の付け根が、ゆっくりを動く。翼を広げれば、こちらの勝ちだ。

 ――掛かれ、掛かれ、引っ掛かれ。

 飛竜の身体が、スローモーションで近づいてくるのを知覚した。離脱するまでもう時間がない。冷や汗が垂れる。
 ――四、三、

 《――――――――ッツ‼》

 咆哮が、耳をつんざく。翼を可動範囲いっぱいに広げ、飛竜が威嚇したのだ。同時に、腕時計が離脱時間であることを知らせる。その振動を感じるや否や、力いっぱい地面を蹴りつけ、砂埃を上げながら真後ろへと高く跳躍した。
 ――二、一……
 身体を大きく伸ばし飛竜がかみつく。それはわずかに届かず、俺は空中へと逃げおおせる。空中で逃げられない俺に、飛竜は右足を前に踏み出す。その時にはもう、俺の身体は魔法陣の外だ。
 口もとに笑みが浮かぶ。この勝負、
 俺の勝ちだ。
 ――……ゼロ。
 爆音が轟いた。発熱石が燃え尽き、回路がつながったのだ。魔法陣が発動し、もう一つのギミックが同時作動する。
 瞬間、飛竜の翼に無数の穴が生まれた。
 飛竜は悲鳴を上げ、何が起こったのかと暴れまわる。その動きによって小さな穴が互いに繋がり、魔力回路の通った翼が広く裂ける。自慢の翼が、大きく欠損する。
 仕掛けはとにかく簡単だ。飛竜の寝床に、無数の金属片と、破裂型の魔石を仕込んでおいただけ。多少寝心地が変わっても、硬いうろこでおおわれた飛竜は気が付かない。そして、鱗に覆われた身体本体は無理でも、魔法を使わぬ金属片の先端を極限まで細くすれば、
 魔法耐久力はともかく物理耐久力の低い翼なら容易に貫ける。
 飛竜の四肢が折れ、地面へ倒れこむ。あれほど欠損してしまえば、もう空は飛べまい。
 憎しみに満ちた目で、飛竜が俺をにらむ。竜のプライドをずたずたに引き裂いた無法者を始末せんと、咆哮を上げて襲い掛かる。
 俺の攻撃は、まだ終わっていない。次は第二段階。

 ズゥゥゥゥウンッ‼

 という地鳴りが轟き、魔法陣の内部が地面ごと一瞬だが浮き上がる。衝撃は俺まで伝わり、木につかまっていても一瞬身体が浮き上がる。飛竜も一緒に打ち上げられ、再び地面へと倒れ伏す。地面が元に戻ったその瞬間、
 今度は、地面が陥没した。
 完全にではない。だが、飛竜の四肢は完全に埋まり、足が直接地面から生えたような状態になる。その隙間からは、銀色の泥が吹き出し地面を覆う。当然、土で埋めたくらいでは飛竜は止められない。怒りの感情をたたえた息で土を巻き上げ、抜け出さんと前足を引っ張る。だが、

 《――――⁉》

 飛竜の表情が、驚きに染まる。いくら抜こうともがいても、飛竜の足は地面に食い込んだまま抜けない。それどころか、時間が経つごとに足の可動範囲は小さくなっていく。いつの間にか、漏れ出てきた銀の泥は金属のように固まっている。
 《流体金属》
 とある地域で産出し、薬剤を加えて空気に触れることで鋼鉄の強度に固まる特殊金属。加工法の利便性から、様々な範囲で使われている。それを五樽、地面の泥と混ぜて密封したのだ。大気に触れたら、凝固が始まるように。
 もちろん、精密なものを作るにはかなり高度な技術がいるが、今それをする必要はない。足を埋めるだけで十分なのだ。

「雨宮、足止め成功。一分後に魔術発動っ」
『了解!』

 そこで魔道具を外し、荷物をまとめて装着する。その間も、飛竜は怒声とともに
 もがき続ける。

「? ……やべっ⁉」

 ピシリという嫌な音がし、振り返って思わずそんな声が出た。
 地面が抉れている。固まったはずの流体金属は、飛竜が動くたびに亀裂が走る。その亀裂はどんどんと大きくなり、右前足は今にも抜けてしまいそうだ。このままだと、魔法陣の外に逃げ出してしまうのは確定的に明らか。雨宮に発動を早めるように言うのも手だが、それが可能かどうかが不明だ。多分言わない方がいい。
 足を止め、飛竜の方へと向き直る。今まで温存していた刀に手を当て、鯉口の安全ピンを外す。すらりと、真っ黒な刀身が姿を現す。それをだらりと構えて、まっすぐ飛竜へと走り出す。
 構えは下段、狙うは顎骨《がっこつ》。とどめを刺せなくてもいい、脳震盪を起こさせ動きを止めればそれで御の字。
 腕に力を入れる、身体の魔粒子を活性化させる。いままで幾度となく取り、身体に染みついた構えに、魔粒子が反応する。黒色の刀身が、青く煌く光を帯びる。こぼれた光が、粒子となって空気に線を引く。
 俺が使える、唯一の攻撃手段。ゲームの中でも幾度となく使ってきた技、《剣戟スキル》。今回使うのは、下から上へと斬り上げる技 《摩天楼》。
 近づいてきた俺に飛竜は気が付き、かみ殺さんとばかりの視線でにらみ口を開ける。俺は大きく身体を倒し、地面と下顎の隙間に入り込む。
 そのまま上へと――、

「動くなっての!」

 一気に振り抜いた。
 空気が、群青の火花を上げた。質量差ゆえ、ガツンという衝撃とともに、潰れんばかりの負荷が両足にかかる。それと引き換えに、飛竜のあごは真上へとかち上げられ、身体がぐらつき大きく倒れこんだ。
 視認するや否や、一目散に逃げだす。もう時間がない、これ以上いたら俺まで魔術に巻き込まれる。時間にして、残りあと三十秒。

「――――⁉」

 ゾクリという感覚が、背中を撫でた。死神の鎌で、喉をさすられたような気さえもした。人間の本能が、ガンガンと警鐘を鳴らしている。何かは解らない、だが、このまま走っていてはまずい。なぜだかそう思った。
 ゾクリ、また同じ感覚がした。だが今度は、先ほどとは比較にならない。この感覚に耐えきれず、思わず後ろを振り向く。すると、
 視界いっぱいに、真っ赤な光が映った。
 炎である、そう認識する前に身体は回避行動をとっていた。大きく左に転がったすぐ右頬を、炎が通過していく。

「あッツ⁉ 熱ッ‼」

 衣服に少し燃え移り、慌てて外套を脱ぎ捨てる。転がって最初に見えたのは、足に流体金属をくっつけたまま、空へと飛び立っていく飛竜の姿。よく見れば、流体金属が赤く熱を帯びている。自身の炎で、金属を融点にまで持って行ったのだ。

「雨宮! 悪い、逃げた‼」

 急いで通信具を起動し、雨宮へと知らせる。

『なんで⁉ 何があったの⁉』
「火だ! あいつ火ぃ吹いたぞ‼」
『嘘⁉』
「羽もボロボロなのに、何で飛べんだよあいつ‼」

 思わず悪態をつく。飛竜の亜種が、炎を吹くことなどありえない。その異常さに、思わずルナまで通信に割り込んできた。

「計画変更、プランB!」
『了解』

 プランB――空中迎撃の準備を、雨宮が始める。その詠唱が、切っていない通信回線から聞こえてくる。

『岩を融かせ、大地を焼け、空気を焦がせ――』

 本来の詠唱とは違う、ゲームバージョンの詠唱が森に響く。飛竜に向かって、まっすぐ一分の魔力線が空気に走ったのが解った。

『大焔弾《だいえんだん》‼』

 ゴウゥ‼ という空気が焦げる音で、回線が一時落ちる。数秒して、巨大な火球が逃げ続ける飛竜に死角から迫るのがここからも視認できた。しかし流石空の王者ともいうべきか、死角から迫った火球を、紙一重でかわす。

『――あっ』

 雨宮の声と、火球が大爆発したのが、ほぼ同時だった。打合せよりも数倍ほど大きな爆発が、飛竜を包み込む。そのまま煙をまき散らし、飛竜の肢体が八方に飛散した。

「………………」
『……ごめん、加減間違えた』

 しばらくの沈黙の後、ポツリと通信具が鳴った。

「はぁー……まあいいけどさ」

 逃がしたのはそもそも俺だし、と小声で言い、返答用部分を手に持ち回線を接続する。

「こちら神谷、今から残骸回収に向かいまーす……」

 クスリという笑い声が、ふたつ聞こえた。声からして、ルナとミレーナのものだろう。飛び散った残骸を探す範囲を目算し、再び大きくため息をつく。一応、目標は達成したのだから、不合格はないだろう。多分ネタにはされるだろうが。

「それじゃ、行きますか」

 墜落現場に向かって、歩を進める。その足は重い。どれくらい時間かかるかなぁと、ポケットに入っていた飴玉をなめながらぼんやり考える。

 神谷 樹・雨宮 晴香、ともに十六歳。
 ――職業 《魔法使い》――
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