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十三話目 十年目の告白
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「……綺麗だ」
イルディスの言葉ひとつで、ララファは舞い上がってしまう。思わずそのままぎゅっと抱きしめて、キスのひとつもしたくなる。だが、はやる気持ちを何とか堪えた。幸い、人目のある往来で暴挙に及ばぬだけの分別はあった。
それなら、せめて。
ララファははにかむように微笑んで、イルディスの白く骨張った大きな手を掬い上げ、指先を絡めて手を繋ぐ。
「この人混みで、迷子になったら一大事。もう、はぐれぬように……わたくしと手を繋いでおいてくださいませ」
見上げればまた、眉間にぐっと皺が寄る。そんな風に言えば振り解いたりはしないと知っていて、都合の良い言い訳にした。繋いだ手は夏だというのにひんやりと冷たい。手を引いて、ララファは歩き出す。
「……ぅ……きみが、よいなら、良い、が……」
気恥ずかしい。いやに照れる。まだ往生際悪くぶつぶつと煮え切らない言葉を零すイルディスを、ちらりと横目に見上げた。
「が?」
「こんな風に……誰かと手を繋ぎ、人混みを歩くなど、物心付いてからは一度も………」
我ながら言い訳染みている、とイルディスは口を歪めた。否、一度だけあった。
「いや…………ある。昔、一度だけ。きみの故郷のアダリアに巡礼に参った時だ」
あれはもう、十年も前のことだった。
「オアシスの村の、兄弟だった」
「……きょうだい?」
「ああ、聖地巡礼の途中で立ち寄った寂れたオアシスでな。子どもが溺れておったのを助けたのだ。それが縁で、その子と兄に読み書きなどを世話をしてやったのだが……その兄弟に連れられて、アダリアの街の祭りに行ったことがある。王都の大祭などとは比べ物にならん、小さな祭りだったが……」
実際、アダリアの夏の祭りは王都の大祭とは比べるのも馬鹿らしくなるくらいの小さな祭りだった。
けれど、今でもイルディスには鮮烈に思い出せる。
砂漠の夜に灯る眩い篝火、翻る色鮮やかな布地、スパイスと肉の焼ける香ばしい香り、耳慣れない異郷の音楽。はしゃぐ兄弟に左右から手を引かれ、引き摺り回されるように楽しんだ。
人出が増えてきたのか、小柄なララファは気を抜くと人波に流されてしまいそうになる。道行く人に当たりそうになった時、ぐぃ、とイルディスに引き寄せられた。
「ぁ……いや、なに!その弟の方が、手に負えんヤンチャなクソガキで……失礼、活発な子でな。こうしてしっかりと手を繋いでやらねば、目を離すとすぐに迷子になったものよ。今は、何処でどうしているやら……!」
「……イルディスさま」
ララファは意を決したように息を飲み、そして。
「わたくしです」
「………はぁ?」
何を言っているのか、理解出来ずに、イルディスは気の抜けた声で聞き返した。
「わたくしが、その……手に負えぬヤンチャなクソガキです」
もう一度、人混みの中でもハッキリと聞こえる声で言った。手を繋いだままのイルディスを見上げる表情は思い詰めたように真剣そのもので、到底冗談には聞こえない。
「……待て待て、一体どういうことだ!?」
確か、兄と弟だと言っていなかったか?それともずっと男物を着ていたし、己が勝手にそう思っていただけなのか?否、それ以前の問題だ。砂漠のド辺境で砂まみれのヤンチャなクソガキが、何処でどうしたら月神殿の巫女で『月の乙女』で花も恥じらう美少女に変身出来るというのか!
「……もうお忘れなのかと思っておりましたわ」
もう十年も前だ。ララファにとっては生涯忘れられぬ出来事であっても、イルディスにとってはそうではないと思っていた。だからこそ、今の今まで黙っていた。
「でも、わたくしは……あの時からずっと、ずーっと!あなたさまを、お慕いしておりました!」
どういうことなのか、到底理解が追いつかない。イルディスは思わずよろめいた。
ドンッ!
その背が道行く酔客の一人にぶつかった。明るい金髪の大柄な男だ。
「あァ?何だァ、テメェ!痛ぇじゃねェか!」
「う、む……すまぬ」
怒声に、その男の連れらしい数人の男達も同時に足を止めた。だが金髪の男はイルディスの顔を見た途端、面白いくらいに顔を強張らせた。
「……ぇ、だっ、いしんかん……さ、まッ!?」
「……む?」
男の赤ら顔が明らかに引き攣る。
「……イルディスさま、お知り合いですの?」
ララファが伺うように上目遣いで見つめて尋ねる。イルディスは首を振った。
「いや、全く見覚えない。赤の他人」
「はァ!?何だとこの野郎……お高く止まりやがって!毎日朝の礼拝で顔を合わせても、助神官の顔なんざァいちいち覚えちゃいられねーってか!」
青くなったり赤くなったり忙しい男だ、とイルディスは何処だか冷静に思った。確かに整った顔立ちをしているが、この程度なら太陽神殿には掃いて捨てるほどいるそこそこの美形である。眩しくて苦痛な朝の礼拝の最中に、男の顔なんぞまともに見られる筈もない。覚えていないのも無理はない。
「いや、知らんな……」
「ぐッ、クソッ!テメェは前から気に入らなかったんだ!何でテメェみてぇなみっともねぇ、打ち捨てられた骸骨が大神官に!しかも早速女とイチャイチャしてやがるのか?いい気なもんだな!」
「打ち捨てられた骸骨とは、中々斬新な発想だな……」
男は相当酔っているようだった。胸ぐらを掴まれ、近付く呼気が酒臭い。イルディスは露骨に顔を顰めた。
以前から、己が大神官の地位にあることに不満を抱く者らがいるとは聞いていた。この男もその一人なのかも知れない。
この神聖王国の大神官となれば、地位も名誉も、そして美しい『花嫁』さえも約束されている。特に、血気盛んで己の力にも顔にも自信のある若い神官達には、何故自分ではなくあんな男が、というやっかみもあるのだろう。
イチャイチャ云々に関しては到底頷けないが、男の言い分も分かる。己が大神官に相応しいかどうか、イルディス自身も未だもって自信がない。太陽の男神も酷なことを、と深い溜息を零した。
「……はあァ!?舐めやがって!」
それがまた、侮られたと感じたのか、男は拳を振りかぶった。
「……っっ!イルディスさま!」
イルディスの言葉ひとつで、ララファは舞い上がってしまう。思わずそのままぎゅっと抱きしめて、キスのひとつもしたくなる。だが、はやる気持ちを何とか堪えた。幸い、人目のある往来で暴挙に及ばぬだけの分別はあった。
それなら、せめて。
ララファははにかむように微笑んで、イルディスの白く骨張った大きな手を掬い上げ、指先を絡めて手を繋ぐ。
「この人混みで、迷子になったら一大事。もう、はぐれぬように……わたくしと手を繋いでおいてくださいませ」
見上げればまた、眉間にぐっと皺が寄る。そんな風に言えば振り解いたりはしないと知っていて、都合の良い言い訳にした。繋いだ手は夏だというのにひんやりと冷たい。手を引いて、ララファは歩き出す。
「……ぅ……きみが、よいなら、良い、が……」
気恥ずかしい。いやに照れる。まだ往生際悪くぶつぶつと煮え切らない言葉を零すイルディスを、ちらりと横目に見上げた。
「が?」
「こんな風に……誰かと手を繋ぎ、人混みを歩くなど、物心付いてからは一度も………」
我ながら言い訳染みている、とイルディスは口を歪めた。否、一度だけあった。
「いや…………ある。昔、一度だけ。きみの故郷のアダリアに巡礼に参った時だ」
あれはもう、十年も前のことだった。
「オアシスの村の、兄弟だった」
「……きょうだい?」
「ああ、聖地巡礼の途中で立ち寄った寂れたオアシスでな。子どもが溺れておったのを助けたのだ。それが縁で、その子と兄に読み書きなどを世話をしてやったのだが……その兄弟に連れられて、アダリアの街の祭りに行ったことがある。王都の大祭などとは比べ物にならん、小さな祭りだったが……」
実際、アダリアの夏の祭りは王都の大祭とは比べるのも馬鹿らしくなるくらいの小さな祭りだった。
けれど、今でもイルディスには鮮烈に思い出せる。
砂漠の夜に灯る眩い篝火、翻る色鮮やかな布地、スパイスと肉の焼ける香ばしい香り、耳慣れない異郷の音楽。はしゃぐ兄弟に左右から手を引かれ、引き摺り回されるように楽しんだ。
人出が増えてきたのか、小柄なララファは気を抜くと人波に流されてしまいそうになる。道行く人に当たりそうになった時、ぐぃ、とイルディスに引き寄せられた。
「ぁ……いや、なに!その弟の方が、手に負えんヤンチャなクソガキで……失礼、活発な子でな。こうしてしっかりと手を繋いでやらねば、目を離すとすぐに迷子になったものよ。今は、何処でどうしているやら……!」
「……イルディスさま」
ララファは意を決したように息を飲み、そして。
「わたくしです」
「………はぁ?」
何を言っているのか、理解出来ずに、イルディスは気の抜けた声で聞き返した。
「わたくしが、その……手に負えぬヤンチャなクソガキです」
もう一度、人混みの中でもハッキリと聞こえる声で言った。手を繋いだままのイルディスを見上げる表情は思い詰めたように真剣そのもので、到底冗談には聞こえない。
「……待て待て、一体どういうことだ!?」
確か、兄と弟だと言っていなかったか?それともずっと男物を着ていたし、己が勝手にそう思っていただけなのか?否、それ以前の問題だ。砂漠のド辺境で砂まみれのヤンチャなクソガキが、何処でどうしたら月神殿の巫女で『月の乙女』で花も恥じらう美少女に変身出来るというのか!
「……もうお忘れなのかと思っておりましたわ」
もう十年も前だ。ララファにとっては生涯忘れられぬ出来事であっても、イルディスにとってはそうではないと思っていた。だからこそ、今の今まで黙っていた。
「でも、わたくしは……あの時からずっと、ずーっと!あなたさまを、お慕いしておりました!」
どういうことなのか、到底理解が追いつかない。イルディスは思わずよろめいた。
ドンッ!
その背が道行く酔客の一人にぶつかった。明るい金髪の大柄な男だ。
「あァ?何だァ、テメェ!痛ぇじゃねェか!」
「う、む……すまぬ」
怒声に、その男の連れらしい数人の男達も同時に足を止めた。だが金髪の男はイルディスの顔を見た途端、面白いくらいに顔を強張らせた。
「……ぇ、だっ、いしんかん……さ、まッ!?」
「……む?」
男の赤ら顔が明らかに引き攣る。
「……イルディスさま、お知り合いですの?」
ララファが伺うように上目遣いで見つめて尋ねる。イルディスは首を振った。
「いや、全く見覚えない。赤の他人」
「はァ!?何だとこの野郎……お高く止まりやがって!毎日朝の礼拝で顔を合わせても、助神官の顔なんざァいちいち覚えちゃいられねーってか!」
青くなったり赤くなったり忙しい男だ、とイルディスは何処だか冷静に思った。確かに整った顔立ちをしているが、この程度なら太陽神殿には掃いて捨てるほどいるそこそこの美形である。眩しくて苦痛な朝の礼拝の最中に、男の顔なんぞまともに見られる筈もない。覚えていないのも無理はない。
「いや、知らんな……」
「ぐッ、クソッ!テメェは前から気に入らなかったんだ!何でテメェみてぇなみっともねぇ、打ち捨てられた骸骨が大神官に!しかも早速女とイチャイチャしてやがるのか?いい気なもんだな!」
「打ち捨てられた骸骨とは、中々斬新な発想だな……」
男は相当酔っているようだった。胸ぐらを掴まれ、近付く呼気が酒臭い。イルディスは露骨に顔を顰めた。
以前から、己が大神官の地位にあることに不満を抱く者らがいるとは聞いていた。この男もその一人なのかも知れない。
この神聖王国の大神官となれば、地位も名誉も、そして美しい『花嫁』さえも約束されている。特に、血気盛んで己の力にも顔にも自信のある若い神官達には、何故自分ではなくあんな男が、というやっかみもあるのだろう。
イチャイチャ云々に関しては到底頷けないが、男の言い分も分かる。己が大神官に相応しいかどうか、イルディス自身も未だもって自信がない。太陽の男神も酷なことを、と深い溜息を零した。
「……はあァ!?舐めやがって!」
それがまた、侮られたと感じたのか、男は拳を振りかぶった。
「……っっ!イルディスさま!」
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