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五話目 水蜜桃の味 ※

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 イルディスは意を決したように深呼吸を一つ、そして息を止めた。身を屈め、銀色の髪に隠された額に、ほんのわずかに触れるだけの口付けを落とす。
 風がそよぐような微かな感触に、ララファは顔を上げた。
 「…………すまない。否、私が悪かった。許してくれ、巫女殿……幾ら何でも口が過ぎた。大神官の地位にあるというだけで、こんな年上の、陰気で顔も良くない男の『花嫁』などと……きみが、不本意ながらも慣れない環境で己の役目を懸命に果たそうとしてくれているのは分かっている。きみの神々への献身は尊敬に値する。だから決して、侮辱するつもりで言った訳では……」
 イルディスは一瞬たりとも目を逸らすまいとばかりにじっと見上げて来る赤銅色の瞳に狼狽えながら、謝罪の言葉を何とか紡ぎだす。
 しかし、ララファは思わず瞳を瞬いた。不本意な献身?一体何を言っているのだろう?なんだか無性に腹が立ってくる。
 「大神官さま、イルディスさま…………あなたは……ちっともお分かりではないっ!」
 「……なに……?はっ……ぐ、ぁっ!!?」
 ララファはイルディスの首から垂れ落ちる布地を掴んで、ぐいッと引っ張った。
 そのまま、反論を封じる為に口を塞ぐ。無理やり力技で屈まされた上に、ガチッと歯と歯がぶつかるほどに強く唇を奪われて、イルディスは飛び上がりそうなくらいに驚いた。

 神官服と揃えの刺繍の縁取りがあるその細長い布地は、勿論そんな用途に使われるものではない。祭祀に使う立派な法具のひとつだ。
 だが気にせず力いっぱい引き寄せれば、イルディスは無理やり腰を曲げてララファに覆い被さる姿勢になった。それでも足りない分を背伸びして、ララファはがぶりと食らい付くように口付けた。欲するままに下唇を甘噛みし、ちゅ、ぅ、と殊更音立てて吸い付く。

 衝動的な暴挙。ララファだって最初は、頬でも唇でも軽く口付けて貰えればそれで良かった。けれど腹立たしさに任せて一度触れ合えば、抑えはきかない。
 「な、にを………っっ!?」
 問いただそうと開いたその口の中に、ララファの小さくて柔らかい舌がぬるり、と侵入する。歯列を割って舌を絡め、舌裏を擽り、口内を舐る。いかにも冷たそうに青白く薄い唇なのに、口の中はふわふわとぬるま湯の如く温かいのが、ララファには不思議な気がした。
  「っ、ん………ふっ………イルディス、さま……」
 口付けの合間にララファは何度も甘やかに紡ぐ。決して、意に染まぬ婚姻などではなかった。こうしてその名を呼ぶことが出来る日を、どれだけ待ち望んだことか。その気持ちが少しも伝わっていないことが、ただ純粋に悲しくて腹立たしかった。

 実をいうとイルディスにとって初めてであったその口付けは、甘酸っぱく芳しい香りがした。まるで水蜜桃のようだった。否、これほどまでに甘露なものをイルディスは他に知らない。歯を立てれば程よい弾力があり、舌を絡ませれば柔らかくて熱く、蜜が溢れ出す。触れ合う舌先から蕩けてひとつに溶け合う、この甘美な果実をもっと味わっていたいと本能が求める。
 引き剥がそうと華奢な肩を掴んだ両手には、押し返すどころか抱きしめるように力がこもる。気付けば夢中で互いの吐息を奪うように深く、幾度も角度を変えて唇が重なる。

「っ、はぁ……はっ……ぁ……」
 一体どのくらいそうしていたのか。まだ足りない、とばかりに求める心に反して、早々にイルディスの息が上がる。キスの合間にどこで息継ぎをしたものか、古今東西の叡智に通じている筈の脳内を底の底までひっくり返しても分からない。初めて味わう口付けの甘さにか、それともただの酸欠なのか、酩酊感にクラクラする。

 ララファはよろめくイルディスの痩せた頬をぎゅっと両手で包み込み、視線を向けさせた。ともすれば耐えがたい羞恥と動揺とでウロウロと彷徨い逃げ出そうとする銀の瞳が、自分だけを映し出すように覗き込む。
 「………大神官さま、イルディスさま……もう、逃げないで……」
 繊細な砂糖菓子のような、可憐な微笑み。
 「わたくしと、お茶をしてくださいますわね?」
 
 甘やかで優しく、けれど有無を言わさぬララファの言葉に、イルディスは靄掛かる思考のまま頷いていた。
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