5 / 17
五話目 水蜜桃の味 ※
しおりを挟む
イルディスは意を決したように深呼吸を一つ、そして息を止めた。身を屈め、銀色の髪に隠された額に、ほんのわずかに触れるだけの口付けを落とす。
風がそよぐような微かな感触に、ララファは顔を上げた。
「…………すまない。否、私が悪かった。許してくれ、巫女殿……幾ら何でも口が過ぎた。大神官の地位にあるというだけで、こんな年上の、陰気で顔も良くない男の『花嫁』などと……きみが、不本意ながらも慣れない環境で己の役目を懸命に果たそうとしてくれているのは分かっている。きみの神々への献身は尊敬に値する。だから決して、侮辱するつもりで言った訳では……」
イルディスは一瞬たりとも目を逸らすまいとばかりにじっと見上げて来る赤銅色の瞳に狼狽えながら、謝罪の言葉を何とか紡ぎだす。
しかし、ララファは思わず瞳を瞬いた。不本意な献身?一体何を言っているのだろう?なんだか無性に腹が立ってくる。
「大神官さま、イルディスさま…………あなたは……ちっともお分かりではないっ!」
「……なに……?はっ……ぐ、ぁっ!!?」
ララファはイルディスの首から垂れ落ちる布地を掴んで、ぐいッと引っ張った。
そのまま、反論を封じる為に口を塞ぐ。無理やり力技で屈まされた上に、ガチッと歯と歯がぶつかるほどに強く唇を奪われて、イルディスは飛び上がりそうなくらいに驚いた。
神官服と揃えの刺繍の縁取りがあるその細長い布地は、勿論そんな用途に使われるものではない。祭祀に使う立派な法具のひとつだ。
だが気にせず力いっぱい引き寄せれば、イルディスは無理やり腰を曲げてララファに覆い被さる姿勢になった。それでも足りない分を背伸びして、ララファはがぶりと食らい付くように口付けた。欲するままに下唇を甘噛みし、ちゅ、ぅ、と殊更音立てて吸い付く。
衝動的な暴挙。ララファだって最初は、頬でも唇でも軽く口付けて貰えればそれで良かった。けれど腹立たしさに任せて一度触れ合えば、抑えはきかない。
「な、にを………っっ!?」
問いただそうと開いたその口の中に、ララファの小さくて柔らかい舌がぬるり、と侵入する。歯列を割って舌を絡め、舌裏を擽り、口内を舐る。いかにも冷たそうに青白く薄い唇なのに、口の中はふわふわとぬるま湯の如く温かいのが、ララファには不思議な気がした。
「っ、ん………ふっ………イルディス、さま……」
口付けの合間にララファは何度も甘やかに紡ぐ。決して、意に染まぬ婚姻などではなかった。こうしてその名を呼ぶことが出来る日を、どれだけ待ち望んだことか。その気持ちが少しも伝わっていないことが、ただ純粋に悲しくて腹立たしかった。
実をいうとイルディスにとって初めてであったその口付けは、甘酸っぱく芳しい香りがした。まるで水蜜桃のようだった。否、これほどまでに甘露なものをイルディスは他に知らない。歯を立てれば程よい弾力があり、舌を絡ませれば柔らかくて熱く、蜜が溢れ出す。触れ合う舌先から蕩けてひとつに溶け合う、この甘美な果実をもっと味わっていたいと本能が求める。
引き剥がそうと華奢な肩を掴んだ両手には、押し返すどころか抱きしめるように力がこもる。気付けば夢中で互いの吐息を奪うように深く、幾度も角度を変えて唇が重なる。
「っ、はぁ……はっ……ぁ……」
一体どのくらいそうしていたのか。まだ足りない、とばかりに求める心に反して、早々にイルディスの息が上がる。キスの合間にどこで息継ぎをしたものか、古今東西の叡智に通じている筈の脳内を底の底までひっくり返しても分からない。初めて味わう口付けの甘さにか、それともただの酸欠なのか、酩酊感にクラクラする。
ララファはよろめくイルディスの痩せた頬をぎゅっと両手で包み込み、視線を向けさせた。ともすれば耐えがたい羞恥と動揺とでウロウロと彷徨い逃げ出そうとする銀の瞳が、自分だけを映し出すように覗き込む。
「………大神官さま、イルディスさま……もう、逃げないで……」
繊細な砂糖菓子のような、可憐な微笑み。
「わたくしと、お茶をしてくださいますわね?」
甘やかで優しく、けれど有無を言わさぬララファの言葉に、イルディスは靄掛かる思考のまま頷いていた。
風がそよぐような微かな感触に、ララファは顔を上げた。
「…………すまない。否、私が悪かった。許してくれ、巫女殿……幾ら何でも口が過ぎた。大神官の地位にあるというだけで、こんな年上の、陰気で顔も良くない男の『花嫁』などと……きみが、不本意ながらも慣れない環境で己の役目を懸命に果たそうとしてくれているのは分かっている。きみの神々への献身は尊敬に値する。だから決して、侮辱するつもりで言った訳では……」
イルディスは一瞬たりとも目を逸らすまいとばかりにじっと見上げて来る赤銅色の瞳に狼狽えながら、謝罪の言葉を何とか紡ぎだす。
しかし、ララファは思わず瞳を瞬いた。不本意な献身?一体何を言っているのだろう?なんだか無性に腹が立ってくる。
「大神官さま、イルディスさま…………あなたは……ちっともお分かりではないっ!」
「……なに……?はっ……ぐ、ぁっ!!?」
ララファはイルディスの首から垂れ落ちる布地を掴んで、ぐいッと引っ張った。
そのまま、反論を封じる為に口を塞ぐ。無理やり力技で屈まされた上に、ガチッと歯と歯がぶつかるほどに強く唇を奪われて、イルディスは飛び上がりそうなくらいに驚いた。
神官服と揃えの刺繍の縁取りがあるその細長い布地は、勿論そんな用途に使われるものではない。祭祀に使う立派な法具のひとつだ。
だが気にせず力いっぱい引き寄せれば、イルディスは無理やり腰を曲げてララファに覆い被さる姿勢になった。それでも足りない分を背伸びして、ララファはがぶりと食らい付くように口付けた。欲するままに下唇を甘噛みし、ちゅ、ぅ、と殊更音立てて吸い付く。
衝動的な暴挙。ララファだって最初は、頬でも唇でも軽く口付けて貰えればそれで良かった。けれど腹立たしさに任せて一度触れ合えば、抑えはきかない。
「な、にを………っっ!?」
問いただそうと開いたその口の中に、ララファの小さくて柔らかい舌がぬるり、と侵入する。歯列を割って舌を絡め、舌裏を擽り、口内を舐る。いかにも冷たそうに青白く薄い唇なのに、口の中はふわふわとぬるま湯の如く温かいのが、ララファには不思議な気がした。
「っ、ん………ふっ………イルディス、さま……」
口付けの合間にララファは何度も甘やかに紡ぐ。決して、意に染まぬ婚姻などではなかった。こうしてその名を呼ぶことが出来る日を、どれだけ待ち望んだことか。その気持ちが少しも伝わっていないことが、ただ純粋に悲しくて腹立たしかった。
実をいうとイルディスにとって初めてであったその口付けは、甘酸っぱく芳しい香りがした。まるで水蜜桃のようだった。否、これほどまでに甘露なものをイルディスは他に知らない。歯を立てれば程よい弾力があり、舌を絡ませれば柔らかくて熱く、蜜が溢れ出す。触れ合う舌先から蕩けてひとつに溶け合う、この甘美な果実をもっと味わっていたいと本能が求める。
引き剥がそうと華奢な肩を掴んだ両手には、押し返すどころか抱きしめるように力がこもる。気付けば夢中で互いの吐息を奪うように深く、幾度も角度を変えて唇が重なる。
「っ、はぁ……はっ……ぁ……」
一体どのくらいそうしていたのか。まだ足りない、とばかりに求める心に反して、早々にイルディスの息が上がる。キスの合間にどこで息継ぎをしたものか、古今東西の叡智に通じている筈の脳内を底の底までひっくり返しても分からない。初めて味わう口付けの甘さにか、それともただの酸欠なのか、酩酊感にクラクラする。
ララファはよろめくイルディスの痩せた頬をぎゅっと両手で包み込み、視線を向けさせた。ともすれば耐えがたい羞恥と動揺とでウロウロと彷徨い逃げ出そうとする銀の瞳が、自分だけを映し出すように覗き込む。
「………大神官さま、イルディスさま……もう、逃げないで……」
繊細な砂糖菓子のような、可憐な微笑み。
「わたくしと、お茶をしてくださいますわね?」
甘やかで優しく、けれど有無を言わさぬララファの言葉に、イルディスは靄掛かる思考のまま頷いていた。
0
お気に入りに追加
210
あなたにおすすめの小説
ケダモノのように愛して
星野しずく
恋愛
猪俣咲那は画家である叔父の桔平の裸婦モデルをしている。いつの頃からか、咲那は桔平に恋心を抱くようになっていた。ある日、いつものようにアトリエを訪れた咲那は桔平と身体の関係を持ってしまう。しかし、女性にだらしない桔平は決まった彼女は作らない主義だ。自分の気持ちは一方通行のままなのだろうか…。禁断の恋を描いた「おじさまシリーズ第二弾!」
【完結】女王様と3人の罪人〜 私自身が罪深いというのに、簒奪は静かに完了した。〜
BBやっこ
恋愛
継承は年齢順。側妃の子には継がれない。だって、蛮族の血が流れているんですもの。
姉という人は、王位のために私をさげずみ、義弟を味方につけた。その顛末は私が望んだものだったかはわからない。けど安寧を得られるものだった。
弟、王弟、従者に守られた女王の話。
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
【完結】誰にも相手にされない壁の華、イケメン騎士にお持ち帰りされる。
三園 七詩
恋愛
独身の貴族が集められる、今で言う婚活パーティーそこに地味で地位も下のソフィアも参加することに…しかし誰にも話しかけらない壁の華とかしたソフィア。
それなのに気がつけば裸でベッドに寝ていた…隣にはイケメン騎士でパーティーの花形の男性が隣にいる。
頭を抱えるソフィアはその前の出来事を思い出した。
短編恋愛になってます。
拾った少年は、有能な家政夫だった
あさじなぎ@小説&漫画配信
恋愛
2年付き合った年上の彼氏に振られた琴美。
振られた腹いせに友達とやけ酒飲んだ帰り道、繁華街で高校生くらいの少年を拾う。
サラサラの黒い髪。二重の瞳に眼鏡をかけたその少年は、「家、泊めていただけますか?」なんてことを言って来た。
27歳のOLが、家事堪能な少年と過ごす数日間。
小説家になろうにも掲載しているものを転載。一部加筆あり。以前拍手にのせていたifエンドのお話をのせています。
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
私、異世界で監禁されました!?
星宮歌
恋愛
ただただ、苦しかった。
暴力をふるわれ、いじめられる毎日。それでも過ぎていく日常。けれど、ある日、いじめっ子グループに突き飛ばされ、トラックに轢かれたことで全てが変わる。
『ここ、どこ?』
声にならない声、見たこともない豪奢な部屋。混乱する私にもたらされるのは、幸せか、不幸せか。
今、全ての歯車が動き出す。
片翼シリーズ第一弾の作品です。
続編は『わたくし、異世界で婚約破棄されました!?』ですので、そちらもどうぞ!
溺愛は結構後半です。
なろうでも公開してます。
私が美女??美醜逆転世界に転移した私
鍋
恋愛
私の名前は如月美夕。
27才入浴剤のメーカーの商品開発室に勤める会社員。
私は都内で独り暮らし。
風邪を拗らせ自宅で寝ていたら異世界転移したらしい。
転移した世界は美醜逆転??
こんな地味な丸顔が絶世の美女。
私の好みど真ん中のイケメンが、醜男らしい。
このお話は転生した女性が優秀な宰相補佐官(醜男/イケメン)に囲い込まれるお話です。
※ゆるゆるな設定です
※ご都合主義
※感想欄はほとんど公開してます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる