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一話目 王都の夏

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”原初、太陽は一匹の獣であった。
 荒ぶる獣は火を吐き、海は枯れ、陸は燃え、世界は炎に包まれた。
 憂いた人々はひとりの清らかな乙女を獣に差し出した。
 其れは月の乙女、魂鎮めの贄の巫女。或いは獣の花嫁。
 乙女は獣を鎮め、獣は乙女を娶った。
 然して、獣は太陽の神となった。

 『創世聖典 一章一節』”
 
※※※
 
 王都イズファハーンの夏の夜は短い。
 古来、太陽の男神と月の女神に愛されたというその都は、三方を山に囲まれた窪地にあり、夏場は特にうだるように暑い。人々はひと時の涼を求めて川辺で酒を酌み交わし、夕涼みをしながら短夜を惜しむのが常であった。
 その日、まだ月の女神が夜空にちらりとお顔を覗かせた頃合い。王都の最も東の山の裾野に位置する太陽神殿の奥の、そのまた奥。大神官の寝所でも、一組の男女が寝台の上で向き合っていた。
 
 「急に聖句の暗唱など……一体どうなさったんですの?」
 「……きっ、きみこそ!そこで何をしている!?」
 
 寝台の上に寝そべる己の脚の間にうずくまり、夜着の腰帯を緩める娘の姿に、イルディスは度肝を抜かれた。
いつの間にそこにいたのか。彼女とは確かについさっき、このような関係となったからには致し方ないゆえ、とりあえず今夜は広い寝台の端と端で清らかに共寝をしようと約束をしたばかりではなかったか?それでも何とか平静でいられるように、と目を瞑って聖句の暗唱などしている隙に、一体何故このような事態に発展しているのか。イルディスには皆目見当も付かぬ。
 
 「何って……お勤めですわ、大神官さま」
 
 朝焼けのような橙色の瞳を瞬き、娘はさも当然とばかりに答える。愛らしい小鳥のように小首を傾げれば、まだ幾らかあどけなさの残る頬に銀色の髪がさらさらと垂れ落ちた。
 
※※※
 
 イルディスが太陽の男神を奉る神殿の長である大神官の座に就いたのは、神殿の庭に薔薇の花が咲き乱れる初夏の頃。ほんのひと月と少し前のことである。
 健康そのものだった先代大神官が突然身罷り、急遽次の大神官を選出する神託を得ることとなった時。イルディスは完全に他人事であった。
 正神官の一人として候補の一人に名を連ねはしたものの、所詮は数合わせ。いつの間にだか年ばかり食って古参の一人に数えられる己より、若く逞しく見目麗しく、前途洋々とした若者が次世代を担う大神官の座に就くものとばかり思っていた。
 
 偉大なる神聖王国の要にして人心の拠り所である太陽神殿の大神官に求められるのは、第一に太陽神のご加護の証である神力。そして王の補佐役として古今東西の叡智に通じる知識、人望、政治力。そして何より大事なのが大神官の名に恥じぬ見目麗しさである、とイルディスは考えていた。
 現に、歴代の大神官を遡っても周りを見渡しても、イルディスの同輩である神官達は、揃いも揃って神の御加護が全て顔と筋肉に振り分けられたのではあるまいか?と思えるほどの筋骨隆々の美男子ばかり。
 一方イルディスはといえば、まだ年若の神官達から、うらなりだの青瓢箪だの、陰気過ぎて見ているだけで気が滅入ると陰口を叩かれる始末である。確かに鏡を覗けば、今まさに親類の葬儀から帰ったばかりのような陰気臭い顔立ちに青白い肌の男が見返してくる。「太陽神の神官どころか冥府の死神と名乗った方がまだ納得感がある」と口さがない同輩に揶揄されても、あながち間違いではない、と思えるくらいには己の容姿についてよく弁えていた。
 しかも、太陽の光は、色素が薄く殆んど銀色に近いイルディスの目には毒だ。日光が燦々と降り注ぐ真昼の野外など、眩し過ぎて目を開けていられない。何とかその眩しさを堪える為にと目を細め、自然と眉間の皺は深くなる。それがまた厳めしい表情となって、偏屈で近寄り難い印象を強めるらしい。実際、日々の勤めを終えた後は目にも精神にも優しい薄暗い書庫に籠り切りで、誰とも会わずに過ごすことの方が多かった。物言わぬ古今東西の叡智に囲まれ、何者にも侵され難い孤独。イルディスは愛する書物に囲まれていさえすれば、それで幸せだった。
 
 そんな有様では、幾ら神殿随一の神力と博覧強記を自負していても、大神官など到底務まる筈もない。
 だからこそ、まさか自分が容姿端麗筋骨隆々の男共の頂点たる大神官に選ばれるなど、ついぞ思ってもみなかった。叶うなら、大陸諸国の貴重な書籍が集う大書庫の管理者たる任を頂戴し、愛する書籍に囲まれて悠々自適の本の虫生活を楽しむ予定であった。

 しかしながら光栄にも太陽神の神託によってくだされたのは、麗しき象牙の塔ではなく、大神官の座と若く美しい花嫁であったのだ。
 
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